先日の京都新聞から。
僧侶、川村妙慶さんの寄稿より引用させていただきます。
(以下、大意を引用)
学生の頃、先生に「『先生』の反対の言葉は何か」と聞かれました。「『先に生まれる』と書いて先生、あなたの前に生まれた人はみな先生で、その反対語は『後生』である」とおっしゃいました。
今から550年前、蓮如上人は「後生の一大事を心にかけて」と繰り返し教えられています。この「後生」は今生きている人に対しての言葉。先に生まれた方から「あなたは何を学んでいくのか?」と問われているようです。
平均寿命と自分の年齢を照らし合わせ、「私はあと何年しか生きられない」と不安を感じてしまう方もいます。
なぜでしょうか。それは今を生ききっていないからなのです。
後生とは「最後の生」です。あなたの一大事は「今」なのです。今を生ききること、それこそが大事なことであって、頭だけを働かせ、「来年(今年)こそはいいことがありますように」と先のことを願い、そのうち、そのうちと言っている間に人生の幕は下りてしまいます。
(引用ここまで)
これまでに多くの患者さんの最期を看取らせていただきまして、何となく不思議に思っていたことがあります。
それは、これまでに何らかの事をなされた方、立派な方は、最期にあたってもその事実をしっかり受け入れられ、(言葉は適切ではないかもしれませんが)じたばたされない、ということ。
また、これまで仲良くされてきたご夫婦や、親孝行をしっかりされてきたであろう子供さんたちも、やはりそういう傾向にあるように思います。
で、そうではない方々はそうではない。何か理由があるのかな?と思っていたのですが、上の寄稿を読んで何となく理由がわかったような気がします。医療関係の方であれば、おわかり頂けるのではないでしょうか。
私自身も、今を生き切らなくてはなりません。根が怠け者なので、すぐにサボってしまう。後回しにする。これではアキマセン。今日は家族と離れて合宿モードとし、校正作業中です。それにしても過去の記事、書き直したいところが多すぎて大変です…。
2013年01月05日
この記事へのコメント
コメントを書く