2023年03月16日

2022年度卒業生謝恩会BOOKインタビュー・オタクは仲間を増やしたいD推しへの愛を存分に

(Cからの続き)
な:とりあえず僕は、自分が教育に関わって培ってきたテクニック的なところは全部開示してます。あと大事なのはもう一つ、さっき出てきたマインドの部分ですよね。やっぱり先生方には自分の専門に愛を持って欲しいです。 自分の専門の面白さをどうやってできるだけ多くの人にわかってもらえるか。この感動を分かち合えるか?というね。他から評判が良くなくても、自分は「これは絶対面白いはずなんだ」って思える愛がまず大事です。

と:自分だけが推してても、周りのリアクション悪かったら凹みませんか?

な:評判ということに関して言うと、伝え方とかスキル面の工夫もあります。確かにスベるのは怖いですし、リアクションがなかったら物凄く寂しい気持ちになるので。今ならそういうのはできるだけ動画授業にして、知らぬ間に見て勉強してもらうのも手ですかね。まあほんとのことを言うと、別に授業を聞かなくてもいいんですよ。 変な話ね。 おさえるべき内容が理解できるなら、それでいいんです。まあ全部自分で勉強するのは大変だし、大学としても最低限のアウトカムは保証はしないといけないから、まったく授業せずっていうのはできないんですけど。でも必ずしも授業で勉強しなくたって、最低限のやるべきことが達成できるなら、それが本来の目的です。

と:長尾先生は良い授業のために沢山時間をかけているけれど、それでも自分の授業を聞かなくても良い、と?

な:そうです。僕の授業を必ず聞いて、この教科書を読まないと学習目標が達成できない、そんなことは全然ないわけですね。今はもういろんな教材があって、やり方は何だっていいんです。そうしたら、例えば映像授業にしたおかげで空いた時間をプラスαの部分に活用できるでしょう。グループワークやら確認の小テストでもいいんですよ。小テストをやってみんなで答え合わせのやり取りをしたりね。まあ教員としての義務があるわけですから何も授業しないという訳にはいきません。ただ、どちらかというと、道具を使ってできるところは節約して、テスト問題をつくるのに時間を費やして欲しいですね。テスト問題の質を良くすると絶対勉強します。

と:私が今まで受講した中でも、○○という授業でそういう仕組みがありました。勉強するのがかなり大変でしたけど、本当に身になりました。

な:そうでしょう。過去問の丸暗記では解けない、本質的に良いテスト問題を作ったら勉強せざるを得ない。良質なテスト問題が示すレベルに到達するために、みんな自分で工夫して勉強するんですよ。でもまあ実際は嫌々テスト問題を作っているケースが多いと思います。これはいわゆる理想ですよ。ですが、まずは動画でもテキストでもいいから何かしらの基本的な理解を助けるコンテンツを使って省力化する方向性は大事です。せっかくコロナでリモートになったのに、これまでのやり方でオンラインより対面のほうが良いと決めつけてしまうのは勿体ない。コンテンツが活用できるのであれば、もうそのまま置いときゃいいのにと思う。なんで対面に戻すねん(笑)。

と:しかも対面授業自体がコロナ以前に比べて格段に良いかと言われたらそういう訳でもない…

な:正直ですね(笑)

と:すみません^^;でも、コアカリキュラムに入っている内容を授業で網羅してもらっているというのは分かるのですが、一気に聞いても全部頭に入らなくて…。結局やることが多すぎて何が何だか分からないまま、ザザーッと過ぎ去ってしまいました。きっと後から大事だと気づいて後悔するし、絶対授業でもやってるはずなんですけど…


な:だから逆に言うとコンテンツがあるといい、いつでも見ることができる。
後で見ようと思って「あれ?これなんのことやったっけ」って思ったら、「あ、このことか」ってアクセスがいつでも出来るじゃないですか。これがコンテンツの強み。一回きりの授業やったら、もう講義室で言ったことはすぐに消えてしまうでしょう。

と:一回の授業だけで全部覚えるのは無理ですね…。もちろん授業だけでなくて、自主学習が大事なのは重々承知なのですが、授業コマや課題などやることが多すぎて時間も足りずキャパオーバーでした。

な:そうなんですよ。だからライブ授業の時はやっぱりそっち方面に舵を切って、とにかくおもろい!で行くんだけど、コンテンツは別にそうする必要もないんですよ。必要があったら後で見たらいいし、で実はそういうことだったのかっていうことが後で理解してわかるかもしれないからね。 上手く取り入れれば、コンテンツ作りはいいことずくめなんですよ。

と:確かに、コンテンツ作りを楽しめればですね。

な:そこはちょっと人によってハードルが高いといわれる側面はおそらくありますね。大学教員は臨床もやらなあかんし教育も研究もやらなあかんですが、それぞれ得意不得意もあります。僕は研究苦手なんですよ(笑)

と:え、そうなんですか笑

な:これはもうね、いろいろなお考えはあると思うけれど、僕はやっぱり適材適所がいいと思います。何でもかんでも全員に全部やれっていうよりも、「こいつオモロいから教育やらせてみるか」とか、それぞれの先生の特性に合わせてみてもいいんじゃないかな。

と:バランスの取れた人材が求められがちなんですかね。

な:教育する人ばっかりになって他が疎かになりすぎてしまうと、それはそれで大学として困ることも出てくるので、理想通りにいかないっていうのはわかるんですけど。でも、やっぱり得意なことや好きなことをやってた方が人間はイキイキするんだろうなーっていうのは思うんですよね。

と:キャリアと言う意味では、やっぱり教育への貢献よりも臨床と研究が優先されがちなのですか?

な:キャリアの話で言うと教育ってすごく無駄で、教育を一生懸命やっても評価は上がらないのが大学の大きな矛盾ですよね。結局教育に時間を割くためには、先生方がボランティアで自分の時間を使ってるわけです。

と:学生からしたら、先生が忙しいなかでも時間をとってもらえるのは有難いですね。直接教わるのはすごく勉強になります。

な:教育の難しさはキャリアの大した足しにならないところと、もう一つはアウトカムが現在進行形で見えないところですね。今やってる教育が一体何のためになってるのかすぐには分からない。僕自身はその部分においてポジティブなフィードバックをもらえたから乗り越えられたんですけど、それがなかったら辛いというのはすごく分かります。なので、自分が教えたことで学生さんの表情がちょっとでも変わるとかね、興味が向くとか、そういう手応えのある体験をして欲しいんですね。

と:学ぶ側としても本人が大切さに気づけない難しさがありますね。やってる時は「これ、何の役に立つんだろう」って思っていても、後から振り返って気づかされて有難く思ったり。

な:教育って、学ぶべき時に「今、これを学ぶべきや」ってわからへんのですよね。あとで効いてくることも多いし。何十年も経ってから、指導医の先生が言っていたことの意味が痛感される、とかもあるでしょうし。だからこそ与える側の力量が要求される。それは間違いないです。啐啄同時という言葉があって、ニワトリの卵は親鳥が外側からツンツンするのと、ひなが内側からツンツンするタイミングが合わないと割れないんですよ。ニワトリの卵だけじゃなくて、例えはなんでもいいんですけど、要するにレセプターが受け入れ準備をしているときに「ふりかけ」ないとつかない。どれだけいいものを「ふりかけ」てもです。でも、そのレセプターが開く瞬間というのは必ずあって、その時に「ふりかけ」ないといけないっていう難しさはあります。
(Eへ続く)

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posted by 長尾大志 at 19:31 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ
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