以前にも触れましたシーナ・アイエンガー教授著「選択の科学」、ようやく読了しました。
途中までも「なるほど〜」の連続でしたが、圧巻は第7講。
医学的に厳しい状態におかれた患者さんの家族の選択と、その結果、そしてその選択を下したことについて、あとでその家族がどのように振り返っていたか、きっちりと裏付けをとった研究デザインがくまれていました。
非常に示唆に富む内容でありますので、特に時間のある学生さんには是非読んで頂きたいのですが、多忙な研修医・レジデントの皆さんのために、かいつまんだ内容を紹介させて頂こうと思います(でも興味がわいた方は、是非通して読まれることをお勧めします!GWですし)。
まず、そもそも動物には「選択したい」という欲求があります。これはラットの実験でも明らかになっていて、かなり根源的な欲求のようです。
自分の置かれている状況が、ほとんど何も選択の余地がない、選択できない立場の生き物、たとえば動物園の動物は野生の動物よりも寿命が随分短い。
あるいは、ストレスの多そうな、贅沢をしていてメタボそうな社長の寿命の方が、従業員の平均寿命よりも長い、ということがわかっています。
では、選択の幅は、多い方がいいのか。
もっと言えば、自由であればあるほど、人は幸せなのか。
これについては、皆さんもいろいろなお考えがおありでしょう。
ある調査によると、何もかもが決められているような、いわゆる原理主義的な宗教の信徒は(たとえば私たち日本人からすると、食べ物もあれはダメ、これもダメ、どこに行っても1日何回かのお祈り、果ては結婚相手も自由に選べない…)、他の人々に比べて、宗教により大きな希望を求め、逆境により楽観的に向きあい、鬱病にかかっている割合が低かったそうです。
逆に悲観主義と落ち込みの度合いが最も激しかったのは、無神論者や自由の多い宗教に属する人々でした。
制約は必ずしも自己決定権を損なわず、思考や行動の自由が必ずしも自己決定「感」を高めるわけではない、ということだそうです。
「自分の人生を自分でコントロールできている」という感覚は、その人がコントロールというものをどのように理解しているかによります。
その人がそもそも「個人の選択を通じてこそ、環境はコントロールできる」と信じているのか、「世界を支配するのは神であり、神の御旨を理解し、忠実に従ってこそ、人生に喜びを見いだせる」と信じているのか。おそらくそれは、どこで、どんな親の元で生まれたかによるので、コトはそう単純ではありません。
選択に対する考え方は、国によって、分化によって異なるのであります。
明日に続きます。
「明日に続く」なんて・・・(/_;)
3日間末っ子の淡路遠征に引率やから 明日に続かないで〜〜〜です
では,ほぼ仮眠にしかならない睡眠に入ります
Zzzzzz....
遠征、お疲れ様です!3日後をお楽しみに、って、終わってないかもですが…。