2020年05月31日

滋賀医科大学在籍の15年を振り返って 2016年〜2020年

2016年には中野先生が熊谷賞を受賞され、私も『やさしイイ血ガス・呼吸管理』『まるごと図解 呼吸の見かた』を出版させていただきました。そしてO先生が開業され、医師の派遣など、医局としても各方面に向けて活動を伸ばしていくことができたように思います。この年にも一般病院、中部地方からわざわざM先生が呼吸器の勉強のために滋賀にやってきてくれました。元々総合診療医の視点を持ち、私たちの診療、ものの考え方にも大いに刺激を与えてくれました。卒業生では T 先生が入局していただき、医局はますます賑やかになりました。

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2017年にはK大学からK先生が仲間入り。研究部門を引っ張ってくれています。その年にはK先生とT先生が入局、K先生はその大道芸でBBQの景色を一変させ、T先生は果てしない癒やしの世界を医局にもたらしてくれました。

さらに時が経ち、当時循環器内科の教授であられた堀江先生からの宿題(滋賀に呼吸器内科講座を!)がついに果たされるときがやって来ました。2018年、呼吸器内科が循環器内科から独立し、初代教授が中野先生に決まったのです。一つの目標を達成した感はありました。

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と同時に、その時に改めて、呼吸器内科にはこれ以上ポストは増えない、そこで自分もこれ以上の展開はないという現実に目を向けざるを得なくなりました。これまでは独立という目標に向かって突き進んできたのですが、その目標が達成されて、このまま自分がここに居座ると若い先生方のポストがない、彼らにポストを譲ることを考えなくてはならない、という意識が芽生えてきました。

元々数名でやっていたときには、カンファレンスもお互い意見を言う、勉強してきてそれを共有する、という感じであったものが、学年の離れた若い先生が多くなってくると、ただ私が経験を語って皆がそれを黙って聞く、という図式になってきたり、なんとなく一方通行の形になってきていました。当初は私自身古い教育を受けてきた人間ですから、そのやり方に特に疑問を感じていませんでしたが、いろいろ教育について学ぶにつれて、こういう形のカンファレンスは教育的ではないな、もっと皆が発言できるような場作りが自分の仕事なのではないか、ということに思いが至りました。逆にそうしますと、自分の存在意義であったり、自分としての成長(もはや成長することは期待できないかもしれませんが)であったり、自分の貢献できる場所はここではないのではないか、といった何とも言えない違和感が生じてきたのも紛れのない事実であります。

また同時にその頃、本学におけるカリキュラム改革のお話を聞くにつけ、自分の立場で全く何もできない無力感であったり、忸怩たる思いであったり、そういうものが積み重なってきました。かつて色々と考えを巡らした、教育システムを作っていくという仕事への興味がまた湧いてきたわけであります。そのような立場は、現在の場所では私の入る余地がないようで、そのような仕事をしたい場合には他の場所に求める必要がありました。

さはさりながら、滋賀に来て15年、どっぷりと浸かりどっしりと根を下ろしてしまっている自分が、滋賀医大以外の職場に行くことなどは妄想でしかなく、そのような選択肢は意識の外に追いやられ、何とも言えない居心地の悪さを感じて過ごしていたものでした。


2019年、たまたま訪れた出雲の地。初めて宍道湖の上を飛んでいる時に「あ、ここにまた来ることになる」と、何か不思議な感覚を覚えました。その後いくつかの偶然?必然?が重なり、出雲大社様が結んでくださったに違いないご縁もあって、教育を追求することの出来る職のお話をいただきました。なんというタイミング。まさに僥倖。

まだまだ滋賀県下の病院にも呼吸器内科医がいないという病院がたくさんあり、そういう意味では道半ばとなりますが、医局には若い先生も増え、私がいなくてもどんどんこれから発展していくことでしょう。カンファレンスではN先生やU先生が積極的に発言してくださり、2018年以降に入局された先生方、Y先生、O先生、T先生、そして今年のM先生、N先生、Y先生は皆、キラキラしていて、意欲があり勉強熱心で、希望しかありません。

NMB48を卒業した山本彩ではありませんが、私が卒業することで滋賀医大呼吸器内科の起爆剤とならんことを念願し、この度島根大学への異動を決めた次第です。 滋賀医大は卒業という形にはなりますけど、私自身の夢はまだまだです。生涯現役というのが今の私の目標で、もっともっと医学教育を勉強して、一生涯みなさんの前で教育をし続けていられる人間でいたいとこれから先も思っています。今日までどんなことがあっても前を向いて頑張ってくれたのも、一緒に頑張って来たメンバー、そしてスタッフの皆様のお陰だと心から思っています。本当にありがとうございます。

時節柄、対面での会は全面的に禁止されております関係上、送別会なんかもなく、なんとなくこういったことをお話しする機会もないようなので、山本彩の卒業発表コメントを一部引用して、ちょっと振り返ってみました。

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posted by 長尾大志 at 20:34 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

滋賀医科大学在籍の15年を振り返って 2011年〜2015年

滋賀医科大学の15年、中期は激動の5年間でした。

2011年には、それまでずっと呼吸器内科スタッフを支えてくださっていたUさんが退職され、替わりにNさんとAさんが加わってくださいました。Aさんはその後退職されましたが、皆さんには、精神面でも病んでいるときの話し相手になってくださったり、こちらも今に至るまで物心両面で本当にお世話になりっぱなしです。ありがとうございます。

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2012年には当教室が主宰となり、呼吸機能イメージング研究会を開催することが出来ました。また、黄金世代メンバーが大学院に揃い、忘年会の芸が充実を見た年でもあります。2012年に入局してくださったのは、長尾チルドレン第1世代のM先生とY先生、5年生の臨床実習で?呼吸器に興味を持ってくれた、そして呼吸器が独立したアドバンスコースにも回ってきてくれた最初の世代です。多いにこちらのモチベーションが上がりました。

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2013年には、ほぼ同時期に、ブログを読んでいただいた日本医事新報社様、中外医学社様、そして学生アンケートからメディックメディア様にお声掛けいただきました。ブログを書籍化した『レジデントのためのやさしイイ呼吸器教室〜ベストティーチャーに教わる全27章』を出版することができ、それまで日陰でちまちま活動していて「こんな生活がいつまで続くのか」と苦しんでいた人生がずいぶん変わることになりました。2013年にはK先生が入局、ロジカルな思考で臨床に研究に、そして教育面でも活躍して頂いてます。

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2014年には滋賀医大のベストティーチャー賞をいただきました。ところで滋賀医大のベストティーチャー賞ですが、これは講師以上の格を持った人間でないと受賞できない賞であります。それまで日雇い医員〜助手・助教であった私には全く縁のない賞でありました。その数年前にベストティーチャー賞を受賞された「とある先生」に「本当は君が一番だったんだよ」みたいなことをお声掛けいただき、大変勇気を得たことが思い出されます。なんとか「学内講師」に取り上げていただいて、すぐに受賞することができました。

それから『レジデントのためのやさしイイ胸部画像教室』を出版させていただき、さらに照林社様にもお声掛けをいただき、『エキスパートナース』の特集をまかせていただく機会を何度か頂きました。2014年の入局組は、さわやかY先生としっかりT先生という、なかなか味わい深い組み合わせでしたね。Y先生はこれから大いに大学で活躍されるでしょう。


2014年、当時の教授であった、とある先生から、「今度本学臨床教育講座の教授選がある。君が適任だと思うからぜひやってみないか。」とお声掛け頂きました。実はそのとき初めて、「教育を行う専門職に就く」ということを意識したのです。それまでは臨床現場での呼吸器教育がうまく回り出し、やりがいを感じだしてきた頃で、かつ書籍をどんどん執筆し出版していた頃ですので、当初はそれほど「そういう職」に対して興味はありませんでした。それでも、せっかくお声がけいただいたから、と色々調べてみたところ、そういう大学教育全体の舵取りをしていくような立場の重要さ、やりがいといったものがだんだん見えてきたものであります。

教授の公募から『教授候補者による講演会』まで、なぜか1年以上の時が流れ、じっくりと準備をする時間がありました。準備を通して、本学の問題点であったり、カリキュラムの将来像であったりが、自分なりになんとなく見えてきたように思いました。そこで『教授候補者による講演会』では、教育のやり方について指針をお示しするとともに、「国際基準に対応した臨床実習で72週の実習期間を確保する方法」の私案も交え、総合診療マインドを持つ専門医の育成を大学で行うことの意義もお話しさせていただきました。

しかしながら、そこまで考えを巡らせ、覚悟を決め、少なからずの先生方にご支援を頂いたにもかかわらず、残念ながら教授選は残念な結果となってしまいました。ご期待に応えられなかった申し訳なさもあり、その時点で、自分の中で芽生えたそういう職に対する関心は、一時失われたのでありました。

そんな2015年には『やさしイイ呼吸器教室』改訂版、そして中外医学社様からようやく『呼吸器内科 ただいま診断中!』を出版することができました。またケアネット様にもお声がけをいただき、ケアネットTVからのDVDシリーズを出させていただくこともできました。また近々出るかと思いますので、その時はよろしくお願いいたします笑。また、一般病院からU先生が仲間に加わってくれました。専門は肺癌ですが、肺癌分野のみならず、最近ではCOVID-19に関する最新の知見もどんどん勉強して皆に共有してくれます。頼りにしています。

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posted by 長尾大志 at 18:17 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

滋賀医科大学在籍の15年を振り返って 2005年〜2010年

2005年に滋賀医科大学にきて15年経ち、この度、島根大学に異動することになりました。15年間の活動を簡単に振り返ってみたいと思います。

私が滋賀医大に着任した2005年当時は第一内科として、循環器内科と呼吸器内科が一緒になった大講座として運営されていました。教授は循環器内科の堀江先生でした。循環器内科と呼吸器内科、と書きましたが、医局の中はほとんどが循環器内科の先生方で、呼吸器内科スタッフは3名プラス後期研修医W先生(現在は地域中核病院の呼吸器診療の中心です)。病棟も4C病棟の中に循環器と呼吸器が共存、というか、循環器の病床の間に呼吸器が間借りしているような状況で、当直も循環器内科と呼吸器内科の医師が1人で循環器内科と呼吸器内科の患者さんを診るという体制でした。当直で不整脈の患者さんがお見えになるたびに、こちらが不安で不整脈になったことが思い出されます。同門会では100名以上の参加者のうち呼吸器内科医は3名プラス後期?研修医で、周りの先生方の会話や偉い先生方のスピーチもほとんどが理解不能で、切ない気持ちでいっぱいになったものでした。それでも堀江先生には当初から「いつかは呼吸器内科が独立できるように」と物心両面から様々なご支援を頂きました。本当に感謝しています。

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医局に入ってすぐに医局長の中野先生がベルツ賞を受賞されました。この環境で研究!?と思ったものですが、京大との共同受賞で、こういうつながりは大事なものだ、ということが実感されました 。スタッフは3名いましたが、医局長は会議や出張で不在がちであり、実質私と(後に天理よろづ相談所病院に異動される)羽白先生の二人で病棟を回し、回ってくる初期研修医の指導をし、これまた回ってくる学生実習の相手をし、3年生や4年生の講義をし、飲み会…それはもう忙しすぎてほとんど記憶がありません。次の年になってなんとか仲間が増えまして、仲間が増えるというのはかくもありがたいことなんだと実感し、仲間を増やさなければならないと痛切に感じたのでした。その年の忘年会は、循環器の先生方の出し物が大変素晴らしく、呼吸器のスタッフも負けじと頑張って出し物をしたものでした。

その翌年は、後に黄金世代と呼ばれる後期研修医の先生方が4名(後に6名+1)入局されました。今では次世代医局を牽引してくれているN先生もこの1人です。2度の武者修行を経て、たくましく成長され、自分の意見をしっかり持たれていて頼りになります。この大量入局は、羽白先生と二人で研修医の先生の教育をがんばったおかげかなと思い、やはり教育は重要だということをまたまた痛切に感じました。この頃から呼吸器内科のBBQが始まりました(これも教育?)。その頃には、滋賀県の呼吸器教育が無視できない程度に欠如している、ということを認識する機会が多々あり、まずは自分の出来るところ、すなわち大学における呼吸器教育・医学教育を頑張ろうという風に思い始めた次第です。そこから、学部教育・卒後教育に力を入れ、いろいろな工夫をするようになったのかなーと思います。

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そこから先は、しばらくそれほど特記すべきことはありませんが、徐々にではありますが入局される若い先生も増えてきました。2008年〜2009年には、現在市中病院で活躍されているS先生とS先生が入局。出産育児を経てママさんとしてしっかり勤務していただいています。そして現在も滋賀医大の感染症を支えてくださっているO先生が仲間に加わってくれました。彼とは個人的にもいろいろと相談に乗ってもらったりして、頼りになる存在です。

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2010年、この学年は入局者は少なかったのですが、この年のアドバンスコース(写真)はなかなかの黄金世代じゃないかと考えています。別名Facebook 世代と呼んでいまして 、Facebookでの友達がちょいちょいいて、彼らの活躍ぶりがちょいちょい伝わってきて、それをいつも嬉しく眺めています。この世代の後の世代になってくると、Facebookでのつながりが減ってきて寂しい限りです。またこの年に医局に加わってくださったのがO先生とY先生です。O先生は『肺の力ゲーム 』を学祭で行うよう発案されたり、アイデアマンで、多いに刺激を頂きましたし、Y先生は本当に、ずっと呼吸器内科病棟を支えて頂き、感謝しかありません。どれだけ感謝の言葉を言っても足りないほどです。

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そして小さな一歩ではありますが、ブログを書き始めたのがこの年です。最初は断続的ではあったのですが、当初は全くアクセスもなく、これではいかんと毎日更新するようにしてから、見てくれる方がどんどん増え、コメントでフィードバックをいただくことも多くなってきて、こちらのモチベーションもどんどん上がってきた、そういう時期であります。もともとブログを書き始めたのは、それなりに教え方に工夫をするようになって、学生さんによくわかったと言ってもらえることも増えたものの、実習で教えてもその一瞬限り、その場限りのものになってしまい、せっかくの工夫が後に残らない。何か残す手段はないだろうか。そしてそれを、毎週毎週回ってくる学生さんや、毎月毎月回ってくる研修医の先生方と共有できないものだろうか、と考えた末のことであったのです。

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posted by 長尾大志 at 10:57 | Comment(3) | 教育理念・メッセージ

2020年05月03日

最高に美味しいものを食べちゃった人の人生が、果たして幸せといえるのかどうか問題、の続き

最高に美味しいものを食べちゃった人の人生が、果たして幸せといえるのかどうか問題 はこちら→
http://tnagao.sblo.jp/article/186941913.html


最近の自分の外来は「患者さんにお別れを告げる時間」となっています。そこでどなたかに引き継ぐという話になった時に「この先生だったら大丈夫ですから」といえる先生がいてくださることは本当にありがたいことです。そういうことから、自分が一生懸命やって外来の質を高める、それはもちろん大事なのですが、それは単に仕事を遺したということにしかならない。やはり人を遺す、ということまで至らないことには、物事をなしたことにはならない、と思うに至った次第です。

後藤新平「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上とする。されど財なさずんば事業保ち難く、事業なくんば人育ち難し」

そして一方で、自分だけが質をあげても、その所属する団体の質全体が上がらなければ、例えば大学において、1人のスーパーベストティーチャーがいても、他のティーチャーの質が追い付け追い越せにならなくては、学生さんの満足度は高まらないのではないか。むしろ、下手に良質なものを知ってしまったがゆえに、団体全体の質の低さが実感されることになって、満足度はむしろ下がるかもしれません。

同様に「あの先生はいいけどこっちの先生は嫌だ」みたいな格差がその病院内で生じてしまうと、実は結構みんな不幸になってしまう面もあるように思われます。後継者を育てる教育というのはものすごく大事で、それに関しては自分でもある程度出来たつもりではありますが、実は水平展開もしなくてはならない。この水平展開がかなり難しいのであります。

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posted by 長尾大志 at 23:14 | Comment(2) | 教育理念・メッセージ

2020年04月12日

SUMS TIMES寄稿用下書き3

学生さんの新聞、SUMS TIMESへの寄稿用原稿は出来まして、提出しましたが、他のテーマでも下書きを書いてみています。

<テーマ案>
・「呼吸器」のおもしろさ

元々、お医者さんとは患者さんを見るものだ、患者さんを見たい、と思っていた私が呼吸器内科を進路として選択したのは、臨床医としての幅を求めて、何でもできる医師になりたかったからです。

呼吸器内科の取り扱う病態は、感染症に始まり悪性腫瘍・免疫疾患・膠原病・血管炎・アレルギー・循環、それに吸入した物質による変性疾患などなど多岐にわたる病因で、取り扱う薬剤も抗菌薬に始まり、抗がん剤・分子標的薬・免疫チェックポイント阻害薬・ステロイド・免疫抑制薬・生物学的製剤・麻薬製剤と、おおよそあらゆる機序の薬剤を使います。また手技としても、胸腔穿刺に始まり気管支鏡・胸腔鏡・放射線・カテーテルなど多彩です。

診療場面としては、上気道炎などのプライマリケアの領域から、COPD・間質性肺炎・膠原病の長期管理、感染症対策、肺がんの化学療法や緩和ケア・終末期医療・アドバンスケアプランニングまで、患者さんのあらゆるステージを見守ることができます。

専門家としては、それこそ感染症の専門家・アレルギーの専門家・免疫膠原病の専門家・としての引き合いは大変多く、またやりがいのあるところでもありますし、呼吸管理などは集中治療にもつながる専門性の高い領域であります。

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posted by 長尾大志 at 22:50 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2020年04月11日

SUMS TIMES寄稿用下書き2

学生さんの新聞、SUMS TIMESへの寄稿用原稿は出来まして、提出しましたが、他のテーマでも下書きを書いてみています。

<テーマ案>
・社会人(医療者)になるということはどういうことか

プロフェッショナリズムに関する質問ですね。学生と社会人の大きな違いは、その責任にあるということ、それは間違いありません。学生の間も、アルバイトをしてお金を稼ぐ時にはその間の責任というものがあるはずですが、それがおそらく比較にならない大きさになってくるということです。学生の間は「できませんでした」で済んでいたことが、それでは済まない、何が何でも、何らかの結果を出さなくてはならない、ということです。

例えば遅刻。学生実習でもちょいちょい?遅れてくる人がいます。実習に遅れても、教員としては気分はよくないですが、まあ別に誰に迷惑をかけるわけでもない…。でも、これが、外来の時間になっても〇〇先生が来ない、とか、手術開始時間になっても〇〇先生が来ない、とか、当直の交代時間に〇〇先生が来ない、とか…どうでしょう。気分がよくない、ではすみません。患者さんの立場だったらありえない、と思いませんか?私も実習の現場であまり注意はしたくないのですが、患者さんの立場に立ってほしいと、そういう風なことは言ったりすることもあります。

また、これは仕方のない面もありますが、体調管理にも気を付けていただきたいところです。今日は体調が悪いので気管支鏡の見学を休みたい…早退したい…明日来られません…。ちょいちょいあります。
これが、体調が悪いから今日の外来休みます…手術休みます…当直しません…昨今話題?の「医療崩壊」ですね…。昨今は、風邪とか発熱だったら休むべし、それは感染対策という側面もあります。でも、そもそも夜中まで飲み歩いて風邪を引いた、睡眠不足だった…体調管理には気を付けていただきたい。「前にもこんなことがありました」といわれると、ちょっと、うーん…。

特に医学生と医師の大きな違いは、患者さんの命を預かっている、命に関わらないまでも大きな後遺症を残したり合併症を起こしたり、あるいは治療がうまくいかなかったり、そういったことに対する責任があるわけです。そのために学生さんの間はお金を払って勉強するわけですが、医療者になったらお金をもらうわけですね、それも少なからず。

また学生さんの間は、課題があって試験があって、それに関する勉強をやらされるという面が大きいと思いますが、医療者になってからは、自分から勉強していかないと誰も引っ張り上げてくれなくなってしまうのが怖いところです。学生の間は「面倒を見てもらえる」のが、医師になると自分の技量に対する責任を自分で持つ、ということになります。

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posted by 長尾大志 at 16:58 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2020年04月05日

「SUMS TIMES」寄稿文サンプル

学生さんの新聞「SUMS TIMES」に寄稿させて頂けることになったのですが、滋賀医大に関するご質問に正直に回答すると、もう伏字だらけで何が何やら…笑。

例えば、・滋賀医大の印象 というテーマですと…

見た感じは山の上で、自然も多くて過ごしやすいのどかな印象ですね。これは外見です。中身はどうなんでしょうか?自分が呼吸器内科の中で日々活動している範囲においては、他所の科の事は分からないので何とも言えないというのが正直なところです。ただまぁ15年もやっていると、例えば(中略)と言う事例が多いとは思います。これは思うに、(中略)、ということがよくわかります。自分もかつてはそうでしたからそうであることについてはよくわかるのですが、昨今、(中略)という印象はあります。

…なんのこっちゃらわかりません。ということで、この質問はパスしまして…


・先生はどんな学生だったか?勉強法など。

学生の頃は、正直勉強が好きではなかったです。教科書を読むのも好きではなかったし、英語は苦手で全然論文も読みませんでした。大学時代の講義で、面白かったとか興味を惹かれたという講義はほとんどなく、残念ながらそういった良い出会いもあまりありませんでした。数少ない、興味を引かれた科目が呼吸器内科であったことは、後の進路を決めたポイントでもありましたし、私の教育に対する基本的な考え方を決めたともいえると思います。

私の学生時代は『病気がみえる』もなく『イヤーノート』も出たての頃で、あんな高いものは買えないと思っていましたし、国家試験予備校は国家試験に残念ながら合格されなかった浪人の方が利用するもので、ビデオ講座もなかったと思います。スマホもなく、ネットでの情報収集も、(そもそもネットに良質な情報など落ちていませんでしたから)期待はできませんでした。ですから今の学生さんとは全く違う情報源だったことは間違いありませんね。病気がみえるではないアンチョコ本や、過去問を使って試験対策のための勉強に終始していた記憶があります。

逆に自分が決して勉強のできる学生ではない、モチベーションも低かったがゆえに、そういった学生さんの立場に立って、学生さんのためにできることを考え続けた結果、色々なコンテンツを作り出すことができたのではないかと思っています。

研修医になってからも、1年目の頃はただ回ってくる症例に振り回され、目の前の業務をこなすので手一杯でありましたが、知識が身に付いてくるにつれどんどん人の体のメカニズムや病態に関して興味がわき、初めてそこで勉強のモチベーションが高まってきました。

そもそも最初の一歩がわからないとなかなか興味もわきませんし、勉強しようとか、本を読もうという気にもならないと言う学生さんは少なくないのではないかと思います。自分がそうであったがゆえに、そこを手助けしてほしかった、その手助けをするのが教員の大事な仕事ではないかなと思っています。

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posted by 長尾大志 at 15:39 | Comment(3) | 教育理念・メッセージ

2020年04月04日

学生新聞「SUMS TIMES」

学生さんの新聞「SUMS TIMES」に寄稿させて頂けることになりました。

学生さんに向けたメッセージを、テーマは基本的に「自由」で、ということでしたが、参考までに、ということで新聞部の皆さんから頂いた質問。字数制限1,500字なんですが、全部答えると結構なものになりそうです。でも伝えたいメッセージばかりですね。

<テーマ案>
・先生からみた滋賀医大の印象
・滋賀医大の課題
・滋賀医のいいところ、悪いところ
・滋賀医の学長だったらやりたかったこと
・先生はどんな学生だったか?勉強法など。
・好きな本や映画と共に先生が考える人生の本質
・おススメの本3冊とその理由
・社会人(医療者)になるということはどういうことか
・優秀な医療人になるにはどうすればよいか
・患者との信頼関係について
・人として医療人として、これだけは忘れて欲しくないこと
・どのように医学に向き合って行って欲しいか
・「呼吸器」のおもしろさ
・つらいとき、先生を支えてきた言葉やエピソード
・先生が学生のために教育に熱心になれる理由/動機
・先生が一番大切にしていること
・先生が考える「教育と未来」について
・先生が考える「圧倒的努力」や「成長」について
・人生に本当に必要な人間関係のつくりかた
・仕事とプライベートの両立について
・人生やキャリアについてのアドバイス、など

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posted by 長尾大志 at 21:45 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2020年01月01日

2020年、あけましておめでとうございます

皆様、あけましておめでとうございます。

2020年はどんな年になるのか、するのか。

2019年は、実習の現場にべったり張り付き、ある程度の手ごたえを得た1年でした。ただ、今いる場所でできることにいろいろと限界が見えてきて、何らかの変化が必要ではないか、と感じているこの頃。さて、どのような展開が期待できるか。期待できないのか。

もちろん、執筆が滞っている書籍を完成させたいし、引き続きいろいろな出会いを大切にしたいです。いただくお仕事に全力投球することもそうですが、新しい仕事も切り開いていきたいものです。

本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

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posted by 長尾大志 at 22:31 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2019年12月21日

最高に美味しいものを食べちゃった人の人生が、果たして幸せといえるのかどうか問題。

普段それほど美味しくないものを食べ慣れていると、たまに美味しいものを食べると幸せを感じます。ということは、その人の人生は「普通」の時間と「幸せ」な時間で構成されることになります。

それが、美味しいものを食べる機会が増えてくると、(それまで食べていた)美味しくないものを食べた時に、それまで感じなかった「美味しくない」「不幸な」時間を味わうことになってしまいます。

とすると、下手に?良いものを知ってしまうと、物事の価値判断基準が上がり、もっと良いもの、もっと良いものを求めていく。それが果たしてその人の人生にとって幸せかどうかは、まあなんとも言えないところです。

もちろん、生涯美味しいものばかり食べられれば、それはそれでいいのでしょうが、それでも、たまに何らかの事情によって美味しくないものを食べるはめになった時、その人は不幸を感じるでしょう。

例えば、それがモチベーションになって、もっと美味しいものを食べたい、もっと仕事を頑張る、ということに繋がっていくのであれば、おそらくその人の人生はより良いものになっていくでしょう。しかし、たまたま与えられた「美味しいもの」を知ってしまったが故に、ただ単に価値基準だけが上がり、その後何ら人生が好転しない場合、ただその人は不幸になってしまい、不平不満ばかり述べ立てるだけの人生になってしまうかもしれません。


さて、私は普段学生の講義や臨床実習の担当をしています。自分なりに工夫し、決められた枠の中で最善のものを提供しようと日々頑張っています。学生さんからの授業評価も、概ね好評をいただくことが大半なわけですが、時折他の先生の授業との落差について嘆く声を聞くことがあります。

「他の先生にもこういう授業をしてほしい」「他の授業への水平展開をお願いしたい」「他の授業も全部長尾先生がやって欲しい」というような声です。私自身は色々な機会を見つけて、またメディアを通じて、より良い授業を行っていくにはどうすればいいか、情報発信をしているつもりですが、なかなか水平展開は難しいのが実際です。そうすると、上記のように「いい授業に対する満足」よりも「よくない(普通の)授業に対する不満」のほうが上回り、トータルでの「大学に対する満足度」が低下してしまうのではないかと危惧されるところです。

なまじ美味しい料理を知ってしまったがゆえに、他の料理に対して不満が生じてしまうのであれば、サービスの受け手にとっては決して好ましいことではないかもしれないなあ、ということです。すなわち、自分のところだけハイレベルにすればいいというものではない、やはり学生さん向けの講義や臨床実習「全体」をレベルアップしていかなければならないのだろうなあ、ということになります。

でもそれって、他の教員の方々の行動変容を促すということですよね…今の立場だと、情報発信ぐらいしかできていないのが現状です。これは忸怩たる思いですが、教育に携わる方であれば重々お分かりの通り、形や攻略をいくら整えても、受け手の心、モチベーションに響くことがなければアウトカムの変革にまでは及ばないと思うのです。ですから大学の教育担当部署は、大学教員の行動変容につながるような働きかけをしていく必要があるわけで、他の大学ではどのようにされているのか大変興味がありますし、いろいろな方策を学んでいきたいと思う今日この頃であります。

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posted by 長尾大志 at 11:35 | Comment(2) | 教育理念・メッセージ

2019年08月12日

6回生全員アンケート考察

直接的な滋賀医大を選ばなかった理由として、立地の問題は少なからずあるようです。しかしながらこの問題も、先に挙げたいわゆる駐車場問題に起因する感情的なしこりが、少なからず影響していたようにも思われます。やはり滋賀医大に対するネガティブな感情が積み重なって、「出ていきたい」という結論に結びついた可能性があります。

また、給料に関しては私が何かを申し上げることのできる立場ではありませんので、ここでは特に取り上げることは致しません。喫緊の問題、かつ今後改善していくことができるポイントがあるとすれば、それは滋賀医大を選ばなかった理由として挙げられているネガティブな印象になるかと思います。

ここに書かれている結果を見ると、教職員の行動・言動・そして診療は学生にずっと見られていて、いわゆるHidden curriculum(隠れたカリキュラム)として、滋賀医大の印象を形成するのに大いに寄与していることがわかりました。

ちなみに教員以外にも、コメディカルスタッフや学生課、それに制度そのものに対する意見も多々ありました。

1年以上の長きにわたって、臨床実習(クリニカル・クラークシップ)という形で病院内を見て回り、その結果大学に対するネガティブな印象が形成されたとすれば、これほど残念なことはありません。教育のために頑張っている教職員もたくさんおられるにもかかわらず、ポジティブな感情は残らず拡がらず、ネガティブなものが残り拡散される傾向にあるのは、いずこも同じであります。

これらの結果から、自分たちが思っている以上に、学生(だけではありません、もちろん患者さんも、同僚も、です)は自分たちの行動・言動・診療を見られている、ということをフィードバックしていく必要があると考えました。

そのような教職員側への意見を、どんどん積極的に集めてフィードバックしていくシステム作りをする必要があるのかもしれません。現在「アンプロ学生」を取り上げるシステムはあるわけですから、アンプロ教職員も取り上げ、改善を促していくということになるでしょう。

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posted by 長尾大志 at 13:06 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2019年08月11日

6回生全員アンケート結果

6回生全体アンケート、集計結果

約110名中80名の回答を頂きました。

【集計結果】
滋賀医大を第1志望とする人(N=16、複数回答あり)が、滋賀医大を選んだ理由
  • 医大に好印象があるから(母校、慣れている、優しい先生、勤務態勢、地元、知り合いなど):19

  • 将来滋賀に残る、マイナー志望、ラボの研究が終わらない、など条件による(やむを得ない)選択:7

  • 他に出たい理由が特にない、初期研修から他大学にいくメリットがわからない、など消去法で:4



滋賀医大を第2選択以下とする人(N=51、複数回答あり)が、滋賀医大を選ばなかった理由
  • 立地・駐車場・給料:30

  • 一度新しい環境、県外に行きたかった:21

  • 症例数が少ない・救急の症例が少ない・ない科がある:17

  • negativeな印象ゆえ:15

  • 関連病院が少ない:3

  • 研修レベルが低い:2

  • 志望科がなかった。入局先として第一候補ではないから:2

  • 一身上の都合 :1


滋賀医大を選択しない人(N=13、複数回答あり)が、滋賀医大を選ばなかった理由

  • 立地・駐車場・給料:10

  • 研修レベルが低い:9

  • negativeな印象ゆえ:5

  • 症例数が少ない・救急の症例が少ない:4

  • 関連病院が少ない:3


滋賀医大を第一志望としている方が滋賀医大を選んだ理由として、半数以上の方が滋賀医大にポジティブな印象があると回答されましたが、残りの回答には消極的な(消去法による)選択も見受けられました。

滋賀医大を第二志望以下としている方は、1/3が立地・駐車場・給料の問題を挙げられましたが、半数近くの方がそれ以外の、滋賀医大に対するネガティブな印象を理由として挙げられていました(複数回答あり)。

滋賀医大を全く志望されていない方は、やはり立地・駐車場・給料の問題が1/3ありましたが、それ以外の理由はほぼ滋賀医大に対するネガティブな印象ということでありました。

いずれにしても、駐車場問題はかなり根深いことがよくわかりました。本学は立地が山の上であり、自家用車による通学を希望する学生が多いにもかかわらず、駐車場のキャパシティが大変限られており常に不足している状態です。

で、現6回生は車通学突然認められなくなったという規約の改悪があったために、大学に対するネガティブな印象がかなり強くなっているという記載が数多く見られました。元々できていた、期待していたことが理不尽に反故にされてしまうのは、感情的にかなりネガティブに働くことでしょう。

実際、教職員でも、中途半端に?近隣に住んでいることから駐車場が使えなくなり、大学を辞めてしまった先生がいます。

これに加えて、ネガティブな理由の中には、目を背けたくなるような「生の声」が少なからずありました。ここにはとても掲載できませんが。

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posted by 長尾大志 at 16:46 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2019年08月10日

6回生全員アンケートをやるに至った経緯

新研修制度が始まって以降、初期研修を市中病院で、という流れが広がっているといわれています。裏を返すと大学医学部を卒業後、その大学で研修、という進路を選択する学生さんが減っていることになります。

それはなぜか。市中病院の方が、魅力的な研修をしているから?給料や待遇などの点で恵まれているから?…などなど、いろいろな理由が挙げられています。

本学も例外ではなく、年々大学での研修を選択する学生の数が減っている傾向にあります。大学側としては「減っている」ということに危機感を抱いているものの、実際何が問題で、なぜこうなっているのかという理由が何なのか、私たち教員には分かっていないところが少なからずあるのではないか、と何となく感じてはいます。

私自身、学生さんのごく一部と本音トークをすることがあるのですが、そこからなんとなく本学の問題点や、これは学生さんに嫌われるだろうな、ということを感じることはあるのですが、それを運営の方々や他の教員の皆さんにお示しするほどの根拠・データがありません。

常々少しでも本学を良くしていきたい、卒業生の皆さんに選んでもらえるような大学・大学病院にならないものか、と考えているのですが、私のような「講師」というヒラの立場では、これまで学生さんとの接点は講義と臨床実習の時だけで、しかも限られた時間を循環器と分け合うシステムの元では学生さんの本音を尋ねる余裕がありませんでした。

それでは、と、医療人育成教育研究センター教育方法改善部門による「授業評価実施報告書」や学生さんの「アンケート」を拝読するわけですが、こちらの回答は本当に少ない。昨年度の3回生1学年のうち、私の授業に対する自由記述の回答は18名です。

これは、「この手のアンケート、どうせ書いても誰も読まない」「どうせ意見を書いても、何も変わらない」と思われている裏返しなのではないでしょうか。

私は自分の授業で「『授業評価』には必ず目を通しているので、感想や意見をおどんどん書いてほしい」と言っておりまして、そのため自由筆記の回答が際立って多いということです。それでも100名あまりのうち18名しか自由記述回答がない。それでは学生全体(多数)の本音がわかりません。

この度、6年生と話をする機会があり、いっそ皆に直接問うてみてはどうだろうか、と相談したところ、長尾先生だったらみんな答えてくれるのではないか、という力強い言葉を頂きまして、今回のアンケートを企画しました。


ストレートに、滋賀医大の「問題点」や「いやなところ」、もちろん「いいところ」があればそれも書いてもらう、というアンケートです。

アンケートへの回答はもちろん無記名とし、生データは一切運営や他の教官には見せない、一切諸君の不利益にはならない、と約束した上で、学生が感じた本学の問題点をざっくばらんに書いてもらいました。

マッチングで滋賀医大を第1選択とする人、滋賀医大を第2選択以下とする人、滋賀医大を選択しない人の3群に分け、各々滋賀医大の問題点、いい点、選んだ(選ばなかった)理由につき、自由筆記で回答してもらいました。回答は同じような系統の回答をひとくくりにして、だいたいの傾向をまとめました。結果は明日に。

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posted by 長尾大志 at 23:49 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2018年09月18日

教育は人の為ならず??

情けは人の為ならず、ってよく言いますよね。

あれは、他人に情けをかけることは、それは巡り巡って自分のためになる、みたいな意味ですけれども、同じようなことが教育においても言えるわけです。教育するということは、一見自分がその相手に対して一方的に何か、教育的なものを与えていると受け取られがちですが、決してそうではありません。

一つには、教育するためにはこちらがしっかりとその事柄について理解していなければなりません。教育するために勉強する。知識を習得する。目的がはっきりしていることで勉強のモチベーションになるわけです。特に目的もなく勉強するのと、お話しないといけないという意識で勉強するのとでは、身に付く付き方も全く違います。

それと、教育をする、特に話をしていると、話をしながら、自分の中で学んできた事柄が有機的に結びついてくる感覚、これを腹に落ちるというのでしょうか。とにかく話していることを自分の耳で聞くことで、深く理解できる瞬間が訪れたりします。長く教えておられる方であればおわかりいただけるかと思いますが、いかがでしょうか。

また教えられる側の方とのやりとり、例えば質問を受けるとか、そういう中で、自分の理解が不足していたことが明らかになったりします。だいたい、そういうところほど皆さんやっぱり分かりづらいので何度も質問されたりしがちです。そういったことを、また調べることによって、自分の理解が深まっていく、ということも経験されます。

昔から言うように、教えることは学びである、To teach is to learnということになるわけです。これも自分のためになることです。

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posted by 長尾大志 at 22:54 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2018年09月17日

怖い先生・笑顔の先生/怖い先輩・笑顔の先輩

怖い先生・笑顔の先生/怖い先輩・笑顔の先輩、どちらに話しかけたいと思いますか?どちらに質問しようと思いますか?

学生さんや若手スタッフからの質問に答えることは、余計な仕事でしょうか?うっとうしい用事でしょうか?できれば避けたい作業なのでしょうか?

教育するという立場に立っている方であれば、学生さんや若い人から質問があるということは当然歓迎すべきことではないかと思います。学びの現場において、昨今双方向性ということが重視されています。双方向というのはもちろん、いわゆるアクティブラーニングのように、カリキュラムとして提供するものもありますが、質問そのものが、双方向性の発露というべき、大変喜ばしい出来事ですよね。だって、こちらからの一方通行でなくて、教わる側から出てくるわけですから。

であるならば、出来るだけ質問しやすい雰囲気づくり、というのも教育の現場においては大事なことになるのではないでしょうか。

上の質問、話しかける立場になってみれば、どちらに話しかけたいかは一目瞭然。でも、質問される立場にしてみると、いつもいつも上機嫌で、というわけには参りません。いつもいつも忙しいし、いろんな余計な?用事を言いつけられて、あたふたしている時もあるかもしれませんし、約束の時間に遅れそうで大慌てで廊下を歩いている時もあるかもしれません。

そんな時に知らず知らず、怖〜い顔になっていないでしょうか?せっかく(双方向の発露としての)質問をしたいなー、と若い人が思っているところに、怖い顔の先生が、先輩がやってきたら、やっぱりやめとこうかな…って、なってしまうかもしれませんね。

「患者さんに笑顔で」と指導するのであれば、是非自分でも、いつも笑顔で過ごすようにしたいものですね。と言いつつ、私もなかなかそれが難しくて、いつも反省するばかりです…。

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posted by 長尾大志 at 23:41 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2018年09月16日

自己紹介

私は2005年に滋賀医科大学呼吸器内科に赴任しました。それまでは、大学院であったり留学であったり、研究と臨床を主にやっていたのですが、滋賀医科大学に来てからはスタッフの数も少なく、教育にかなりの時間を割くことになりました。

具体的には学生の講義、それからベッドサイドでの臨床実習、そして研修医の指導、それから看護学生の講義や新卒看護師の研修、さらに薬剤師や理学療法士の勉強会など、当時院内に呼吸器内科医がほとんどいなかったことから、そういった教育の要請が山ほど降りかかってくることになったのです。

少ない人数でやりくりするため、もともとちょっと教育に向いてるかな?と思っていた私が主に教育を担当するようになり、ますます教育の仕事が集中した結果、少しずつ教え方のコツが分かるようになってきて、さらに担当が増え…と言う流れ(悪循環?)になってきたわけです。

そんな中、自分の教え方がわかりやすい、と学生さんに言ってもらえるようになり、しゃべっているだけでは、その場限りになってしまうし、もったいないなあ、何か形になれば、何度でも繰り返し使ってもらえるし、同じことを繰り返ししゃべる必要もなくなるかも、できればマニュアルみたいになるといいなあ、なんて思ってブログを始めてみました。

毎日更新するようになって「やさしイイ呼吸器教室」はたくさんの人にご覧いただくようになり、そこから書籍の出版など、色々なお話をいただけるようになった次第です。

私が滋賀医大に来た当時は、同じことを学生さんや研修医の先生達に、毎年毎年、いや毎月毎月、回ってくるグループごとに同じことを繰り返し繰り返し言ったりやってみせたりしたものです。これはかなりしんどいことです。体力的にしんどいということもそうですし、同じことの繰り返しというのは精神的にもしんどくなりますね。

それが、マニュアルを作ったり皆に一斉に教えたりすることで、そしてブログを書くことで、同じことを言う回数を劇的に減らすことができました。ということは楽になったということです。教育すると、楽になっていくのです。

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posted by 長尾大志 at 23:59 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2018年08月05日

終わりを宣言すること、の重要性

ずいぶん前の、とある事例を思い出します。

その方は、肺腺癌W期。当時は遺伝子変異云々もなく、W期=予後よろしくない、という状況でした。

結果説明の時に「肺がんで、転移もあり、W期という、進行した状態です。抗がん剤で寿命を多少延ばすことは出来るかもしれませんが、統計ではこの状況の方があとどのくらい生きられるかというと、○○くらいといわれています。」と説明しました。

患者さん、奥様は顔を見合わせます。「それは、もうどうにもなりませんか。手術とか、放射線とかで治るというわけには…」その後もいろいろと質問は続き、この方の標準治療について一通り説明しました…。

「それじゃ残っている時間は、あまりない、ということですね」「そういうことになります。」「そうですか……」

この状況で、強い抗がん剤治療を行っても、寿命がすごく延びる、というわけではない。場合によっては、副作用によって、ADL、生活の「質」が低下するかもしれない、そのことも理解していただいたようでした。

その後、時間をかけて話し合い。その中で、これまで患者さんが、仕事仕事であまり家庭を顧みてこられなかったこと、奥様がそれをずっと支えてこられたこと、あまり家庭でも会話がなかったこと、子供さんもゆっくり患者さんと話をされたことがなかったこと、などなどの事情がわかりました。

まあそういうケースは少なくありませんが、このケースでは、その話をされているうちに、患者さんの奥様から、「残っている時間が少ないのに、またずっと病院で過ごすのも…」とのお言葉が。「これを機会に、家で過ごす時間を増やしてもらえたら、これまでより会話がたくさん出来るかもしれませんね。」「これまで10年でしてきた会話よりも、これからの1年でする会話の方が多くなるかも。」「だったら、残される人にとってみたら、これから10年生きるのと同じことかもしれない。」「出来るだけ『長生き』してみるか。」…

などなど、前向きなお言葉をたくさん伺うことが出来ました。お話ししている間に、患者さんも奥様も、ぱっと表情が明るくなってきたのが印象的でした。お帰りの時には笑顔も見られました。患者さんは結局、大学病院での抗がん剤治療を選択されずに、在宅で緩和ケア中心に過ごされ、最後はご自宅でご家族に見守られなくなられたと聞きました。後に奥様がお見えになり、教えていただきました。

奥様からは、あのときの言葉でずいぶん救われた、治療をしない選択をして本当によかった、などといっていただいたのですが、私は大したことを申し上げたわけではありませんし、その選択が「正しかった」のかどうかはわかりません。

ただ、きちっと終わりを見定めることで、そこから逆算した人生の設計を作り直す、ということも出来るのだなあ、そのようなことに思い至らせていただいた事例でした。

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posted by 長尾大志 at 23:25 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2017年02月19日

教育のエンタメ化

昨日音羽病院の先生方と、本当にいろいろとお話しして、ブレストのようにいろいろなアイデアが出てきました。


その中で何度も話題になったのが、「楽しく学ぶ場にできれば」ということ。


同じやるなら楽しくワイワイやりたい。なるべく初参加の方とかのハードルを下げたい。そのためには、「楽しくできる」よう、学びをエンタメ化できないか、ということでいろいろな意見を伺いました。


昨日試みたコレ↓も、試みの一つです。これはけっこういい感じであったと思います。


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特に学生さん、初期研修医の先生対象の会で試みていきたいですね。イヤそれ以外にも機会があればやってみたいですが…。

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posted by 長尾大志 at 19:58 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2017年02月12日

教育方法改善に関するFD・SD研修会「学習活動の評価のあり方とその基準作成:ルーブリック評価を中心に」

カリキュラム説明会に引き続き、大阪市立大学大学教育研究センターの平 知宏先生によります、教育方法改善に関するFD・SD研修会「学習活動の評価のあり方とその基準作成:ルーブリック評価を中心に」が行われ、引き続き参加いたしました。


以前から「大学教育」業界系のお話では、どうやら「教員が誰であっても、クオリティが変わらないような教育システムを作る」というところに重きが置かれている印象を受けていたのですが、ルーブリックもまさにそれで、細かく採点基準を設けて、それに沿っているかどうかで点数をつける、というもの。私自身は昨年受講した「アクティブ・ラーニング」のコースでルーブリックの作成はやっていたので、まあどういうものかはわかっていましたが…改めてお話を伺って、いくつか疑問・意見がでて参りました。

  • そもそも、大学における「教育」で、「人柄」「性格」が変容することが期待できるのでしょうか。おそらく患者さんを前にした「行動」を変えることはできるでしょうが、その場合、臨床実習の現場における様々な場面におけるルーブリックを設定しておく必要があります。作成、採点、いずれもかなりの労力が必要です。
    〜個人的には、学生が「気づいていない」患者さん側の視点からの意見を学生に伝えるのは、学生の行動変容を促すのに有効ではないかと考えていて、実際に臨床実習で実践しています。

  • 仮に、大学における「教育」で、「人柄」「性格」が変容することが期待できないのであれば、「このような医師を育てる」アウトカムに沿った人材を入学時点で選抜する、アドミッションポリシーの明確化が必要でしょう。
    〜私自身は選抜に関与していませんが、選抜された結果である学生さんと相対していて、いろいろと思うところはあります。また、選抜に当たっておられる先生からもいろいろな思いを伺っています。

  • 大学の課程でやる、しかも「評価」がある以上、そこには必ず「対策」が生まれるでしょう。CBTやOSCEの例を見てもわかるように、「対策」は商業化され、システム化されていきます。こちらの意図した「行動」をとるようにルーブリックを組んでも、ルーブリック対策向けの行動しか取れなくなる。そうやって醸成された行動が、大学の期待する「アウトカム」なのかどうかは、検証する必要がありますが、そんなことが検証できるのでしょうか。
    〜そこまでやらずにルーブリックという「仏」だけ作っても、「仏つくって魂入れず」になるのではないか。お得意の「アリバイ作り」のための仕事だけやりました、ということになりはしないか、ということを危惧するのです。

  • 上の内容とかぶりますが、いい年をした大学生が「〜という行動がとれるか」ということを評価して、それができるようになることが、果たして実社会に出て社会人となる、医療人となる際に、「こうなって欲しい」人物像に近づくことと同義なのかどうか、そこはきちんと評価されるべきです。
    〜これが小学生であれば、小学生のうちに「〜という行動ができる」ことは、将来の人格形成に影響がありそうな気がしますが、いい年をした大学生、評価者に「気に入られる」行動をするぐらいは可能じゃないかと思うのですけれども。逆に考えると、それだけ今の大学生は「未熟である」という前提があるのでしょうか…。

  • 学生さんの振り返り、行動指針にルーブリックが使える、という点については同意します。

  • 個人的にはいい年をした大学生に行動変容を促すには、中身に訴えかける必要があると思っていて、「こうあってほしい」人物像に近づけるために、何をさせるか、与えるか、話すか、を突き詰めて考えることが必要ではないかと思っています。ただ、そのためには、各教員が信念を持って学生さんに相対しなければなりません。
    〜「どんな教員がやっても同じような結果が出る」今の教育システムの方向性は、なんだか以前の「みんな平等」「ゆとり教育」の教員版、にも見えてきます。どこかの施設で批判されていたように、ただ作業量を増やして「仕事をしています」というポーズをとるためのものでなく、教員の側こそが、アウトカム基盤型で教育を考えなくてはならないと思います。


「大学教育にルーブリックを取り入れる」ことに関して、現役大学生の皆さん、教員の皆さんからの異論、反論、お待ちしています。できればルーブリックというものがどんなものかをご理解いただいた上で、ご意見をお寄せください。

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posted by 長尾大志 at 14:23 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年12月03日

アクティブ・ラーニング体験記と授業評価

最近ありがたいことにいろいろな活動をさせていただいておりますが、この11月は学生さんの講義8コマ(医学科)+2コマ(看護学科)に試験作成、6回生の国試対策と学内の用事に加え、外の講演も滋賀×2、京都、大阪、徳島、秋田と各地でやらせて頂きました。


自分のスケジュール管理がずさんであった点が有り、月曜日にあやうく看護学科の授業をすっぽかすところでした… _| ̄|○ 11月も終わったー!っと気が緩んだのでしょう…。また締め直します。


いろいろありましたのでいろいろな告知ができているのかいないのか、どんどん時が過ぎていきますが…先日、『医学教育』という雑誌に拙文を掲載頂きました。論文ではなく掲示板への投稿ではありますが、査読のある雑誌に共著でなく自分が書いたものが載るのはずいぶん久しぶりです。


はじめてのアクティブ・ラーニング体験記.
医学教育 47(5): 314-315, 2016.


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この寄稿は、昨年の3回生系統講義でアクティブ・ラーニングを導入した体験記です。それから1年、先日終わった3回生系統講義では、昨年頂いた学生さんの「授業評価」の結果を元にまたいろいろと修正を行いました。


で、その授業に対する今年分の「授業評価」が先週送られてきました。この評価を見たらそれに対する「自己評価」を書いて提出しなくてはなりません。正直、これまであまり真面目に書いてきませんでしたが、昨年に引き続き、自由筆記による評価にたくさんうれしい意見を頂いております。その意見に応える意味でも、また、来し方行く末を考える意味でも今年はひとつ真面目に考えてみよう、と下書きを書くことにしました。


「授業評価」に対する「自己評価」。学生さんの授業評価を受けて、教員が授業について気付いたこと、反論、改善策、その他意見を書き、それを『授業評価実施報告書』に(匿名で)掲載するのですが、こういうことってどこの大学でもやっていることなのでしょうか。何が言いたいかというと、結局、これだけのことをやっても、大学はそれをただ「報告書」にまとめて発行するだけなんですね。それでそのあと授業を良くしていく手立てがない。仏作って魂入れずというんでしょうか、ただやることやってます、ってだけで。まあ教員がそのフィードバックを受けて、自分で考えてやれってことなのかもしれませんが…。なんかもったいないナーと思います。まあともかく、下書きをご紹介してみましょう。


Q:この授業であなたが特に力を入れた点、工夫した点は何ですか。

A:滋賀医科大学に来て10年あまり、毎年授業内容を見直し、内容の取捨選択や表現の改善を続けてきました。スマホや睡眠、私語など、学生の態度が悪い、学生が休むのはけしからん、とこちらがいうのは簡単ですが、抜群に面白くてためになる授業をすれば、スマホや横を見ずに前を向くだろうし、授業に出てくるようになるのではないか、と考え、少しずつ改善、工夫を重ねてきました。

あるとき果たして学生は授業にどのようなことを求めているのか、と疑問に思い、学生全員にアンケートを取りました。すると、教員に求めていること、として挙げられていたのが、「取っつきにくい医学知識、理論をわかりやすく教えてほしい」「知識の羅列に終始する授業は不要」「医師としての心構え、ロールモデルを見せてほしい」ということでした。そこで、単に枝葉末節の知識をスライドで見せて口から発する、という時間は減らし、「授業の中で学生に理解させる」ために授業を組み立てるようにしました。

具体的には難しい呼吸生理の解説や、COPDや細菌性肺炎、間質性肺炎など複雑な病態の機序を解説することに時間を割くようにしました。また、一方通行の講義形式に限界を感じていたところに、近年普及しているアクティブ・ラーニングを勉強する機会を得ました(東大のweb講座)。昨年早速導入したところ、授業評価では、60名以上の学生が自由筆記でポジティブな評価を記入しており、授業評価実施報告書13号の「良かった点」の半数近くを占めるという、おそらく抜群の高評価を得ました。

アクティブ・ラーニングの効果を実感したことと、自分のやっている方向性は、全員ではないにしろ少なからずの学生には受け容れられているという確信を得て、今年はさらにアクティブ・ラーニングの配分を見直し、慣れていない当初はクリッカーで参加し、後にグループワークでより多くの学生に発言、思考、参加をさせる組み立てとしました。また、単なる知識の伝達のみならず、医師としての心構えを伝える、という意図をもって、数年前から最後の授業では、ある末期癌患者に関するエピソードを挿入しています。


Q:今回の授業評価から、この授業について気づいた点は何ですか。

A:昨年よりも自由記述数は減ったものの、それでも回答者67名中42名が自由記述欄に記入していました。昨年の感想は主にアクティブ・ラーニングに関するポジティブな意見が中心でしたが、今年はより授業のねらい、当方の意図をくみ取った感想が多く、「分かりやすかった」「これまで受けた授業の中で一番よかった」「内容、量が適切であった」等の意見は、まさに意図したところが好意的に受け取られているようです。

また、「学生の自主性とモチベーションを引き出す授業」「学生に対する深い信頼に感謝する」という意見があり、授業の裏テーマである「興味を持たせて自分で勉強させる」が伝わったように感じられました。もちろん睡眠中の学生、解答を記入していない学生も一定数見受けられ、全員がこのやり方でよい、ということではないのかもしれません。1対100の講義形式の限界なのか、まだまだ改善の余地があるのか、さらなる検討課題です。

それから最後の授業における末期癌患者のエピソードについては、授業の最後であり、時間が無かったためか、それに触れた意見は決して多くないのですが、「心に残った」「考えさせられた」などの言葉で、肯定的に受け止めている様子がわかりました。正直この話をするのは自分としては「しんどい」ことですが、肯定的な意見も見られるのでこれからも何らかの形で続けていきたいと思います。


Q:反論があれば記入してください。

A:改善点としてあげられていた意見の多くに「すべて長尾先生の講義でもいい」「長尾先生の講義をもっと多くしてほしい」というものがあるのですが、正直、時間的にも肉体的にも限界に近いと感じています。むしろ私が来年もここにいるような事態があれば、また1歳年をとるため、もっと講義を減らしたいというのが正直なところです。

「レジュメに記載されていない画像があったが、それも載せてほしい」という意見がありましたが、これは著作権、肖像権などなど、大人の事情が絡んでいることを理解してほしいところです。

「私語をしている人をつまみだしてほしい」という意見には、私語をするだけ授業の魅力が無いということであり、さらなる課題とします。

「もっと長尾先生の本を安くしてほしい」これは出版社の価格設定であり、私にはどうすることも出来ないのですが、直接来てくれれば何とかしたいと思います。


Q:改善策があれば記入してください。

A:「もっとグループワーク、対話の時間がほしかった」という意見をはじめ、まだ時間配分はパーフェクトではないと考えます。特に授業の前半は、ある程度説明してから参加型に切り替わるので、その説明の間に意識消失となる学生が見受けられました。もう少し前半にも参加出来るコーナーを作るべきでしょう。理想は授業前に動画を見てきて、授業はグループワーク中心で行う、というものですが、もはや根本的にカリキュラムなりを作り替える時期に来ているのではないでしょうか。


Q:その他、意見があれば記入してください。

A:上にも書きましたが、もはや世の中の趨勢からしても、本学のように一方通行型の授業ばかりをこれだけ続けるのはあまりほめられたものではないと思います。現行のフォーマット内では、練りに練って改善を繰り返しても、この程度にしかならない(睡眠者をゼロに出来ない)と感じ、毎回授業終わりには、徒労感に見舞われました。

他の先生方は一体どう感じておられるのでしょうか?教員の間で話し合いを持てないものか?と、一度A先生のお声がけで「教育を勉強する会」が開催されたのですが、集まったのはほんの数名。これが本学の現状かもしれません。教員が教育にモチベーションを持つことが出来る仕組み作りが必要だと思います。また、「授業評価実施報告書」はアンケートの項目1つ取ってみても、授業の本質を問うものが少なく、点数が授業の質を表しているとは考えにくいのですが、この報告書の意義を見直す必要もあるかもしれません。

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posted by 長尾大志 at 14:31 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年07月31日

欅坂46のデビュー曲にサイレントマジョリティーを与えた秋元康さんは天才

昨日の続き、というか、『学生×教員 対話セッション』のまとめです。


教員から見てサイレントマジョリティーにみえる、多くの学生さん・研修医の皆さんにどう働きかけるか、って話です。


これまでに経験したところでは、なにか心に火が点いた瞬間(これはまさに「火が点く」としかいいようのない、表情の変化として見られるのですが)から、取り組みの熱量が変わる、ということはあります。でも、「火を点ける」ことはそれほど再現性のあるものではない。でも、確かにそういう瞬間はあるのです。


でも、医学教育学会で、どなたかがおっしゃっていました。「1人のスーパー教師を作ることが目的ではなく、きちんとした『システム』を作るのが目的なのだ」と。


誰かが作った、その『システム』で、本当に学生さんの燃料に「火を点ける」ことができるのでしょうか。6回生の皆さんに答えてもらったアンケートで、学生さんから「ロールモデル、お手本となるドクターを見たい」という声が多数あったことも事実。


『祝祭空間』で踊りまくるオッさんがいて、初めて「踊ってみるのも面白そうだ」となるのではないのかなあ、と思ったりもするのです。再現性が少ない、エビデンスのない世界でどこまでできるのか、やってみた結果がこちら。


ポスター用.pdf


サイレントマジョリティーのたとえを出したときに、隣の学生さんが「いや、そんなことないっすよ!多くの学生はちゃんと考えて、やってます!教員から見えないだけで。」とおっしゃっていたのが印象的でした。


でも、どこかの国の大統領が言っていたように、「声を上げないものは賛成している」(サイレントマジョリティーより引用、一部改変)ということになってしまうわけで、今のどこかの国と同じで、「声を上げたって同じだし」とあきらめているのかもしれません。それはもったいない。


それとも、「見栄やプライドの鎖に繋がれたような つまらない大人」(サイレントマジョリティーより引用)だと思われているのかもしれません。こっちの方が可能性は高いか…。


部活であれ、学祭であれ、教員と学生さんがふれあう機会はあるわけで、もっとお互いに活かしたほうがいいでしょう。そういえば「学生の時にやっておいたほうがいいこと」として「他人と協力して新しいことを作り上げる体験」を挙げましたが、学祭も今の形のままだったらもったいないなーとは思います。うーむ…とっ散らかったままですが、あえて散らかしておきましょうか。

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posted by 長尾大志 at 21:38 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年05月08日

『学力の経済学』を読んでわかったこと。3・「いい先生」とはどんな先生か?

最初に結論を書いてしまうと、「『授業評価』は、教員を客観的かつ本質的に評価するものではない」、「教員の質をカイゼンするためには、何らかのインセンティブは寄与する可能性があるが、教員研修は役に立たない」。



何を隠そう(隠してない)私も、滋賀医科大学のベストティーチャー賞を受賞していまして、これまでにあちこちで「経歴」と称して「長尾先生はベストティーチャー賞を受賞され云々…」とご紹介頂いております。


正直、私自身は年がら年中教育のことを考えている自信がありますし、これまでやってきたこと、そしてこれからやろうとしていることもベストティーチャーに恥じないという自負はあります。


ですから私がベストティーチャーの称号を頂くことはそれでいいのですが、実際問題滋賀医大の『ベストティーチャー』の決め方を外から見ていると、本当に「その年のベスト」なティーチャーを選んでいるのかどうかは甚だ疑問に思うのです。


選考課程は実はブラックボックスですが、漏れ伝え聞くところによると…

  • 「授業評価」「学生アンケート」の結果を基に決定している。

  • 候補者は講師以上の職にあること。

  • 1回選ばれたら二度と選ばれない



などの決まりがあるようです。そういうわけで私も二度と受賞することはないですし、今後「滋賀医大でベスト」な教員がどんどん増えていくことになります。ベストの意味が違うような…。


それはいいとしても、選考のポイントである「授業評価」「アンケート」これがくせ者です。


なんと授業評価に関する研究で、「美人の先生ほど授業評価が高かった」という身も蓋もないエビデンスがあるとのこと。つまり、主観的な「評価」には、主観的な「好き嫌い」がかなりの割合で含まれることになるのですね。アンケートもしかり。特に本学でやっているアンケートの項目は、授業や実習の本質を知る上では役に立ちそうにもない項目ばかりです。


逆に、そういう意味で言えば、見た目にかなりのハンディキャップを抱える私の評価が高い、というのは、相当高評価である、と言えなくもないのですが…(笑)。冗談?はさておき、それゆえ教員の実質的な評価は、担当前と後とでの学生群の成績の向上度合いで見るべき、という議論があって、それは確かにもっともなのですが、医科大学でやるのは難しいかもしれません。ある程度カリキュラムをそろえた複数の大学間で比較する、ということはできそうですが、教員の反発は必至でしょうね。



教員研修が教員の質を上げることにはならない、ということも、日々実感されることです。受ける側のモチベーションにもよると思うのですが、FDで「いい話」を聞いても、グループワークをしても、自分の担当する教科、授業にフィードバックされなければ「教員の質≒教育の質」の向上にはつながらないでしょう。


そういう意味ではFDの組み立て自体、アウトカムベースで組まなくてはならない。今のように形だけ持ってきて「やりましたよ」というための、いわゆるアリバイ作りのためのFDでは時間の無駄です。まあ結局それを決めている上の方の方々の問題になるのでしょう。巷では、「役のないときにはかなり改革的なことを言っている方でも、役が付いたり上のポストに上がると何も言わなくなり、事なかれ、保守的になる」とささやかれていますが、そんなものなのかもしれません。


制度に期待できないとすると、やはりすぐできることとしては、「学生、教員のモチベーションを上げる」ということになりますね。以前にも書きましたが、学生さんのモチベーションを上げることは少し光が見えていて、

  • とにかくスタート時点できちんと理解してもらう。

  • その上で、面白さ、やりがいを伝える。


ここを意識しています。もう少し試行錯誤して、もっと精度を上げていきたいと思います。教員のモチベーションは、難しいですね…。

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posted by 長尾大志 at 14:21 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年05月07日

『学力の経済学』を読んでわかったこと。2

大学生の話ではなく、幼児教育の話ですが、幼児教育に介入した結果、その子の学歴、年収、雇用などの面で大きな効果が上がり、しかもその成果が長期間持続したという「ペリー幼稚園プログラム」の例がこの本で挙げられていました。


そこでのキモは、IQや学力テストの点数などの「認知能力」への効果よりもむしろ「非認知能力」といわれるものへの効果が大きかったといいます。


非認知能力、つまり、成績のように簡単に測定出来ないが生きるために必要な力、例えば、「自制心」「やり抜く力」「勤勉性」などが、人生において、また、社会生活を送る上で重要であるということです。


そういう前提で医科大学生たちをみると、なるほど成績はよい(よかった)のでしょうが、非認知能力にはかなりばらつきがあることがわかります。


そういう能力を養うのは、それこそ中高生だったら生徒会活動とか部活動、大学生なら社会奉仕、課外活動などになるのでしょう。



5年生の臨床実習では、4〜6人の班が2週間ごとに回ってくるのですが、私は最初の顔合わせのときに、各人に自己紹介をしてもらっています。これはいろいろな意味合いがありまして、大きな目的としては、若い人の興味、関心がどんなものにあって、世の中の流れがどんな感じなのかを知っておきたいということ。


働いていて顔を合わせる人は限られていて、会話も同じようなものになりがちなので、いろいろな感性、志向の人と話をしていたいのですね。よく言いますね、若い人と話をすると若返るとか若々しくなるとか。効果が出ているかどうかはわかりませんが、時々「それって何だったっけ?ということを調べたりして、ボケ予防の効果も期待しています。


それ以外に今やっている活動を尋ねたりもしていたのですが、非認知能力が大切、ということを前提にして思い返してみると、この最初の自己紹介で多くの話題が出て盛り上がった班ほど、その後の実習も前向きに取り組む傾向があったことは間違いありません。これ、研究テーマになるかも。でもアウトカムの設定が難しいですね…。


特に臨床医になる、ということを考えると、暗記の能力を競うテストの成績自体は臨床医の「よさ」にはたぶん関係はないでしょう。しかし、目の前の課題に対して、キッチリとやるべき暗記をする力、これは臨床医の「よさ」に関係するでしょう。ですからこの種の研究をキッチリやろうとすると、大学をあげて、あるいはもっと大きなレベルでやらなくちゃならないだろうと思うのです。

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posted by 長尾大志 at 15:06 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年05月05日

『学力の経済学』を読んでわかったこと。

この本では、これまで何となく「こうしたらいいのかなあ」と思っていたことについて、研究によるエビデンスから「こうした方が、結果がよかった」ということが書いてあります。これを読むと、教育に関する研究は公的な機関がきちんと大きな研究行わないと、信頼出来る結果が得られそうにないということがわかります。


私のような立場のものが思いつきでやっても、政策を変えるほどのエビデンスは出てこないってことですね。それでもまあ、発言することに意義があるのであれば、多少は世の中の役に立つこともあるのかもしれない、とも思い直しました。



この本の中では、主に学童あたりの年齢層に対する「教育」のあり方、というものを取り上げています(「政策」がらみなのだから当たり前ではありますが)。それでも、大学生やもっと年長者に対して出来ることもありそうです。例えば「テストでいい点を取ったらご褒美」と「本を読んだらご褒美」ではどちらの方の成績が上がったか。


その結果だけではなく、考察のところで、まず「勉強のやり方」を勉強することが重要である、そこのところは私たちがよーく心に留めておく必要がありそうです。

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posted by 長尾大志 at 19:11 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年05月03日

教育について、『人生を危険にさらせ!』から示唆を得る

先週の臨床実習では、担癌患者さんを通して死生観の体験にも触れることが出来ましたが、「人間はどうせ死んでしまう。それでもなお1位を目指し続ける。(中島義道大先輩風)」という言葉を書いたアイドルがいます。NMB48の須藤凜々花です。


彼女と政治社会学者の堀内進之介先生による書籍『人生を危険にさらせ!』では、これまでの哲学者たちの思考をおさらいし、よりよく生きるために、人生のいろいろなテーマ(生、愛、自由、正義、大人)に関して、大いに考える様子を追体験できます。私は恥ずかしながら、これまでそういう領域を避けて通ってきたものですが、そんな私にもわかりやすかったです。


死というものを必ず訪れるものと受け止め、その上で精一杯生きる、そういう生き方をしてきた方は、例えば癌で余命が限られている、ということを知らされたときでも、こちらが気後れするほどしっかりと事態を受け止め、終末期の準備をされたりします。まだ私自身、そこまで人間ができていませんが、「覚悟を決めて1日1日を精一杯、よく生きる」ことで、人生の困難にももう少ししっかり対処できるのではないかと思ったりします。


『人生を危険にさらせ!』の中で個人的に印象に残った点は、ジャック・ランシエールという哲学者の『無知な教師』という本が曰く、教師、教育学が人々を知者と愚者に分けてしまう、教えるものは、自らの仕事の価値と必然性を信じるがゆえに、子どもや若者たちが、自分で自分の理性を用いることができるということを信頼できない。自分自身の知性を用いうるものに対して、彼らの意思を挫き、受動的な存在に仕立て上げ、そこに知識を注ぎ込むことによって、「やっぱりそうだ、彼らは愚か者だったのであり、わたしたちが知識を注ぎ込んだからこそ、知者になったのだ」と語るのが教育と教育学なのだ、というくだりの引用から、堀内進之介先生が須藤凜々花の教師としてのあり方を自省するところ。


ランシエールは、学習者が自分自身の道の上に自分自身を留めておく強さ(意志の強さ)を持たないとき、教師が必要だといい、学習者は知に学べばいいのであって、教師と知とを同一視してそれに従属する必要はない。それで堀内先生は、「人類の遺産としての哲学を紹介するだけで、あとは須藤さんの学ぼうとする意思を挑発するのが自分の仕事だと思っていた」と言います。


私が最近、特に学生実習やカンファレンスでは、意識的に「その場で教える」ということを避けるようにしているのは、この本を読む前から、「自分の役目って、この場で教えることじゃないよな〜」と何となく思っていたからです。それで、ことがらを伝えるよりも考え方のspirit、患者さんに向き合う情熱みたいなことを伝えようと心がけてきました。


まあ学生さん、若いドクターにもいろいろで、これは教えとかないとヤバイ…ということもあるわけですが…。でも自分の立ち位置というか、一線は越えないようにしなくては、ということに思いを巡らせることができた読書体験でした。

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posted by 長尾大志 at 22:21 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年04月06日

1年目研修医諸君へ言いたかったこと

新年度になり、新しい研修医諸君がやってこられました。先ほど皆さんとの顔合わせがあり、簡単に挨拶をしたのですが、いつも言いたいことの一部も言えないので、こちらで書こう、と思ったら、以前にたくさん書いていました。


昨年は忙しすぎて、あまりこちらでは研修医の先生方への言葉も述べていなかったようですが、その前は毎年、4月1日前後に「(医師として)働き始める皆さんへ」と題したありがたい?話を記事にしています。こういう記事を読んで素直に実践する人が伸びる、これは間違いないです。


2014年4月1日のありがたい?話

2013年3月31日のありがたい?話

2012年4月1日のありがたい?話


上の記事も以前の記事たちの寄せ集めだったりしますが、初期の記事は、今読み返してもやっぱり、エエことが書いてあります。以前の記事を読むと、自分の姿勢、考え方がブレているかどうかの目安になると思っていますが、どうやら全く芯はブレていないようでホッとしました。


逆に、説明をするような記事だと2〜3年前のものを見ると、もうちょっと上手く書けるよね、ちょっとは成長したかな、と思えることが多く、それはそれでちょっとうれしいものです。


今日は手抜き感がありますが、それはちゃんとした理由があります。それについては明日触れようか、どうしようかと思っています。

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posted by 長尾大志 at 19:29 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2015年01月03日

新年の抱負・成長の条件

医師になって数年経過すると、少なくとも専門分野の大体の知識が身につきます。医師になった当初は知るべき、理解すべき事柄の大海原、地平線が見えない状態で途方に暮れるのが、徐々に「ここまでわかっていればいい」限界が見えるようになってくる。


自分の経験では、3年目になると「内科は大体見えた」なんて勘違い( ゚д゚)!!?が出来るようになってくるのですね。まあそれは勘違いなのですが、そのあたりの段階で「もう勉強しなくていいや」となるのか、「まだまだ」となるのかが、医師としてのクオリティを決めるように思います。ここで停滞してしまった過去の自分に言ってあげたい。


残念ながら、前者のような様子を見る機会がしばしばあるのですね。特に「専門外」分野への冷淡さ。専門外と言っても、プライマリ・ケアの領域だったりすると、ちょっと見ていて心配になるほど。



わかりやすい例として、AKB48の例を挙げましょう(わかりにくいか…)。


AKB48のメンバーは300名ほど在籍しているようですが、その中にもいろいろな人がいるようです。貪欲に上を目指し、選抜に入ってくる人、「まあこのぐらいでいいや」と手を抜き始め、中堅(あるいは下層)でくすぶり続ける人…。


現総監督の高橋みなみが若手のホープ、高橋朱里、田野優花に関して言及した台詞を引用します。


「朱里ってめっちゃ自信ないから成長できた」「田野ちゃんは、最初は自信があったけど、どこかで折れて他人の意見に耳を澄ますから成長できたんだよ」


高橋朱里は当初目立たない感じでしたが、前向きにいろいろ取り組んでしゃべれるようになったといいます。


田野優花は当初自分のスキルに相当自信があったようですが、そのために成長の機会することなく、人気もイマイチ伸び悩む、という状況でした。あるときから、おそらく他人の意見に耳を澄ませたのでしょう、明らかに物事に取り組む態度が変わり、成長を遂げたのです。



自分は出来ている、と思ったら、そこで成長が止まる。今年も自分に言い聞かせたいと思います。

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posted by 長尾大志 at 11:27 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年09月28日

医療・地域医療が崩壊する機序、か?2

昨今は子供さんの意識も変わってきている様子が見受けられます。特に都市部において。


「(89歳、認知症がある患者さんでも)精一杯(=現代医療の精一杯)の治療をやってもらわなくちゃ。」みたいな考え方になってきている。「(本人がどれだけ苦しんでも)1分1秒でも長生きしてもらいたい。」という希望を聞くことすらある。もちろんそのお気持ちを否定するものではありません。私も人の子ですから。で、今いる施設ではそれは可能ですから、出来るだけご希望に添うようにやらして頂いている。


もちろん医師の判断で、「これは重篤な疾患の可能性かも」と検査をするのは、それは必要なことではありますが、(これとて異論はいっぱいありますが)医師が自らの経験から、「そこまでの検査は必要ない。入院の必要はない」と考えているのに、「検査をしてほしい」「入院させてほしい」「このまま帰って悪くなったらどうしてくれる」的なことを言われると、「念のため」「仕方がない」と、(客観的に見て)不要な検査、入院をどんどん積み重ねていく…。


結果的に高齢者の「かぜ」であっても入院、CT、血液検査フルで、とやらないと納得して頂けなくなる。医療アクセスのよい都市部のみならず、医療資源の乏しい地方においても、同様のことを要求されたら…。


新しい知見が見つかるとそれが集積されていき、新しいエビデンスが出来ます。例えばあれも○○だった、これも○○だった、それも○○…非特異的な症状であっても、CTを撮ってみたら○○であった…そうなってくると、○○を診断するためには、除外するためには、CTは必要なのだ、こういう論調になってきます。


そういう論調をネットで見た、「CTやってもらえなかったのはどういうことだ」とクレーム。私自身、患者さんからのクレームは、自分が正しいという確信があっても、精神的に堪えます。


地域医療をぎりぎりのところで支えている、激務に耐えて頑張っておられる先生が、そのような、一種のクレームを受けたら、心折れてしまうのではないかと心配です。そして医療崩壊。それを防ぐためには、検査するしかないのか。


高齢者の数がますます桁違いに増えてくるこれから、医療費は雪だるま式に増え、保険制度は破綻、消費税は30%に。それでも足りない…みたいな近未来が、救急の現場から見えてくるような気がします。高齢化とは、そういうことでもあるのです。いい、悪いといった単純な問題ではありませんし、誰も批判する意図はありません。ただ未来を予想してみた、という記事です。

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posted by 長尾大志 at 16:40 | Comment(2) | 教育理念・メッセージ

2014年09月27日

医療・地域医療が崩壊する機序、か?

高齢者では、症状が非特異的になりがち、重症感がなさそうに見えがちであるから、「軽症に違いない」と帰してしまうのはよろしくない、と言われます。


非特異的症状のみで来院されても、CTを撮って、血液検査をして…的な対処が必要であった、と振り返られる症例、いろいろと報告されています。


ここで問題となるのが、「撮れるところはいいけど、ウチの診療所にCTなんてない。あるのは車で一時間のところだけ。」「CTを撮るには船で本土まで行かなくてはならない。」など、医療アクセスがよろしくない施設での対応です。


そりゃ大都市の、ブランド研修病院であれば、検査なんて直ぐにアクセスできます。救急患者さんも多く、充分に採算がとれるでしょう。でもそんなところばかりではない。そういうところでも、積極的にCTを撮るべし、と言われてしまうと、その通りなのですが…。


・地域の貴重な救急車を搬送に使わなくてはならない。船をチャーターしなくてはならない。場合によってはドクターヘリを使わなければならない。この程度の症状で、それはアリなのか。認知症があるから、症状が表現されていないのか、高齢だからあまり連れ回すのはかわいそうなのか…?


…という、なかなか難しい判断を強いられることになるのです。


いやCTって、やっぱりよく見えますから、念のために撮影したCTで、偶々こんなのが見つかった、てな経験をすればするほど、「CT撮らずに大丈夫かな」「念のために撮っておこう」という考え方が出てきます。撮れるところはいいんですよ。撮れるところは。


でも、例えばブランド研修病院で研修を積まれた、「地域医療を支えるぞ!」とやる気に満ちた若手の先生が、地域の診療所でやって行かれるときに、検査アクセスの悪さをどう克服されるか、医療経済との折り合いをどうつけるか、それは結構重要な問題と思われます。


それでも、たぶんこれまではよかった。


これまでは、周辺にそんな立派な病院のない、地方に住んでいる、高齢者のご家族、というか子供さんたちは、阿吽の呼吸じゃありませんが、「もう歳も歳だし、そんな検査なんて…。」「そんなにやって頂かなくても…。」そのような呼吸が合った。それは地域における、ドクターのありがたみを理解し、「この地で精一杯やって頂いた。」という思いを持っておられたのであろうと思われます。

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posted by 長尾大志 at 22:01 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年09月06日

今週の活動報告・今後の事業?計画

今週は、10月〜11月にやってくる怒濤の講演ラッシュに備えたコンテンツ作りをしておりました。


天理の羽白先生に、「スライド作りが劇的に変わる」Webサイトと本をご紹介頂いて、スライドを全面的に刷新しております。また、一方的な伝達にとどまらず、双方向性を意識した展開を盛り込んでいっています。夏のFACEで講師の先生方がされていたいろいろな工夫を勉強させて頂きました。


平成進化論の鮒谷さん曰く、「コンテンツそのものはすぐにコピペされて陳腐化する。コンテンツそのものを作り出すことも重要であるが、如何にそれを伝えるか、さらにはそのコンテンツによって情報の受け手が行動変容を起こすまでに至る、そのための『情報の伝達方法』『受け手に対する関わり方』こそが重要である」とのこと。


これまではフーンと読んでいたのですが、FACEで実践されているのを見て、ピーンと来たのです。回路がつながった感覚。


どんなに優れたコンテンツを持っていても、それが伝わらなければ意味がない。伝わっても、それが読んだ人がこれから実践する医療に好影響を及ぼさなければ、意味がない。


おかげさまで好評を頂いている「やさしイイ呼吸器教室」「やさしイイ胸部画像教室」ですが、その内容によって、読者の方が実践する呼吸器診療がよりカイゼンされ、全国の呼吸器疾患を持つ患者さんが恩恵を受けられるようになる、それこそが本を書いた目的なのです。


書籍の内容には絶対の自信を持っている、のですが、読者の方が本を読んでから、実践に至るまでの段階、ハードルを考えると、私にできること、今後やっていくべきことが見えて参りました。やはりキーワードは「双方向性」「合わせて導く」になりそうです。


地域医師会での講演、看護師さん向けのセミナーのように、文化的に「ライブ双方向性」がそぐわないような気がするものもありますが、若い人たちや「総合診療」系のコミュニティではハマリそうな気がします。ハマらなさそうなものも、これから工夫していきます。

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posted by 長尾大志 at 12:07 | Comment(2) | 教育理念・メッセージ

2014年07月21日

学生さんの意識・教員の意識

学生さんもいろいろで、A「もっと勉強したい。自分を高めたい。役に立つことをしたい。」という人もいれば、B「勉強はなるべくやらずに、クラブ(バイト、趣味等々)に打ち込みたい。」という人もいますし、C「まあそんなに頑張らずに、そこそこやってお金儲けができればよい。」という人もいるように見えます。


Aの人からはもっとカリキュラム、授業をカイゼンして欲しい、という要望が寄せられることが多いのですが、B、Cの人にとってはどうなのか、カイゼンを希望されているのかどうかよくわかりません。というのもB、Cの人とお話しする機会がほとんどないからです。


しかし、もしもカイゼンによって、B、Cの人々のモチベーションが上がり、前向きに勉学に取り組んでいただけるようになり、結果、よりよい医師をより多く世の中に送り出すことができるのであれば、B、Cの人々の「希望」に合わなくても、そうすべきなのだろうな、と思うのです。また、学生さんとお話しする機会に、どのような方向性が良さそうかを話し合いたいと思います。


そうなると問題は教員の側に投げられてきます。いみじくも教員の側にあるモチベーションの差、ムラをどうするか。おそらく教員にもA、B、C、もしくはそれ以上のカテゴリーワケができるでしょう。こちらのモチベーションのムラを、カリキュラムのカイゼンでならすことができるのでしょうか。


モチベーションの高い教員の先生方がたくさんおられることはわかっていますので、そういう方々がもっと活躍できるしくみ、そういうのものがあるといいのに、とは思います。

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posted by 長尾大志 at 16:58 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年05月03日

コピペ・改変疑惑続々

少し報道自体は沈静化してきた感のあるSTAP騒動。そのとばっちり?で、他の研究者の方々による論文にも画像改変とか何とか言われているようであります。


以前に「コピペをするな」と書きました。もちろん件の論文がどうこう言う権利は私にはありませんが、もう一度若い人たち、いや、教員の方々も言っておきたいことは、「普段から、やってはいけないことをするな」ということ。


ちょっとしたレポートだし、ここはコピペでいいか、とか、ちょっと見栄えをよくするために画像をいじって…とか、普段からやっていることは必ず癖になり、大切な時にも知らず知らずやってしまうものなのです。


これからはコピペなどのチェックも厳しくなるでしょうから、一度そういうことが指摘されると、研究者人生は終わってしまうこともあるでしょう。


これからの(これまでも?)日本の研究者の論文がコピペだらけ、となってしまうと、もう日本人が1st autherの論文は一流誌には読んでもらえなくなってしまうかもしれません。まあ、個々人が実績を作ればよいのですが。

まあ、これまでも日本発の論文はアレなところがあったわけですが…


ですから、日々の生活の些細なことから、やってはいけないことはしない、という意識で過ごす、こういう姿勢が大切。もっと言えば、かっこよく生きる。お天道様に恥じない生き方をするってことです。当たり前と言えば当たり前のことなんですが、実際なかなかできている人は少ないんじゃないでしょうか。


こういうことを書くと思い出されるのがカナダで過ごした日々。あちらの皆さんはとにかく親切かつスマート。ウチは2歳児をつれての渡航でしたからベビーカーであちこちに行っておりましたが、スーパーでは皆さんドアを開けてくださる。バスではすぐに席を譲ってくださる。ちょっとしたことで声を掛けてくれて、子供の相手もしてくださる。それがまた自然なんですねー。


ラスベガスで超人気のバフェに並んでいたら、めちゃお金持ちそうな紳士が、「子供がかわいそうだし、これで入りなさいよ」とVIP用の(すぐに入れる)優待券をくれた、これが欧米の文化なのか、「徳を積む」ということなのか、と印象に残った出来事でした。


おそらく宗教を背景にした、そんな文化で生きているから、コソコソやってはいけないことをする、ということがないのかなと。徳を積んで天国に行く。悪いことをすると神様が見ている。それに対して日本というかアジアの文化は「見つからなきゃいい」的な文化なのかなあ、と思うこの頃です。

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posted by 長尾大志 at 17:10 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年04月20日

「介入」の効用

少し前に、神戸の某病院でバリバリの臨床医として活躍しておられるN先生とお話ししていて考えに至ったこと。


その先生は「研修医の指導をしていると、大きく分けて3タイプ見受けられますね。」とおっしゃいます。


1. 教員が何もしなくても、優れた医師、研究者になる学生
2. 教員の介入によって、優れた医師、研究者になる可能性のある学生
3. 教員の介入によっては、優れた医師、研究者になることが望めない学生


言うまでもなく、1の研修医が指導をしていて楽しいし、やりがいがある、というのです。まあ、それはそうかもしれません。それは学生さんでも同じことで、1のタイプの学生さんはどんどん学習して課題を見つけ、鋭い質問を投げかけてこられる。指導していても面白いわけです。


でも、大学の教員としては、もっとも多数を占めている2の学生さんに対して、いかに介入するか、が重要課題なのです。彼らは教員の介入を待っています。そして、介入によって学問、臨床の面白さがわかり、良い臨床医、研究者になる、というのが望ましい経過になります。


そのためにできることは、何があるのか。まずは熱意と工夫なのですが、それだけでいいのか。工夫がもっとできるのではないのか。


はたまた、3のタイプが本当に存在するのか、私たちが介入を怠っているだけなのか、それはよくわかりません。少なくとも私がこれまでの実習でやってきたことでは不十分であったことは自分でもよくわかっています。実習重視にすることで、もう少し臨床の面白さとやりがいを伝えていけたら、と思っています。

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posted by 長尾大志 at 20:55 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年03月16日

ルールは守りましょう

蟻の一穴で思い出しました。欧米の大学では(いや、大学に限らず教育の現場では)、オリジナリティこそが尊重されるべきで、人真似、コピペは恥ずべきこと、という教育がなされているといいます。自分の言葉で語ることを徹底的に訓練されるとも。アジアの文化は人真似文化。やはり小さい頃からの育てられ方、文化的背景などの違いにもよるのでしょうか。


大学でそういうことを教えても遅いのか。なかなか私たちのやっている大学教育カリキュラムでは、そういったことを体系立てて教える機会がないのもまた現実。カリキュラムの中にそういったものを入れる必要があるのかもしれません。


取り急ぎそこまで制度を変えなくても、学生のうちから、「いかなるルールもルールであり、守られるべきである」ということを教える、というか、教員が範を垂れることは、今すぐにでもできることではあります。


以前にも書いたことですが、小さなことでも学内におけるルール違反をしない、させない雰囲気作りというのも大事なのではないでしょうか。


ウチの大学もルールについては、いささかアレな出来事が複数ありました。細かいことですが、学内でしばしばルール違反を見受けます。全敷地禁煙の中喫煙する方々。駐車してはいけない場所に駐車する車。などなど、いちいち書くのもアレなことですが。


これらがしばしば教員、職員の方々によるものであったりするのですね。これも蟻の一穴といえるんじゃないか。やはり私たち教職員が襟を正して、日々の振る舞いを見直すべきではないか。こんなことも思った次第です。

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posted by 長尾大志 at 18:09 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年03月15日

STAP騒動に思う

これだけ騒ぎになっているので、まあ何か言わなきゃ、と思うわけです。もちろん当事者たちの状況を知る由もないのですが、若い人へのメッセージです。


「どんなに些細なものでも、コピペをするな」。


学生さんのレポート、プレゼン、どれを見てもコピペしていないものを探すのが困難なほど、日本の学生にコピペ文化?は根付いています。もうこうなったら、記者会見で「コピペしちゃいました、みんなやってるし。てへ(  ̄▽ ̄)」ぐらい言って流行語大賞を狙うとか、そっちの方向に…いや不謹慎ですね。


指導教官に問題が…といわれても、日々膨大な数のレポート、論文を見る上で、これがコピペかどうか、自著や著名な論文でもない限り看破するのは困難だと思います。で、学生の頃から、手軽にコピペしてレポートをくぐり抜け、その延長で論文も、あちこちからちょいと拝借。


レポートだったらコピペは良くて、卒論だったらダメなのか。卒論も学内のものだったらいいのか。…その延長でドエライインパクトのある論文も、コピペで書いちゃった、何が悪いの?だったら悲劇でしかないでしょう。


どこで線を引くのか。どこまでだったら良いのか。ではなくて、「あらゆるコピペはダメ」という方針を徹底しないと、日本からの発信は今後全く信用されない、ということになりかねないのではないでしょうか。件の論文のことだけではなく、日本人のすべての研究者たちが、胸に手を当てて考えなくてはならないでしょう。


蟻の一穴、という言葉があります。最初は些細なルール違反から始まって、最終的に取り返しのつかない損失を来す、という意味です。


私もこれまで、コピペには目をつぶってきましたが、やはりそれではいけないな、と思いました。コピペをせずにすむ体制を考えなくては。

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posted by 長尾大志 at 17:07 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年02月11日

試験問題に込められたメッセージ

第108回医師国家試験が終わりました。皆さんご無事?でしょうか。


なんでもちらりと聞いた話では、今年は随分傾向が変わったとか。実地で見たことがないと解けない、臨床の現場を体験していないと解けないような問題が増えていたとか。


全体の問題分析は専門の方々がされるでしょうし、呼吸器の何問かはまた後日解いていくことになるでしょうから、今日のところはおおまかな感想を述べたいと思いますが、まあ言えることは「出題者は意図を持って出題している」ということでしょうか。


今後外圧?もあり、臨床実習の時間が増えていく、ということもありますが、やはり実習をちゃんとやるように、というメッセージなのでしょう。それは学生さんのみならず、大学に対しても。


私も定期試験や卒業試験では、必ず知っておいてもらいたい、理解しておいて欲しいことを繰り返し出題しています。授業でもわざわざ過去問を取り上げて解説しているのですが、なかなかメッセージは伝わらないようです…。

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posted by 長尾大志 at 21:42 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年02月02日

先生、教員の役割

昨日の例では、何よりもその本人が気の毒です。あえて書くまでもないと思ったのですが、誤解を招いてはいけないので念のため。


仕事は人生の大部分の時間を費やすもの。その仕事が自分に根本的に合わない、という状態は大変不幸です。全くのミスマッチではなくても、「やりがいがない」「休みが待ち遠しい」「趣味に生きる」みたいなことになってしまっている方は少なくないように見受けます。


かくいう私も仕事が面白くない、休みが待ち遠しい時期が何度もありました。ところが仕事を懸命に頑張るようになったら、途端に面白くなって、いろいろなことが善循環になったものです。頑張れば面白くなる。頑張らないと好きになれない。そんなことを実感しました。



閑話休題。


医学部学生に対する「教員」の役割はどんなものかを考えています。「授業」「講義」の重要性は今後ますます低くなり、動画等に置き換わっていくでしょう。


1.学生さんのモチベーションを上げる。

 究極的には、モチベーションを上げることさえ出来れば、あとは何も必要ないだろうと考えます。しかしそのためにはいろいろな工夫が必要。


2.先達として、大失敗をしないよう導く

「何事にも、先達はあらまほしきことなり。」とはよく言ったもので、やはり学生さんがやっていることを見ていると危なっかしいところが多々あるわけです。先達としてのアドバイスは折に触れて必要でしょう。


3.人生の先輩として、「背中を見せる」

1.にもつながるところ大と考えますが、ビシビシ診断を進めていくカッコイイ臨床医、バリバリと鋭い観点で実験、研究をする研究者、子育てと仕事を両立させるママさん、などなど、ロールモデルとなる先輩の姿は学生さんにとって何よりの刺激になるように思います。


逆にそういう方にもっともっと教育のところに絡んでいただく必要もあるのでしょう。

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posted by 長尾大志 at 23:02 | Comment(2) | 教育理念・メッセージ

2014年02月01日

受験考

受験シーズンまっただ中、いやもう後半でしょうか。
医師国家試験まではあと1週間となり、時折見かける6回生諸君も、真剣な表情です。これは是非頑張っていただきたい。


医師臨床教育センターの会議でいつも話題になるのが、研修医になってからドロップアウトしてしまう人。そこまでではなくても、誰が見ても医師に向いていない、という人がちらほら見受けられます。もちろん数は少ないですが。


でもやっぱりそういう人の存在はモッタイナイ。それはもちろん経済的にもそう。1人を医学部で教育するのに税金がどれだけ投入されているか考えてみればわかるのですが、これはかなり莫大です。お金だけではなくて人的資源も投入されています。


その人の代わりに別の、もっと医師に向いている人が成っていれば、その1人の医師が多くの患者さんを救えたのに…遺失利益というやつですね。これもモッタイナイ。どうやって計算するのかわかりませんが。


あちこちの地域医療が崩壊している、需要と供給のミスマッチが起きているところに、その地域で頑張りたい、と思ってる人にその機会が「受験」のために与えられなかったとしたら…。いやもちろん受験は大事です。医師になるには基礎学力は必要です。でも、合格した人よりもずっとずっと医師に向いている人がセンター・二次合わせて数点で涙をのんでいたら…みたいなことを想像したりするわけです。あくまで想像ですが。ので、東大が打ち出したような入試の多様化、というのは考えていくべきじゃないかと思いますし、もうちょっと大学入試までの段階で人となりを見ることは出来ないもんかなあと常々思うのです。


本当だったら医師に向いていない人は、例えば高校の先生だったらわかるんじゃないかと思うのです。「この生徒は人の目を見て話をしない」とか。そういう観点で進路「指導」をして欲しいなーと思ったり。頭がいいけどちょっと人を相手にする仕事が向いてないなと思ったら、もう少しその人の才能を活かす方向の進路を勧めたりして欲しいものです。まあ高校としたら医学部に入ってもらった方が何かといいのですよね…。

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posted by 長尾大志 at 23:07 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年09月29日

医科大学の役割(大学外で)

大学、特に医科大学の役割は、「医科学生を教育する」ことだけにとどまるべきではないと思います。


かねてよりブログの「ミッション」に挙げているとおり、地域医療崩壊の処方箋の一つは、教育だと思うのですね。


ある地域の医療が「崩壊」する理由の一つとして、「需要」と「供給」のミスマッチがあります。換気と血流のミスマッチは以前にもお話ししたように、低酸素血症を呈する、具合の悪い状況でありますが、医療の需要と供給のミスマッチも、低医療状況を呈してしまうのですね。以前医局で人事をやっていた際には、「ここは○○科が足りないから、人を送って」みたいな配慮が少なからずあったものが、今は医局人事が崩壊し、バランスをとる人が居なくなった。


病院単位で人の募集はあれども、地域のミスマッチを解消するには至らず、開業されるにしても、どこに開業されるかなどは当事者の思いが優先されるでしょう。そもそも最近では、若い人たちの進路選択に、需要に対するミスマッチがあるようです。


さらに昨今専門分化が進み、以前書いたように「専門性はあれども総合性のない医師」が多くなればなるほど、ミスマッチは顕在化すると思われます。



そこであるエピソードを紹介しましょう。とある大学には長期間とある科がなかった。その理由はよくわかりませんが、とにかくなかった。科がないということは教員も居なかった。そしてその大学では「○○科」の知識は学生、研修医に対して教育されることなく数十年が経過していた。その県の主要ないくつかの病院の○○科には、近隣の大学から医師の派遣があったが、限られたものであった…。



その場合、その地域の「○○科」の需要と供給は著しいミスマッチを来します。似たような話は実はそこここで見られていて、地域の家庭医の先生方にも○○科の知識がない為、○○領域の患者さんが来られたらすぐに基幹病院に紹介。基幹病院の○○科の外来はパンク。


○○科の医師が居ない病院では、他科の先生が、知識もないままに患者さんを診療することになる…。このようなことが積み重なって、その地域においては、○○科領域の医療レベルが低くなる、ということになります。



そこで先ほどの、地域医療崩壊の処方箋の話です。その地域に現在おられる非専門医、開業医のうち、教育を必要とする方々に「再教育」をすることで、「○○科」の欠乏をあるていど補うことが出来るのではないか、特に地域の家庭医の先生方にある程度の広域プライマリ・ケアをお願いすることで、一握りの専門病院勤務医の負担を減らすことが出来るのではないか、そのように考えています。

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posted by 長尾大志 at 19:10 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年09月28日

医科大学における教育の意味

滋賀医大に来て8年。


来た当初学生であった諸君も、もう立派に活躍をされています。時折そういう諸君の頑張っておられる様子を聞いて思うのは、「自分はいったい、何を教えたのだろう」ということ。


その当時伝えたことなど、おそらく彼らにとっては何の役にも立っていない。そこに考えが至ったときに、悪寒、いや戦慄、いやいや悪寒戦慄!を覚えました。いやはや、大学の教員という立場でありながら、何もしていないのと同じとは。


今の方がまだ、少しは後になって役立つことが伝えられているか、とも思うので、それはそれで成長が実感できるのですが、それでもまだまだ制約が多すぎ、時間も足りなさすぎ、まだまだ伝え足りない。


ブログをやっていて良かった、というのは一つはそこですね。これまでは、学生実習の時間にも、研修医諸君にもかなり知識的なことを伝達しなくてはならなかったのです。「もっと知りたい」という熱心な人ほど、知識の伝達に時間をとられていた。でも最近では、知識的なところは、もう「ここから先はブログを読んで」と言える。知りたいことがあれば、どんどん独力で、自分のペースで知識を学び取ることが出来るわけです。


…それはさておき、思うに、私たち教員の為すべきことというのは、そういう「知識の伝達」にとどまるべきではない、ということ。そもそも大学医学部、あるいは医科大学というのは、「医師を養成する」という使命を持っているわけです。医師になるには膨大な知識を自分のものにしなくてはならない。だから、大学の教員は知識を伝達するのが仕事。というのは前時代の話で、今ではもはや国家試験対策は皆、大学なんぞ当てにせず、予備校の講座で勉強するわけです。


しからば、医科大学の役割は何か。「よい医師になる為のトレーニングをする」場所でなくてはならない、そのためには、知識の伝達はこれまで以上に効率よく行わなくてはならない。そして、おそらく、根底からカリキュラムを変えなくてはならないでしょう。外圧による数あわせの変更ではなく、目標に向かうための。

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posted by 長尾大志 at 23:03 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年08月24日

人を残すは上

先日1,000記事を迎えた当ブログですが、目下のところそれほどお祝いのコメントは頂けていませんΣ(|||▽||| )。多くの方に役立てていただけているかと思いましたが、私の妄想かもしれません…。


でも、この前、大いに勇気づけられる言葉を見かけたのでシェアしたいと思います。


戦前の政治家、というか、医師だった方がいろいろと政治的に活躍をされた、後藤新平さんという方がおられました。都市計画(復興計画)とか満州鉄道の総裁とか、拓殖大学の学長とか、ボーイスカウト日本連盟の初代総長などなど、数多くのエライ肩書きをされたりしています。


その方の言葉として紹介されていたもの。


「金を残して死ぬ者は下。仕事を残して死ぬ者は中。人を残して死ぬ者は上。」


人間として人生において何を成すべきか、ということを表現された言葉です。もちろん若いうちは「何か」をするためにはお金は必要ですから、まずは懸命に目の前のことをこなしてお金を得なくてはならない。


しかし、いつまでもそれに甘んじるのではなく、ある程度キャリアを経て一人前に仕事ができるようになったら、自分がなすべきこと、目標を立て、「仕事」を残すべく邁進する。


おそらくそれと同時に、後進を育て、「仕事」を引き継ぐ、あるいは共に行う、こういうことをやっていかなくてはならない。そういうことを言っておられたのでしょう。


この言葉に大いに勇気づけられました。仕事をなすだけではなく、人を育てることの大切さ。これからも自分にできることを、目一杯頑張っていこうと思います。まだまだ1,000は通過点。てことですかね。


あ、でも、皆さんからのコメントもいただきたいな〜と思います。ホンの一言でも何でも結構ですので、お待ちしています。コメント来てるかなー|ω・)チラ

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posted by 長尾大志 at 23:36 | Comment(11) | 教育理念・メッセージ

2013年04月29日

継続は力なり

ありがたいことに、書籍を購入してくださった方からサインを求められることがありました。全く慣れないものですから、何か気の利いたことを書こうかとも思ったのですが、そんなにスゴイことは浮かんでくるものではありません。


ということで、結局いつも「継続は力なり」と書かせていただいています。


以前から何度もブログに書いているフレーズなので、ブログを愛読されている方?はよくご存じでしょう。
これは自分に対しての言葉でもあり、サインを書かせていただく方へのメッセージでもあります。


自分のことを思い返してみると、継続が力になってくれたことを実感します。


学生の時にろくに勉強もせず、研修が始まってからもほとんど本を読んでこなかった私のようなものが、人に教える必要に迫られてから勉強を始めました。ブランド研修病院、華々しい経歴とは無縁でしたが、目の前の患者さん、目の前の後輩たちにただひたすら誠実であろうと努め、その継続が何となく教え方に結実してきたように思うのです。


そしていうまでもなく、このブログを継続してきたことを評価していただき、書籍にまでなった。私のような出来損ないでも、継続がここまで力を与えてくれたことに感謝し、今後も継続し続けようとの思いを強くするものであります。


どのような場所であれ、その場でひたすら頑張り続ける。「石の上にも3年」。どうして昔の言い伝えが、このセワシナイ現代にも通じるのでしょうか。3年やらなきゃ、見えてこないものがあります(もちろん、もっともっとやらなきゃ見えてこないものもあります)。


特に若い世代の人たちは、少しずつカジって「やった気になる」「体験した気になる」傾向を見受けます。初期研修で○○に行った、○○を見た、○○の手術をやった…テーマパークに行った感覚でしょうか。


いわゆる臨床ができる先生方は、「ずっと○○にいる」「ずっと○○やってる」方ばかりのように見えます。ずっと継続できる環境に居られるということは、そこで求められているということなのですが、継続することが何よりも力になる。そういうことを若い人に伝えたいな〜、と今後も「継続は力なり」と書いていくと思います。

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posted by 長尾大志 at 22:21 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年04月21日

緒方春朔(おがたしゅんさく)

有名な緒方洪庵ではありません。あまり一般的には知られていませんが、緒方洪庵よりも先に種痘の方法を確立し、わが国における種痘の開祖と言われている偉人であります。


全く不勉強な私は「ビジネス発想源」の記事ではじめて緒方春朔のことを知りました。

福岡県朝倉市のホームページにもエピソードが詳しく載っています



種痘とは天然痘(てんねんとう)に対するワクチンです。天然痘は以前、治療法がなく死に至る病であり、世界中で大変恐れられていました。


時は江戸時代、天然痘が猛威をふるい、多くの人々が亡くなっていました。緒方春朔は鎖国の時代に大変な苦労をして独学で種痘の研究を行い、理解のある庄屋さんの子らを実験台として種痘の方法を確立したのです。


緒方春朔の偉大なところは、もちろんこの先駆的な業績もさることながら、この方法を秘匿することなく全てオープンにしたことである、と述べられています。当時から(今も似たようなところはありますが…)医術は秘伝である、が常識で、ほとんどの医者は自身の技術を他の医者に教えることはなかったといいます。


しかしながら彼は、教えを請うもの全てに分け隔てなく教えた。彼の書いた「種痘必順辨」の序文にはこうあるといいます。


「崑山の玉、取らずば何ぞ光輝あらんや」(崑山之玉不取何有光輝)


いくら崑山(中国の地名)の宝玉と言っても、手に取らなければその輝きに何の意味があるのだろう、たとえ価値あるものでも、誰もが使えなければ意味がない、ということでしょうか。


このフレーズに、大いに共感した次第であります。「医聖」とよばれたような方ですから、私なぞまったく足下にも及ばないことはわかりきっておりますが、このエピソードを知る前から、「役に立つ知識を自分だけで抱え込んでいてはダメだな」と思って情報発信をしていた私としては、姿勢が間違ってはいなかったと勇気づけられたのです。


このブログを書き始めた頃、とある先生から「僕は授業のスライドとかを絶対公開しない。手の内を見せることになるし、真似されてコピーされるから。」みたいなことを言われました。


ご高名な先生だと、スライドのコピーを絶対に頂けないこともあります。


先生が心血を注いでこられたご研究の成果を、気軽にコピペなぞされてはかなわん、ということなのだと思います。


そのお考えが理解できなくもありませんが、素晴らしいもの、価値があるものだからこそ、誰もがアクセスできるように、という考えもあっていいんじゃないか、とも思うのです。まあ、私なんぞの苦労はコピペされる程度のモノ、と言われますと、全くその通りなのですが。



緒方春朔が「天然痘にかかる患者さんを少しでも減らしたい」という思いで種痘を開発し、それを多くの人に伝えたように、私の目的は「呼吸器内科の知識をできる限りわかりやすく多くの人にお伝えすること」。その向こうには「できるだけ多くの患者さんが救われるように」という思いがあります。


人類史上もっとも「情報の共有」が容易になっている今、多くの方に呼吸器内科を身近に感じてもらい、レベルアップを果たして頂くことに価値を見出して、まだまだこのブログは続いていく予定です。


あ、もちろん、本を買わなくてもいいよ、ということではありませんよ(笑)。

全然売れないと、せっかくお声掛けいただいた出版社さんに申し訳ないですから…。購入いただける方には、しっかり(諸事情からブログに載せにくい)書き下ろし記事もサービスしています。私からの気持ちです。

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posted by 長尾大志 at 22:40 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年02月11日

自責思考と他責思考

FD研修会の中で取り上げようと思っているのが、自責思考と他責思考のお話です。自戒を込めてさせていただくつもりですが、特に今回のFD研修会で取り上げる意味があると思いました。


世の中、思い通りにならないこと、多々あります。特に社会生活を営んでいると(家庭内でもそうですが…)いろいろとあると思います。


そのときに、「他人が悪い」「状況が悪い」と考えてしまいがちなのですが、これを「他責思考」といいます。○○がうまくいかなかったのは、誰それが協力してくれなかったから、季節が悪かったから、円高だから?…と、余所にその理由を帰する考え方は、実に楽なんですね。


結局自分は何もしなくていい。「状況さえうまくいけば、うまくいくはずだ」と考えておけばいい。で、またうまくいかない。こういうこと、結構多いのではないでしょうか。



わかりやすい例でいうと、シャープ(家電メーカー)の業績が悪いと。


で、まあいろいろ理由を挙げる人はいるわけです。液晶テレビの価格が下落したから、エコポイントや地デジ化で需要の先食いをしたから、円高だから…。


まあ、理由を挙げるのはかまいませんが、ただ理由を挙げただけでは業績はビクともしませんね。何も変わらない。他責思考では、何も変わらないのです。


業績をよくしようと思えば、何かアクションを起こさねばならない。会社として何をするか。自分が何をするか。これが自責思考です。


結果を得るために、今後何ができるか。これを考えるのが自責思考。言い方を変えると、他責思考は後ろ向き、いいわけ、であるのに対し、自責思考は前向きで、カイゼンで、やる気が感じられてイイじゃないですか。



今回のFD研修会のタイトル「『今時の学生』問題〜」というのは何でしょう、他責思考のにおいがするんですが、私がするのは自責思考がイイじゃないですか、という感じのお話になります。一人でも多くの先生に自責思考のよさをお伝えできればいいのですが…。

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posted by 長尾大志 at 13:14 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年01月20日

キャリアを中断する、ということ。

SKE48のメンバーが、9人一度に卒業、ということで、一気に大量にやめた点でニュースになっていました。


彼女たちも夢を持って加入したものの、思っていたような活動ができない、とか、夢に近づけない、とか、いろいろと理由はある模様。


選抜メンバーも含まれており、ファンからは相当惜しむ声や、残念がる声があるようです。




キャリアの途中で中断する決断をとる、私たちの業界でも多くの事例が見られます。


事情は当人にしかわかりませんが、外部から見ていて「もったいないなー」と思えることが多いものです。


「やめよう」と思ったときに、すこしでも相談できる人がいれば、やめずに続けられたかもしれない。
やめてしまうよりも、もっと良い選択肢があったかもしれない。


以前にも書きましたが、キャリアの中断は、臨床能力の低下など、当人にとって好ましいものではない結果につながる場合があります。もちろん、「別の目標が見つかった」「他にやりたいことがある」場合はその限りではありません。


ただその場合も、他にやりたい分野に、どのように進んでいくかも、先達として相談に乗ることはできるはず。思い込みもありますし、自分ではわからない適性も、アドバイスが得られるでしょう。


やめるのは、いつでもできる。その前に、じっくり相談してみましょう。


SKE48のメンバーでも、相談できる人がいて、適切に導かれていたら、やめずに済んだ人もいたかもしれません…。

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posted by 長尾大志 at 19:32 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年01月03日

指導者たるもの

本を読む暇がなかなかないのですが、学会や研究会の行き帰りは貴重な読書タイムです。


この前は、「ビジネス発想源」の弘中勝さんが勧められていた「お前ならできる(小倉全由著)」を読みました。高校野球の監督さんが書かれた本で、指導者としてのあり方など、参考になるところが多かったです。


その中の一節で、小倉さんがまだ若い頃に根本陸夫さん(広島、西武、ダイエーの監督を歴任された名将)から掛けられた言葉が印象的でしたので紹介します。


(引用ここから)
■指導者は辛抱だ

一度指導して、さっさとできるようになって、目に見えて成長していく選手はいない。だから指導者は何度も同じことを、できるようになるまで繰り返し指導する必要がある。


それを、見た目でうまくならないからもうやめた、新しいことを教えよう、では選手は育たない。



■指導者は自分のできることだけ教えればいい

できないことまで教えようとすると選手が付いてこなくなる。だから、できることを自信を持って教える。そして、できないことは教えられるようになるまで身につける努力をする。
(引用ここまで)


どの世界でも同じですね。
指導者としては、とにかく辛抱が大事です。一に辛抱、二に辛抱。


わかってはいるのですが、どうしても、「これは前に教えたよね…」と言いたくなってしまったり。肝に銘じましょう。ただ、このブログを読んでくださっている若い先生が増えたせいか、ブログに書いたことは理解してくださっていることが増えてきています。大変うれしいことです。


そして、二番目。これも、全くその通りであることを痛感します。やはり、背中を見せる、じゃあないですが、自分ができることをしっかりやって見せる。そのためには、自分のスキルを磨いて磨いて、磨き上げなければなりません。


幸い、今も、新しいことを覚える、勉強するのが楽しいものですから、この楽しさを後輩たちに伝えていけたら、と思っています。

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posted by 長尾大志 at 23:00 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年01月02日

no flower without rain

日曜日の読売新聞に、秋元康さんが連載をされています。


AKB48グループの若いメンバーたち、また、若者たちに対するメッセージを書いておられます。


少し前の回では「アイドルと笑顔」というタイトルで、
このようなことを書いておられました。


(以下、大意を抜粋)
アイドルには笑顔が似合う。
いや、アイドルは常に笑顔でなくてはならない。ずっとそう言われてきた。


(でも、舞台裏を見ていた秋元さんが思うに)
アイドルの笑顔が美しいのは、そこに多くの涙が隠れているからだ。


おそらく、普通の生活をしている同世代の女の子より、遙かに多くの
「つらいこと」に遭遇しているだろう。
つまり、そこに至るまでの長い道のりが、アイドルの笑顔を磨くのだ。


もし、あなたが、アイドルのように輝いた笑顔を見せたいと思うなら、
いっぱい泣けばいい。いっぱい怒ればいい。いっぱい落ち込めばいい。

そう、毎日を一生懸命生きることだ。
(大意ここまで)


流した涙の数だけ、人に優しくなれる、とか、
流した涙が、明日の自分を作る、とか。
そのようなことは多く言われています。


おそらく、そのようなつらい体験をすることで、他人のつらさを慮る(おもんばかる)ことができるようになる、そういう意味でしょう。


医師として、患者さんのつらい場面に立ち会うことは多々あります。


そのときに、そのつらさに共感できるかどうか。相手の気持ちに立つことができるか。ちょっとした言動に表れるものです。そういうところで医師の資質というものが問われるように思います。


うちの大学はいろいろな状況から、他大学や社会人を一旦経験されてから再び医学部に入り直された方が結構多いのですが、そういう方々はそれなりにつらい経験もされているのか、20歳そこそこの、いわゆるストレートにやってきた学生さんよりも、そういう意味で一日の長があるように思います。



もちろん若い方の中にも、素晴らしい方も多い。ただ、人生経験が少ないな〜、惜しいな〜と思う方もちらほらおられます。まあ、若い方は人生これから、随分以前にも書きましたが、某大学教授が「医学生たるもの、失恋の一つや二つしないでどうするか。」ということを言われたように、「今」を一生懸命生きること、目の前のことに誠実に向き合うことで、ご自分を磨いていってほしい、そう念願せずにはおられません。

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posted by 長尾大志 at 23:40 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年01月01日

一年の計は元旦にあり

新年あけまして、おめでとうございます。


年末、紅白歌合戦に、SKE48とももいろクローバーZが初出場、素晴らしいパフォーマンスを見せていましたね。


これらのグループに限ったことではありませんが、「紅白歌合戦に出場」を目標にしていて、それを成し遂げる様子を見ていて、やはり「目標を掲げる」というのは大事だなーと感じ入りました。


以前に「ミッション」を再定義してみましたが、わかりやすく今年の目標を掲げるとすれば、


「滋賀医大呼吸器内科での研修を最高のものにする」


これに尽きると思います。頑張ります。

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posted by 長尾大志 at 23:37 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年11月25日

ミッションを修正

トップに書いてある「ミッション」。まあどなたもお読みではないでしょうが…。自分なりに目標を書いております。


いつも読んでいるメールマガジン、平成進化論の鮒谷周史さんが最近仰るに、

「なるべく大きな目標を公言する」べし

とのこと。


目標と現実には乖離があるもの。乖離があるのであればあるほど、公言する方が自他共に目標に向かってのドライブがかかる、具体的に何をすべきかが意識されてくる、ということのようで、なるほど、と思った(単純な)私は、早速ミッションをもっと大きなものに書き直すことにしました。


これまでのミッションも日本の(地域)医療を考える上で重要なものであることは間違いありませんが、どちらかというとこのブログのミッションなのですね。オンラインのミッションというか。


もう少し大きな、ウチの医局としての目標、といいますか、オフラインのミッション、それは、


滋賀医大で研修した臨床医を優秀に育て上げ、滋賀県下の病院に派遣することで、滋賀県の臨床レベルを上げる


ということ。
誤解を招くといけませんので、「臨床レベル」の定義をきちんとしておかなければなりません。


ここで言う「臨床レベル」とは、専門的な技量を問うものではございません。まずcommon diseaseにきっちり、病歴と身体所見から適切な鑑別診断をたて、当たり前の対処ができる、ということ。


そこで問題となるのが感染症やアレルギー、といったところになってくるようです。メタボ関係は皆さんお得意のようなのですが、このあたりは不得意分野のようで、昨日のようなことがしばしばあると…。


そこで、やはりウチが、まずは滋賀医大で研修を受ける諸君には、基本的な臨床作法を叩き込み、できれば各病院に派遣された際にその病院でのオピニオンリーダーになるぐらいの知識を持ってもらいたい、というつもりでやっていきたいと思います。

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posted by 長尾大志 at 22:28 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年11月18日

時に癒し しばしば支え 常に慰む

講義でも紹介しましたこの言葉。


元はフランスの外科医、アンブロワーズ・パレと言う方の言葉だそうです。


アメリカの結核療養所にある彫像の台座に刻まれていた言葉といいますから、昔の結核療養所ではよく使われていた言葉なのかもしれませんです。


時に癒し Guérir quelquefois  To Cure Sometimes

しばしば支え Soulager souvent  To Relieve Often

常に慰む Consoler toujours  To Comfort Always.


特にかつて、結核に対する化学療法が無い時代においては、医師が患者さんを癒すことができる機会は「時に」であり、支えることができるのも、「しばしば」であったでしょう。しかし慰めることは常に可能であった。


それは医師に対して行動指針を教えてくださっている言葉でもありましょうし、患者さんからの感謝の言葉でもあるかもしれません。


医学が発達した現在であっても。あらゆる病気を治すことはできません。治すことはできなくとも、いつも患者さんに寄り添うこと、慰めることはできる。ここに共感できるような人は、きっといい医師になれる、そんな話をさせてもらいました。

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posted by 長尾大志 at 23:14 | Comment(4) | 教育理念・メッセージ