2018年03月17日

ベストティーチャーの作り方

1980年代後半、 F 1のマクラーレンホンダチームは無敵の強さを誇っていました。特にアイルトン・セナとアラン・プロストを擁した1988年には、16戦中15勝するというほとんど無敵の状態でした。

しかし1989年ターボエンジンの禁止などルール改正が行われ、以降ホンダの強さは陰りが見られるようになりました。

冬期オリンピックのスキー競技に、ノルディック複合という競技があります。日本は1992年アルベールビル、1994年リレハンメルの両五輪で団体金メダルに輝きましたが、なかでも荻原健司さんは、W杯で1992年から3季連続総合王者となり、長野五輪でもメダルを期待されていました。当時は前半のジャンプで大量にリードして、後半のクロスカントリーで逃げ切るという必勝パターンがあり、ワクワクして見ていたのを覚えています。しかしながら、1998年の長野五輪を前に、ジャンプの得点が減るというルール改正が施行されて、長野五輪では日本チームは奮いませんでした。

同じく1998年長野オリンピックでのジャンプ競技では、覚えておられる方も多いかもしれませんが日本勢が金2個(ラージヒル個人、ラージヒル団体)、銀1個(ノーマルヒル個人)、銅1個(ラージヒル個人)を獲得しました。特に団体は大逆転があり、私もTVの前で大興奮しました。

しかしその後、スキー板の長さのルールが変更され、その後日本人の活躍は少なくなってしまいます。小柄な選手が多い日本人に不利なルール改正といわれたりもしました。


翻って、先日、滋賀医科大学ベストティーチャー賞の受賞者が発表されましたが、私の名前はそこにはありませんでした。

もちろん今年、私以上にベストな教員がいた、ということでしたら素晴らしいことなのですが、伺ってみるとやはり最高点は例年通り私だったらしいのですが、「いつも長尾に賞を与えるのはいかがなものか」という声が少なからずあったということで、受賞ならずとなりました。

本来ベストティーチャー賞、この賞が設立された目的があるとしたら、教員が皆、よりよい教育を提供すべく努力する、その努力に対して与えられるべきもので、持ち回りで与えられるということに価値があるようには思えないのですが…。そういう風に「機会均等に」授与するべきもの、という感覚なのでしょうか。

イヤ別に賞品がほしいから言っているのではないのですけどね…。なんか、頑張っていることが、ルール改正によって「なかったことにされている」のが残念と申しますか。


…と、こんなことを書いておいてなんなんですが、今日からしばらく夏休みを頂きますので、3月21日まで更新が滞ることになります。こんなに滞ることは久しぶり(初?)ですかね…。ちょっといろいろ立て込んでおり、気分的に張り詰めていたので、しばし充電してまたしっかり更新していきたいと思います。お仕事お待たせしている皆様、申し訳ありませんがしばしお時間を頂けましたら幸いです。

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posted by 長尾大志 at 00:14 | Comment(2) | 日記
この記事へのコメント
先生は殿堂入りです!
Posted by 29期の救急医@関東 at 2018年03月23日 12:11
スミマセン、つい愚痴を…
Posted by 長尾大志 at 2018年03月25日 15:54
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