ブランクと言えば私が研修医〜大学院の頃は、学位(博士号)と留学がセットというか、
まあ何となくみんな、学位取って、お礼奉公?して、それから留学、みたいな流れがあったわけで。
学位取って留学するのが当たり前、それで一人前、みたいな雰囲気があったりしました。(特殊だったのでしょうか?)せっかく臨床にブランクをあけて学位を取り、留学をして、得られるモノは何でしょうか。
当時は(今も?)、「学位は足の裏についたご飯粒に似たり」という言い伝えがありまして。
その心は、「取らないと気になるけど、取っても食えない」。
学位を取っても、給料に反映されない現実を揶揄したものでした。
確かに、取らないと気になるかもしれません。
特に、大学の医局に属していると、みんな取ってるし。
じゃあ、具体的に何の役に立つのか。考えれば考えるほど、よくわかりません。
私個人的には、特に役に立った実感はありませんし、
個人的に見聞したケースで実際問題学位が必要な場面を思い出してみますと…。
たとえば大学で偉い肩書きをもらいたい(といっても講師以上か?)、とか、
どこかの院長になりたい、とか言い始めると、どうも学位が必要なようで。
そこから考えると、学位を持っているということは、勉強が好きな人である、偉くなりたい人である、ということがわかってもらえる、という意味があるのかもしれません。
「医学博士」が名乗れるというのは、メリットといえるでしょうか。名刺には印刷できるんで。
学位がなければ、名刺の肩書きはただの「医師」。
それとて、どこの大学で取っても「医学博士」は医学博士で。
今や京大で学位を取ろうとすれば、英文査読誌でそれなりのものに載せる必要がある。
方や、○○大学では、日本語の症例報告でも取れる、どちらも同じ「博士」。
そういう意味では、「博士である」だけでは「食えない」のももっともでしょうか。
ただ、学位を取ろうとすれば、やはりそれなりに論文書いて、教授に認めてもらって、
なんやかんや面倒くさい手続きを経なくてはなりませんので、
そういうことを成し遂げた人、まあいえば忍耐強い人である、ということはわかってもらえるのでしょう。
逆に、私の存じ上げている学位のない方は、あまりそういう、肩書きのようなモノにこだわらない方、
臨床や経験の蓄積に重きを置いておられ、論文に興味のない方、大学と関係を持たれていない方、
いわゆる「職人肌」「実力派」というイメージがあります。
もちろん、ただ単に何もなさらず、論文も書かれず、結果学位もない。というケースもなきにしもあらず。
まとまりませんが、学位の有無はあまりその方の本質に関係がなさそう、とは言えるのかと。
そうはいってもブランド志向の日本では、まだまだ役にたつこともあるのでしょうかね。特に実態を知らない人に対しては…。
2012年09月23日
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