ここ最近いろいろな方とお話して、自分の中である程度今後の方向性ができてきましたので、一旦こちらでまとめて公表しておこうかと思います。
(ここから)
AIがどんどん進化して、医療にも取り入れられるようになってきました。こうなってくるとこれまで医学部が行ってきた知識偏重の教育、ただ膨大な情報を伝えるだけの教育は、これからの医療人を養成するという点ではほとんど意味をなさなくなってきていると考えています。
知識面はAIなどにある程度助けを得るとして、医師になるうえでは知識に加えて共感力であったり思いやりであったりという「人間力」、それに高齢化で他疾患併存が当たり前になってきたときの「調整力」「課題解決力」の涵養こそが肝要となることは多くの方が認識されていることでしょう。
私が島根に来て総合診療・地域実習に関わらせていただき、毎年学年全員を地域に送り出してフィードバックをして参りました。そこで「地域医療の現場でこそ、これからの医師に必要なすべてを学ぶことができる」と強く実感しています。患者さんに直接触れ合う、現場の医療関係者の声を聴くことでこそ、医師に求められることを実感してモチベーションが爆上がりする。これまで座学の間○んだ眼をしていた学生さんの眼がキラキラしてきて、自分が学んできたことを喜々として発表する。着席して話を聴いているだけでは得られない、貴重な学びの場をこれまで島根大学、各医療施設、島根県関係各位のご尽力で培ってまいりました。
島根県は日本一、いや世界でも類を見ない高齢化先進県です。とりもなおさずそれは偏在・過疎・限界……といったキーワードで語られる様々な「課題」がゴロゴロころがっていることを意味します。その現場を見て、聴いて、触れて直接学ぶことができるというのは、これから医師になるうえでものすごく貴重な体験であり、他所ではなかなか学べない強いアドバンテージになるのです。
またその現場で日々患者さんに向き合い、丁寧な診療をされている先生方の背中を直接見て学ぶことができるのも、大いなるメリットであります。着任以降多くの病院を直接訪問させていただき、先生方とお話しさせていただいて、現在大学から学生さんの実習をお願いしている病院の先生方の丁寧な診療・教育の質が素晴らしいものであることを実感しております(上からの物言いになってしまい甚だ恐縮ではありますが、他の表現が思いつかず失礼いたします)。
以上は卒前教育カリキュラムのお話でしたが、卒後教育でも、この現場での学びをシームレスに提供していきたいと考えております。初期研修をさらに魅力的なものにすべく、学びたいジャンルをそれに適した施設で学べるようにするなど、研修プログラムをもっと柔軟に運用できないものかということ、それにはもっと学外の医療機関との連携や調整が必要で、「オール島根」体制で進められるといいなあと思います。
このような「現場」と「指導者」に恵まれた島根大学の地域医療教育をさらに推進すべく、粉骨砕身努力して参ります。皆様方のご理解、ご協力のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
2024年09月06日
2024年05月12日
私のキャリアとアイドルのキャリア〜アイドルとかけて研修医と説く、その心は〜(後編)
島根大学地域医療教育学講座の長尾大志です。変なタイトルの駄文、後編です。さすがに前編からお読みいただかないと、なんのことやらちんぷんかんぷん、ただ長尾がアイドルオタクであるということしかわからないと思いますので、前編ヨロシクお願いします。
さて、皆さんが思い浮かべるアイドルの皆さん、どなたでしたか?その後のキャリアもわかっている人がいいですね。私が授業?で挙げるのは以下のような方々です(敬称略)。若干?偏りがある点はご容赦ください……。
高橋みなみ
まゆゆ(渡辺麻友)
指原莉乃
柴田阿弥
平手友梨奈
白石麻衣
満島ひかり(Folder5)
仲間由紀恵(東京パフォーマンスドール)
深田恭子(HIPS)
橋本環奈
嵐
上に挙げた皆さんの具体的なキャリアについて公の場で論説することは炎上リスクを多分に孕んでおりますので、そういうことは致しません(清く正しく静かに生きておりますもので)。でも、皆さんのキャリアを辿って頂けると、なんとなく私の申したいことがお判りいただけるのではないかと思うのです。
もちろんこれらの方々の陰には圧倒的に多くの「そうなれなかった方々」がおられることにも注意が必要です(特に芸能の世界は「努力は必ず報われる」とはいかない、運に左右される面も多々あることは間違いありません)が、今回はキャリア形成のサンプル、ということで話を進めます。あ、嵐さんについては(今はグループとして活動されていませんが)総合診療医だなあ、と考えております。研修医の期間に様々なことに挑戦され、そのまま専門にとらわれずに?活動を続けておられる、という意味で。これだけはここで述べておきます。
私が医師になった30ウン年前はキャリアプランニングなんて考えは一般的ではなく、私もご多分に漏れずキャリアについて深く考えることはありませんでした。研修先や異動、留学も、教授に指示されてその通り従って参りました。決して、
長尾=やさしイイ呼吸器の人?
になろうと思ってプランニングしたわけではありません。
長尾=胸部X線写真の人??
になりたかったわけでもありません。
前編でも述べた通り、元々「お医者さん」になりたくて、臨床がやりたくて医師になった身ですから、キャリアの前半はひたすら臨床を頑張って、臨床能力を高めることに注力していたのです。それが、患者さんのため、将来の医療をよりよいものにするために頑張っていたら、様々な出会いと、「経験と居場所によって解像度が上がった」結果、「こっちに行こう」という考えが生まれて今の感じになりました。
大事なことなのでもう一度。
「経験と居場所によって解像度が上がった」んです。
おそらくアイドルの皆さんも、少なからずの医師の皆さんも、こんな過程を経てキャリアを選び取っていかれているはず。若いころにはなかった知識、考え方、成長で気づいたこと、そのすべてが血となり肉となってキャリアに生かされるのです。若いころには考えていなかった道が見えてくることもあるのです。解像度が低いうちは、忙しい日々の中で「なんでこんなことしなくちゃいけないんだ」「テキトーでいいだろ」みたいになりがちなんですが、まだ多くのことが見えていないうちに与えられた仕事をしっかりと、丁寧にこなしていくことで「見えてくる」ものがあるんじゃないかな〜と思うところです。
初期研修病院についてもいろいろご相談を受けますが、大事なことは病院そのものよりも、そこでどう働くか、だと思っています。決して「ハイパー至上」「ハイポ撲滅」と思っているわけではありませんのでご留意ください。人それぞれ向き不向きがあります。健康に影響が出るような環境はよくないです。ハイパーにやっていける人はそういう施設、ハイポがいい人はそういう施設で、ご自分なりにしっかりされるといいですね。
「ハイパー」「ハイポ」では当然経験「数」は異なりますから、成長曲線はハイパーの方が当初角度が急なんですが、所詮それは初期数年での話。長い医師人生では、その後の角度の方が圧倒的に重要です。つまり、いわゆる専門を選んでからですね。
私は初期のころは不器用だったし物分かりが悪かったので、かなり同期と比べるといろいろと劣っていたと思います。その真っただ中の時期にはやっぱり仕事が面白くなくて、休みが待ち遠しくて、どうにかして早く家に帰ろう……なんて思っていたのですが、一通り学んで出来るようになってくると、周りに頼りにされるようになってきて、やりがいが出てきて、色々なことに興味がわいてきて、頑張れるようになりました。そして教育に全集中するようになると、日中は学生さん、研修医の先生方と戯れ、夜はスライドづくりに寝食を忘れ、土日を返上してブログ更新・原稿執筆……みたいな、公私混同!?趣味と仕事の境界線がなくなってしまいましたが、ものすごく充実感を味わうことができたのです。
さてそろそろ、結論めいたことを書かねばなりません。(既に書いているのですが)将来向かう道が決まっている人は、アイドル(研修医)のうちに将来役に立つであろうことを逆算してやるもよし。決まっていない人は、与えられた仕事をしっかりと、ただし無理はしないように。アイドルの世界とは違って「努力はほぼ必ず報われ」ますよ、ってことでしょうか。
さて、皆さんが思い浮かべるアイドルの皆さん、どなたでしたか?その後のキャリアもわかっている人がいいですね。私が授業?で挙げるのは以下のような方々です(敬称略)。若干?偏りがある点はご容赦ください……。
高橋みなみ
まゆゆ(渡辺麻友)
指原莉乃
柴田阿弥
平手友梨奈
白石麻衣
満島ひかり(Folder5)
仲間由紀恵(東京パフォーマンスドール)
深田恭子(HIPS)
橋本環奈
嵐
上に挙げた皆さんの具体的なキャリアについて公の場で論説することは炎上リスクを多分に孕んでおりますので、そういうことは致しません(清く正しく静かに生きておりますもので)。でも、皆さんのキャリアを辿って頂けると、なんとなく私の申したいことがお判りいただけるのではないかと思うのです。
もちろんこれらの方々の陰には圧倒的に多くの「そうなれなかった方々」がおられることにも注意が必要です(特に芸能の世界は「努力は必ず報われる」とはいかない、運に左右される面も多々あることは間違いありません)が、今回はキャリア形成のサンプル、ということで話を進めます。あ、嵐さんについては(今はグループとして活動されていませんが)総合診療医だなあ、と考えております。研修医の期間に様々なことに挑戦され、そのまま専門にとらわれずに?活動を続けておられる、という意味で。これだけはここで述べておきます。
私が医師になった30ウン年前はキャリアプランニングなんて考えは一般的ではなく、私もご多分に漏れずキャリアについて深く考えることはありませんでした。研修先や異動、留学も、教授に指示されてその通り従って参りました。決して、
長尾=やさしイイ呼吸器の人?
になろうと思ってプランニングしたわけではありません。
長尾=胸部X線写真の人??
になりたかったわけでもありません。
前編でも述べた通り、元々「お医者さん」になりたくて、臨床がやりたくて医師になった身ですから、キャリアの前半はひたすら臨床を頑張って、臨床能力を高めることに注力していたのです。それが、患者さんのため、将来の医療をよりよいものにするために頑張っていたら、様々な出会いと、「経験と居場所によって解像度が上がった」結果、「こっちに行こう」という考えが生まれて今の感じになりました。
大事なことなのでもう一度。
「経験と居場所によって解像度が上がった」んです。
おそらくアイドルの皆さんも、少なからずの医師の皆さんも、こんな過程を経てキャリアを選び取っていかれているはず。若いころにはなかった知識、考え方、成長で気づいたこと、そのすべてが血となり肉となってキャリアに生かされるのです。若いころには考えていなかった道が見えてくることもあるのです。解像度が低いうちは、忙しい日々の中で「なんでこんなことしなくちゃいけないんだ」「テキトーでいいだろ」みたいになりがちなんですが、まだ多くのことが見えていないうちに与えられた仕事をしっかりと、丁寧にこなしていくことで「見えてくる」ものがあるんじゃないかな〜と思うところです。
初期研修病院についてもいろいろご相談を受けますが、大事なことは病院そのものよりも、そこでどう働くか、だと思っています。決して「ハイパー至上」「ハイポ撲滅」と思っているわけではありませんのでご留意ください。人それぞれ向き不向きがあります。健康に影響が出るような環境はよくないです。ハイパーにやっていける人はそういう施設、ハイポがいい人はそういう施設で、ご自分なりにしっかりされるといいですね。
「ハイパー」「ハイポ」では当然経験「数」は異なりますから、成長曲線はハイパーの方が当初角度が急なんですが、所詮それは初期数年での話。長い医師人生では、その後の角度の方が圧倒的に重要です。つまり、いわゆる専門を選んでからですね。
私は初期のころは不器用だったし物分かりが悪かったので、かなり同期と比べるといろいろと劣っていたと思います。その真っただ中の時期にはやっぱり仕事が面白くなくて、休みが待ち遠しくて、どうにかして早く家に帰ろう……なんて思っていたのですが、一通り学んで出来るようになってくると、周りに頼りにされるようになってきて、やりがいが出てきて、色々なことに興味がわいてきて、頑張れるようになりました。そして教育に全集中するようになると、日中は学生さん、研修医の先生方と戯れ、夜はスライドづくりに寝食を忘れ、土日を返上してブログ更新・原稿執筆……みたいな、公私混同!?趣味と仕事の境界線がなくなってしまいましたが、ものすごく充実感を味わうことができたのです。
さてそろそろ、結論めいたことを書かねばなりません。(既に書いているのですが)将来向かう道が決まっている人は、アイドル(研修医)のうちに将来役に立つであろうことを逆算してやるもよし。決まっていない人は、与えられた仕事をしっかりと、ただし無理はしないように。アイドルの世界とは違って「努力はほぼ必ず報われ」ますよ、ってことでしょうか。
posted by 長尾大志 at 13:44
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2024年05月11日
私のキャリアとアイドルのキャリア〜アイドルとかけて研修医と説く、その心は〜(前編)
いきなり変なタイトルで恐縮です。立場柄、医学生さんにキャリアのご相談を頂くことが多く、その時に自分の経験……といっても数十年前の記憶を掘り起こしてお話をしているのですが、もちろん時代は遷れど、キャリアについてのあれこれは普遍的に通じるところもあり、参考にしていただけることもあるのかなという感触です。また色々とお話をするにつけ、個人的に感心のあるアイドルのキャリアと通底するところもあるなあ、と思うことが多々あり、その観点で話をまとめてみようかなと思いました。
まずは簡単に私の来し方を振り返ってみます。といっても、前半は普通の?臨床医として研修からの大学院、留学をさせて頂いて前任地の大学にやってきた、ここまでのところはまあそれほど特記すべきこともありませんので割愛します。ご興味のある方はそのうち学内のe-clinicで開催される海外トークセミナー?にお越しください(学内限定ですが)。学外でご興味のある方は、企画していただければフッ軽で伺います笑。
○○医大3人目の呼吸器内科スタッフと着任した私を待っておられたのは、山ほどおられた呼吸器疾患の患者さん、これまで呼吸器の教育を受ける機会のなかった医学生さん、研修医の先生方、それに地域の先生方でした。まさに「呼吸器不毛の地」という表現がピッタリの場所であることがすぐに実感され、莫大な日々の業務に忙殺されることになります。
しかしこのまま日々の業務をこなしているだけでは未来がない。今後自分がなすべきことは何か、と考えたときに、それは教育ではないかということにすぐに思い至りました。
まずは周囲の先生方に呼吸器疾患に関する知識やノウハウを知っていただいて、呼吸器疾患にも対応していただけるように。同時に学生さんや研修医の先生方に呼吸器診療の面白さを知っていただいて、1人でも多くの呼吸器内科医を育成する、それによってこれまで「適切な診療を受ける機会が得られなかった多くの呼吸器疾患患者さん」に少しでもその機会を増やすことができるようになるのではないか、と考えました。
元々臨床が大好きで、目の前の患者さんに少しでも貢献できないかと頑張ってきた自分でしたが、自分の手の及ばないところに、こんなにもたくさんの(近隣に呼吸器内科医がいないことで)困っておられる患者さんがおられるのだ、ということを知ったことで、自分がやるべきことがこの大学で教育をすることだ、と思うに至ったわけです。
そこで持っていた全リソース(主に時間)を使って、本格的に学生さんや研修医の皆さん、地域の先生方に「教える・伝える」ことを始めました。当初の数年間はフィードバックが全くなかったので、自分のやり方でいいのか答えがわからず、本当に苦しかったのですが、いろいろ質問を頂いて、それにお答えするために教科書を読んだり勉強したり……すると、いろいろつながってわかってくるんです。それがすごく面白くなって、多分初めて「面白いから勉強する」フェーズに入ってきました。やっぱり面白い(と自分が思う)話をすると、学生さんも聴いてくれるようになります。それで「呼吸器面白い」といってくれるようになりました。
思い返してみるとそもそも最初の一歩がわからないとなかなか興味もわかないし、勉強しようとか、本を読もうという気にもならない。学生〜研修医の自分がそうでした。それゆえに、そこを手助けしてほしかった、その手助けをするのが医科大学にいる教員の大事な仕事ではないかなと思うようになりました。
それでがむしゃらに頑張って創意工夫を積み重ねるわけですが、やればやるほど面白くなってきて、自分は教育に向いているのではないかという気がしたのですね。これは一つの真理ではないかと思うのですが、とことん頑張った先に、やりがい、喜び、ひいては生き甲斐が得られるのではないかということ。仮にお金があっても、とことん(喜びをもって)頑張ることのできる対象がなければ、生きがいも得られないのではなかろうか?と思う今日この頃です。
ちょっと話がそれますが、医師は「ブラック」になりにくい職業だと考えています。もちろん、過重な業務、睡眠不足、などなど、体調に影響するような、所謂ブラックといえる環境で勤めざるを得ない方々には配慮が必要かと思いますが、昨今の「働き方改革」のような行き過ぎた保護、過保護もまたやりがいを奪ってしまうのではなかろうかと思うのです。なにせ普通に「経験」をしていれば、普通は普通に医師として1人前になれるわけで、ここはなっておく方がいいでしょう。
そのうえでやりたいことが明確に決まっているなら、目標から逆算して「今やるべきこと」を全力でやるべきだし、差し当って明確な目標がなく、やりたいことがあるようなないようなケースでは、まず医師としての能力を全力で高めることに注力しておけば、その過程でやりたいこと、進むべき道は見つかるもので、プラスαの「どんな医師になる?」「どんなキャリアを歩む?」はその時考えても決して遅くはありません。
本来?の意味の「ブラック職場」は、理不尽な業務を理不尽にやらされ、やってもやってもなんの実にもならない、自身のためにならないということだと考えます。
これが例えば、
・休みの日も呼び出される⇒患者さんの「流れ」を切らすことなく体験出来る(疾患の理解に深みが)⇒上級医が不在(自分自身で判断する練習になる)
・看護師や薬剤師や技師や事務の仕事までやらされる⇒「医療」のウラまで実感出来る、他職種の立場でものを見る訓練ができる
ものは考えようで、結局臨床の世界は経験がものをいう世界という面があって、「経験」するためには、それなりの「対価」を支払う必要があるわけです。ですから一見「雑用」みたいなことをやらされる、ネガティブに見えることもやりようによっては医師としての深みに寄与する、貴重な経験になるのです。どなたかが言われていましたが、「雑にやるから雑用になる」「丁寧にやればそれは貴重な経験となる」ということです。
……………………………………………………………………
いったいいつになったらアイドルが出てくるんだ!との皆様の心の声が聴こえるような聴こえないような気もしますので、今回の本題に入って参りますが、
アイドルは研修医に似ている 説を唱えたいと思います。
どういうことか。
タイトルにもある〜アイドルとかけて研修医と説く、その心は〜
「何者でもない、ただ若いだけの時期である」ということです。
若い間はスキルなど何も持っていない。あるのは時間と体力だけ。持てるもの(資産)をどう使って財産(知識・経験・人脈・カネ??)を手に入れるか、若くなくなったときに何を手に入れているか。何も手に入っていなければ、その間は「ブラック」というべきでしょう。これを考えるのがキャリアプランニング、といえるかと思います。
で、この時期に何をするかによって、その後の芸能?人生が決まる。皆さんがご存じの、元アイドルの方々の事例を思い浮かべてみてください……(つづきは後編で)。
まずは簡単に私の来し方を振り返ってみます。といっても、前半は普通の?臨床医として研修からの大学院、留学をさせて頂いて前任地の大学にやってきた、ここまでのところはまあそれほど特記すべきこともありませんので割愛します。ご興味のある方はそのうち学内のe-clinicで開催される海外トークセミナー?にお越しください(学内限定ですが)。学外でご興味のある方は、企画していただければフッ軽で伺います笑。
○○医大3人目の呼吸器内科スタッフと着任した私を待っておられたのは、山ほどおられた呼吸器疾患の患者さん、これまで呼吸器の教育を受ける機会のなかった医学生さん、研修医の先生方、それに地域の先生方でした。まさに「呼吸器不毛の地」という表現がピッタリの場所であることがすぐに実感され、莫大な日々の業務に忙殺されることになります。
しかしこのまま日々の業務をこなしているだけでは未来がない。今後自分がなすべきことは何か、と考えたときに、それは教育ではないかということにすぐに思い至りました。
まずは周囲の先生方に呼吸器疾患に関する知識やノウハウを知っていただいて、呼吸器疾患にも対応していただけるように。同時に学生さんや研修医の先生方に呼吸器診療の面白さを知っていただいて、1人でも多くの呼吸器内科医を育成する、それによってこれまで「適切な診療を受ける機会が得られなかった多くの呼吸器疾患患者さん」に少しでもその機会を増やすことができるようになるのではないか、と考えました。
元々臨床が大好きで、目の前の患者さんに少しでも貢献できないかと頑張ってきた自分でしたが、自分の手の及ばないところに、こんなにもたくさんの(近隣に呼吸器内科医がいないことで)困っておられる患者さんがおられるのだ、ということを知ったことで、自分がやるべきことがこの大学で教育をすることだ、と思うに至ったわけです。
そこで持っていた全リソース(主に時間)を使って、本格的に学生さんや研修医の皆さん、地域の先生方に「教える・伝える」ことを始めました。当初の数年間はフィードバックが全くなかったので、自分のやり方でいいのか答えがわからず、本当に苦しかったのですが、いろいろ質問を頂いて、それにお答えするために教科書を読んだり勉強したり……すると、いろいろつながってわかってくるんです。それがすごく面白くなって、多分初めて「面白いから勉強する」フェーズに入ってきました。やっぱり面白い(と自分が思う)話をすると、学生さんも聴いてくれるようになります。それで「呼吸器面白い」といってくれるようになりました。
思い返してみるとそもそも最初の一歩がわからないとなかなか興味もわかないし、勉強しようとか、本を読もうという気にもならない。学生〜研修医の自分がそうでした。それゆえに、そこを手助けしてほしかった、その手助けをするのが医科大学にいる教員の大事な仕事ではないかなと思うようになりました。
それでがむしゃらに頑張って創意工夫を積み重ねるわけですが、やればやるほど面白くなってきて、自分は教育に向いているのではないかという気がしたのですね。これは一つの真理ではないかと思うのですが、とことん頑張った先に、やりがい、喜び、ひいては生き甲斐が得られるのではないかということ。仮にお金があっても、とことん(喜びをもって)頑張ることのできる対象がなければ、生きがいも得られないのではなかろうか?と思う今日この頃です。
ちょっと話がそれますが、医師は「ブラック」になりにくい職業だと考えています。もちろん、過重な業務、睡眠不足、などなど、体調に影響するような、所謂ブラックといえる環境で勤めざるを得ない方々には配慮が必要かと思いますが、昨今の「働き方改革」のような行き過ぎた保護、過保護もまたやりがいを奪ってしまうのではなかろうかと思うのです。なにせ普通に「経験」をしていれば、普通は普通に医師として1人前になれるわけで、ここはなっておく方がいいでしょう。
そのうえでやりたいことが明確に決まっているなら、目標から逆算して「今やるべきこと」を全力でやるべきだし、差し当って明確な目標がなく、やりたいことがあるようなないようなケースでは、まず医師としての能力を全力で高めることに注力しておけば、その過程でやりたいこと、進むべき道は見つかるもので、プラスαの「どんな医師になる?」「どんなキャリアを歩む?」はその時考えても決して遅くはありません。
本来?の意味の「ブラック職場」は、理不尽な業務を理不尽にやらされ、やってもやってもなんの実にもならない、自身のためにならないということだと考えます。
これが例えば、
・休みの日も呼び出される⇒患者さんの「流れ」を切らすことなく体験出来る(疾患の理解に深みが)⇒上級医が不在(自分自身で判断する練習になる)
・看護師や薬剤師や技師や事務の仕事までやらされる⇒「医療」のウラまで実感出来る、他職種の立場でものを見る訓練ができる
ものは考えようで、結局臨床の世界は経験がものをいう世界という面があって、「経験」するためには、それなりの「対価」を支払う必要があるわけです。ですから一見「雑用」みたいなことをやらされる、ネガティブに見えることもやりようによっては医師としての深みに寄与する、貴重な経験になるのです。どなたかが言われていましたが、「雑にやるから雑用になる」「丁寧にやればそれは貴重な経験となる」ということです。
……………………………………………………………………
いったいいつになったらアイドルが出てくるんだ!との皆様の心の声が聴こえるような聴こえないような気もしますので、今回の本題に入って参りますが、
アイドルは研修医に似ている 説を唱えたいと思います。
どういうことか。
タイトルにもある〜アイドルとかけて研修医と説く、その心は〜
「何者でもない、ただ若いだけの時期である」ということです。
若い間はスキルなど何も持っていない。あるのは時間と体力だけ。持てるもの(資産)をどう使って財産(知識・経験・人脈・カネ??)を手に入れるか、若くなくなったときに何を手に入れているか。何も手に入っていなければ、その間は「ブラック」というべきでしょう。これを考えるのがキャリアプランニング、といえるかと思います。
で、この時期に何をするかによって、その後の芸能?人生が決まる。皆さんがご存じの、元アイドルの方々の事例を思い浮かべてみてください……(つづきは後編で)。
posted by 長尾大志 at 10:23
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2024年04月03日
地域医療に必要な「慮る力」を涵養するには「恋愛」すべし!
昨日執り行われました「地域枠新入生説明会・交流会」にてお話ししたことなんですが、地域医療にかかわるうえで「慮る力」というのは必要不可欠なものです。
そこで、その昔(1987年)私が大学に入学した当時の解剖学の教授が、新入生の挨拶の時に述べられたお話だったかと思いますが、すっかり忘れていたのですが最近思い出したことがあって、昨日はその話をさせてもらいました。
当時はおそらくウチの大学では研究とかが盛んで、あまり患者さんの気持ちを慮る医師が少なかった、ということがあったのかもしれませんが、それでそういう話をされたかと思います。
このたびの地域枠の学生さん、つまり今後地域医療というものに向き合っていただきたい学生さんに対して、だからこそ申し上げる必要があるなあと思って申し上げた次第です。もちろん地域枠、地域医療に限ったことではなく、医療にかかわるすべての方にとって大事なことですけれども、特に地域枠、地域医療の現場で大事なのは、患者さんの気持ちを理解する、少なくとも理解しようとする姿勢ではないか、と考えるところです。
患者さんだけではなく、患者さんのご家族、あるいは一般の市民の方、そしてもちろん同僚、ともに働く同僚や他職種の皆さんの気持ちを分かろうとすることなく医療を進めていく、ということは正直あまり現実的ではないでしょう。
ところが、現役あるいは一浪二浪あたりで入学してきたような年代の地域枠の皆さんに、言っちゃあなんですが他人の考えを慮るということは期待できないと思います。そこでこの貴重なこれからの6年間(ないしそれ以上……)の間に他人の気持ちを思うばかり訓練をしていただく必要があり、そのための劇薬?とも言えますが 特効薬として「恋愛」という経験があるわけです。
これは決していやらしい意味ではなく、恋愛している時は嫌でも相手の気持ちを慮るじゃないですか。相手が何を考えているのか?ということで一日中頭がいっぱいになったりすることもあるのではないでしょうか。というか、そういう恋愛でないと意味がない。体の関係だけ、とか、そんなのは恋愛とは言わない。そういうきちんとした恋愛の過程を経ることで相手の気持ちを推し量る、少しでもそういう訓練をしておく必要があるのではないかと思います。
もちろん10人も20人もそういう経験ができる人は稀ですし、そんな雑な恋愛にもそれほど意味はないと思いますが、1人でも2人でもいいので、相手の気持ちをとことん考える、相手のちょっとした言動や態度・姿勢などから相手が何を考えているかを推し量る、という訓練をしておくことは、臨床現場に立つ時にきっと役立つだろうと思います。
昨日の会ではここまで申し上げて、私の隣におられたS先生はそういう意味で「地域医療及び恋愛の達人」であらせられるのですが、それに対して言及することをちょっと忘れてしまっていましたので、ここで申し添えておきたいと思います……。
もっというと、他人の人生・気持ちを推し量るには他人の人生・バックグラウンドを少しでも理解しておく、解像度を上げておく必要があり、そのための訓練として読書、小説などをたくさん読むことが有用であると考えます。やはり知らないことに関して考えが及ばないのは自明のことでありますし、多くの事例を知っておくということは重要なのですが、他人の人生を知る、などということはそんなにたやすくできることではありません。しかしながら物語・小説などを読むことで他人の人生の追体験ができるわけで、これも大切な体験かと考えるところです。
そこで、その昔(1987年)私が大学に入学した当時の解剖学の教授が、新入生の挨拶の時に述べられたお話だったかと思いますが、すっかり忘れていたのですが最近思い出したことがあって、昨日はその話をさせてもらいました。
当時はおそらくウチの大学では研究とかが盛んで、あまり患者さんの気持ちを慮る医師が少なかった、ということがあったのかもしれませんが、それでそういう話をされたかと思います。
このたびの地域枠の学生さん、つまり今後地域医療というものに向き合っていただきたい学生さんに対して、だからこそ申し上げる必要があるなあと思って申し上げた次第です。もちろん地域枠、地域医療に限ったことではなく、医療にかかわるすべての方にとって大事なことですけれども、特に地域枠、地域医療の現場で大事なのは、患者さんの気持ちを理解する、少なくとも理解しようとする姿勢ではないか、と考えるところです。
患者さんだけではなく、患者さんのご家族、あるいは一般の市民の方、そしてもちろん同僚、ともに働く同僚や他職種の皆さんの気持ちを分かろうとすることなく医療を進めていく、ということは正直あまり現実的ではないでしょう。
ところが、現役あるいは一浪二浪あたりで入学してきたような年代の地域枠の皆さんに、言っちゃあなんですが他人の考えを慮るということは期待できないと思います。そこでこの貴重なこれからの6年間(ないしそれ以上……)の間に他人の気持ちを思うばかり訓練をしていただく必要があり、そのための劇薬?とも言えますが 特効薬として「恋愛」という経験があるわけです。
これは決していやらしい意味ではなく、恋愛している時は嫌でも相手の気持ちを慮るじゃないですか。相手が何を考えているのか?ということで一日中頭がいっぱいになったりすることもあるのではないでしょうか。というか、そういう恋愛でないと意味がない。体の関係だけ、とか、そんなのは恋愛とは言わない。そういうきちんとした恋愛の過程を経ることで相手の気持ちを推し量る、少しでもそういう訓練をしておく必要があるのではないかと思います。
もちろん10人も20人もそういう経験ができる人は稀ですし、そんな雑な恋愛にもそれほど意味はないと思いますが、1人でも2人でもいいので、相手の気持ちをとことん考える、相手のちょっとした言動や態度・姿勢などから相手が何を考えているかを推し量る、という訓練をしておくことは、臨床現場に立つ時にきっと役立つだろうと思います。
昨日の会ではここまで申し上げて、私の隣におられたS先生はそういう意味で「地域医療及び恋愛の達人」であらせられるのですが、それに対して言及することをちょっと忘れてしまっていましたので、ここで申し添えておきたいと思います……。
もっというと、他人の人生・気持ちを推し量るには他人の人生・バックグラウンドを少しでも理解しておく、解像度を上げておく必要があり、そのための訓練として読書、小説などをたくさん読むことが有用であると考えます。やはり知らないことに関して考えが及ばないのは自明のことでありますし、多くの事例を知っておくということは重要なのですが、他人の人生を知る、などということはそんなにたやすくできることではありません。しかしながら物語・小説などを読むことで他人の人生の追体験ができるわけで、これも大切な体験かと考えるところです。
posted by 長尾大志 at 11:49
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| 教育理念・メッセージ
2023年11月01日
島根大学医学部 地域医療教育学講座のHP、グランドオープンです
少し前に出来上がってはいたのですが、ようやく魂が入ったといいますか、コンテンツが揃いつつあります(まだこれからの部分はあるものの)。島根大学医学部 地域医療教育学講座の公式HPになります。
https://www.shimane-u-education.jp/
教育内容の紹介、は各講座がなさっているので、こちらのコンテンツとしては学生さんのアンケートや発表動画といったものが主体になります。講義動画もちょいちょい追加していけたらと考えておりますので、よろしければちょいちょいのぞいてみてください。
https://www.shimane-u-education.jp/
教育内容の紹介、は各講座がなさっているので、こちらのコンテンツとしては学生さんのアンケートや発表動画といったものが主体になります。講義動画もちょいちょい追加していけたらと考えておりますので、よろしければちょいちょいのぞいてみてください。
posted by 長尾大志 at 17:35
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| 教育理念・メッセージ
2023年04月19日
対面vsリモート
昨日は毎週恒例の「胸部X線写真読影道場『肺の孔』#113〜新入生/進級生/それ以外の人も歓迎企画」でした。
島根着任後ほどなくして、学生有志の方主導で始まったこの勉強会ですが、ほぼ毎週開催で第113回、回を重ねてきております〜。
そして、昨日の会は、113回目にして、なんと……
初の対面開催となりました〜〜パチパチパチパチ〜

私としても久しぶりの生講義で、ちょっと緊張?興奮?しておりましたが、やはり生はいい!やはりちょっとした学生さんのリアクションを感じながらお話しすると、どんどんノっていくんですよね。
コロナ禍のときにさんざん議論されてきた対面vsリモート談義ですが、おそらく学生さんにとっては、後から見られる・繰り返し可能・倍速視聴も、などの理由から、収録/リモート>対面、という話になっていたことが多い印象ですが、教員、特にアクティブにやる、オモローな話をする側にとっては対面>>>リモートであると考えます。
で、実は、今回参加してくれた皆さんの感想を拝見すると……
(引用ここから)
・楽しかったです、やはり対面の方がいいです
・とても楽しかったです。勉強になりました。スイ活紹介も楽しかったです︎
・予備校の講義のようでとても楽しかったです!読影はまだまだ初心者なので、これからの授業を楽しみにしています。p.s.ルノワールのシュークリームとカクレ菓子のタルト、私も大好きです。
・生でやるのも良いですが、点数制度はできるので家で受けれる気楽さも楽です。楽しかったですありがとうございました!
・胸部X線は勉強したことがあまりなかったのですが、とても楽しい講義で興味が湧きました!
・初めて参加しました。レントゲンを見たことがなかったですが楽しく聞くことが出来て良かったです。また参加したいです。
・間違い探しが楽しかったです。
・低学年なのでわからないことが多かったのですが、先輩方がサッと回答しているところを見てしっかり学んで先輩方の様に回答できる様になりたいなぁと感じました!先生のオススメスイーツ、見逃した部分もあるので資料を見逃し配信して欲しいです
(引用ここまで)
なんと!多くの人が「対面」を支持するという結果に。
まあ、お笑いも動画で見るよりライブの方がいいとか、そういう感覚ですかねえ……。
島根着任後ほどなくして、学生有志の方主導で始まったこの勉強会ですが、ほぼ毎週開催で第113回、回を重ねてきております〜。
そして、昨日の会は、113回目にして、なんと……
初の対面開催となりました〜〜パチパチパチパチ〜

私としても久しぶりの生講義で、ちょっと緊張?興奮?しておりましたが、やはり生はいい!やはりちょっとした学生さんのリアクションを感じながらお話しすると、どんどんノっていくんですよね。
コロナ禍のときにさんざん議論されてきた対面vsリモート談義ですが、おそらく学生さんにとっては、後から見られる・繰り返し可能・倍速視聴も、などの理由から、収録/リモート>対面、という話になっていたことが多い印象ですが、教員、特にアクティブにやる、オモローな話をする側にとっては対面>>>リモートであると考えます。
で、実は、今回参加してくれた皆さんの感想を拝見すると……
(引用ここから)
・楽しかったです、やはり対面の方がいいです

・とても楽しかったです。勉強になりました。スイ活紹介も楽しかったです︎
・予備校の講義のようでとても楽しかったです!読影はまだまだ初心者なので、これからの授業を楽しみにしています。p.s.ルノワールのシュークリームとカクレ菓子のタルト、私も大好きです。
・生でやるのも良いですが、点数制度はできるので家で受けれる気楽さも楽です。楽しかったですありがとうございました!
・胸部X線は勉強したことがあまりなかったのですが、とても楽しい講義で興味が湧きました!
・初めて参加しました。レントゲンを見たことがなかったですが楽しく聞くことが出来て良かったです。また参加したいです。
・間違い探しが楽しかったです。
・低学年なのでわからないことが多かったのですが、先輩方がサッと回答しているところを見てしっかり学んで先輩方の様に回答できる様になりたいなぁと感じました!先生のオススメスイーツ、見逃した部分もあるので資料を見逃し配信して欲しいです

(引用ここまで)
なんと!多くの人が「対面」を支持するという結果に。
まあ、お笑いも動画で見るよりライブの方がいいとか、そういう感覚ですかねえ……。
posted by 長尾大志 at 14:41
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| 教育理念・メッセージ
2023年03月16日
2022年度卒業生謝恩会BOOKインタビュー・オタクは仲間を増やしたいEラスト・伝えたいこと
(Dからの続き)
と:今日お伺いした話では、長尾先生にとって苦しかった時にもらえたポジティブなフィードバックが大事だったからこそ、その役割を今度は自分がやりたいっていう部分が一番印象的でした。
な:そうですね〜。前職ではまずアンケートをフィードバックしようと思って、それを提案したり実行したりしてたんですけど、僕自身も自分のやりたいことの繋がりに最近気づきました。
と:長尾先生は授業アンケートやフィードバックを重視してるなとは思っていたのですが、今日はそこが本当に腑に落ちました。
な:たぶんね、それ自分でも言語化できてなかったんですよ。ぼんやりとしかわかってなくて。だから最近ようやく気づきました。キーワードとしては選択と集中っていうことですかね。逆に言うとそもそも僕なんてね、なんの取り柄もなくて。
と:はい。あ、「はい」って頷いちゃいました笑
な:笑、そんな頭も良くないし、本もあまり読まず勉強しなかったような者がなんで本を書いて有名にしてもらえたかというと、それはもうひたすら集中したからだと思います。本当におかげさまなんですよ。教育に全集中できる環境をもらえて本当に有難かった。だから同時に、みんなそれぞれ全集中したいポイントが違うから、誰もが同じように教育だけをできないということはわかる。勿論「アンタだからそうできたんやろ」って言われたら確かに一理あるかもしれないけれど、今まで教育に集中してこれだけやってきたから分かったコツがあります。「こうすればきっと学生さんがこっち向いてくれますよ」とか「ここウケるよ」とか、そういった少しの工夫を伝えられたらいいなって。せっかく皆さんがそれぞれの得意分野で頑張っておられることがあるから、その手助けをしたいんです。
と:全集中の手助けをしたい、と。_φ(・_・フムフム
な:そうです、きっと皆さんそれぞれ自分の分野はオタクみたいなもんですから。オタクが一番パワーを発揮するときは全集中できている時でしょう。だから、自分のやりたいことに全集中できる環境がある上で、教育に関わるときにはそれに集中できる状況でやってほしいです。全員が教育だけに多くのエフォートは割けませんから、そこは教育オタクを活用して楽をしてもいいと思うんです。例えば、「オンライン授業の準備が必要なら動画作るのは手伝いますよ」「アクティブラーニングをしたいけれど、どんな工夫がいいだろうか」とか。余裕もなくて上手くいかないまま、教育が嫌いになるのは勿体ない。皆さん、本当にいいものを持っているから。「ここのワンポイントでひょっとしたら変わるかも」みたいな、そういうヒントはなんぼでもあります。それを共有していけると学生さんと仲良くなるんちゃうかなと思うんですよね。この島根大学医学部のなかで、そういったことに自分の存在を使ってもらえたら、僕はすごくwin-winです。せっかく頑張っていてもネガティブになってしまっているところで、ポジティブなフィードバックや工夫のコツを伝えられると、いい方向に回り出すような気もするんですね。
と:ありがとうございます。先生、この記事のタイトル決まりました。『オタクは仲間を増やしたい』です。
な:おー。たしかに僕はやっぱり仲間を増やしたいんですよね。僕自身が面白いと感じている教育を、面白いと思ってくれる仲間を増やせたら嬉しい。なので、それを今後もやっていきたいかなって思うところはありますよ。 いや、僕今日はええ話しましたね(笑)
と:ありがとうございました!長尾先生の根っこの部分が聞けてすごく良かったです。
な:今日は今まであんまり言語化できてなかったことがいろいろ話せましたね。やっぱり一緒に話をするのはいいですね。
と:本当ですね^^
(終わり)
と:今日お伺いした話では、長尾先生にとって苦しかった時にもらえたポジティブなフィードバックが大事だったからこそ、その役割を今度は自分がやりたいっていう部分が一番印象的でした。
な:そうですね〜。前職ではまずアンケートをフィードバックしようと思って、それを提案したり実行したりしてたんですけど、僕自身も自分のやりたいことの繋がりに最近気づきました。
と:長尾先生は授業アンケートやフィードバックを重視してるなとは思っていたのですが、今日はそこが本当に腑に落ちました。
な:たぶんね、それ自分でも言語化できてなかったんですよ。ぼんやりとしかわかってなくて。だから最近ようやく気づきました。キーワードとしては選択と集中っていうことですかね。逆に言うとそもそも僕なんてね、なんの取り柄もなくて。
と:はい。あ、「はい」って頷いちゃいました笑
な:笑、そんな頭も良くないし、本もあまり読まず勉強しなかったような者がなんで本を書いて有名にしてもらえたかというと、それはもうひたすら集中したからだと思います。本当におかげさまなんですよ。教育に全集中できる環境をもらえて本当に有難かった。だから同時に、みんなそれぞれ全集中したいポイントが違うから、誰もが同じように教育だけをできないということはわかる。勿論「アンタだからそうできたんやろ」って言われたら確かに一理あるかもしれないけれど、今まで教育に集中してこれだけやってきたから分かったコツがあります。「こうすればきっと学生さんがこっち向いてくれますよ」とか「ここウケるよ」とか、そういった少しの工夫を伝えられたらいいなって。せっかく皆さんがそれぞれの得意分野で頑張っておられることがあるから、その手助けをしたいんです。
と:全集中の手助けをしたい、と。_φ(・_・フムフム
な:そうです、きっと皆さんそれぞれ自分の分野はオタクみたいなもんですから。オタクが一番パワーを発揮するときは全集中できている時でしょう。だから、自分のやりたいことに全集中できる環境がある上で、教育に関わるときにはそれに集中できる状況でやってほしいです。全員が教育だけに多くのエフォートは割けませんから、そこは教育オタクを活用して楽をしてもいいと思うんです。例えば、「オンライン授業の準備が必要なら動画作るのは手伝いますよ」「アクティブラーニングをしたいけれど、どんな工夫がいいだろうか」とか。余裕もなくて上手くいかないまま、教育が嫌いになるのは勿体ない。皆さん、本当にいいものを持っているから。「ここのワンポイントでひょっとしたら変わるかも」みたいな、そういうヒントはなんぼでもあります。それを共有していけると学生さんと仲良くなるんちゃうかなと思うんですよね。この島根大学医学部のなかで、そういったことに自分の存在を使ってもらえたら、僕はすごくwin-winです。せっかく頑張っていてもネガティブになってしまっているところで、ポジティブなフィードバックや工夫のコツを伝えられると、いい方向に回り出すような気もするんですね。
と:ありがとうございます。先生、この記事のタイトル決まりました。『オタクは仲間を増やしたい』です。
な:おー。たしかに僕はやっぱり仲間を増やしたいんですよね。僕自身が面白いと感じている教育を、面白いと思ってくれる仲間を増やせたら嬉しい。なので、それを今後もやっていきたいかなって思うところはありますよ。 いや、僕今日はええ話しましたね(笑)
と:ありがとうございました!長尾先生の根っこの部分が聞けてすごく良かったです。
な:今日は今まであんまり言語化できてなかったことがいろいろ話せましたね。やっぱり一緒に話をするのはいいですね。
と:本当ですね^^
(終わり)
posted by 長尾大志 at 23:20
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| 教育理念・メッセージ
2022年度卒業生謝恩会BOOKインタビュー・オタクは仲間を増やしたいD推しへの愛を存分に
(Cからの続き)
な:とりあえず僕は、自分が教育に関わって培ってきたテクニック的なところは全部開示してます。あと大事なのはもう一つ、さっき出てきたマインドの部分ですよね。やっぱり先生方には自分の専門に愛を持って欲しいです。 自分の専門の面白さをどうやってできるだけ多くの人にわかってもらえるか。この感動を分かち合えるか?というね。他から評判が良くなくても、自分は「これは絶対面白いはずなんだ」って思える愛がまず大事です。
と:自分だけが推してても、周りのリアクション悪かったら凹みませんか?
な:評判ということに関して言うと、伝え方とかスキル面の工夫もあります。確かにスベるのは怖いですし、リアクションがなかったら物凄く寂しい気持ちになるので。今ならそういうのはできるだけ動画授業にして、知らぬ間に見て勉強してもらうのも手ですかね。まあほんとのことを言うと、別に授業を聞かなくてもいいんですよ。 変な話ね。 おさえるべき内容が理解できるなら、それでいいんです。まあ全部自分で勉強するのは大変だし、大学としても最低限のアウトカムは保証はしないといけないから、まったく授業せずっていうのはできないんですけど。でも必ずしも授業で勉強しなくたって、最低限のやるべきことが達成できるなら、それが本来の目的です。
と:長尾先生は良い授業のために沢山時間をかけているけれど、それでも自分の授業を聞かなくても良い、と?
な:そうです。僕の授業を必ず聞いて、この教科書を読まないと学習目標が達成できない、そんなことは全然ないわけですね。今はもういろんな教材があって、やり方は何だっていいんです。そうしたら、例えば映像授業にしたおかげで空いた時間をプラスαの部分に活用できるでしょう。グループワークやら確認の小テストでもいいんですよ。小テストをやってみんなで答え合わせのやり取りをしたりね。まあ教員としての義務があるわけですから何も授業しないという訳にはいきません。ただ、どちらかというと、道具を使ってできるところは節約して、テスト問題をつくるのに時間を費やして欲しいですね。テスト問題の質を良くすると絶対勉強します。
と:私が今まで受講した中でも、○○という授業でそういう仕組みがありました。勉強するのがかなり大変でしたけど、本当に身になりました。
な:そうでしょう。過去問の丸暗記では解けない、本質的に良いテスト問題を作ったら勉強せざるを得ない。良質なテスト問題が示すレベルに到達するために、みんな自分で工夫して勉強するんですよ。でもまあ実際は嫌々テスト問題を作っているケースが多いと思います。これはいわゆる理想ですよ。ですが、まずは動画でもテキストでもいいから何かしらの基本的な理解を助けるコンテンツを使って省力化する方向性は大事です。せっかくコロナでリモートになったのに、これまでのやり方でオンラインより対面のほうが良いと決めつけてしまうのは勿体ない。コンテンツが活用できるのであれば、もうそのまま置いときゃいいのにと思う。なんで対面に戻すねん(笑)。
と:しかも対面授業自体がコロナ以前に比べて格段に良いかと言われたらそういう訳でもない…
な:正直ですね(笑)
と:すみません^^;でも、コアカリキュラムに入っている内容を授業で網羅してもらっているというのは分かるのですが、一気に聞いても全部頭に入らなくて…。結局やることが多すぎて何が何だか分からないまま、ザザーッと過ぎ去ってしまいました。きっと後から大事だと気づいて後悔するし、絶対授業でもやってるはずなんですけど…
な:だから逆に言うとコンテンツがあるといい、いつでも見ることができる。
後で見ようと思って「あれ?これなんのことやったっけ」って思ったら、「あ、このことか」ってアクセスがいつでも出来るじゃないですか。これがコンテンツの強み。一回きりの授業やったら、もう講義室で言ったことはすぐに消えてしまうでしょう。
と:一回の授業だけで全部覚えるのは無理ですね…。もちろん授業だけでなくて、自主学習が大事なのは重々承知なのですが、授業コマや課題などやることが多すぎて時間も足りずキャパオーバーでした。
な:そうなんですよ。だからライブ授業の時はやっぱりそっち方面に舵を切って、とにかくおもろい!で行くんだけど、コンテンツは別にそうする必要もないんですよ。必要があったら後で見たらいいし、で実はそういうことだったのかっていうことが後で理解してわかるかもしれないからね。 上手く取り入れれば、コンテンツ作りはいいことずくめなんですよ。
と:確かに、コンテンツ作りを楽しめればですね。
な:そこはちょっと人によってハードルが高いといわれる側面はおそらくありますね。大学教員は臨床もやらなあかんし教育も研究もやらなあかんですが、それぞれ得意不得意もあります。僕は研究苦手なんですよ(笑)
と:え、そうなんですか笑
な:これはもうね、いろいろなお考えはあると思うけれど、僕はやっぱり適材適所がいいと思います。何でもかんでも全員に全部やれっていうよりも、「こいつオモロいから教育やらせてみるか」とか、それぞれの先生の特性に合わせてみてもいいんじゃないかな。
と:バランスの取れた人材が求められがちなんですかね。
な:教育する人ばっかりになって他が疎かになりすぎてしまうと、それはそれで大学として困ることも出てくるので、理想通りにいかないっていうのはわかるんですけど。でも、やっぱり得意なことや好きなことをやってた方が人間はイキイキするんだろうなーっていうのは思うんですよね。
と:キャリアと言う意味では、やっぱり教育への貢献よりも臨床と研究が優先されがちなのですか?
な:キャリアの話で言うと教育ってすごく無駄で、教育を一生懸命やっても評価は上がらないのが大学の大きな矛盾ですよね。結局教育に時間を割くためには、先生方がボランティアで自分の時間を使ってるわけです。
と:学生からしたら、先生が忙しいなかでも時間をとってもらえるのは有難いですね。直接教わるのはすごく勉強になります。
な:教育の難しさはキャリアの大した足しにならないところと、もう一つはアウトカムが現在進行形で見えないところですね。今やってる教育が一体何のためになってるのかすぐには分からない。僕自身はその部分においてポジティブなフィードバックをもらえたから乗り越えられたんですけど、それがなかったら辛いというのはすごく分かります。なので、自分が教えたことで学生さんの表情がちょっとでも変わるとかね、興味が向くとか、そういう手応えのある体験をして欲しいんですね。
と:学ぶ側としても本人が大切さに気づけない難しさがありますね。やってる時は「これ、何の役に立つんだろう」って思っていても、後から振り返って気づかされて有難く思ったり。
な:教育って、学ぶべき時に「今、これを学ぶべきや」ってわからへんのですよね。あとで効いてくることも多いし。何十年も経ってから、指導医の先生が言っていたことの意味が痛感される、とかもあるでしょうし。だからこそ与える側の力量が要求される。それは間違いないです。啐啄同時という言葉があって、ニワトリの卵は親鳥が外側からツンツンするのと、ひなが内側からツンツンするタイミングが合わないと割れないんですよ。ニワトリの卵だけじゃなくて、例えはなんでもいいんですけど、要するにレセプターが受け入れ準備をしているときに「ふりかけ」ないとつかない。どれだけいいものを「ふりかけ」てもです。でも、そのレセプターが開く瞬間というのは必ずあって、その時に「ふりかけ」ないといけないっていう難しさはあります。
(Eへ続く)
な:とりあえず僕は、自分が教育に関わって培ってきたテクニック的なところは全部開示してます。あと大事なのはもう一つ、さっき出てきたマインドの部分ですよね。やっぱり先生方には自分の専門に愛を持って欲しいです。 自分の専門の面白さをどうやってできるだけ多くの人にわかってもらえるか。この感動を分かち合えるか?というね。他から評判が良くなくても、自分は「これは絶対面白いはずなんだ」って思える愛がまず大事です。
と:自分だけが推してても、周りのリアクション悪かったら凹みませんか?
な:評判ということに関して言うと、伝え方とかスキル面の工夫もあります。確かにスベるのは怖いですし、リアクションがなかったら物凄く寂しい気持ちになるので。今ならそういうのはできるだけ動画授業にして、知らぬ間に見て勉強してもらうのも手ですかね。まあほんとのことを言うと、別に授業を聞かなくてもいいんですよ。 変な話ね。 おさえるべき内容が理解できるなら、それでいいんです。まあ全部自分で勉強するのは大変だし、大学としても最低限のアウトカムは保証はしないといけないから、まったく授業せずっていうのはできないんですけど。でも必ずしも授業で勉強しなくたって、最低限のやるべきことが達成できるなら、それが本来の目的です。
と:長尾先生は良い授業のために沢山時間をかけているけれど、それでも自分の授業を聞かなくても良い、と?
な:そうです。僕の授業を必ず聞いて、この教科書を読まないと学習目標が達成できない、そんなことは全然ないわけですね。今はもういろんな教材があって、やり方は何だっていいんです。そうしたら、例えば映像授業にしたおかげで空いた時間をプラスαの部分に活用できるでしょう。グループワークやら確認の小テストでもいいんですよ。小テストをやってみんなで答え合わせのやり取りをしたりね。まあ教員としての義務があるわけですから何も授業しないという訳にはいきません。ただ、どちらかというと、道具を使ってできるところは節約して、テスト問題をつくるのに時間を費やして欲しいですね。テスト問題の質を良くすると絶対勉強します。
と:私が今まで受講した中でも、○○という授業でそういう仕組みがありました。勉強するのがかなり大変でしたけど、本当に身になりました。
な:そうでしょう。過去問の丸暗記では解けない、本質的に良いテスト問題を作ったら勉強せざるを得ない。良質なテスト問題が示すレベルに到達するために、みんな自分で工夫して勉強するんですよ。でもまあ実際は嫌々テスト問題を作っているケースが多いと思います。これはいわゆる理想ですよ。ですが、まずは動画でもテキストでもいいから何かしらの基本的な理解を助けるコンテンツを使って省力化する方向性は大事です。せっかくコロナでリモートになったのに、これまでのやり方でオンラインより対面のほうが良いと決めつけてしまうのは勿体ない。コンテンツが活用できるのであれば、もうそのまま置いときゃいいのにと思う。なんで対面に戻すねん(笑)。
と:しかも対面授業自体がコロナ以前に比べて格段に良いかと言われたらそういう訳でもない…
な:正直ですね(笑)
と:すみません^^;でも、コアカリキュラムに入っている内容を授業で網羅してもらっているというのは分かるのですが、一気に聞いても全部頭に入らなくて…。結局やることが多すぎて何が何だか分からないまま、ザザーッと過ぎ去ってしまいました。きっと後から大事だと気づいて後悔するし、絶対授業でもやってるはずなんですけど…
な:だから逆に言うとコンテンツがあるといい、いつでも見ることができる。
後で見ようと思って「あれ?これなんのことやったっけ」って思ったら、「あ、このことか」ってアクセスがいつでも出来るじゃないですか。これがコンテンツの強み。一回きりの授業やったら、もう講義室で言ったことはすぐに消えてしまうでしょう。
と:一回の授業だけで全部覚えるのは無理ですね…。もちろん授業だけでなくて、自主学習が大事なのは重々承知なのですが、授業コマや課題などやることが多すぎて時間も足りずキャパオーバーでした。
な:そうなんですよ。だからライブ授業の時はやっぱりそっち方面に舵を切って、とにかくおもろい!で行くんだけど、コンテンツは別にそうする必要もないんですよ。必要があったら後で見たらいいし、で実はそういうことだったのかっていうことが後で理解してわかるかもしれないからね。 上手く取り入れれば、コンテンツ作りはいいことずくめなんですよ。
と:確かに、コンテンツ作りを楽しめればですね。
な:そこはちょっと人によってハードルが高いといわれる側面はおそらくありますね。大学教員は臨床もやらなあかんし教育も研究もやらなあかんですが、それぞれ得意不得意もあります。僕は研究苦手なんですよ(笑)
と:え、そうなんですか笑
な:これはもうね、いろいろなお考えはあると思うけれど、僕はやっぱり適材適所がいいと思います。何でもかんでも全員に全部やれっていうよりも、「こいつオモロいから教育やらせてみるか」とか、それぞれの先生の特性に合わせてみてもいいんじゃないかな。
と:バランスの取れた人材が求められがちなんですかね。
な:教育する人ばっかりになって他が疎かになりすぎてしまうと、それはそれで大学として困ることも出てくるので、理想通りにいかないっていうのはわかるんですけど。でも、やっぱり得意なことや好きなことをやってた方が人間はイキイキするんだろうなーっていうのは思うんですよね。
と:キャリアと言う意味では、やっぱり教育への貢献よりも臨床と研究が優先されがちなのですか?
な:キャリアの話で言うと教育ってすごく無駄で、教育を一生懸命やっても評価は上がらないのが大学の大きな矛盾ですよね。結局教育に時間を割くためには、先生方がボランティアで自分の時間を使ってるわけです。
と:学生からしたら、先生が忙しいなかでも時間をとってもらえるのは有難いですね。直接教わるのはすごく勉強になります。
な:教育の難しさはキャリアの大した足しにならないところと、もう一つはアウトカムが現在進行形で見えないところですね。今やってる教育が一体何のためになってるのかすぐには分からない。僕自身はその部分においてポジティブなフィードバックをもらえたから乗り越えられたんですけど、それがなかったら辛いというのはすごく分かります。なので、自分が教えたことで学生さんの表情がちょっとでも変わるとかね、興味が向くとか、そういう手応えのある体験をして欲しいんですね。
と:学ぶ側としても本人が大切さに気づけない難しさがありますね。やってる時は「これ、何の役に立つんだろう」って思っていても、後から振り返って気づかされて有難く思ったり。
な:教育って、学ぶべき時に「今、これを学ぶべきや」ってわからへんのですよね。あとで効いてくることも多いし。何十年も経ってから、指導医の先生が言っていたことの意味が痛感される、とかもあるでしょうし。だからこそ与える側の力量が要求される。それは間違いないです。啐啄同時という言葉があって、ニワトリの卵は親鳥が外側からツンツンするのと、ひなが内側からツンツンするタイミングが合わないと割れないんですよ。ニワトリの卵だけじゃなくて、例えはなんでもいいんですけど、要するにレセプターが受け入れ準備をしているときに「ふりかけ」ないとつかない。どれだけいいものを「ふりかけ」てもです。でも、そのレセプターが開く瞬間というのは必ずあって、その時に「ふりかけ」ないといけないっていう難しさはあります。
(Eへ続く)
posted by 長尾大志 at 19:31
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| 教育理念・メッセージ
2022年度卒業生謝恩会BOOKインタビュー・オタクは仲間を増やしたいC教育のハードルを下げたい
(Bからの続き)
な:教育への苦手意識を和らげるためにも、教員は教え方を学ぶ必要があるとは思います。大学教員は教育学を学ばずに教壇に立つわけですからね。それこそ各診療科の実働部隊の人たちに授業の作り方教室みたいなのやってもいいんですよ。
と:先生方であってもパワポや動画作りが苦手とか、そもそも自分が担当するレクチャーに自信がないとか、そういうハードルもやっぱりあるんですかね。
な:尋ねてみないとわかりませんけど、多少はあるんじゃないでしょうか。だから僕みたいなのが逐一「いいですね!
」とコメントしてみたりとかどうでしょう。僕も褒められて育ったから。 学生さんもそうなんだけど、教員のきめ細かい教育も絶対必要なんですよ。
と:長尾先生に褒められたら自信持てるかもですね^^
な:そうだといいです(笑)
教育をハードル高く感じる要因には、やっぱり自信がないっていうのもそうだし、やり方をよく知らないっていうのもあるかもしれない。だからまずは教員のマインドを変える必要があって、カルチャーを変える必要があります。でもみんな忙しいから、そんな教育のことばっかり勉強してる暇なんかないですよ。教育にチャレンジしやすい環境を育てようと本当に思うならば、大学の仕組みとしてFD(Faculty Development の略:教育内容・方法等をはじめとする研究や研修を大学全体として組織的に行うこと)の時間をつくって、まずやり方を知ってもらうだけでも違うし、ハンズオンで「一緒にちょっと作ってみましょう」とかやってもいいわけですよ。
それと、活用されるフィードバックの仕組みを作ることが大事ですね。授業評価をただ集めてそのまま送りつけるだけだと、もらった側もどうしていいか分からないし、ただイヤな気分になるだけなら逆効果です。活かされないアンケートならみんな書かなくなるし、そもそも良い評価も悪い評価も全部ゴチャ混ぜで来るんですよ。
と:むしろネガティブな意見こそきますよね。
な:そうなんですよ。だいたいポジティブなコメントはわざわざ書かないんですよね。みんなそう思ってるし、言わなくても分かるやろってなりますもんね。いちいち言うのも面倒くさいし。でも腹立ったことは言わねば気がすまない(笑)
と:確かに言いたくなります( 笑)
な:僕も実は授業評価を受けるときに、ちょっと操作というか、工夫としてやってたのは、「もし僕の授業がほかの授業よりも面白いと思って、もうちょっと増やしてほしいと思うんやったらアンケートにそう書いて」って言いました(笑)。オモロい授業をしている自信はあったし、こう言ったら書いてくれるんじゃないかと。
と:なるほど。
な:そしたらほんとにめっちゃ書いてくれて有難かったです(笑)やっぱりフィードバックをするにも何かインセンティブが必要で、要するに「皆さんの意見で変わりますよ」という期待がないとですよね。
と:でも自分が評価される立場だったら、ネガティブな意見ばかり気にしちゃいそうです(^o^;)
な:あーそうねぇ。それは全教員が同じくで、そういう自信を持てない部分があると思うんですよ。だからやっぱり、自分がやっている教育に関してポジティブな部分の手応えを感じてもらうのが大事じゃないかと思います。やってもやっても上手くいかない、と不安なままでやるよりも、「こうすれば上手くいくんだ」とまずは知ってもらう。そうしたら、「ちょっとやってみようかな」と少し前向きに思ってもらえるかなと思っていて。なので、とりあえず学生さんから意見を全部ガッサーと集めてね、その中でまずはポジティブなやつをバンバン教員へフィードバックしていくと。 ネガティブな指摘は一旦保留してね。まずは成功体験で土台をつくって、徐々にネガティブな指摘のある部分にも目を向ける余力を蓄えるんです。あとは評判がいい事例をみんなで共有して、それがちょっとでも頭の片隅に残って「今度の授業でこうしてみようかな」とか思ってもらえたら、それだけでも全然違うと思うんですよね。そうやってやっぱり教員側の意識改革をしていきたいです。教え方のコツはほんとに少しの工夫なんですよ。僕が最初に教え始めた時に学んだ教えるコツの一つは例え話を使うことで、もう一つは細分化 といって大事なことを非常に細かく教える。 例えば呼吸器だったら、一番最初の肺の構造と仕組みにすっごい時間かけるんです。せやから途中で時間がなくなるんですけど、それでいいんです(笑)。あとは学生さんが自分で勉強する。例え話と細分化、まずはその二つだけです。
と:なるほど〜。でも一番のコツはなんだか違う気がします。レクチャーしてくれる先生自身が楽しそうなのが一番大事だと思います。
な:あー確かに、それは間違いないです。自分の知っているこの面白さを伝えたいマインドが一番のコツかもしれないですね。やっぱりね、商売人は自分の扱っている商品に絶対の自信を持たないといけない。「呼吸器のこんな話、絶対オモロいに決まってるんやから自信を持ってお勧めします!」みたいなね。 (ジャパネット長尾風?)
(Dに続く)
な:教育への苦手意識を和らげるためにも、教員は教え方を学ぶ必要があるとは思います。大学教員は教育学を学ばずに教壇に立つわけですからね。それこそ各診療科の実働部隊の人たちに授業の作り方教室みたいなのやってもいいんですよ。
と:先生方であってもパワポや動画作りが苦手とか、そもそも自分が担当するレクチャーに自信がないとか、そういうハードルもやっぱりあるんですかね。
な:尋ねてみないとわかりませんけど、多少はあるんじゃないでしょうか。だから僕みたいなのが逐一「いいですね!

と:長尾先生に褒められたら自信持てるかもですね^^
な:そうだといいです(笑)
教育をハードル高く感じる要因には、やっぱり自信がないっていうのもそうだし、やり方をよく知らないっていうのもあるかもしれない。だからまずは教員のマインドを変える必要があって、カルチャーを変える必要があります。でもみんな忙しいから、そんな教育のことばっかり勉強してる暇なんかないですよ。教育にチャレンジしやすい環境を育てようと本当に思うならば、大学の仕組みとしてFD(Faculty Development の略:教育内容・方法等をはじめとする研究や研修を大学全体として組織的に行うこと)の時間をつくって、まずやり方を知ってもらうだけでも違うし、ハンズオンで「一緒にちょっと作ってみましょう」とかやってもいいわけですよ。
それと、活用されるフィードバックの仕組みを作ることが大事ですね。授業評価をただ集めてそのまま送りつけるだけだと、もらった側もどうしていいか分からないし、ただイヤな気分になるだけなら逆効果です。活かされないアンケートならみんな書かなくなるし、そもそも良い評価も悪い評価も全部ゴチャ混ぜで来るんですよ。
と:むしろネガティブな意見こそきますよね。
な:そうなんですよ。だいたいポジティブなコメントはわざわざ書かないんですよね。みんなそう思ってるし、言わなくても分かるやろってなりますもんね。いちいち言うのも面倒くさいし。でも腹立ったことは言わねば気がすまない(笑)
と:確かに言いたくなります( 笑)
な:僕も実は授業評価を受けるときに、ちょっと操作というか、工夫としてやってたのは、「もし僕の授業がほかの授業よりも面白いと思って、もうちょっと増やしてほしいと思うんやったらアンケートにそう書いて」って言いました(笑)。オモロい授業をしている自信はあったし、こう言ったら書いてくれるんじゃないかと。
と:なるほど。
な:そしたらほんとにめっちゃ書いてくれて有難かったです(笑)やっぱりフィードバックをするにも何かインセンティブが必要で、要するに「皆さんの意見で変わりますよ」という期待がないとですよね。
と:でも自分が評価される立場だったら、ネガティブな意見ばかり気にしちゃいそうです(^o^;)
な:あーそうねぇ。それは全教員が同じくで、そういう自信を持てない部分があると思うんですよ。だからやっぱり、自分がやっている教育に関してポジティブな部分の手応えを感じてもらうのが大事じゃないかと思います。やってもやっても上手くいかない、と不安なままでやるよりも、「こうすれば上手くいくんだ」とまずは知ってもらう。そうしたら、「ちょっとやってみようかな」と少し前向きに思ってもらえるかなと思っていて。なので、とりあえず学生さんから意見を全部ガッサーと集めてね、その中でまずはポジティブなやつをバンバン教員へフィードバックしていくと。 ネガティブな指摘は一旦保留してね。まずは成功体験で土台をつくって、徐々にネガティブな指摘のある部分にも目を向ける余力を蓄えるんです。あとは評判がいい事例をみんなで共有して、それがちょっとでも頭の片隅に残って「今度の授業でこうしてみようかな」とか思ってもらえたら、それだけでも全然違うと思うんですよね。そうやってやっぱり教員側の意識改革をしていきたいです。教え方のコツはほんとに少しの工夫なんですよ。僕が最初に教え始めた時に学んだ教えるコツの一つは例え話を使うことで、もう一つは細分化 といって大事なことを非常に細かく教える。 例えば呼吸器だったら、一番最初の肺の構造と仕組みにすっごい時間かけるんです。せやから途中で時間がなくなるんですけど、それでいいんです(笑)。あとは学生さんが自分で勉強する。例え話と細分化、まずはその二つだけです。
と:なるほど〜。でも一番のコツはなんだか違う気がします。レクチャーしてくれる先生自身が楽しそうなのが一番大事だと思います。
な:あー確かに、それは間違いないです。自分の知っているこの面白さを伝えたいマインドが一番のコツかもしれないですね。やっぱりね、商売人は自分の扱っている商品に絶対の自信を持たないといけない。「呼吸器のこんな話、絶対オモロいに決まってるんやから自信を持ってお勧めします!」みたいなね。 (ジャパネット長尾風?)
(Dに続く)
posted by 長尾大志 at 19:28
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| 教育理念・メッセージ
2022年度卒業生謝恩会BOOKインタビュー・オタクは仲間を増やしたいBもしもブレイクスルーがなかったら?
(Aからの続き)
な:ちょうどそれぐらいのタイミングの時に、いろいろ書いていたブログを見てくれた出版社の方から「本出しませんか?」と電話をもらって「おお(゚Д゚) 」とびっくりしました。
と:おお!
な:そのうちに某医学出版社から「滋賀医大の学生さんがアンケートで先生の名前を多くあげておりますので、つきましては『〇〇がみえる』のご監修をお願いします」ってお手紙が来て。
と:おおお!
な:このブレイクスルーのおかげで一気に変化しました。たぶん2010年頃のことです。
と:それは長尾先生が教育を面白いと思い始めてからどのぐらい経ってるんですか?
な:んーと、2-3年くらいですかね?前の大学に行ったのが2005年で、もうなんかアカンと思ってブログを書き始めたのが2008年ぐらいなんですよ。その頃に教育の面白さに気づき始めて、次の年くらいに救急の教授から「ほんまは君が一番やった」と知らされたエピソードがあって…。そこからポジティブなフィードバックが続きました。本や〇ディック〇ディアの仕事をさせてもらい、「今度こそホンマモンのベストティーチャー賞貰ったどー!」みたいなことがダダダーと連続して起きました。もう人生変わりましたよね。
と:すごいです!笑
な:ここの話はスゴいでしょう。(ドヤ)
でも「もうアカン」って時は沢山あって、ほんまに何べんもココロ折れる時に「ボキーッ」って音が聴こえました。
と:そんなに何べんも折れたらココロが保たないです…(笑)
な:折れては繋ぎ、折れては繋ぎでここまで来ました(笑)。もうアカン、と前の教授のところに「辞めさせてくれ!」って言いに行ったり…。
でもポジティブなフィードバックがあったから「嗚呼、やっててよかった」って思えました。もしもね、いま頑張ったらこの学生さんがひょっとしたら呼吸器好きになって、将来呼吸器科医になるかもしれないですし。まあそんなに上手いこと人は増えないですが(笑)
でも、ほんまにポジティブなフィードバックが起こり始めたときに、アンケート入力してくれる学生さんも増えてきたり、入局してくれる人も一人二人増えてたり…そんな風にリアクションを返してくれてるのを実感すると、やっぱり頑張らなきゃってなりました。やっぱり本を出せたのはすごく大きかったです。学生さんや研修医に教えてたことをとにかく全部書いたから、あとは「これ読んどいて」で済むわけですよ。ベストティーチャー賞でもらった賞金で、貸し出し用の自分の本を20冊ぐらい買ったりして。「これ僕に印税入ってくるけどいいんか」とか思いながらですけど(笑)回ってくる学生さんにそれを貸し出して、五人とか十人回ってくるグループに今日はここからここまで読んどいてって伝えるんです。そしたらなんかねえ、めっちゃ回りだしたんですよ。 それですごく楽になった。 学生さんも「よく分かった」「おもしろい」と言ってくれるようになりました。
と:へーそうだったんですね。でも、本を渡してあとはガンバって!ではなくて、そこで省けたものがあるからこそ残った時間で他の関わりをするんですよね。
な:そうなんです。そうなんです。同じことを繰り返し言う時間がなくなったんですよ。それでめっちゃ楽になったんです。ほんなら、もうあとの時間は患者さんのところへ一緒に行って実際に考えてみようとか、この患者さんについての疑問を考えようってことに使えます。ホンマにすごく楽になったんですよ。そんな風にみんなやっていったらいいのになぁと思います。やっぱりもうね、毎回同じこと言うのはしんどいですよ。別に本は出さなくてもいいから、例えば動画撮ったりね。コアな部分は毎年毎年そんなにガラッと変わらないですから。だからそれで省略化をして、あとはもうアクティブにやったらいいんですよ。 上手くいきだすとね、教育それ自体がすごく面白くなってくるんですよね。
と:長尾先生はポジティブな変化があったから教育がどんどん面白くなったとして、もしそれがなかったらどうでしたか?
な:いやそうね。僕は本当にラッキーだったと思うんです。振り返れば、ポジティブフィードバックを受ける機会が僕はたぶんそれなりに早かったという巡り合わせはありますね。その当時はすごく苦しかったんですけど、救急の教授が教えてくれたおかげで、学生さんからの評価を知ることができたのが大きかった。逆に言うと、今後はそういったポジティブフィードバックを僕が若い教員の皆さんに伝える役割ができたらいいかなと思っています。
(まだまだ続く)
な:ちょうどそれぐらいのタイミングの時に、いろいろ書いていたブログを見てくれた出版社の方から「本出しませんか?」と電話をもらって「おお(゚Д゚) 」とびっくりしました。
と:おお!
な:そのうちに某医学出版社から「滋賀医大の学生さんがアンケートで先生の名前を多くあげておりますので、つきましては『〇〇がみえる』のご監修をお願いします」ってお手紙が来て。
と:おおお!
な:このブレイクスルーのおかげで一気に変化しました。たぶん2010年頃のことです。
と:それは長尾先生が教育を面白いと思い始めてからどのぐらい経ってるんですか?
な:んーと、2-3年くらいですかね?前の大学に行ったのが2005年で、もうなんかアカンと思ってブログを書き始めたのが2008年ぐらいなんですよ。その頃に教育の面白さに気づき始めて、次の年くらいに救急の教授から「ほんまは君が一番やった」と知らされたエピソードがあって…。そこからポジティブなフィードバックが続きました。本や〇ディック〇ディアの仕事をさせてもらい、「今度こそホンマモンのベストティーチャー賞貰ったどー!」みたいなことがダダダーと連続して起きました。もう人生変わりましたよね。
と:すごいです!笑
な:ここの話はスゴいでしょう。(ドヤ)
でも「もうアカン」って時は沢山あって、ほんまに何べんもココロ折れる時に「ボキーッ」って音が聴こえました。
と:そんなに何べんも折れたらココロが保たないです…(笑)
な:折れては繋ぎ、折れては繋ぎでここまで来ました(笑)。もうアカン、と前の教授のところに「辞めさせてくれ!」って言いに行ったり…。
でもポジティブなフィードバックがあったから「嗚呼、やっててよかった」って思えました。もしもね、いま頑張ったらこの学生さんがひょっとしたら呼吸器好きになって、将来呼吸器科医になるかもしれないですし。まあそんなに上手いこと人は増えないですが(笑)
でも、ほんまにポジティブなフィードバックが起こり始めたときに、アンケート入力してくれる学生さんも増えてきたり、入局してくれる人も一人二人増えてたり…そんな風にリアクションを返してくれてるのを実感すると、やっぱり頑張らなきゃってなりました。やっぱり本を出せたのはすごく大きかったです。学生さんや研修医に教えてたことをとにかく全部書いたから、あとは「これ読んどいて」で済むわけですよ。ベストティーチャー賞でもらった賞金で、貸し出し用の自分の本を20冊ぐらい買ったりして。「これ僕に印税入ってくるけどいいんか」とか思いながらですけど(笑)回ってくる学生さんにそれを貸し出して、五人とか十人回ってくるグループに今日はここからここまで読んどいてって伝えるんです。そしたらなんかねえ、めっちゃ回りだしたんですよ。 それですごく楽になった。 学生さんも「よく分かった」「おもしろい」と言ってくれるようになりました。
と:へーそうだったんですね。でも、本を渡してあとはガンバって!ではなくて、そこで省けたものがあるからこそ残った時間で他の関わりをするんですよね。
な:そうなんです。そうなんです。同じことを繰り返し言う時間がなくなったんですよ。それでめっちゃ楽になったんです。ほんなら、もうあとの時間は患者さんのところへ一緒に行って実際に考えてみようとか、この患者さんについての疑問を考えようってことに使えます。ホンマにすごく楽になったんですよ。そんな風にみんなやっていったらいいのになぁと思います。やっぱりもうね、毎回同じこと言うのはしんどいですよ。別に本は出さなくてもいいから、例えば動画撮ったりね。コアな部分は毎年毎年そんなにガラッと変わらないですから。だからそれで省略化をして、あとはもうアクティブにやったらいいんですよ。 上手くいきだすとね、教育それ自体がすごく面白くなってくるんですよね。
と:長尾先生はポジティブな変化があったから教育がどんどん面白くなったとして、もしそれがなかったらどうでしたか?
な:いやそうね。僕は本当にラッキーだったと思うんです。振り返れば、ポジティブフィードバックを受ける機会が僕はたぶんそれなりに早かったという巡り合わせはありますね。その当時はすごく苦しかったんですけど、救急の教授が教えてくれたおかげで、学生さんからの評価を知ることができたのが大きかった。逆に言うと、今後はそういったポジティブフィードバックを僕が若い教員の皆さんに伝える役割ができたらいいかなと思っています。
(まだまだ続く)
posted by 長尾大志 at 12:38
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| 教育理念・メッセージ
2022年度卒業生謝恩会BOOKインタビュー・オタクは仲間を増やしたいA教育沼にハマるまで
(@の続き)
な:僕はあの、皆さんどう思われてるか知らないですけど、本当はかなりふざけた人間なんですよ。 学生の時も全然勉強しなかったし、本もろくに読まず医者やってたんですけど、やっぱりそれだと「ひとに教えられへんな」と気づいて。前の大学で学生さんに教え始めた時、「これどういうことですか?」って聞かれても「いや、わからんわ」って自分がなった時に初めて本を開きました。 で、勉強すると色々繋がるから面白くなってくるんですよね。例えばCOPDの診察所見で「なんで頸部にみえている気管の長さが短くなるんやろう?」と疑問に思ったことを調べたら、ちゃんと理由があるわけですね。で、見えている物事の理屈が分かるようになったら、「これオモロイな」ってなるんです。僕はご覧の通り?オタクなんです。オタクって、感動を誰かと分かち合えればすごくHappyなんですよ。自分が面白いと思っていることを早口で誰かに伝えて「ほんとだ!面白い!」って、こう目がぱちんって開いてくれたら、「そやろ〜」って我が意を得たり(ニヤリ)という風なね。まあこれは全然王道のやり方ではないので、教育として正しいのかどうかも分からないですけど。
と:長尾先生にとっては最初から教育が一番大事だったのですか?
な:紆余曲折は色々ありました。当時は診療科の実働部隊が二人しかおらんかったから、もうホンマ大変で。最初は病棟に患者さん30人ぐらいいたので一人で15人ずっと見ながらそれで同時に授業をやって実習やって研修に学生さんついてきて、ほんで外来やってみたいな。もう無茶苦茶やったんですよ。だから、授業しながらでも電話がかかってきて「今から挿管してください」って途中で病棟に呼び出されるみたいな。
と:えー!!!
な:自分でも「ホンマ何してんやろ」と思ってました。そんな生活をしてたから、だから逆に教育はやっぱり片手間ではできへんなっていうのもすごく思ったんですよ。教育の専任が要るんちゃうかと。自分が集中できないんですよ。挿管しながらでも処置終わったら戻らなきゃと授業のことを考えるし、授業しながらでも患者さんのことが気になってどちらにも集中できない。
と:集中できないのは怖いです…
な:それじゃあアカンと思いました。ほんで何年か経って医局に少し人が増えてきた時に、教育専任にしてくださいって上の先生に頼みました。 そこから教育に比重をかけていくようになったんですよ。
でも、最初はポジティブなフィードバックがもらえているって分からなかったんですよ。学生さんが授業評価に「長尾の授業がおもろかった」と書いてくれてるのを僕は全然知らなくて。だけど、ある年ベストティーチャー賞で1位に選ばれていた救急の教授から「実は長尾君の評価が一番だったけど、君は助教だからベストティーチャー賞を貰う資格がないんや。ほんとは君だぞ」って言われました。実際の評価は僕の知らないところで握りつぶされていたらしく…
と:ええ!(@_@;)
な:そう、僕も「ええ!(@_@;) 」って驚いて(笑)
その教授が教えてくれるまで、自分の授業が学生さんから評価されている事実を知らなかったんですよ。教授が「ほんまの1位は君のもんやねん。だから賞金半分あげるよ」って。
と:そこは半分なんですね笑
な:そう笑。ほんで、その時にはパソコン買ったんですよ。
と:おお、意外と金額ありますね。
な:そこそこありましたよ、半分でも(笑)
(Bに続く)
な:僕はあの、皆さんどう思われてるか知らないですけど、本当はかなりふざけた人間なんですよ。 学生の時も全然勉強しなかったし、本もろくに読まず医者やってたんですけど、やっぱりそれだと「ひとに教えられへんな」と気づいて。前の大学で学生さんに教え始めた時、「これどういうことですか?」って聞かれても「いや、わからんわ」って自分がなった時に初めて本を開きました。 で、勉強すると色々繋がるから面白くなってくるんですよね。例えばCOPDの診察所見で「なんで頸部にみえている気管の長さが短くなるんやろう?」と疑問に思ったことを調べたら、ちゃんと理由があるわけですね。で、見えている物事の理屈が分かるようになったら、「これオモロイな」ってなるんです。僕はご覧の通り?オタクなんです。オタクって、感動を誰かと分かち合えればすごくHappyなんですよ。自分が面白いと思っていることを早口で誰かに伝えて「ほんとだ!面白い!」って、こう目がぱちんって開いてくれたら、「そやろ〜」って我が意を得たり(ニヤリ)という風なね。まあこれは全然王道のやり方ではないので、教育として正しいのかどうかも分からないですけど。
と:長尾先生にとっては最初から教育が一番大事だったのですか?
な:紆余曲折は色々ありました。当時は診療科の実働部隊が二人しかおらんかったから、もうホンマ大変で。最初は病棟に患者さん30人ぐらいいたので一人で15人ずっと見ながらそれで同時に授業をやって実習やって研修に学生さんついてきて、ほんで外来やってみたいな。もう無茶苦茶やったんですよ。だから、授業しながらでも電話がかかってきて「今から挿管してください」って途中で病棟に呼び出されるみたいな。
と:えー!!!
な:自分でも「ホンマ何してんやろ」と思ってました。そんな生活をしてたから、だから逆に教育はやっぱり片手間ではできへんなっていうのもすごく思ったんですよ。教育の専任が要るんちゃうかと。自分が集中できないんですよ。挿管しながらでも処置終わったら戻らなきゃと授業のことを考えるし、授業しながらでも患者さんのことが気になってどちらにも集中できない。
と:集中できないのは怖いです…
な:それじゃあアカンと思いました。ほんで何年か経って医局に少し人が増えてきた時に、教育専任にしてくださいって上の先生に頼みました。 そこから教育に比重をかけていくようになったんですよ。
でも、最初はポジティブなフィードバックがもらえているって分からなかったんですよ。学生さんが授業評価に「長尾の授業がおもろかった」と書いてくれてるのを僕は全然知らなくて。だけど、ある年ベストティーチャー賞で1位に選ばれていた救急の教授から「実は長尾君の評価が一番だったけど、君は助教だからベストティーチャー賞を貰う資格がないんや。ほんとは君だぞ」って言われました。実際の評価は僕の知らないところで握りつぶされていたらしく…
と:ええ!(@_@;)
な:そう、僕も「ええ!(@_@;) 」って驚いて(笑)
その教授が教えてくれるまで、自分の授業が学生さんから評価されている事実を知らなかったんですよ。教授が「ほんまの1位は君のもんやねん。だから賞金半分あげるよ」って。
と:そこは半分なんですね笑
な:そう笑。ほんで、その時にはパソコン買ったんですよ。
と:おお、意外と金額ありますね。
な:そこそこありましたよ、半分でも(笑)
(Bに続く)
posted by 長尾大志 at 12:01
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2022年度卒業生謝恩会BOOKインタビュー・オタクは仲間を増やしたい@
その卒業謝恩会でもう1つ配布されたのが、こちらの冊子。

冒頭に医学部長、病院長のお言葉があり、続いて教員の記事、学生さん代表の寄稿……と続きます。最後にまた教員からのショートメッセージ、という造り。
その中に、小生がT並さんにインタビューしていただいた記事を掲載頂きました。
インタビューは2時間に及んだでしょうか。途中アクシデント?による中断もありましたが、終始T並さんの上手な合いの手に乗せられて、自分1人では書けなかったような内容の文章が出来上がった次第です。やはり対話って偉大、ブレストって感じでした。
折角のものですので、許可を頂いて掲載することにしました。なにぶん長文になっておりますので、ちょっと分割して掲載させていただくことにします。
(ここから引用・一部改変しています)
と:Tなみ
な:長尾
=========
と:長尾先生、よろしくお願いします!今日は医学教育について一緒にお話しできたらと思っています。
な:よろしくお願いします!
と:長尾先生は「教育に全集中の呼吸器内科医」と自己紹介されていますが、正直教育が面倒になるときはないのですか?
な:やっぱり人を育てるには手間暇がかかりますよね。当然面倒です(笑)
面倒なので、僕はブログを書いたんですよ。
と:ほー。どういうことですか?
な:学生さんや研修医が新しく回ってくる度に同じことを繰り返し繰り返し教えていたので、その内容をブログに書き始めたんです。それで本を出して、動画をバンバン作って Youtubeにアップする…ってことをしてきました。今も学生さんとやっている勉強会はほとんど収録して、あとからそれを動画編集して Youtube にあげています。で、どっかの病院へ講演に行ったら「皆さんチャンネル登録&高評価ヨロシク!」と言ってまず最初に笑いを取って。まあ別にYouTubeをそんな百回ぐらい視聴してもらっても広告収入とか何もないんですけど(笑)。
な:極力省エネ化するメリットに気づいたのが、そのブログを書き始めた時です。実はその時点で、もしかしたら自分はレクチャーするのが向いているんじゃないかという自覚はちょっとだけありました(笑)学生さんが感想で「すごくわかりやすい」と言ってくれていたので、「おお、そうか!(゚∀゚)」って少しずつ自信になっていたんです。やっぱり褒めてもらえると嬉しい。だから「もっと期待を超えていくぞ!」というモチベーションが最初ありました。僕自身の話をすると、そこから始まったんですよね。ポジティブなフィードバックをもらえたから、自分のモチベーションが高まってもっとやろう!もっとやろう!みたいな感じでした。
(続く)
冒頭に医学部長、病院長のお言葉があり、続いて教員の記事、学生さん代表の寄稿……と続きます。最後にまた教員からのショートメッセージ、という造り。
その中に、小生がT並さんにインタビューしていただいた記事を掲載頂きました。
インタビューは2時間に及んだでしょうか。途中アクシデント?による中断もありましたが、終始T並さんの上手な合いの手に乗せられて、自分1人では書けなかったような内容の文章が出来上がった次第です。やはり対話って偉大、ブレストって感じでした。
折角のものですので、許可を頂いて掲載することにしました。なにぶん長文になっておりますので、ちょっと分割して掲載させていただくことにします。
(ここから引用・一部改変しています)
と:Tなみ
な:長尾
=========
と:長尾先生、よろしくお願いします!今日は医学教育について一緒にお話しできたらと思っています。
な:よろしくお願いします!
と:長尾先生は「教育に全集中の呼吸器内科医」と自己紹介されていますが、正直教育が面倒になるときはないのですか?
な:やっぱり人を育てるには手間暇がかかりますよね。当然面倒です(笑)
面倒なので、僕はブログを書いたんですよ。
と:ほー。どういうことですか?
な:学生さんや研修医が新しく回ってくる度に同じことを繰り返し繰り返し教えていたので、その内容をブログに書き始めたんです。それで本を出して、動画をバンバン作って Youtubeにアップする…ってことをしてきました。今も学生さんとやっている勉強会はほとんど収録して、あとからそれを動画編集して Youtube にあげています。で、どっかの病院へ講演に行ったら「皆さんチャンネル登録&高評価ヨロシク!」と言ってまず最初に笑いを取って。まあ別にYouTubeをそんな百回ぐらい視聴してもらっても広告収入とか何もないんですけど(笑)。
な:極力省エネ化するメリットに気づいたのが、そのブログを書き始めた時です。実はその時点で、もしかしたら自分はレクチャーするのが向いているんじゃないかという自覚はちょっとだけありました(笑)学生さんが感想で「すごくわかりやすい」と言ってくれていたので、「おお、そうか!(゚∀゚)」って少しずつ自信になっていたんです。やっぱり褒めてもらえると嬉しい。だから「もっと期待を超えていくぞ!」というモチベーションが最初ありました。僕自身の話をすると、そこから始まったんですよね。ポジティブなフィードバックをもらえたから、自分のモチベーションが高まってもっとやろう!もっとやろう!みたいな感じでした。
(続く)
posted by 長尾大志 at 08:27
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| 教育理念・メッセージ
2022年03月21日
4月から働き始める新研修医の皆さんへ(長文)
昨日の「令和3年度 島根指導医オープンミーティング〜時には指導医だってつらいよ〜旅情なき世界で生きる指導医編」でお話を聞いていて、やはり研修医の先生も学生さんも、内発的にモチベーションが上がる、そう持っていければ私たちの仕事は8割方終わるのかな、というふうには思いますね。
思い出されるのが、今ちょうどやっているNMB48の8期研究生密着動画であったり、あるいはNMB48がやっているNAMBATTLE2という企画の密着動画であったりです。そこで8期研究生、今年の1月にお披露目となった、加入して間もない「いわゆる初期研修医」のような状態であるわけですが、その中にも非常にモチベーションが高くてスキルも備わっており、いきなり先輩をぶっこ抜いてセンターに抜擢されるような、5期生の山本彩加さんや8期生の坂田心咲さんのようないわゆる逸材、傑物もいれば、誰とは申しませんがちょっとやっぱりダンスが苦手でなかなかついていけない、という人もいるわけです。この動画ではまぁ演出もあるんでしょうが、ダンスの先生であったり舞台監督さんであったりに、かなりパワハラとも言うべき罵声を浴びせられてしまいます。
NMB48のファン歴が長い人は、彼らが非常にNMB48に対する愛が深いということも知っていますし、飴と鞭的なところもあるし、研究生の皆と信頼関係ができているということが分かっているので、あーまたやってるなみたいな感じで見てるわけですが、あまりよく知らない方が見てこれはパワハラだ!というコメントを残されたりしていることもありますね。
確かに昨今はパワハラという用語ができてきて、非常に我々も指導の現場での言動・言葉遣いに気を遣わざるを得ないところになっております。私も指導を受けた20〜30年前はパワハラという言葉もなく、今思い出せば日々パワハラ・アカハラを受け続けていたわけですが、そういった言葉遣いにも気をつける必要がある時代だなあと思いましたが、そこでやはり大事なことは信頼関係だと思うのです。それとやはり目標設定で、もちろん研究生というのは、アイドルになりたいとか、その先のタレント・女優さんになりたいであるとか、目標があって入ってきた人たちですから、その目標を指導者も共有して、目標に対しての愛のある指導を心がけていただきたいなと思いました。
いくらいろんな言葉をかけられても、ダンス初心者の多い研究生はやはりできないものはできないんですが、それがある時から眼の色も変わり、どんどんできるようになっていく瞬間というのがあるわけです。そうなると、彼女たちは自分たちでどうすればもっと良い公演になるか、ということを考えに考え、自分たちのダンスを俯瞰的に見ることでどうすればいいのかを「自ら考えて」やっていくために、表情であったりダンスの揃え方であったりがどんどんどんどん洗練されていく様子が分かります。これは教育にも通じることで、昨今特にZ世代になってなおさら、厳しく言ってもそれで動くものでは全くない、内発的動機付けでこそ行動が変わるということが非常によく分かる次第であります。
おそらく研修医の先生も働き始め、最初というのはもう慣れないことばかりで、手技一つとっても、それから患者さんのお話を聞くということをとっても慣れないことばかりでなかなかうまくいかない。で、うまくいかないから壁にぶち当たり、ちょっと自己肯定感が低下するようなことが繰り返しあるわけです。本当に研究生もよく似ていて、ダンスなんかしたこともない女の子が、1時間で1曲通して踊れるように!というようなことを要求されるわけですから、やはり壁にぶち当たるというようなことも多々あると。私もいまだにハッキリと記憶があるわけですが、本当に自分に医師は務まるんだろうかとか、そういうことも思うわけですが、そのうちあるところでブレイクスルーがあります。これはもちろん多少の器用さ・不器用さとか物覚えもそうですし、個人差というのは当然あるんですが、おそらくダンスもそうなんでしょうね。
ただ、強調しておきたいことは、初期研修中に身につけるべき医学的な手技・スキルといったものは、何回か真面目に練習をしていれば必ずできるようになってくるということです。で、できるようになってくると、やっぱり気持ちも前向きになって、もっとやりたくなる。それは研修医の先生であってもやっぱりその通りではないかと思うのです。まあそういったことを、ちょっとアイドルの動画を観ながら思ったりするわけです。
ということで、結論めいたものといえるかどうかはわかりませんが、この春4月から新しい研修医の先生方が勤務を開始されると思います。で、最初はやはり慣れないことも多くてなかなかモチベーションが保てないこともあるかもしれません。ここは本当に私を信じて頂きたいんですが、初期研修医としての身に付けるべきスキルは、練習さえすれば必ず身に付きますので、どうか心折れることなく何度も何度も練習をしていただきたい、と思います。そしてそんな姿を、必ず応援している人はいます。少なくとも私は応援しています。
もし心が折れそうになったら、NMB48の8期生密着動画、GYAOのNAMBATTLE2動画をぜひご覧いただければ勇気がもらえるんじゃないかなと思います。仮に上級医からイヤな言葉をかけられることがあったとしても、まだマシだ、と思えたりするかもしれません……。是非機会があれば3月16日のチームM公演の最後、『摩天楼の距離』(名曲!)をその前のMCから歌詞も噛みしめて聞いていただくと、他にも多くの頑張っている人がいる、と心の支えになるかも。ということで、無理やり自分の趣味に結びつけてこの話をしめたいと思います。
思い出されるのが、今ちょうどやっているNMB48の8期研究生密着動画であったり、あるいはNMB48がやっているNAMBATTLE2という企画の密着動画であったりです。そこで8期研究生、今年の1月にお披露目となった、加入して間もない「いわゆる初期研修医」のような状態であるわけですが、その中にも非常にモチベーションが高くてスキルも備わっており、いきなり先輩をぶっこ抜いてセンターに抜擢されるような、5期生の山本彩加さんや8期生の坂田心咲さんのようないわゆる逸材、傑物もいれば、誰とは申しませんがちょっとやっぱりダンスが苦手でなかなかついていけない、という人もいるわけです。この動画ではまぁ演出もあるんでしょうが、ダンスの先生であったり舞台監督さんであったりに、かなりパワハラとも言うべき罵声を浴びせられてしまいます。
NMB48のファン歴が長い人は、彼らが非常にNMB48に対する愛が深いということも知っていますし、飴と鞭的なところもあるし、研究生の皆と信頼関係ができているということが分かっているので、あーまたやってるなみたいな感じで見てるわけですが、あまりよく知らない方が見てこれはパワハラだ!というコメントを残されたりしていることもありますね。
確かに昨今はパワハラという用語ができてきて、非常に我々も指導の現場での言動・言葉遣いに気を遣わざるを得ないところになっております。私も指導を受けた20〜30年前はパワハラという言葉もなく、今思い出せば日々パワハラ・アカハラを受け続けていたわけですが、そういった言葉遣いにも気をつける必要がある時代だなあと思いましたが、そこでやはり大事なことは信頼関係だと思うのです。それとやはり目標設定で、もちろん研究生というのは、アイドルになりたいとか、その先のタレント・女優さんになりたいであるとか、目標があって入ってきた人たちですから、その目標を指導者も共有して、目標に対しての愛のある指導を心がけていただきたいなと思いました。
いくらいろんな言葉をかけられても、ダンス初心者の多い研究生はやはりできないものはできないんですが、それがある時から眼の色も変わり、どんどんできるようになっていく瞬間というのがあるわけです。そうなると、彼女たちは自分たちでどうすればもっと良い公演になるか、ということを考えに考え、自分たちのダンスを俯瞰的に見ることでどうすればいいのかを「自ら考えて」やっていくために、表情であったりダンスの揃え方であったりがどんどんどんどん洗練されていく様子が分かります。これは教育にも通じることで、昨今特にZ世代になってなおさら、厳しく言ってもそれで動くものでは全くない、内発的動機付けでこそ行動が変わるということが非常によく分かる次第であります。
おそらく研修医の先生も働き始め、最初というのはもう慣れないことばかりで、手技一つとっても、それから患者さんのお話を聞くということをとっても慣れないことばかりでなかなかうまくいかない。で、うまくいかないから壁にぶち当たり、ちょっと自己肯定感が低下するようなことが繰り返しあるわけです。本当に研究生もよく似ていて、ダンスなんかしたこともない女の子が、1時間で1曲通して踊れるように!というようなことを要求されるわけですから、やはり壁にぶち当たるというようなことも多々あると。私もいまだにハッキリと記憶があるわけですが、本当に自分に医師は務まるんだろうかとか、そういうことも思うわけですが、そのうちあるところでブレイクスルーがあります。これはもちろん多少の器用さ・不器用さとか物覚えもそうですし、個人差というのは当然あるんですが、おそらくダンスもそうなんでしょうね。
ただ、強調しておきたいことは、初期研修中に身につけるべき医学的な手技・スキルといったものは、何回か真面目に練習をしていれば必ずできるようになってくるということです。で、できるようになってくると、やっぱり気持ちも前向きになって、もっとやりたくなる。それは研修医の先生であってもやっぱりその通りではないかと思うのです。まあそういったことを、ちょっとアイドルの動画を観ながら思ったりするわけです。
ということで、結論めいたものといえるかどうかはわかりませんが、この春4月から新しい研修医の先生方が勤務を開始されると思います。で、最初はやはり慣れないことも多くてなかなかモチベーションが保てないこともあるかもしれません。ここは本当に私を信じて頂きたいんですが、初期研修医としての身に付けるべきスキルは、練習さえすれば必ず身に付きますので、どうか心折れることなく何度も何度も練習をしていただきたい、と思います。そしてそんな姿を、必ず応援している人はいます。少なくとも私は応援しています。
もし心が折れそうになったら、NMB48の8期生密着動画、GYAOのNAMBATTLE2動画をぜひご覧いただければ勇気がもらえるんじゃないかなと思います。仮に上級医からイヤな言葉をかけられることがあったとしても、まだマシだ、と思えたりするかもしれません……。是非機会があれば3月16日のチームM公演の最後、『摩天楼の距離』(名曲!)をその前のMCから歌詞も噛みしめて聞いていただくと、他にも多くの頑張っている人がいる、と心の支えになるかも。ということで、無理やり自分の趣味に結びつけてこの話をしめたいと思います。
posted by 長尾大志 at 17:45
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2020年11月29日
臨床実習における遅刻・体調不良問題2
昨日の投稿にご意見・コメントをいただいた皆様、本当にありがとうございます!もうちょっと続けます。
一つの問題として、本当の「体調不良」と「やる気がないから休む」という事例がしばしば鑑別困難な点が挙げられます。これはかなり立ち入ったお話になってくるため、なかなか初顔合わせの状況で体調について深く聞くということは難しいと思います。まあしかし、ガチの体調不良はできるだけ早い段階で対処をお願いしたいものです。
で、より大きな問題はやる気がない、という事例でしょう。
ここにも複数の問題が複雑に絡み合っていて、なかなか簡単には解決できないのかもしれませんが、しばしば聞くセリフに「全く興味がないからヤル気にならない」「自分が行かない科だから必要ない、興味がない」とかそういったものがあります。
これはかなり偏狭なものの考え方であって、医師たるもの、あらゆる分野の基本的な事項に関しては習熟しておく必要がある、というのが現在の初期研修制度の根幹ですから、その考えからするとこれはあり得ないことです。初期研修でも同様で、自分が行かない科だけれども仕方がないから全く勉強しないということで、そんなことで果たして医者として認められるのか?どうだろうかという話になります。そこを伝える、興味を持たせるのが教員の仕事であるわけです。ところがそういうことを言う人の言い分は「〇〇教授も、そんな他科のことなんか知らない」…。
『隠れたカリキュラム』ですね。今現在よく大学におられる教授や偉い先生方は、専門のことを突き詰めるがあまりに専門分野外なことにご興味が…このような振る舞いを見ていて、自分の専門分野を突き詰めれば他の事は別にどうでもいいんだと思わせてしまってる面があったりなかったりするかも…。
それに関連して、学生さんからのご指摘では「教員のやる気のなさ・教える気の無さ」はよく伝わるといいます。ただ外来や手術の見学だけで、何もやり取りがないとか…そんな感じだとそりゃまあ休みたくもなりますわね。それだけが原因ではないのでしょうが、原因の一部にはなっている可能性はあるでしょう。
先生方が学生を軽視している、一方で学生も大学病院の先生にあまり良いイメージをもっていない、距離感がつかめていないということもあるのでしょうし、どうせ短期間だし面倒だから遣り過ごそう…ということも聞きます。どちらが原因でどちらが結果かはわかりません…双方に改善できる点はあるでしょう。
他のご意見として、どう臨床実習を工夫していけば臨床実習に出てもらえるだろう?というある意味アウトカムベースではなく、出てこない人って、普段なにをしてて、どんなことに興味があるんだろう?という視点からの方が、答えは見つけやすい。とか、学生さんの人物像をできるだけ具体的にして、遅刻に至るまでの行動と感情をマッピングして、負の感情を正にするような施策を打つことで少しずつ改善できると思います!など、学生さんの立場に立った施策を求めるご意見には、なるほど!と思わず膝を打ちました。やはり一人で考えているだけでは進みません。引き続き、いろいろな立場からのご意見を募集しております!!
一つの問題として、本当の「体調不良」と「やる気がないから休む」という事例がしばしば鑑別困難な点が挙げられます。これはかなり立ち入ったお話になってくるため、なかなか初顔合わせの状況で体調について深く聞くということは難しいと思います。まあしかし、ガチの体調不良はできるだけ早い段階で対処をお願いしたいものです。
で、より大きな問題はやる気がない、という事例でしょう。
ここにも複数の問題が複雑に絡み合っていて、なかなか簡単には解決できないのかもしれませんが、しばしば聞くセリフに「全く興味がないからヤル気にならない」「自分が行かない科だから必要ない、興味がない」とかそういったものがあります。
これはかなり偏狭なものの考え方であって、医師たるもの、あらゆる分野の基本的な事項に関しては習熟しておく必要がある、というのが現在の初期研修制度の根幹ですから、その考えからするとこれはあり得ないことです。初期研修でも同様で、自分が行かない科だけれども仕方がないから全く勉強しないということで、そんなことで果たして医者として認められるのか?どうだろうかという話になります。そこを伝える、興味を持たせるのが教員の仕事であるわけです。ところがそういうことを言う人の言い分は「〇〇教授も、そんな他科のことなんか知らない」…。
『隠れたカリキュラム』ですね。今現在よく大学におられる教授や偉い先生方は、専門のことを突き詰めるがあまりに専門分野外なことにご興味が…このような振る舞いを見ていて、自分の専門分野を突き詰めれば他の事は別にどうでもいいんだと思わせてしまってる面があったりなかったりするかも…。
それに関連して、学生さんからのご指摘では「教員のやる気のなさ・教える気の無さ」はよく伝わるといいます。ただ外来や手術の見学だけで、何もやり取りがないとか…そんな感じだとそりゃまあ休みたくもなりますわね。それだけが原因ではないのでしょうが、原因の一部にはなっている可能性はあるでしょう。
先生方が学生を軽視している、一方で学生も大学病院の先生にあまり良いイメージをもっていない、距離感がつかめていないということもあるのでしょうし、どうせ短期間だし面倒だから遣り過ごそう…ということも聞きます。どちらが原因でどちらが結果かはわかりません…双方に改善できる点はあるでしょう。
他のご意見として、どう臨床実習を工夫していけば臨床実習に出てもらえるだろう?というある意味アウトカムベースではなく、出てこない人って、普段なにをしてて、どんなことに興味があるんだろう?という視点からの方が、答えは見つけやすい。とか、学生さんの人物像をできるだけ具体的にして、遅刻に至るまでの行動と感情をマッピングして、負の感情を正にするような施策を打つことで少しずつ改善できると思います!など、学生さんの立場に立った施策を求めるご意見には、なるほど!と思わず膝を打ちました。やはり一人で考えているだけでは進みません。引き続き、いろいろな立場からのご意見を募集しております!!
posted by 長尾大志 at 17:02
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| 教育理念・メッセージ
2020年11月28日
臨床実習における遅刻・体調不良問題1
ふと思い出したのですが、臨床実習によく遅刻してくる学生さん、「体調不良」で早退したり休んだりする学生さんはどこの大学でもあるのでしょうか。ちょくちょく見聞するのですが、介入可能なのか否かを考えています。
元学生さんからの意見として、
@社会背景(家族の介護、バイト)
A身体問題(持病、女性なら月経周期によるもの、精神疾患)
Bモチベーションが上がらず出席が苦痛
C生理的に無理な処置がある(手術の大量出血、特定の臓器が苦手、などなど)
また、他の学生さんは臨床実習をよく休む学生さんにヒアリングを行ったとのことで、挙がった休む理由としては、
D診療科によって臨床実習自体が全くもって魅力的ではないことがある(例えば、手術をひたすら見学、その間ひたすらに放置、など)
E臨床実習自体にモチベーションがない(親に勧められたから医学部に入った、や高校時代の成績がよかったから医学部に入った、臨床実習は医師になるために必要な過程であり、極力避けたいがとりあえず乗り越えなければならないと捉え、休める限界(日数)まで休む)
F臨床実習よりも大切な用事がある(学会への参加等々)が、こういった事情で休むことは許されず、「体調不良」で休む
まず、体調不良が、「めまいが起こる」「貧血」はじめ、ガチで医学的な介入が必要なものであれば、積極的に介入が必要です。それは実習が始まる前におそらく介入すべき問題でありますし、組織的な取り組みが必要でしょう。
一方、実習が始まって初めて明らかになることもあるかと思いますので、実習中に気軽に教員に何でも相談できるような雰囲気づくりが必要かなと思います。結局のところ、どうせ教員に言ってもどうにもならんと学生さん側が諦めてしまっている面も多々あるように聞いています。
月経など避けようがない面があることは間違いありません。それでも、体調をコントロールする手段があるのかないのか。コントロールする手段があるのであれば。それを積極的に取って頂かなくてはなりません。
よく例に挙げるのですが、医師になって、9時から外来があって何十人も患者さんが持っているようなシチュエーションで、平気で遅刻してくるとか、9時から手術が始まるのに平気で遅刻してくるとかいうのはプロフェッショナルとしていかがなものかという話になるわけです。今日はちょっと体調が悪いので休みます。手術はなしでよろしく、と言えますか?ということです。体調管理をきちんとする、これもプロフェッショナルとしての条件になるでしょう。
逆に、それでもどうにもならないということもあることは理解しています。そういう場合は臨床実習でもそれなりの対応が必要ですし、働くにあたって融通の利く職場を紹介したり探したり、という手助けも必要かと考えるところです。これは教員というよりも、学部レベルでの対応になるでしょう。
また、学生と医師とは違う、医師免許をもらったらちゃんとやる、給料もらうならちゃんとやる、という声も聴きますが、ぶっつけ本番でうまくいくものではありません。医師になるための見習い期間ですから、そこをおろそかにするのはいかがなものかと。
まあ卒業生でも、学生のころはアレだったものの?その頃とは見違えてまじめに業務に邁進している姿はしばしば見かけるわけで、自分が患者さんに対して責任があることを自覚するようになったり、自分がやったことで患者さんが好転するなどポジティブなフィードバックを受け取るようになったりで、医療という仕事に対して前向きに取り組めるようになってくるともいいます。いわゆる自己肯定感・自分の仕事肯定感につながり、前向きになるのかと。
学生の「見学型」実習で自己肯定感が涵養されるわけもなく、学生にまじめに取り組んでもらうためには、「参加型」で、ポジティブフィードバックを浴びてもらうのがよいのではと思いました。教員にできることはそこかなあ。キーワードは「自己肯定感」のような気がする。
元学生さんからの意見として、
@社会背景(家族の介護、バイト)
A身体問題(持病、女性なら月経周期によるもの、精神疾患)
Bモチベーションが上がらず出席が苦痛
C生理的に無理な処置がある(手術の大量出血、特定の臓器が苦手、などなど)
また、他の学生さんは臨床実習をよく休む学生さんにヒアリングを行ったとのことで、挙がった休む理由としては、
D診療科によって臨床実習自体が全くもって魅力的ではないことがある(例えば、手術をひたすら見学、その間ひたすらに放置、など)
E臨床実習自体にモチベーションがない(親に勧められたから医学部に入った、や高校時代の成績がよかったから医学部に入った、臨床実習は医師になるために必要な過程であり、極力避けたいがとりあえず乗り越えなければならないと捉え、休める限界(日数)まで休む)
F臨床実習よりも大切な用事がある(学会への参加等々)が、こういった事情で休むことは許されず、「体調不良」で休む
まず、体調不良が、「めまいが起こる」「貧血」はじめ、ガチで医学的な介入が必要なものであれば、積極的に介入が必要です。それは実習が始まる前におそらく介入すべき問題でありますし、組織的な取り組みが必要でしょう。
一方、実習が始まって初めて明らかになることもあるかと思いますので、実習中に気軽に教員に何でも相談できるような雰囲気づくりが必要かなと思います。結局のところ、どうせ教員に言ってもどうにもならんと学生さん側が諦めてしまっている面も多々あるように聞いています。
月経など避けようがない面があることは間違いありません。それでも、体調をコントロールする手段があるのかないのか。コントロールする手段があるのであれば。それを積極的に取って頂かなくてはなりません。
よく例に挙げるのですが、医師になって、9時から外来があって何十人も患者さんが持っているようなシチュエーションで、平気で遅刻してくるとか、9時から手術が始まるのに平気で遅刻してくるとかいうのはプロフェッショナルとしていかがなものかという話になるわけです。今日はちょっと体調が悪いので休みます。手術はなしでよろしく、と言えますか?ということです。体調管理をきちんとする、これもプロフェッショナルとしての条件になるでしょう。
逆に、それでもどうにもならないということもあることは理解しています。そういう場合は臨床実習でもそれなりの対応が必要ですし、働くにあたって融通の利く職場を紹介したり探したり、という手助けも必要かと考えるところです。これは教員というよりも、学部レベルでの対応になるでしょう。
また、学生と医師とは違う、医師免許をもらったらちゃんとやる、給料もらうならちゃんとやる、という声も聴きますが、ぶっつけ本番でうまくいくものではありません。医師になるための見習い期間ですから、そこをおろそかにするのはいかがなものかと。
まあ卒業生でも、学生のころはアレだったものの?その頃とは見違えてまじめに業務に邁進している姿はしばしば見かけるわけで、自分が患者さんに対して責任があることを自覚するようになったり、自分がやったことで患者さんが好転するなどポジティブなフィードバックを受け取るようになったりで、医療という仕事に対して前向きに取り組めるようになってくるともいいます。いわゆる自己肯定感・自分の仕事肯定感につながり、前向きになるのかと。
学生の「見学型」実習で自己肯定感が涵養されるわけもなく、学生にまじめに取り組んでもらうためには、「参加型」で、ポジティブフィードバックを浴びてもらうのがよいのではと思いました。教員にできることはそこかなあ。キーワードは「自己肯定感」のような気がする。
posted by 長尾大志 at 19:15
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2020年05月31日
滋賀医科大学在籍の15年を振り返って 2016年〜2020年
2016年には中野先生が熊谷賞を受賞され、私も『やさしイイ血ガス・呼吸管理』『まるごと図解 呼吸の見かた』を出版させていただきました。そしてO先生が開業され、医師の派遣など、医局としても各方面に向けて活動を伸ばしていくことができたように思います。この年にも一般病院、中部地方からわざわざM先生が呼吸器の勉強のために滋賀にやってきてくれました。元々総合診療医の視点を持ち、私たちの診療、ものの考え方にも大いに刺激を与えてくれました。卒業生では T 先生が入局していただき、医局はますます賑やかになりました。


2017年にはK大学からK先生が仲間入り。研究部門を引っ張ってくれています。その年にはK先生とT先生が入局、K先生はその大道芸でBBQの景色を一変させ、T先生は果てしない癒やしの世界を医局にもたらしてくれました。
さらに時が経ち、当時循環器内科の教授であられた堀江先生からの宿題(滋賀に呼吸器内科講座を!)がついに果たされるときがやって来ました。2018年、呼吸器内科が循環器内科から独立し、初代教授が中野先生に決まったのです。一つの目標を達成した感はありました。

と同時に、その時に改めて、呼吸器内科にはこれ以上ポストは増えない、そこで自分もこれ以上の展開はないという現実に目を向けざるを得なくなりました。これまでは独立という目標に向かって突き進んできたのですが、その目標が達成されて、このまま自分がここに居座ると若い先生方のポストがない、彼らにポストを譲ることを考えなくてはならない、という意識が芽生えてきました。
元々数名でやっていたときには、カンファレンスもお互い意見を言う、勉強してきてそれを共有する、という感じであったものが、学年の離れた若い先生が多くなってくると、ただ私が経験を語って皆がそれを黙って聞く、という図式になってきたり、なんとなく一方通行の形になってきていました。当初は私自身古い教育を受けてきた人間ですから、そのやり方に特に疑問を感じていませんでしたが、いろいろ教育について学ぶにつれて、こういう形のカンファレンスは教育的ではないな、もっと皆が発言できるような場作りが自分の仕事なのではないか、ということに思いが至りました。逆にそうしますと、自分の存在意義であったり、自分としての成長(もはや成長することは期待できないかもしれませんが)であったり、自分の貢献できる場所はここではないのではないか、といった何とも言えない違和感が生じてきたのも紛れのない事実であります。
また同時にその頃、本学におけるカリキュラム改革のお話を聞くにつけ、自分の立場で全く何もできない無力感であったり、忸怩たる思いであったり、そういうものが積み重なってきました。かつて色々と考えを巡らした、教育システムを作っていくという仕事への興味がまた湧いてきたわけであります。そのような立場は、現在の場所では私の入る余地がないようで、そのような仕事をしたい場合には他の場所に求める必要がありました。
さはさりながら、滋賀に来て15年、どっぷりと浸かりどっしりと根を下ろしてしまっている自分が、滋賀医大以外の職場に行くことなどは妄想でしかなく、そのような選択肢は意識の外に追いやられ、何とも言えない居心地の悪さを感じて過ごしていたものでした。
2019年、たまたま訪れた出雲の地。初めて宍道湖の上を飛んでいる時に「あ、ここにまた来ることになる」と、何か不思議な感覚を覚えました。その後いくつかの偶然?必然?が重なり、出雲大社様が結んでくださったに違いないご縁もあって、教育を追求することの出来る職のお話をいただきました。なんというタイミング。まさに僥倖。
まだまだ滋賀県下の病院にも呼吸器内科医がいないという病院がたくさんあり、そういう意味では道半ばとなりますが、医局には若い先生も増え、私がいなくてもどんどんこれから発展していくことでしょう。カンファレンスではN先生やU先生が積極的に発言してくださり、2018年以降に入局された先生方、Y先生、O先生、T先生、そして今年のM先生、N先生、Y先生は皆、キラキラしていて、意欲があり勉強熱心で、希望しかありません。
NMB48を卒業した山本彩ではありませんが、私が卒業することで滋賀医大呼吸器内科の起爆剤とならんことを念願し、この度島根大学への異動を決めた次第です。 滋賀医大は卒業という形にはなりますけど、私自身の夢はまだまだです。生涯現役というのが今の私の目標で、もっともっと医学教育を勉強して、一生涯みなさんの前で教育をし続けていられる人間でいたいとこれから先も思っています。今日までどんなことがあっても前を向いて頑張ってくれたのも、一緒に頑張って来たメンバー、そしてスタッフの皆様のお陰だと心から思っています。本当にありがとうございます。
時節柄、対面での会は全面的に禁止されております関係上、送別会なんかもなく、なんとなくこういったことをお話しする機会もないようなので、山本彩の卒業発表コメントを一部引用して、ちょっと振り返ってみました。
2017年にはK大学からK先生が仲間入り。研究部門を引っ張ってくれています。その年にはK先生とT先生が入局、K先生はその大道芸でBBQの景色を一変させ、T先生は果てしない癒やしの世界を医局にもたらしてくれました。
さらに時が経ち、当時循環器内科の教授であられた堀江先生からの宿題(滋賀に呼吸器内科講座を!)がついに果たされるときがやって来ました。2018年、呼吸器内科が循環器内科から独立し、初代教授が中野先生に決まったのです。一つの目標を達成した感はありました。

と同時に、その時に改めて、呼吸器内科にはこれ以上ポストは増えない、そこで自分もこれ以上の展開はないという現実に目を向けざるを得なくなりました。これまでは独立という目標に向かって突き進んできたのですが、その目標が達成されて、このまま自分がここに居座ると若い先生方のポストがない、彼らにポストを譲ることを考えなくてはならない、という意識が芽生えてきました。
元々数名でやっていたときには、カンファレンスもお互い意見を言う、勉強してきてそれを共有する、という感じであったものが、学年の離れた若い先生が多くなってくると、ただ私が経験を語って皆がそれを黙って聞く、という図式になってきたり、なんとなく一方通行の形になってきていました。当初は私自身古い教育を受けてきた人間ですから、そのやり方に特に疑問を感じていませんでしたが、いろいろ教育について学ぶにつれて、こういう形のカンファレンスは教育的ではないな、もっと皆が発言できるような場作りが自分の仕事なのではないか、ということに思いが至りました。逆にそうしますと、自分の存在意義であったり、自分としての成長(もはや成長することは期待できないかもしれませんが)であったり、自分の貢献できる場所はここではないのではないか、といった何とも言えない違和感が生じてきたのも紛れのない事実であります。
また同時にその頃、本学におけるカリキュラム改革のお話を聞くにつけ、自分の立場で全く何もできない無力感であったり、忸怩たる思いであったり、そういうものが積み重なってきました。かつて色々と考えを巡らした、教育システムを作っていくという仕事への興味がまた湧いてきたわけであります。そのような立場は、現在の場所では私の入る余地がないようで、そのような仕事をしたい場合には他の場所に求める必要がありました。
さはさりながら、滋賀に来て15年、どっぷりと浸かりどっしりと根を下ろしてしまっている自分が、滋賀医大以外の職場に行くことなどは妄想でしかなく、そのような選択肢は意識の外に追いやられ、何とも言えない居心地の悪さを感じて過ごしていたものでした。
2019年、たまたま訪れた出雲の地。初めて宍道湖の上を飛んでいる時に「あ、ここにまた来ることになる」と、何か不思議な感覚を覚えました。その後いくつかの偶然?必然?が重なり、出雲大社様が結んでくださったに違いないご縁もあって、教育を追求することの出来る職のお話をいただきました。なんというタイミング。まさに僥倖。
まだまだ滋賀県下の病院にも呼吸器内科医がいないという病院がたくさんあり、そういう意味では道半ばとなりますが、医局には若い先生も増え、私がいなくてもどんどんこれから発展していくことでしょう。カンファレンスではN先生やU先生が積極的に発言してくださり、2018年以降に入局された先生方、Y先生、O先生、T先生、そして今年のM先生、N先生、Y先生は皆、キラキラしていて、意欲があり勉強熱心で、希望しかありません。
NMB48を卒業した山本彩ではありませんが、私が卒業することで滋賀医大呼吸器内科の起爆剤とならんことを念願し、この度島根大学への異動を決めた次第です。 滋賀医大は卒業という形にはなりますけど、私自身の夢はまだまだです。生涯現役というのが今の私の目標で、もっともっと医学教育を勉強して、一生涯みなさんの前で教育をし続けていられる人間でいたいとこれから先も思っています。今日までどんなことがあっても前を向いて頑張ってくれたのも、一緒に頑張って来たメンバー、そしてスタッフの皆様のお陰だと心から思っています。本当にありがとうございます。
時節柄、対面での会は全面的に禁止されております関係上、送別会なんかもなく、なんとなくこういったことをお話しする機会もないようなので、山本彩の卒業発表コメントを一部引用して、ちょっと振り返ってみました。
posted by 長尾大志 at 20:34
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| 教育理念・メッセージ
滋賀医科大学在籍の15年を振り返って 2011年〜2015年
滋賀医科大学の15年、中期は激動の5年間でした。
2011年には、それまでずっと呼吸器内科スタッフを支えてくださっていたUさんが退職され、替わりにNさんとAさんが加わってくださいました。Aさんはその後退職されましたが、皆さんには、精神面でも病んでいるときの話し相手になってくださったり、こちらも今に至るまで物心両面で本当にお世話になりっぱなしです。ありがとうございます。

2012年には当教室が主宰となり、呼吸機能イメージング研究会を開催することが出来ました。また、黄金世代メンバーが大学院に揃い、忘年会の芸が充実を見た年でもあります。2012年に入局してくださったのは、長尾チルドレン第1世代のM先生とY先生、5年生の臨床実習で?呼吸器に興味を持ってくれた、そして呼吸器が独立したアドバンスコースにも回ってきてくれた最初の世代です。多いにこちらのモチベーションが上がりました。

2013年には、ほぼ同時期に、ブログを読んでいただいた日本医事新報社様、中外医学社様、そして学生アンケートからメディックメディア様にお声掛けいただきました。ブログを書籍化した『レジデントのためのやさしイイ呼吸器教室〜ベストティーチャーに教わる全27章』を出版することができ、それまで日陰でちまちま活動していて「こんな生活がいつまで続くのか」と苦しんでいた人生がずいぶん変わることになりました。2013年にはK先生が入局、ロジカルな思考で臨床に研究に、そして教育面でも活躍して頂いてます。

2014年には滋賀医大のベストティーチャー賞をいただきました。ところで滋賀医大のベストティーチャー賞ですが、これは講師以上の格を持った人間でないと受賞できない賞であります。それまで日雇い医員〜助手・助教であった私には全く縁のない賞でありました。その数年前にベストティーチャー賞を受賞された「とある先生」に「本当は君が一番だったんだよ」みたいなことをお声掛けいただき、大変勇気を得たことが思い出されます。なんとか「学内講師」に取り上げていただいて、すぐに受賞することができました。
それから『レジデントのためのやさしイイ胸部画像教室』を出版させていただき、さらに照林社様にもお声掛けをいただき、『エキスパートナース』の特集をまかせていただく機会を何度か頂きました。2014年の入局組は、さわやかY先生としっかりT先生という、なかなか味わい深い組み合わせでしたね。Y先生はこれから大いに大学で活躍されるでしょう。
2014年、当時の教授であった、とある先生から、「今度本学臨床教育講座の教授選がある。君が適任だと思うからぜひやってみないか。」とお声掛け頂きました。実はそのとき初めて、「教育を行う専門職に就く」ということを意識したのです。それまでは臨床現場での呼吸器教育がうまく回り出し、やりがいを感じだしてきた頃で、かつ書籍をどんどん執筆し出版していた頃ですので、当初はそれほど「そういう職」に対して興味はありませんでした。それでも、せっかくお声がけいただいたから、と色々調べてみたところ、そういう大学教育全体の舵取りをしていくような立場の重要さ、やりがいといったものがだんだん見えてきたものであります。
教授の公募から『教授候補者による講演会』まで、なぜか1年以上の時が流れ、じっくりと準備をする時間がありました。準備を通して、本学の問題点であったり、カリキュラムの将来像であったりが、自分なりになんとなく見えてきたように思いました。そこで『教授候補者による講演会』では、教育のやり方について指針をお示しするとともに、「国際基準に対応した臨床実習で72週の実習期間を確保する方法」の私案も交え、総合診療マインドを持つ専門医の育成を大学で行うことの意義もお話しさせていただきました。
しかしながら、そこまで考えを巡らせ、覚悟を決め、少なからずの先生方にご支援を頂いたにもかかわらず、残念ながら教授選は残念な結果となってしまいました。ご期待に応えられなかった申し訳なさもあり、その時点で、自分の中で芽生えたそういう職に対する関心は、一時失われたのでありました。
そんな2015年には『やさしイイ呼吸器教室』改訂版、そして中外医学社様からようやく『呼吸器内科 ただいま診断中!』を出版することができました。またケアネット様にもお声がけをいただき、ケアネットTVからのDVDシリーズを出させていただくこともできました。また近々出るかと思いますので、その時はよろしくお願いいたします笑。また、一般病院からU先生が仲間に加わってくれました。専門は肺癌ですが、肺癌分野のみならず、最近ではCOVID-19に関する最新の知見もどんどん勉強して皆に共有してくれます。頼りにしています。
2011年には、それまでずっと呼吸器内科スタッフを支えてくださっていたUさんが退職され、替わりにNさんとAさんが加わってくださいました。Aさんはその後退職されましたが、皆さんには、精神面でも病んでいるときの話し相手になってくださったり、こちらも今に至るまで物心両面で本当にお世話になりっぱなしです。ありがとうございます。
2012年には当教室が主宰となり、呼吸機能イメージング研究会を開催することが出来ました。また、黄金世代メンバーが大学院に揃い、忘年会の芸が充実を見た年でもあります。2012年に入局してくださったのは、長尾チルドレン第1世代のM先生とY先生、5年生の臨床実習で?呼吸器に興味を持ってくれた、そして呼吸器が独立したアドバンスコースにも回ってきてくれた最初の世代です。多いにこちらのモチベーションが上がりました。
2013年には、ほぼ同時期に、ブログを読んでいただいた日本医事新報社様、中外医学社様、そして学生アンケートからメディックメディア様にお声掛けいただきました。ブログを書籍化した『レジデントのためのやさしイイ呼吸器教室〜ベストティーチャーに教わる全27章』を出版することができ、それまで日陰でちまちま活動していて「こんな生活がいつまで続くのか」と苦しんでいた人生がずいぶん変わることになりました。2013年にはK先生が入局、ロジカルな思考で臨床に研究に、そして教育面でも活躍して頂いてます。
2014年には滋賀医大のベストティーチャー賞をいただきました。ところで滋賀医大のベストティーチャー賞ですが、これは講師以上の格を持った人間でないと受賞できない賞であります。それまで日雇い医員〜助手・助教であった私には全く縁のない賞でありました。その数年前にベストティーチャー賞を受賞された「とある先生」に「本当は君が一番だったんだよ」みたいなことをお声掛けいただき、大変勇気を得たことが思い出されます。なんとか「学内講師」に取り上げていただいて、すぐに受賞することができました。
それから『レジデントのためのやさしイイ胸部画像教室』を出版させていただき、さらに照林社様にもお声掛けをいただき、『エキスパートナース』の特集をまかせていただく機会を何度か頂きました。2014年の入局組は、さわやかY先生としっかりT先生という、なかなか味わい深い組み合わせでしたね。Y先生はこれから大いに大学で活躍されるでしょう。
2014年、当時の教授であった、とある先生から、「今度本学臨床教育講座の教授選がある。君が適任だと思うからぜひやってみないか。」とお声掛け頂きました。実はそのとき初めて、「教育を行う専門職に就く」ということを意識したのです。それまでは臨床現場での呼吸器教育がうまく回り出し、やりがいを感じだしてきた頃で、かつ書籍をどんどん執筆し出版していた頃ですので、当初はそれほど「そういう職」に対して興味はありませんでした。それでも、せっかくお声がけいただいたから、と色々調べてみたところ、そういう大学教育全体の舵取りをしていくような立場の重要さ、やりがいといったものがだんだん見えてきたものであります。
教授の公募から『教授候補者による講演会』まで、なぜか1年以上の時が流れ、じっくりと準備をする時間がありました。準備を通して、本学の問題点であったり、カリキュラムの将来像であったりが、自分なりになんとなく見えてきたように思いました。そこで『教授候補者による講演会』では、教育のやり方について指針をお示しするとともに、「国際基準に対応した臨床実習で72週の実習期間を確保する方法」の私案も交え、総合診療マインドを持つ専門医の育成を大学で行うことの意義もお話しさせていただきました。
しかしながら、そこまで考えを巡らせ、覚悟を決め、少なからずの先生方にご支援を頂いたにもかかわらず、残念ながら教授選は残念な結果となってしまいました。ご期待に応えられなかった申し訳なさもあり、その時点で、自分の中で芽生えたそういう職に対する関心は、一時失われたのでありました。
そんな2015年には『やさしイイ呼吸器教室』改訂版、そして中外医学社様からようやく『呼吸器内科 ただいま診断中!』を出版することができました。またケアネット様にもお声がけをいただき、ケアネットTVからのDVDシリーズを出させていただくこともできました。また近々出るかと思いますので、その時はよろしくお願いいたします笑。また、一般病院からU先生が仲間に加わってくれました。専門は肺癌ですが、肺癌分野のみならず、最近ではCOVID-19に関する最新の知見もどんどん勉強して皆に共有してくれます。頼りにしています。
posted by 長尾大志 at 18:17
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| 教育理念・メッセージ
滋賀医科大学在籍の15年を振り返って 2005年〜2010年
2005年に滋賀医科大学にきて15年経ち、この度、島根大学に異動することになりました。15年間の活動を簡単に振り返ってみたいと思います。
私が滋賀医大に着任した2005年当時は第一内科として、循環器内科と呼吸器内科が一緒になった大講座として運営されていました。教授は循環器内科の堀江先生でした。循環器内科と呼吸器内科、と書きましたが、医局の中はほとんどが循環器内科の先生方で、呼吸器内科スタッフは3名プラス後期研修医W先生(現在は地域中核病院の呼吸器診療の中心です)。病棟も4C病棟の中に循環器と呼吸器が共存、というか、循環器の病床の間に呼吸器が間借りしているような状況で、当直も循環器内科と呼吸器内科の医師が1人で循環器内科と呼吸器内科の患者さんを診るという体制でした。当直で不整脈の患者さんがお見えになるたびに、こちらが不安で不整脈になったことが思い出されます。同門会では100名以上の参加者のうち呼吸器内科医は3名プラス後期?研修医で、周りの先生方の会話や偉い先生方のスピーチもほとんどが理解不能で、切ない気持ちでいっぱいになったものでした。それでも堀江先生には当初から「いつかは呼吸器内科が独立できるように」と物心両面から様々なご支援を頂きました。本当に感謝しています。

医局に入ってすぐに医局長の中野先生がベルツ賞を受賞されました。この環境で研究!?と思ったものですが、京大との共同受賞で、こういうつながりは大事なものだ、ということが実感されました 。スタッフは3名いましたが、医局長は会議や出張で不在がちであり、実質私と(後に天理よろづ相談所病院に異動される)羽白先生の二人で病棟を回し、回ってくる初期研修医の指導をし、これまた回ってくる学生実習の相手をし、3年生や4年生の講義をし、飲み会…それはもう忙しすぎてほとんど記憶がありません。次の年になってなんとか仲間が増えまして、仲間が増えるというのはかくもありがたいことなんだと実感し、仲間を増やさなければならないと痛切に感じたのでした。その年の忘年会は、循環器の先生方の出し物が大変素晴らしく、呼吸器のスタッフも負けじと頑張って出し物をしたものでした。
その翌年は、後に黄金世代と呼ばれる後期研修医の先生方が4名(後に6名+1)入局されました。今では次世代医局を牽引してくれているN先生もこの1人です。2度の武者修行を経て、たくましく成長され、自分の意見をしっかり持たれていて頼りになります。この大量入局は、羽白先生と二人で研修医の先生の教育をがんばったおかげかなと思い、やはり教育は重要だということをまたまた痛切に感じました。この頃から呼吸器内科のBBQが始まりました(これも教育?)。その頃には、滋賀県の呼吸器教育が無視できない程度に欠如している、ということを認識する機会が多々あり、まずは自分の出来るところ、すなわち大学における呼吸器教育・医学教育を頑張ろうという風に思い始めた次第です。そこから、学部教育・卒後教育に力を入れ、いろいろな工夫をするようになったのかなーと思います。

そこから先は、しばらくそれほど特記すべきことはありませんが、徐々にではありますが入局される若い先生も増えてきました。2008年〜2009年には、現在市中病院で活躍されているS先生とS先生が入局。出産育児を経てママさんとしてしっかり勤務していただいています。そして現在も滋賀医大の感染症を支えてくださっているO先生が仲間に加わってくれました。彼とは個人的にもいろいろと相談に乗ってもらったりして、頼りになる存在です。

2010年、この学年は入局者は少なかったのですが、この年のアドバンスコース(写真)はなかなかの黄金世代じゃないかと考えています。別名Facebook 世代と呼んでいまして 、Facebookでの友達がちょいちょいいて、彼らの活躍ぶりがちょいちょい伝わってきて、それをいつも嬉しく眺めています。この世代の後の世代になってくると、Facebookでのつながりが減ってきて寂しい限りです。またこの年に医局に加わってくださったのがO先生とY先生です。O先生は『肺の力ゲーム 』を学祭で行うよう発案されたり、アイデアマンで、多いに刺激を頂きましたし、Y先生は本当に、ずっと呼吸器内科病棟を支えて頂き、感謝しかありません。どれだけ感謝の言葉を言っても足りないほどです。

そして小さな一歩ではありますが、ブログを書き始めたのがこの年です。最初は断続的ではあったのですが、当初は全くアクセスもなく、これではいかんと毎日更新するようにしてから、見てくれる方がどんどん増え、コメントでフィードバックをいただくことも多くなってきて、こちらのモチベーションもどんどん上がってきた、そういう時期であります。もともとブログを書き始めたのは、それなりに教え方に工夫をするようになって、学生さんによくわかったと言ってもらえることも増えたものの、実習で教えてもその一瞬限り、その場限りのものになってしまい、せっかくの工夫が後に残らない。何か残す手段はないだろうか。そしてそれを、毎週毎週回ってくる学生さんや、毎月毎月回ってくる研修医の先生方と共有できないものだろうか、と考えた末のことであったのです。
私が滋賀医大に着任した2005年当時は第一内科として、循環器内科と呼吸器内科が一緒になった大講座として運営されていました。教授は循環器内科の堀江先生でした。循環器内科と呼吸器内科、と書きましたが、医局の中はほとんどが循環器内科の先生方で、呼吸器内科スタッフは3名プラス後期研修医W先生(現在は地域中核病院の呼吸器診療の中心です)。病棟も4C病棟の中に循環器と呼吸器が共存、というか、循環器の病床の間に呼吸器が間借りしているような状況で、当直も循環器内科と呼吸器内科の医師が1人で循環器内科と呼吸器内科の患者さんを診るという体制でした。当直で不整脈の患者さんがお見えになるたびに、こちらが不安で不整脈になったことが思い出されます。同門会では100名以上の参加者のうち呼吸器内科医は3名プラス後期?研修医で、周りの先生方の会話や偉い先生方のスピーチもほとんどが理解不能で、切ない気持ちでいっぱいになったものでした。それでも堀江先生には当初から「いつかは呼吸器内科が独立できるように」と物心両面から様々なご支援を頂きました。本当に感謝しています。
医局に入ってすぐに医局長の中野先生がベルツ賞を受賞されました。この環境で研究!?と思ったものですが、京大との共同受賞で、こういうつながりは大事なものだ、ということが実感されました 。スタッフは3名いましたが、医局長は会議や出張で不在がちであり、実質私と(後に天理よろづ相談所病院に異動される)羽白先生の二人で病棟を回し、回ってくる初期研修医の指導をし、これまた回ってくる学生実習の相手をし、3年生や4年生の講義をし、飲み会…それはもう忙しすぎてほとんど記憶がありません。次の年になってなんとか仲間が増えまして、仲間が増えるというのはかくもありがたいことなんだと実感し、仲間を増やさなければならないと痛切に感じたのでした。その年の忘年会は、循環器の先生方の出し物が大変素晴らしく、呼吸器のスタッフも負けじと頑張って出し物をしたものでした。
その翌年は、後に黄金世代と呼ばれる後期研修医の先生方が4名(後に6名+1)入局されました。今では次世代医局を牽引してくれているN先生もこの1人です。2度の武者修行を経て、たくましく成長され、自分の意見をしっかり持たれていて頼りになります。この大量入局は、羽白先生と二人で研修医の先生の教育をがんばったおかげかなと思い、やはり教育は重要だということをまたまた痛切に感じました。この頃から呼吸器内科のBBQが始まりました(これも教育?)。その頃には、滋賀県の呼吸器教育が無視できない程度に欠如している、ということを認識する機会が多々あり、まずは自分の出来るところ、すなわち大学における呼吸器教育・医学教育を頑張ろうという風に思い始めた次第です。そこから、学部教育・卒後教育に力を入れ、いろいろな工夫をするようになったのかなーと思います。
そこから先は、しばらくそれほど特記すべきことはありませんが、徐々にではありますが入局される若い先生も増えてきました。2008年〜2009年には、現在市中病院で活躍されているS先生とS先生が入局。出産育児を経てママさんとしてしっかり勤務していただいています。そして現在も滋賀医大の感染症を支えてくださっているO先生が仲間に加わってくれました。彼とは個人的にもいろいろと相談に乗ってもらったりして、頼りになる存在です。
2010年、この学年は入局者は少なかったのですが、この年のアドバンスコース(写真)はなかなかの黄金世代じゃないかと考えています。別名Facebook 世代と呼んでいまして 、Facebookでの友達がちょいちょいいて、彼らの活躍ぶりがちょいちょい伝わってきて、それをいつも嬉しく眺めています。この世代の後の世代になってくると、Facebookでのつながりが減ってきて寂しい限りです。またこの年に医局に加わってくださったのがO先生とY先生です。O先生は『肺の力ゲーム 』を学祭で行うよう発案されたり、アイデアマンで、多いに刺激を頂きましたし、Y先生は本当に、ずっと呼吸器内科病棟を支えて頂き、感謝しかありません。どれだけ感謝の言葉を言っても足りないほどです。
そして小さな一歩ではありますが、ブログを書き始めたのがこの年です。最初は断続的ではあったのですが、当初は全くアクセスもなく、これではいかんと毎日更新するようにしてから、見てくれる方がどんどん増え、コメントでフィードバックをいただくことも多くなってきて、こちらのモチベーションもどんどん上がってきた、そういう時期であります。もともとブログを書き始めたのは、それなりに教え方に工夫をするようになって、学生さんによくわかったと言ってもらえることも増えたものの、実習で教えてもその一瞬限り、その場限りのものになってしまい、せっかくの工夫が後に残らない。何か残す手段はないだろうか。そしてそれを、毎週毎週回ってくる学生さんや、毎月毎月回ってくる研修医の先生方と共有できないものだろうか、と考えた末のことであったのです。
posted by 長尾大志 at 10:57
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2020年05月03日
最高に美味しいものを食べちゃった人の人生が、果たして幸せといえるのかどうか問題、の続き
最高に美味しいものを食べちゃった人の人生が、果たして幸せといえるのかどうか問題 はこちら→
http://tnagao.sblo.jp/article/186941913.html
最近の自分の外来は「患者さんにお別れを告げる時間」となっています。そこでどなたかに引き継ぐという話になった時に「この先生だったら大丈夫ですから」といえる先生がいてくださることは本当にありがたいことです。そういうことから、自分が一生懸命やって外来の質を高める、それはもちろん大事なのですが、それは単に仕事を遺したということにしかならない。やはり人を遺す、ということまで至らないことには、物事をなしたことにはならない、と思うに至った次第です。
後藤新平「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上とする。されど財なさずんば事業保ち難く、事業なくんば人育ち難し」
そして一方で、自分だけが質をあげても、その所属する団体の質全体が上がらなければ、例えば大学において、1人のスーパーベストティーチャーがいても、他のティーチャーの質が追い付け追い越せにならなくては、学生さんの満足度は高まらないのではないか。むしろ、下手に良質なものを知ってしまったがゆえに、団体全体の質の低さが実感されることになって、満足度はむしろ下がるかもしれません。
同様に「あの先生はいいけどこっちの先生は嫌だ」みたいな格差がその病院内で生じてしまうと、実は結構みんな不幸になってしまう面もあるように思われます。後継者を育てる教育というのはものすごく大事で、それに関しては自分でもある程度出来たつもりではありますが、実は水平展開もしなくてはならない。この水平展開がかなり難しいのであります。
http://tnagao.sblo.jp/article/186941913.html
最近の自分の外来は「患者さんにお別れを告げる時間」となっています。そこでどなたかに引き継ぐという話になった時に「この先生だったら大丈夫ですから」といえる先生がいてくださることは本当にありがたいことです。そういうことから、自分が一生懸命やって外来の質を高める、それはもちろん大事なのですが、それは単に仕事を遺したということにしかならない。やはり人を遺す、ということまで至らないことには、物事をなしたことにはならない、と思うに至った次第です。
後藤新平「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上とする。されど財なさずんば事業保ち難く、事業なくんば人育ち難し」
そして一方で、自分だけが質をあげても、その所属する団体の質全体が上がらなければ、例えば大学において、1人のスーパーベストティーチャーがいても、他のティーチャーの質が追い付け追い越せにならなくては、学生さんの満足度は高まらないのではないか。むしろ、下手に良質なものを知ってしまったがゆえに、団体全体の質の低さが実感されることになって、満足度はむしろ下がるかもしれません。
同様に「あの先生はいいけどこっちの先生は嫌だ」みたいな格差がその病院内で生じてしまうと、実は結構みんな不幸になってしまう面もあるように思われます。後継者を育てる教育というのはものすごく大事で、それに関しては自分でもある程度出来たつもりではありますが、実は水平展開もしなくてはならない。この水平展開がかなり難しいのであります。
posted by 長尾大志 at 23:14
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2020年04月12日
SUMS TIMES寄稿用下書き3
学生さんの新聞、SUMS TIMESへの寄稿用原稿は出来まして、提出しましたが、他のテーマでも下書きを書いてみています。
<テーマ案>
・「呼吸器」のおもしろさ
元々、お医者さんとは患者さんを見るものだ、患者さんを見たい、と思っていた私が呼吸器内科を進路として選択したのは、臨床医としての幅を求めて、何でもできる医師になりたかったからです。
呼吸器内科の取り扱う病態は、感染症に始まり悪性腫瘍・免疫疾患・膠原病・血管炎・アレルギー・循環、それに吸入した物質による変性疾患などなど多岐にわたる病因で、取り扱う薬剤も抗菌薬に始まり、抗がん剤・分子標的薬・免疫チェックポイント阻害薬・ステロイド・免疫抑制薬・生物学的製剤・麻薬製剤と、おおよそあらゆる機序の薬剤を使います。また手技としても、胸腔穿刺に始まり気管支鏡・胸腔鏡・放射線・カテーテルなど多彩です。
診療場面としては、上気道炎などのプライマリケアの領域から、COPD・間質性肺炎・膠原病の長期管理、感染症対策、肺がんの化学療法や緩和ケア・終末期医療・アドバンスケアプランニングまで、患者さんのあらゆるステージを見守ることができます。
専門家としては、それこそ感染症の専門家・アレルギーの専門家・免疫膠原病の専門家・としての引き合いは大変多く、またやりがいのあるところでもありますし、呼吸管理などは集中治療にもつながる専門性の高い領域であります。
<テーマ案>
・「呼吸器」のおもしろさ
元々、お医者さんとは患者さんを見るものだ、患者さんを見たい、と思っていた私が呼吸器内科を進路として選択したのは、臨床医としての幅を求めて、何でもできる医師になりたかったからです。
呼吸器内科の取り扱う病態は、感染症に始まり悪性腫瘍・免疫疾患・膠原病・血管炎・アレルギー・循環、それに吸入した物質による変性疾患などなど多岐にわたる病因で、取り扱う薬剤も抗菌薬に始まり、抗がん剤・分子標的薬・免疫チェックポイント阻害薬・ステロイド・免疫抑制薬・生物学的製剤・麻薬製剤と、おおよそあらゆる機序の薬剤を使います。また手技としても、胸腔穿刺に始まり気管支鏡・胸腔鏡・放射線・カテーテルなど多彩です。
診療場面としては、上気道炎などのプライマリケアの領域から、COPD・間質性肺炎・膠原病の長期管理、感染症対策、肺がんの化学療法や緩和ケア・終末期医療・アドバンスケアプランニングまで、患者さんのあらゆるステージを見守ることができます。
専門家としては、それこそ感染症の専門家・アレルギーの専門家・免疫膠原病の専門家・としての引き合いは大変多く、またやりがいのあるところでもありますし、呼吸管理などは集中治療にもつながる専門性の高い領域であります。
posted by 長尾大志 at 22:50
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2020年04月11日
SUMS TIMES寄稿用下書き2
学生さんの新聞、SUMS TIMESへの寄稿用原稿は出来まして、提出しましたが、他のテーマでも下書きを書いてみています。
<テーマ案>
・社会人(医療者)になるということはどういうことか
プロフェッショナリズムに関する質問ですね。学生と社会人の大きな違いは、その責任にあるということ、それは間違いありません。学生の間も、アルバイトをしてお金を稼ぐ時にはその間の責任というものがあるはずですが、それがおそらく比較にならない大きさになってくるということです。学生の間は「できませんでした」で済んでいたことが、それでは済まない、何が何でも、何らかの結果を出さなくてはならない、ということです。
例えば遅刻。学生実習でもちょいちょい?遅れてくる人がいます。実習に遅れても、教員としては気分はよくないですが、まあ別に誰に迷惑をかけるわけでもない…。でも、これが、外来の時間になっても〇〇先生が来ない、とか、手術開始時間になっても〇〇先生が来ない、とか、当直の交代時間に〇〇先生が来ない、とか…どうでしょう。気分がよくない、ではすみません。患者さんの立場だったらありえない、と思いませんか?私も実習の現場であまり注意はしたくないのですが、患者さんの立場に立ってほしいと、そういう風なことは言ったりすることもあります。
また、これは仕方のない面もありますが、体調管理にも気を付けていただきたいところです。今日は体調が悪いので気管支鏡の見学を休みたい…早退したい…明日来られません…。ちょいちょいあります。
これが、体調が悪いから今日の外来休みます…手術休みます…当直しません…昨今話題?の「医療崩壊」ですね…。昨今は、風邪とか発熱だったら休むべし、それは感染対策という側面もあります。でも、そもそも夜中まで飲み歩いて風邪を引いた、睡眠不足だった…体調管理には気を付けていただきたい。「前にもこんなことがありました」といわれると、ちょっと、うーん…。
特に医学生と医師の大きな違いは、患者さんの命を預かっている、命に関わらないまでも大きな後遺症を残したり合併症を起こしたり、あるいは治療がうまくいかなかったり、そういったことに対する責任があるわけです。そのために学生さんの間はお金を払って勉強するわけですが、医療者になったらお金をもらうわけですね、それも少なからず。
また学生さんの間は、課題があって試験があって、それに関する勉強をやらされるという面が大きいと思いますが、医療者になってからは、自分から勉強していかないと誰も引っ張り上げてくれなくなってしまうのが怖いところです。学生の間は「面倒を見てもらえる」のが、医師になると自分の技量に対する責任を自分で持つ、ということになります。
<テーマ案>
・社会人(医療者)になるということはどういうことか
プロフェッショナリズムに関する質問ですね。学生と社会人の大きな違いは、その責任にあるということ、それは間違いありません。学生の間も、アルバイトをしてお金を稼ぐ時にはその間の責任というものがあるはずですが、それがおそらく比較にならない大きさになってくるということです。学生の間は「できませんでした」で済んでいたことが、それでは済まない、何が何でも、何らかの結果を出さなくてはならない、ということです。
例えば遅刻。学生実習でもちょいちょい?遅れてくる人がいます。実習に遅れても、教員としては気分はよくないですが、まあ別に誰に迷惑をかけるわけでもない…。でも、これが、外来の時間になっても〇〇先生が来ない、とか、手術開始時間になっても〇〇先生が来ない、とか、当直の交代時間に〇〇先生が来ない、とか…どうでしょう。気分がよくない、ではすみません。患者さんの立場だったらありえない、と思いませんか?私も実習の現場であまり注意はしたくないのですが、患者さんの立場に立ってほしいと、そういう風なことは言ったりすることもあります。
また、これは仕方のない面もありますが、体調管理にも気を付けていただきたいところです。今日は体調が悪いので気管支鏡の見学を休みたい…早退したい…明日来られません…。ちょいちょいあります。
これが、体調が悪いから今日の外来休みます…手術休みます…当直しません…昨今話題?の「医療崩壊」ですね…。昨今は、風邪とか発熱だったら休むべし、それは感染対策という側面もあります。でも、そもそも夜中まで飲み歩いて風邪を引いた、睡眠不足だった…体調管理には気を付けていただきたい。「前にもこんなことがありました」といわれると、ちょっと、うーん…。
特に医学生と医師の大きな違いは、患者さんの命を預かっている、命に関わらないまでも大きな後遺症を残したり合併症を起こしたり、あるいは治療がうまくいかなかったり、そういったことに対する責任があるわけです。そのために学生さんの間はお金を払って勉強するわけですが、医療者になったらお金をもらうわけですね、それも少なからず。
また学生さんの間は、課題があって試験があって、それに関する勉強をやらされるという面が大きいと思いますが、医療者になってからは、自分から勉強していかないと誰も引っ張り上げてくれなくなってしまうのが怖いところです。学生の間は「面倒を見てもらえる」のが、医師になると自分の技量に対する責任を自分で持つ、ということになります。
posted by 長尾大志 at 16:58
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2020年04月05日
「SUMS TIMES」寄稿文サンプル
学生さんの新聞「SUMS TIMES」に寄稿させて頂けることになったのですが、滋賀医大に関するご質問に正直に回答すると、もう伏字だらけで何が何やら…笑。
例えば、・滋賀医大の印象 というテーマですと…
見た感じは山の上で、自然も多くて過ごしやすいのどかな印象ですね。これは外見です。中身はどうなんでしょうか?自分が呼吸器内科の中で日々活動している範囲においては、他所の科の事は分からないので何とも言えないというのが正直なところです。ただまぁ15年もやっていると、例えば(中略)と言う事例が多いとは思います。これは思うに、(中略)、ということがよくわかります。自分もかつてはそうでしたからそうであることについてはよくわかるのですが、昨今、(中略)という印象はあります。
…なんのこっちゃらわかりません。ということで、この質問はパスしまして…
・先生はどんな学生だったか?勉強法など。
学生の頃は、正直勉強が好きではなかったです。教科書を読むのも好きではなかったし、英語は苦手で全然論文も読みませんでした。大学時代の講義で、面白かったとか興味を惹かれたという講義はほとんどなく、残念ながらそういった良い出会いもあまりありませんでした。数少ない、興味を引かれた科目が呼吸器内科であったことは、後の進路を決めたポイントでもありましたし、私の教育に対する基本的な考え方を決めたともいえると思います。
私の学生時代は『病気がみえる』もなく『イヤーノート』も出たての頃で、あんな高いものは買えないと思っていましたし、国家試験予備校は国家試験に残念ながら合格されなかった浪人の方が利用するもので、ビデオ講座もなかったと思います。スマホもなく、ネットでの情報収集も、(そもそもネットに良質な情報など落ちていませんでしたから)期待はできませんでした。ですから今の学生さんとは全く違う情報源だったことは間違いありませんね。病気がみえるではないアンチョコ本や、過去問を使って試験対策のための勉強に終始していた記憶があります。
逆に自分が決して勉強のできる学生ではない、モチベーションも低かったがゆえに、そういった学生さんの立場に立って、学生さんのためにできることを考え続けた結果、色々なコンテンツを作り出すことができたのではないかと思っています。
研修医になってからも、1年目の頃はただ回ってくる症例に振り回され、目の前の業務をこなすので手一杯でありましたが、知識が身に付いてくるにつれどんどん人の体のメカニズムや病態に関して興味がわき、初めてそこで勉強のモチベーションが高まってきました。
そもそも最初の一歩がわからないとなかなか興味もわきませんし、勉強しようとか、本を読もうという気にもならないと言う学生さんは少なくないのではないかと思います。自分がそうであったがゆえに、そこを手助けしてほしかった、その手助けをするのが教員の大事な仕事ではないかなと思っています。
例えば、・滋賀医大の印象 というテーマですと…
見た感じは山の上で、自然も多くて過ごしやすいのどかな印象ですね。これは外見です。中身はどうなんでしょうか?自分が呼吸器内科の中で日々活動している範囲においては、他所の科の事は分からないので何とも言えないというのが正直なところです。ただまぁ15年もやっていると、例えば(中略)と言う事例が多いとは思います。これは思うに、(中略)、ということがよくわかります。自分もかつてはそうでしたからそうであることについてはよくわかるのですが、昨今、(中略)という印象はあります。
…なんのこっちゃらわかりません。ということで、この質問はパスしまして…
・先生はどんな学生だったか?勉強法など。
学生の頃は、正直勉強が好きではなかったです。教科書を読むのも好きではなかったし、英語は苦手で全然論文も読みませんでした。大学時代の講義で、面白かったとか興味を惹かれたという講義はほとんどなく、残念ながらそういった良い出会いもあまりありませんでした。数少ない、興味を引かれた科目が呼吸器内科であったことは、後の進路を決めたポイントでもありましたし、私の教育に対する基本的な考え方を決めたともいえると思います。
私の学生時代は『病気がみえる』もなく『イヤーノート』も出たての頃で、あんな高いものは買えないと思っていましたし、国家試験予備校は国家試験に残念ながら合格されなかった浪人の方が利用するもので、ビデオ講座もなかったと思います。スマホもなく、ネットでの情報収集も、(そもそもネットに良質な情報など落ちていませんでしたから)期待はできませんでした。ですから今の学生さんとは全く違う情報源だったことは間違いありませんね。病気がみえるではないアンチョコ本や、過去問を使って試験対策のための勉強に終始していた記憶があります。
逆に自分が決して勉強のできる学生ではない、モチベーションも低かったがゆえに、そういった学生さんの立場に立って、学生さんのためにできることを考え続けた結果、色々なコンテンツを作り出すことができたのではないかと思っています。
研修医になってからも、1年目の頃はただ回ってくる症例に振り回され、目の前の業務をこなすので手一杯でありましたが、知識が身に付いてくるにつれどんどん人の体のメカニズムや病態に関して興味がわき、初めてそこで勉強のモチベーションが高まってきました。
そもそも最初の一歩がわからないとなかなか興味もわきませんし、勉強しようとか、本を読もうという気にもならないと言う学生さんは少なくないのではないかと思います。自分がそうであったがゆえに、そこを手助けしてほしかった、その手助けをするのが教員の大事な仕事ではないかなと思っています。
posted by 長尾大志 at 15:39
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2020年04月04日
学生新聞「SUMS TIMES」
学生さんの新聞「SUMS TIMES」に寄稿させて頂けることになりました。
学生さんに向けたメッセージを、テーマは基本的に「自由」で、ということでしたが、参考までに、ということで新聞部の皆さんから頂いた質問。字数制限1,500字なんですが、全部答えると結構なものになりそうです。でも伝えたいメッセージばかりですね。
<テーマ案>
・先生からみた滋賀医大の印象
・滋賀医大の課題
・滋賀医のいいところ、悪いところ
・滋賀医の学長だったらやりたかったこと
・先生はどんな学生だったか?勉強法など。
・好きな本や映画と共に先生が考える人生の本質
・おススメの本3冊とその理由
・社会人(医療者)になるということはどういうことか
・優秀な医療人になるにはどうすればよいか
・患者との信頼関係について
・人として医療人として、これだけは忘れて欲しくないこと
・どのように医学に向き合って行って欲しいか
・「呼吸器」のおもしろさ
・つらいとき、先生を支えてきた言葉やエピソード
・先生が学生のために教育に熱心になれる理由/動機
・先生が一番大切にしていること
・先生が考える「教育と未来」について
・先生が考える「圧倒的努力」や「成長」について
・人生に本当に必要な人間関係のつくりかた
・仕事とプライベートの両立について
・人生やキャリアについてのアドバイス、など
学生さんに向けたメッセージを、テーマは基本的に「自由」で、ということでしたが、参考までに、ということで新聞部の皆さんから頂いた質問。字数制限1,500字なんですが、全部答えると結構なものになりそうです。でも伝えたいメッセージばかりですね。
<テーマ案>
・先生からみた滋賀医大の印象
・滋賀医大の課題
・滋賀医のいいところ、悪いところ
・滋賀医の学長だったらやりたかったこと
・先生はどんな学生だったか?勉強法など。
・好きな本や映画と共に先生が考える人生の本質
・おススメの本3冊とその理由
・社会人(医療者)になるということはどういうことか
・優秀な医療人になるにはどうすればよいか
・患者との信頼関係について
・人として医療人として、これだけは忘れて欲しくないこと
・どのように医学に向き合って行って欲しいか
・「呼吸器」のおもしろさ
・つらいとき、先生を支えてきた言葉やエピソード
・先生が学生のために教育に熱心になれる理由/動機
・先生が一番大切にしていること
・先生が考える「教育と未来」について
・先生が考える「圧倒的努力」や「成長」について
・人生に本当に必要な人間関係のつくりかた
・仕事とプライベートの両立について
・人生やキャリアについてのアドバイス、など
posted by 長尾大志 at 21:45
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2020年01月01日
2020年、あけましておめでとうございます
皆様、あけましておめでとうございます。
2020年はどんな年になるのか、するのか。
2019年は、実習の現場にべったり張り付き、ある程度の手ごたえを得た1年でした。ただ、今いる場所でできることにいろいろと限界が見えてきて、何らかの変化が必要ではないか、と感じているこの頃。さて、どのような展開が期待できるか。期待できないのか。
もちろん、執筆が滞っている書籍を完成させたいし、引き続きいろいろな出会いを大切にしたいです。いただくお仕事に全力投球することもそうですが、新しい仕事も切り開いていきたいものです。
本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
2020年はどんな年になるのか、するのか。
2019年は、実習の現場にべったり張り付き、ある程度の手ごたえを得た1年でした。ただ、今いる場所でできることにいろいろと限界が見えてきて、何らかの変化が必要ではないか、と感じているこの頃。さて、どのような展開が期待できるか。期待できないのか。
もちろん、執筆が滞っている書籍を完成させたいし、引き続きいろいろな出会いを大切にしたいです。いただくお仕事に全力投球することもそうですが、新しい仕事も切り開いていきたいものです。
本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

posted by 長尾大志 at 22:31
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2019年12月21日
最高に美味しいものを食べちゃった人の人生が、果たして幸せといえるのかどうか問題。
普段それほど美味しくないものを食べ慣れていると、たまに美味しいものを食べると幸せを感じます。ということは、その人の人生は「普通」の時間と「幸せ」な時間で構成されることになります。
それが、美味しいものを食べる機会が増えてくると、(それまで食べていた)美味しくないものを食べた時に、それまで感じなかった「美味しくない」「不幸な」時間を味わうことになってしまいます。
とすると、下手に?良いものを知ってしまうと、物事の価値判断基準が上がり、もっと良いもの、もっと良いものを求めていく。それが果たしてその人の人生にとって幸せかどうかは、まあなんとも言えないところです。
もちろん、生涯美味しいものばかり食べられれば、それはそれでいいのでしょうが、それでも、たまに何らかの事情によって美味しくないものを食べるはめになった時、その人は不幸を感じるでしょう。
例えば、それがモチベーションになって、もっと美味しいものを食べたい、もっと仕事を頑張る、ということに繋がっていくのであれば、おそらくその人の人生はより良いものになっていくでしょう。しかし、たまたま与えられた「美味しいもの」を知ってしまったが故に、ただ単に価値基準だけが上がり、その後何ら人生が好転しない場合、ただその人は不幸になってしまい、不平不満ばかり述べ立てるだけの人生になってしまうかもしれません。
さて、私は普段学生の講義や臨床実習の担当をしています。自分なりに工夫し、決められた枠の中で最善のものを提供しようと日々頑張っています。学生さんからの授業評価も、概ね好評をいただくことが大半なわけですが、時折他の先生の授業との落差について嘆く声を聞くことがあります。
「他の先生にもこういう授業をしてほしい」「他の授業への水平展開をお願いしたい」「他の授業も全部長尾先生がやって欲しい」というような声です。私自身は色々な機会を見つけて、またメディアを通じて、より良い授業を行っていくにはどうすればいいか、情報発信をしているつもりですが、なかなか水平展開は難しいのが実際です。そうすると、上記のように「いい授業に対する満足」よりも「よくない(普通の)授業に対する不満」のほうが上回り、トータルでの「大学に対する満足度」が低下してしまうのではないかと危惧されるところです。
なまじ美味しい料理を知ってしまったがゆえに、他の料理に対して不満が生じてしまうのであれば、サービスの受け手にとっては決して好ましいことではないかもしれないなあ、ということです。すなわち、自分のところだけハイレベルにすればいいというものではない、やはり学生さん向けの講義や臨床実習「全体」をレベルアップしていかなければならないのだろうなあ、ということになります。
でもそれって、他の教員の方々の行動変容を促すということですよね…今の立場だと、情報発信ぐらいしかできていないのが現状です。これは忸怩たる思いですが、教育に携わる方であれば重々お分かりの通り、形や攻略をいくら整えても、受け手の心、モチベーションに響くことがなければアウトカムの変革にまでは及ばないと思うのです。ですから大学の教育担当部署は、大学教員の行動変容につながるような働きかけをしていく必要があるわけで、他の大学ではどのようにされているのか大変興味がありますし、いろいろな方策を学んでいきたいと思う今日この頃であります。
それが、美味しいものを食べる機会が増えてくると、(それまで食べていた)美味しくないものを食べた時に、それまで感じなかった「美味しくない」「不幸な」時間を味わうことになってしまいます。
とすると、下手に?良いものを知ってしまうと、物事の価値判断基準が上がり、もっと良いもの、もっと良いものを求めていく。それが果たしてその人の人生にとって幸せかどうかは、まあなんとも言えないところです。
もちろん、生涯美味しいものばかり食べられれば、それはそれでいいのでしょうが、それでも、たまに何らかの事情によって美味しくないものを食べるはめになった時、その人は不幸を感じるでしょう。
例えば、それがモチベーションになって、もっと美味しいものを食べたい、もっと仕事を頑張る、ということに繋がっていくのであれば、おそらくその人の人生はより良いものになっていくでしょう。しかし、たまたま与えられた「美味しいもの」を知ってしまったが故に、ただ単に価値基準だけが上がり、その後何ら人生が好転しない場合、ただその人は不幸になってしまい、不平不満ばかり述べ立てるだけの人生になってしまうかもしれません。
さて、私は普段学生の講義や臨床実習の担当をしています。自分なりに工夫し、決められた枠の中で最善のものを提供しようと日々頑張っています。学生さんからの授業評価も、概ね好評をいただくことが大半なわけですが、時折他の先生の授業との落差について嘆く声を聞くことがあります。
「他の先生にもこういう授業をしてほしい」「他の授業への水平展開をお願いしたい」「他の授業も全部長尾先生がやって欲しい」というような声です。私自身は色々な機会を見つけて、またメディアを通じて、より良い授業を行っていくにはどうすればいいか、情報発信をしているつもりですが、なかなか水平展開は難しいのが実際です。そうすると、上記のように「いい授業に対する満足」よりも「よくない(普通の)授業に対する不満」のほうが上回り、トータルでの「大学に対する満足度」が低下してしまうのではないかと危惧されるところです。
なまじ美味しい料理を知ってしまったがゆえに、他の料理に対して不満が生じてしまうのであれば、サービスの受け手にとっては決して好ましいことではないかもしれないなあ、ということです。すなわち、自分のところだけハイレベルにすればいいというものではない、やはり学生さん向けの講義や臨床実習「全体」をレベルアップしていかなければならないのだろうなあ、ということになります。
でもそれって、他の教員の方々の行動変容を促すということですよね…今の立場だと、情報発信ぐらいしかできていないのが現状です。これは忸怩たる思いですが、教育に携わる方であれば重々お分かりの通り、形や攻略をいくら整えても、受け手の心、モチベーションに響くことがなければアウトカムの変革にまでは及ばないと思うのです。ですから大学の教育担当部署は、大学教員の行動変容につながるような働きかけをしていく必要があるわけで、他の大学ではどのようにされているのか大変興味がありますし、いろいろな方策を学んでいきたいと思う今日この頃であります。
posted by 長尾大志 at 11:35
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2019年08月12日
6回生全員アンケート考察
直接的な滋賀医大を選ばなかった理由として、立地の問題は少なからずあるようです。しかしながらこの問題も、先に挙げたいわゆる駐車場問題に起因する感情的なしこりが、少なからず影響していたようにも思われます。やはり滋賀医大に対するネガティブな感情が積み重なって、「出ていきたい」という結論に結びついた可能性があります。
また、給料に関しては私が何かを申し上げることのできる立場ではありませんので、ここでは特に取り上げることは致しません。喫緊の問題、かつ今後改善していくことができるポイントがあるとすれば、それは滋賀医大を選ばなかった理由として挙げられているネガティブな印象になるかと思います。
ここに書かれている結果を見ると、教職員の行動・言動・そして診療は学生にずっと見られていて、いわゆるHidden curriculum(隠れたカリキュラム)として、滋賀医大の印象を形成するのに大いに寄与していることがわかりました。
ちなみに教員以外にも、コメディカルスタッフや学生課、それに制度そのものに対する意見も多々ありました。
1年以上の長きにわたって、臨床実習(クリニカル・クラークシップ)という形で病院内を見て回り、その結果大学に対するネガティブな印象が形成されたとすれば、これほど残念なことはありません。教育のために頑張っている教職員もたくさんおられるにもかかわらず、ポジティブな感情は残らず拡がらず、ネガティブなものが残り拡散される傾向にあるのは、いずこも同じであります。
これらの結果から、自分たちが思っている以上に、学生(だけではありません、もちろん患者さんも、同僚も、です)は自分たちの行動・言動・診療を見られている、ということをフィードバックしていく必要があると考えました。
そのような教職員側への意見を、どんどん積極的に集めてフィードバックしていくシステム作りをする必要があるのかもしれません。現在「アンプロ学生」を取り上げるシステムはあるわけですから、アンプロ教職員も取り上げ、改善を促していくということになるでしょう。
また、給料に関しては私が何かを申し上げることのできる立場ではありませんので、ここでは特に取り上げることは致しません。喫緊の問題、かつ今後改善していくことができるポイントがあるとすれば、それは滋賀医大を選ばなかった理由として挙げられているネガティブな印象になるかと思います。
ここに書かれている結果を見ると、教職員の行動・言動・そして診療は学生にずっと見られていて、いわゆるHidden curriculum(隠れたカリキュラム)として、滋賀医大の印象を形成するのに大いに寄与していることがわかりました。
ちなみに教員以外にも、コメディカルスタッフや学生課、それに制度そのものに対する意見も多々ありました。
1年以上の長きにわたって、臨床実習(クリニカル・クラークシップ)という形で病院内を見て回り、その結果大学に対するネガティブな印象が形成されたとすれば、これほど残念なことはありません。教育のために頑張っている教職員もたくさんおられるにもかかわらず、ポジティブな感情は残らず拡がらず、ネガティブなものが残り拡散される傾向にあるのは、いずこも同じであります。
これらの結果から、自分たちが思っている以上に、学生(だけではありません、もちろん患者さんも、同僚も、です)は自分たちの行動・言動・診療を見られている、ということをフィードバックしていく必要があると考えました。
そのような教職員側への意見を、どんどん積極的に集めてフィードバックしていくシステム作りをする必要があるのかもしれません。現在「アンプロ学生」を取り上げるシステムはあるわけですから、アンプロ教職員も取り上げ、改善を促していくということになるでしょう。
posted by 長尾大志 at 13:06
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2019年08月11日
6回生全員アンケート結果
6回生全体アンケート、集計結果
約110名中80名の回答を頂きました。
【集計結果】
滋賀医大を第1志望とする人(N=16、複数回答あり)が、滋賀医大を選んだ理由
滋賀医大を第2選択以下とする人(N=51、複数回答あり)が、滋賀医大を選ばなかった理由
滋賀医大を選択しない人(N=13、複数回答あり)が、滋賀医大を選ばなかった理由
滋賀医大を第一志望としている方が滋賀医大を選んだ理由として、半数以上の方が滋賀医大にポジティブな印象があると回答されましたが、残りの回答には消極的な(消去法による)選択も見受けられました。
滋賀医大を第二志望以下としている方は、1/3が立地・駐車場・給料の問題を挙げられましたが、半数近くの方がそれ以外の、滋賀医大に対するネガティブな印象を理由として挙げられていました(複数回答あり)。
滋賀医大を全く志望されていない方は、やはり立地・駐車場・給料の問題が1/3ありましたが、それ以外の理由はほぼ滋賀医大に対するネガティブな印象ということでありました。
いずれにしても、駐車場問題はかなり根深いことがよくわかりました。本学は立地が山の上であり、自家用車による通学を希望する学生が多いにもかかわらず、駐車場のキャパシティが大変限られており常に不足している状態です。
で、現6回生は車通学突然認められなくなったという規約の改悪があったために、大学に対するネガティブな印象がかなり強くなっているという記載が数多く見られました。元々できていた、期待していたことが理不尽に反故にされてしまうのは、感情的にかなりネガティブに働くことでしょう。
実際、教職員でも、中途半端に?近隣に住んでいることから駐車場が使えなくなり、大学を辞めてしまった先生がいます。
これに加えて、ネガティブな理由の中には、目を背けたくなるような「生の声」が少なからずありました。ここにはとても掲載できませんが。
約110名中80名の回答を頂きました。
【集計結果】
滋賀医大を第1志望とする人(N=16、複数回答あり)が、滋賀医大を選んだ理由
- 医大に好印象があるから(母校、慣れている、優しい先生、勤務態勢、地元、知り合いなど):19
- 将来滋賀に残る、マイナー志望、ラボの研究が終わらない、など条件による(やむを得ない)選択:7
- 他に出たい理由が特にない、初期研修から他大学にいくメリットがわからない、など消去法で:4
滋賀医大を第2選択以下とする人(N=51、複数回答あり)が、滋賀医大を選ばなかった理由
- 立地・駐車場・給料:30
- 一度新しい環境、県外に行きたかった:21
- 症例数が少ない・救急の症例が少ない・ない科がある:17
- negativeな印象ゆえ:15
- 関連病院が少ない:3
- 研修レベルが低い:2
- 志望科がなかった。入局先として第一候補ではないから:2
- 一身上の都合 :1
滋賀医大を選択しない人(N=13、複数回答あり)が、滋賀医大を選ばなかった理由
- 立地・駐車場・給料:10
- 研修レベルが低い:9
- negativeな印象ゆえ:5
- 症例数が少ない・救急の症例が少ない:4
- 関連病院が少ない:3
滋賀医大を第一志望としている方が滋賀医大を選んだ理由として、半数以上の方が滋賀医大にポジティブな印象があると回答されましたが、残りの回答には消極的な(消去法による)選択も見受けられました。
滋賀医大を第二志望以下としている方は、1/3が立地・駐車場・給料の問題を挙げられましたが、半数近くの方がそれ以外の、滋賀医大に対するネガティブな印象を理由として挙げられていました(複数回答あり)。
滋賀医大を全く志望されていない方は、やはり立地・駐車場・給料の問題が1/3ありましたが、それ以外の理由はほぼ滋賀医大に対するネガティブな印象ということでありました。
いずれにしても、駐車場問題はかなり根深いことがよくわかりました。本学は立地が山の上であり、自家用車による通学を希望する学生が多いにもかかわらず、駐車場のキャパシティが大変限られており常に不足している状態です。
で、現6回生は車通学突然認められなくなったという規約の改悪があったために、大学に対するネガティブな印象がかなり強くなっているという記載が数多く見られました。元々できていた、期待していたことが理不尽に反故にされてしまうのは、感情的にかなりネガティブに働くことでしょう。
実際、教職員でも、中途半端に?近隣に住んでいることから駐車場が使えなくなり、大学を辞めてしまった先生がいます。
これに加えて、ネガティブな理由の中には、目を背けたくなるような「生の声」が少なからずありました。ここにはとても掲載できませんが。
posted by 長尾大志 at 16:46
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2019年08月10日
6回生全員アンケートをやるに至った経緯
新研修制度が始まって以降、初期研修を市中病院で、という流れが広がっているといわれています。裏を返すと大学医学部を卒業後、その大学で研修、という進路を選択する学生さんが減っていることになります。
それはなぜか。市中病院の方が、魅力的な研修をしているから?給料や待遇などの点で恵まれているから?…などなど、いろいろな理由が挙げられています。
本学も例外ではなく、年々大学での研修を選択する学生の数が減っている傾向にあります。大学側としては「減っている」ということに危機感を抱いているものの、実際何が問題で、なぜこうなっているのかという理由が何なのか、私たち教員には分かっていないところが少なからずあるのではないか、と何となく感じてはいます。
私自身、学生さんのごく一部と本音トークをすることがあるのですが、そこからなんとなく本学の問題点や、これは学生さんに嫌われるだろうな、ということを感じることはあるのですが、それを運営の方々や他の教員の皆さんにお示しするほどの根拠・データがありません。
常々少しでも本学を良くしていきたい、卒業生の皆さんに選んでもらえるような大学・大学病院にならないものか、と考えているのですが、私のような「講師」というヒラの立場では、これまで学生さんとの接点は講義と臨床実習の時だけで、しかも限られた時間を循環器と分け合うシステムの元では学生さんの本音を尋ねる余裕がありませんでした。
それでは、と、医療人育成教育研究センター教育方法改善部門による「授業評価実施報告書」や学生さんの「アンケート」を拝読するわけですが、こちらの回答は本当に少ない。昨年度の3回生1学年のうち、私の授業に対する自由記述の回答は18名です。
これは、「この手のアンケート、どうせ書いても誰も読まない」「どうせ意見を書いても、何も変わらない」と思われている裏返しなのではないでしょうか。
私は自分の授業で「『授業評価』には必ず目を通しているので、感想や意見をおどんどん書いてほしい」と言っておりまして、そのため自由筆記の回答が際立って多いということです。それでも100名あまりのうち18名しか自由記述回答がない。それでは学生全体(多数)の本音がわかりません。
この度、6年生と話をする機会があり、いっそ皆に直接問うてみてはどうだろうか、と相談したところ、長尾先生だったらみんな答えてくれるのではないか、という力強い言葉を頂きまして、今回のアンケートを企画しました。
ストレートに、滋賀医大の「問題点」や「いやなところ」、もちろん「いいところ」があればそれも書いてもらう、というアンケートです。
アンケートへの回答はもちろん無記名とし、生データは一切運営や他の教官には見せない、一切諸君の不利益にはならない、と約束した上で、学生が感じた本学の問題点をざっくばらんに書いてもらいました。
マッチングで滋賀医大を第1選択とする人、滋賀医大を第2選択以下とする人、滋賀医大を選択しない人の3群に分け、各々滋賀医大の問題点、いい点、選んだ(選ばなかった)理由につき、自由筆記で回答してもらいました。回答は同じような系統の回答をひとくくりにして、だいたいの傾向をまとめました。結果は明日に。
それはなぜか。市中病院の方が、魅力的な研修をしているから?給料や待遇などの点で恵まれているから?…などなど、いろいろな理由が挙げられています。
本学も例外ではなく、年々大学での研修を選択する学生の数が減っている傾向にあります。大学側としては「減っている」ということに危機感を抱いているものの、実際何が問題で、なぜこうなっているのかという理由が何なのか、私たち教員には分かっていないところが少なからずあるのではないか、と何となく感じてはいます。
私自身、学生さんのごく一部と本音トークをすることがあるのですが、そこからなんとなく本学の問題点や、これは学生さんに嫌われるだろうな、ということを感じることはあるのですが、それを運営の方々や他の教員の皆さんにお示しするほどの根拠・データがありません。
常々少しでも本学を良くしていきたい、卒業生の皆さんに選んでもらえるような大学・大学病院にならないものか、と考えているのですが、私のような「講師」というヒラの立場では、これまで学生さんとの接点は講義と臨床実習の時だけで、しかも限られた時間を循環器と分け合うシステムの元では学生さんの本音を尋ねる余裕がありませんでした。
それでは、と、医療人育成教育研究センター教育方法改善部門による「授業評価実施報告書」や学生さんの「アンケート」を拝読するわけですが、こちらの回答は本当に少ない。昨年度の3回生1学年のうち、私の授業に対する自由記述の回答は18名です。
これは、「この手のアンケート、どうせ書いても誰も読まない」「どうせ意見を書いても、何も変わらない」と思われている裏返しなのではないでしょうか。
私は自分の授業で「『授業評価』には必ず目を通しているので、感想や意見をおどんどん書いてほしい」と言っておりまして、そのため自由筆記の回答が際立って多いということです。それでも100名あまりのうち18名しか自由記述回答がない。それでは学生全体(多数)の本音がわかりません。
この度、6年生と話をする機会があり、いっそ皆に直接問うてみてはどうだろうか、と相談したところ、長尾先生だったらみんな答えてくれるのではないか、という力強い言葉を頂きまして、今回のアンケートを企画しました。
ストレートに、滋賀医大の「問題点」や「いやなところ」、もちろん「いいところ」があればそれも書いてもらう、というアンケートです。
アンケートへの回答はもちろん無記名とし、生データは一切運営や他の教官には見せない、一切諸君の不利益にはならない、と約束した上で、学生が感じた本学の問題点をざっくばらんに書いてもらいました。
マッチングで滋賀医大を第1選択とする人、滋賀医大を第2選択以下とする人、滋賀医大を選択しない人の3群に分け、各々滋賀医大の問題点、いい点、選んだ(選ばなかった)理由につき、自由筆記で回答してもらいました。回答は同じような系統の回答をひとくくりにして、だいたいの傾向をまとめました。結果は明日に。
posted by 長尾大志 at 23:49
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2018年09月18日
教育は人の為ならず??
情けは人の為ならず、ってよく言いますよね。
あれは、他人に情けをかけることは、それは巡り巡って自分のためになる、みたいな意味ですけれども、同じようなことが教育においても言えるわけです。教育するということは、一見自分がその相手に対して一方的に何か、教育的なものを与えていると受け取られがちですが、決してそうではありません。
一つには、教育するためにはこちらがしっかりとその事柄について理解していなければなりません。教育するために勉強する。知識を習得する。目的がはっきりしていることで勉強のモチベーションになるわけです。特に目的もなく勉強するのと、お話しないといけないという意識で勉強するのとでは、身に付く付き方も全く違います。
それと、教育をする、特に話をしていると、話をしながら、自分の中で学んできた事柄が有機的に結びついてくる感覚、これを腹に落ちるというのでしょうか。とにかく話していることを自分の耳で聞くことで、深く理解できる瞬間が訪れたりします。長く教えておられる方であればおわかりいただけるかと思いますが、いかがでしょうか。
また教えられる側の方とのやりとり、例えば質問を受けるとか、そういう中で、自分の理解が不足していたことが明らかになったりします。だいたい、そういうところほど皆さんやっぱり分かりづらいので何度も質問されたりしがちです。そういったことを、また調べることによって、自分の理解が深まっていく、ということも経験されます。
昔から言うように、教えることは学びである、To teach is to learnということになるわけです。これも自分のためになることです。
あれは、他人に情けをかけることは、それは巡り巡って自分のためになる、みたいな意味ですけれども、同じようなことが教育においても言えるわけです。教育するということは、一見自分がその相手に対して一方的に何か、教育的なものを与えていると受け取られがちですが、決してそうではありません。
一つには、教育するためにはこちらがしっかりとその事柄について理解していなければなりません。教育するために勉強する。知識を習得する。目的がはっきりしていることで勉強のモチベーションになるわけです。特に目的もなく勉強するのと、お話しないといけないという意識で勉強するのとでは、身に付く付き方も全く違います。
それと、教育をする、特に話をしていると、話をしながら、自分の中で学んできた事柄が有機的に結びついてくる感覚、これを腹に落ちるというのでしょうか。とにかく話していることを自分の耳で聞くことで、深く理解できる瞬間が訪れたりします。長く教えておられる方であればおわかりいただけるかと思いますが、いかがでしょうか。
また教えられる側の方とのやりとり、例えば質問を受けるとか、そういう中で、自分の理解が不足していたことが明らかになったりします。だいたい、そういうところほど皆さんやっぱり分かりづらいので何度も質問されたりしがちです。そういったことを、また調べることによって、自分の理解が深まっていく、ということも経験されます。
昔から言うように、教えることは学びである、To teach is to learnということになるわけです。これも自分のためになることです。
posted by 長尾大志 at 22:54
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2018年09月17日
怖い先生・笑顔の先生/怖い先輩・笑顔の先輩
怖い先生・笑顔の先生/怖い先輩・笑顔の先輩、どちらに話しかけたいと思いますか?どちらに質問しようと思いますか?
学生さんや若手スタッフからの質問に答えることは、余計な仕事でしょうか?うっとうしい用事でしょうか?できれば避けたい作業なのでしょうか?
教育するという立場に立っている方であれば、学生さんや若い人から質問があるということは当然歓迎すべきことではないかと思います。学びの現場において、昨今双方向性ということが重視されています。双方向というのはもちろん、いわゆるアクティブラーニングのように、カリキュラムとして提供するものもありますが、質問そのものが、双方向性の発露というべき、大変喜ばしい出来事ですよね。だって、こちらからの一方通行でなくて、教わる側から出てくるわけですから。
であるならば、出来るだけ質問しやすい雰囲気づくり、というのも教育の現場においては大事なことになるのではないでしょうか。
上の質問、話しかける立場になってみれば、どちらに話しかけたいかは一目瞭然。でも、質問される立場にしてみると、いつもいつも上機嫌で、というわけには参りません。いつもいつも忙しいし、いろんな余計な?用事を言いつけられて、あたふたしている時もあるかもしれませんし、約束の時間に遅れそうで大慌てで廊下を歩いている時もあるかもしれません。
そんな時に知らず知らず、怖〜い顔になっていないでしょうか?せっかく(双方向の発露としての)質問をしたいなー、と若い人が思っているところに、怖い顔の先生が、先輩がやってきたら、やっぱりやめとこうかな…って、なってしまうかもしれませんね。
「患者さんに笑顔で」と指導するのであれば、是非自分でも、いつも笑顔で過ごすようにしたいものですね。と言いつつ、私もなかなかそれが難しくて、いつも反省するばかりです…。
学生さんや若手スタッフからの質問に答えることは、余計な仕事でしょうか?うっとうしい用事でしょうか?できれば避けたい作業なのでしょうか?
教育するという立場に立っている方であれば、学生さんや若い人から質問があるということは当然歓迎すべきことではないかと思います。学びの現場において、昨今双方向性ということが重視されています。双方向というのはもちろん、いわゆるアクティブラーニングのように、カリキュラムとして提供するものもありますが、質問そのものが、双方向性の発露というべき、大変喜ばしい出来事ですよね。だって、こちらからの一方通行でなくて、教わる側から出てくるわけですから。
であるならば、出来るだけ質問しやすい雰囲気づくり、というのも教育の現場においては大事なことになるのではないでしょうか。
上の質問、話しかける立場になってみれば、どちらに話しかけたいかは一目瞭然。でも、質問される立場にしてみると、いつもいつも上機嫌で、というわけには参りません。いつもいつも忙しいし、いろんな余計な?用事を言いつけられて、あたふたしている時もあるかもしれませんし、約束の時間に遅れそうで大慌てで廊下を歩いている時もあるかもしれません。
そんな時に知らず知らず、怖〜い顔になっていないでしょうか?せっかく(双方向の発露としての)質問をしたいなー、と若い人が思っているところに、怖い顔の先生が、先輩がやってきたら、やっぱりやめとこうかな…って、なってしまうかもしれませんね。
「患者さんに笑顔で」と指導するのであれば、是非自分でも、いつも笑顔で過ごすようにしたいものですね。と言いつつ、私もなかなかそれが難しくて、いつも反省するばかりです…。
posted by 長尾大志 at 23:41
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2018年09月16日
自己紹介
私は2005年に滋賀医科大学呼吸器内科に赴任しました。それまでは、大学院であったり留学であったり、研究と臨床を主にやっていたのですが、滋賀医科大学に来てからはスタッフの数も少なく、教育にかなりの時間を割くことになりました。
具体的には学生の講義、それからベッドサイドでの臨床実習、そして研修医の指導、それから看護学生の講義や新卒看護師の研修、さらに薬剤師や理学療法士の勉強会など、当時院内に呼吸器内科医がほとんどいなかったことから、そういった教育の要請が山ほど降りかかってくることになったのです。
少ない人数でやりくりするため、もともとちょっと教育に向いてるかな?と思っていた私が主に教育を担当するようになり、ますます教育の仕事が集中した結果、少しずつ教え方のコツが分かるようになってきて、さらに担当が増え…と言う流れ(悪循環?)になってきたわけです。
そんな中、自分の教え方がわかりやすい、と学生さんに言ってもらえるようになり、しゃべっているだけでは、その場限りになってしまうし、もったいないなあ、何か形になれば、何度でも繰り返し使ってもらえるし、同じことを繰り返ししゃべる必要もなくなるかも、できればマニュアルみたいになるといいなあ、なんて思ってブログを始めてみました。
毎日更新するようになって「やさしイイ呼吸器教室」はたくさんの人にご覧いただくようになり、そこから書籍の出版など、色々なお話をいただけるようになった次第です。
私が滋賀医大に来た当時は、同じことを学生さんや研修医の先生達に、毎年毎年、いや毎月毎月、回ってくるグループごとに同じことを繰り返し繰り返し言ったりやってみせたりしたものです。これはかなりしんどいことです。体力的にしんどいということもそうですし、同じことの繰り返しというのは精神的にもしんどくなりますね。
それが、マニュアルを作ったり皆に一斉に教えたりすることで、そしてブログを書くことで、同じことを言う回数を劇的に減らすことができました。ということは楽になったということです。教育すると、楽になっていくのです。
具体的には学生の講義、それからベッドサイドでの臨床実習、そして研修医の指導、それから看護学生の講義や新卒看護師の研修、さらに薬剤師や理学療法士の勉強会など、当時院内に呼吸器内科医がほとんどいなかったことから、そういった教育の要請が山ほど降りかかってくることになったのです。
少ない人数でやりくりするため、もともとちょっと教育に向いてるかな?と思っていた私が主に教育を担当するようになり、ますます教育の仕事が集中した結果、少しずつ教え方のコツが分かるようになってきて、さらに担当が増え…と言う流れ(悪循環?)になってきたわけです。
そんな中、自分の教え方がわかりやすい、と学生さんに言ってもらえるようになり、しゃべっているだけでは、その場限りになってしまうし、もったいないなあ、何か形になれば、何度でも繰り返し使ってもらえるし、同じことを繰り返ししゃべる必要もなくなるかも、できればマニュアルみたいになるといいなあ、なんて思ってブログを始めてみました。
毎日更新するようになって「やさしイイ呼吸器教室」はたくさんの人にご覧いただくようになり、そこから書籍の出版など、色々なお話をいただけるようになった次第です。
私が滋賀医大に来た当時は、同じことを学生さんや研修医の先生達に、毎年毎年、いや毎月毎月、回ってくるグループごとに同じことを繰り返し繰り返し言ったりやってみせたりしたものです。これはかなりしんどいことです。体力的にしんどいということもそうですし、同じことの繰り返しというのは精神的にもしんどくなりますね。
それが、マニュアルを作ったり皆に一斉に教えたりすることで、そしてブログを書くことで、同じことを言う回数を劇的に減らすことができました。ということは楽になったということです。教育すると、楽になっていくのです。
posted by 長尾大志 at 23:59
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2018年08月05日
終わりを宣言すること、の重要性
ずいぶん前の、とある事例を思い出します。
その方は、肺腺癌W期。当時は遺伝子変異云々もなく、W期=予後よろしくない、という状況でした。
結果説明の時に「肺がんで、転移もあり、W期という、進行した状態です。抗がん剤で寿命を多少延ばすことは出来るかもしれませんが、統計ではこの状況の方があとどのくらい生きられるかというと、○○くらいといわれています。」と説明しました。
患者さん、奥様は顔を見合わせます。「それは、もうどうにもなりませんか。手術とか、放射線とかで治るというわけには…」その後もいろいろと質問は続き、この方の標準治療について一通り説明しました…。
「それじゃ残っている時間は、あまりない、ということですね」「そういうことになります。」「そうですか……」
この状況で、強い抗がん剤治療を行っても、寿命がすごく延びる、というわけではない。場合によっては、副作用によって、ADL、生活の「質」が低下するかもしれない、そのことも理解していただいたようでした。
その後、時間をかけて話し合い。その中で、これまで患者さんが、仕事仕事であまり家庭を顧みてこられなかったこと、奥様がそれをずっと支えてこられたこと、あまり家庭でも会話がなかったこと、子供さんもゆっくり患者さんと話をされたことがなかったこと、などなどの事情がわかりました。
まあそういうケースは少なくありませんが、このケースでは、その話をされているうちに、患者さんの奥様から、「残っている時間が少ないのに、またずっと病院で過ごすのも…」とのお言葉が。「これを機会に、家で過ごす時間を増やしてもらえたら、これまでより会話がたくさん出来るかもしれませんね。」「これまで10年でしてきた会話よりも、これからの1年でする会話の方が多くなるかも。」「だったら、残される人にとってみたら、これから10年生きるのと同じことかもしれない。」「出来るだけ『長生き』してみるか。」…
などなど、前向きなお言葉をたくさん伺うことが出来ました。お話ししている間に、患者さんも奥様も、ぱっと表情が明るくなってきたのが印象的でした。お帰りの時には笑顔も見られました。患者さんは結局、大学病院での抗がん剤治療を選択されずに、在宅で緩和ケア中心に過ごされ、最後はご自宅でご家族に見守られなくなられたと聞きました。後に奥様がお見えになり、教えていただきました。
奥様からは、あのときの言葉でずいぶん救われた、治療をしない選択をして本当によかった、などといっていただいたのですが、私は大したことを申し上げたわけではありませんし、その選択が「正しかった」のかどうかはわかりません。
ただ、きちっと終わりを見定めることで、そこから逆算した人生の設計を作り直す、ということも出来るのだなあ、そのようなことに思い至らせていただいた事例でした。
その方は、肺腺癌W期。当時は遺伝子変異云々もなく、W期=予後よろしくない、という状況でした。
結果説明の時に「肺がんで、転移もあり、W期という、進行した状態です。抗がん剤で寿命を多少延ばすことは出来るかもしれませんが、統計ではこの状況の方があとどのくらい生きられるかというと、○○くらいといわれています。」と説明しました。
患者さん、奥様は顔を見合わせます。「それは、もうどうにもなりませんか。手術とか、放射線とかで治るというわけには…」その後もいろいろと質問は続き、この方の標準治療について一通り説明しました…。
「それじゃ残っている時間は、あまりない、ということですね」「そういうことになります。」「そうですか……」
この状況で、強い抗がん剤治療を行っても、寿命がすごく延びる、というわけではない。場合によっては、副作用によって、ADL、生活の「質」が低下するかもしれない、そのことも理解していただいたようでした。
その後、時間をかけて話し合い。その中で、これまで患者さんが、仕事仕事であまり家庭を顧みてこられなかったこと、奥様がそれをずっと支えてこられたこと、あまり家庭でも会話がなかったこと、子供さんもゆっくり患者さんと話をされたことがなかったこと、などなどの事情がわかりました。
まあそういうケースは少なくありませんが、このケースでは、その話をされているうちに、患者さんの奥様から、「残っている時間が少ないのに、またずっと病院で過ごすのも…」とのお言葉が。「これを機会に、家で過ごす時間を増やしてもらえたら、これまでより会話がたくさん出来るかもしれませんね。」「これまで10年でしてきた会話よりも、これからの1年でする会話の方が多くなるかも。」「だったら、残される人にとってみたら、これから10年生きるのと同じことかもしれない。」「出来るだけ『長生き』してみるか。」…
などなど、前向きなお言葉をたくさん伺うことが出来ました。お話ししている間に、患者さんも奥様も、ぱっと表情が明るくなってきたのが印象的でした。お帰りの時には笑顔も見られました。患者さんは結局、大学病院での抗がん剤治療を選択されずに、在宅で緩和ケア中心に過ごされ、最後はご自宅でご家族に見守られなくなられたと聞きました。後に奥様がお見えになり、教えていただきました。
奥様からは、あのときの言葉でずいぶん救われた、治療をしない選択をして本当によかった、などといっていただいたのですが、私は大したことを申し上げたわけではありませんし、その選択が「正しかった」のかどうかはわかりません。
ただ、きちっと終わりを見定めることで、そこから逆算した人生の設計を作り直す、ということも出来るのだなあ、そのようなことに思い至らせていただいた事例でした。
posted by 長尾大志 at 23:25
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2017年02月19日
教育のエンタメ化
昨日音羽病院の先生方と、本当にいろいろとお話しして、ブレストのようにいろいろなアイデアが出てきました。
その中で何度も話題になったのが、「楽しく学ぶ場にできれば」ということ。
同じやるなら楽しくワイワイやりたい。なるべく初参加の方とかのハードルを下げたい。そのためには、「楽しくできる」よう、学びをエンタメ化できないか、ということでいろいろな意見を伺いました。
昨日試みたコレ↓も、試みの一つです。これはけっこういい感じであったと思います。

特に学生さん、初期研修医の先生対象の会で試みていきたいですね。イヤそれ以外にも機会があればやってみたいですが…。
その中で何度も話題になったのが、「楽しく学ぶ場にできれば」ということ。
同じやるなら楽しくワイワイやりたい。なるべく初参加の方とかのハードルを下げたい。そのためには、「楽しくできる」よう、学びをエンタメ化できないか、ということでいろいろな意見を伺いました。
昨日試みたコレ↓も、試みの一つです。これはけっこういい感じであったと思います。
特に学生さん、初期研修医の先生対象の会で試みていきたいですね。イヤそれ以外にも機会があればやってみたいですが…。
posted by 長尾大志 at 19:58
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2017年02月12日
教育方法改善に関するFD・SD研修会「学習活動の評価のあり方とその基準作成:ルーブリック評価を中心に」
カリキュラム説明会に引き続き、大阪市立大学大学教育研究センターの平 知宏先生によります、教育方法改善に関するFD・SD研修会「学習活動の評価のあり方とその基準作成:ルーブリック評価を中心に」が行われ、引き続き参加いたしました。
以前から「大学教育」業界系のお話では、どうやら「教員が誰であっても、クオリティが変わらないような教育システムを作る」というところに重きが置かれている印象を受けていたのですが、ルーブリックもまさにそれで、細かく採点基準を設けて、それに沿っているかどうかで点数をつける、というもの。私自身は昨年受講した「アクティブ・ラーニング」のコースでルーブリックの作成はやっていたので、まあどういうものかはわかっていましたが…改めてお話を伺って、いくつか疑問・意見がでて参りました。
「大学教育にルーブリックを取り入れる」ことに関して、現役大学生の皆さん、教員の皆さんからの異論、反論、お待ちしています。できればルーブリックというものがどんなものかをご理解いただいた上で、ご意見をお寄せください。
以前から「大学教育」業界系のお話では、どうやら「教員が誰であっても、クオリティが変わらないような教育システムを作る」というところに重きが置かれている印象を受けていたのですが、ルーブリックもまさにそれで、細かく採点基準を設けて、それに沿っているかどうかで点数をつける、というもの。私自身は昨年受講した「アクティブ・ラーニング」のコースでルーブリックの作成はやっていたので、まあどういうものかはわかっていましたが…改めてお話を伺って、いくつか疑問・意見がでて参りました。
- そもそも、大学における「教育」で、「人柄」「性格」が変容することが期待できるのでしょうか。おそらく患者さんを前にした「行動」を変えることはできるでしょうが、その場合、臨床実習の現場における様々な場面におけるルーブリックを設定しておく必要があります。作成、採点、いずれもかなりの労力が必要です。
〜個人的には、学生が「気づいていない」患者さん側の視点からの意見を学生に伝えるのは、学生の行動変容を促すのに有効ではないかと考えていて、実際に臨床実習で実践しています。 - 仮に、大学における「教育」で、「人柄」「性格」が変容することが期待できないのであれば、「このような医師を育てる」アウトカムに沿った人材を入学時点で選抜する、アドミッションポリシーの明確化が必要でしょう。
〜私自身は選抜に関与していませんが、選抜された結果である学生さんと相対していて、いろいろと思うところはあります。また、選抜に当たっておられる先生からもいろいろな思いを伺っています。 - 大学の課程でやる、しかも「評価」がある以上、そこには必ず「対策」が生まれるでしょう。CBTやOSCEの例を見てもわかるように、「対策」は商業化され、システム化されていきます。こちらの意図した「行動」をとるようにルーブリックを組んでも、ルーブリック対策向けの行動しか取れなくなる。そうやって醸成された行動が、大学の期待する「アウトカム」なのかどうかは、検証する必要がありますが、そんなことが検証できるのでしょうか。
〜そこまでやらずにルーブリックという「仏」だけ作っても、「仏つくって魂入れず」になるのではないか。お得意の「アリバイ作り」のための仕事だけやりました、ということになりはしないか、ということを危惧するのです。 - 上の内容とかぶりますが、いい年をした大学生が「〜という行動がとれるか」ということを評価して、それができるようになることが、果たして実社会に出て社会人となる、医療人となる際に、「こうなって欲しい」人物像に近づくことと同義なのかどうか、そこはきちんと評価されるべきです。
〜これが小学生であれば、小学生のうちに「〜という行動ができる」ことは、将来の人格形成に影響がありそうな気がしますが、いい年をした大学生、評価者に「気に入られる」行動をするぐらいは可能じゃないかと思うのですけれども。逆に考えると、それだけ今の大学生は「未熟である」という前提があるのでしょうか…。 - 学生さんの振り返り、行動指針にルーブリックが使える、という点については同意します。
- 個人的にはいい年をした大学生に行動変容を促すには、中身に訴えかける必要があると思っていて、「こうあってほしい」人物像に近づけるために、何をさせるか、与えるか、話すか、を突き詰めて考えることが必要ではないかと思っています。ただ、そのためには、各教員が信念を持って学生さんに相対しなければなりません。
〜「どんな教員がやっても同じような結果が出る」今の教育システムの方向性は、なんだか以前の「みんな平等」「ゆとり教育」の教員版、にも見えてきます。どこかの施設で批判されていたように、ただ作業量を増やして「仕事をしています」というポーズをとるためのものでなく、教員の側こそが、アウトカム基盤型で教育を考えなくてはならないと思います。
「大学教育にルーブリックを取り入れる」ことに関して、現役大学生の皆さん、教員の皆さんからの異論、反論、お待ちしています。できればルーブリックというものがどんなものかをご理解いただいた上で、ご意見をお寄せください。
posted by 長尾大志 at 14:23
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2016年12月03日
アクティブ・ラーニング体験記と授業評価
最近ありがたいことにいろいろな活動をさせていただいておりますが、この11月は学生さんの講義8コマ(医学科)+2コマ(看護学科)に試験作成、6回生の国試対策と学内の用事に加え、外の講演も滋賀×2、京都、大阪、徳島、秋田と各地でやらせて頂きました。
自分のスケジュール管理がずさんであった点が有り、月曜日にあやうく看護学科の授業をすっぽかすところでした… _| ̄|○ 11月も終わったー!っと気が緩んだのでしょう…。また締め直します。
いろいろありましたのでいろいろな告知ができているのかいないのか、どんどん時が過ぎていきますが…先日、『医学教育』という雑誌に拙文を掲載頂きました。論文ではなく掲示板への投稿ではありますが、査読のある雑誌に共著でなく自分が書いたものが載るのはずいぶん久しぶりです。
はじめてのアクティブ・ラーニング体験記.
医学教育 47(5): 314-315, 2016.


この寄稿は、昨年の3回生系統講義でアクティブ・ラーニングを導入した体験記です。それから1年、先日終わった3回生系統講義では、昨年頂いた学生さんの「授業評価」の結果を元にまたいろいろと修正を行いました。
で、その授業に対する今年分の「授業評価」が先週送られてきました。この評価を見たらそれに対する「自己評価」を書いて提出しなくてはなりません。正直、これまであまり真面目に書いてきませんでしたが、昨年に引き続き、自由筆記による評価にたくさんうれしい意見を頂いております。その意見に応える意味でも、また、来し方行く末を考える意味でも今年はひとつ真面目に考えてみよう、と下書きを書くことにしました。
「授業評価」に対する「自己評価」。学生さんの授業評価を受けて、教員が授業について気付いたこと、反論、改善策、その他意見を書き、それを『授業評価実施報告書』に(匿名で)掲載するのですが、こういうことってどこの大学でもやっていることなのでしょうか。何が言いたいかというと、結局、これだけのことをやっても、大学はそれをただ「報告書」にまとめて発行するだけなんですね。それでそのあと授業を良くしていく手立てがない。仏作って魂入れずというんでしょうか、ただやることやってます、ってだけで。まあ教員がそのフィードバックを受けて、自分で考えてやれってことなのかもしれませんが…。なんかもったいないナーと思います。まあともかく、下書きをご紹介してみましょう。
Q:この授業であなたが特に力を入れた点、工夫した点は何ですか。
A:滋賀医科大学に来て10年あまり、毎年授業内容を見直し、内容の取捨選択や表現の改善を続けてきました。スマホや睡眠、私語など、学生の態度が悪い、学生が休むのはけしからん、とこちらがいうのは簡単ですが、抜群に面白くてためになる授業をすれば、スマホや横を見ずに前を向くだろうし、授業に出てくるようになるのではないか、と考え、少しずつ改善、工夫を重ねてきました。
あるとき果たして学生は授業にどのようなことを求めているのか、と疑問に思い、学生全員にアンケートを取りました。すると、教員に求めていること、として挙げられていたのが、「取っつきにくい医学知識、理論をわかりやすく教えてほしい」「知識の羅列に終始する授業は不要」「医師としての心構え、ロールモデルを見せてほしい」ということでした。そこで、単に枝葉末節の知識をスライドで見せて口から発する、という時間は減らし、「授業の中で学生に理解させる」ために授業を組み立てるようにしました。
具体的には難しい呼吸生理の解説や、COPDや細菌性肺炎、間質性肺炎など複雑な病態の機序を解説することに時間を割くようにしました。また、一方通行の講義形式に限界を感じていたところに、近年普及しているアクティブ・ラーニングを勉強する機会を得ました(東大のweb講座)。昨年早速導入したところ、授業評価では、60名以上の学生が自由筆記でポジティブな評価を記入しており、授業評価実施報告書13号の「良かった点」の半数近くを占めるという、おそらく抜群の高評価を得ました。
アクティブ・ラーニングの効果を実感したことと、自分のやっている方向性は、全員ではないにしろ少なからずの学生には受け容れられているという確信を得て、今年はさらにアクティブ・ラーニングの配分を見直し、慣れていない当初はクリッカーで参加し、後にグループワークでより多くの学生に発言、思考、参加をさせる組み立てとしました。また、単なる知識の伝達のみならず、医師としての心構えを伝える、という意図をもって、数年前から最後の授業では、ある末期癌患者に関するエピソードを挿入しています。
Q:今回の授業評価から、この授業について気づいた点は何ですか。
A:昨年よりも自由記述数は減ったものの、それでも回答者67名中42名が自由記述欄に記入していました。昨年の感想は主にアクティブ・ラーニングに関するポジティブな意見が中心でしたが、今年はより授業のねらい、当方の意図をくみ取った感想が多く、「分かりやすかった」「これまで受けた授業の中で一番よかった」「内容、量が適切であった」等の意見は、まさに意図したところが好意的に受け取られているようです。
また、「学生の自主性とモチベーションを引き出す授業」「学生に対する深い信頼に感謝する」という意見があり、授業の裏テーマである「興味を持たせて自分で勉強させる」が伝わったように感じられました。もちろん睡眠中の学生、解答を記入していない学生も一定数見受けられ、全員がこのやり方でよい、ということではないのかもしれません。1対100の講義形式の限界なのか、まだまだ改善の余地があるのか、さらなる検討課題です。
それから最後の授業における末期癌患者のエピソードについては、授業の最後であり、時間が無かったためか、それに触れた意見は決して多くないのですが、「心に残った」「考えさせられた」などの言葉で、肯定的に受け止めている様子がわかりました。正直この話をするのは自分としては「しんどい」ことですが、肯定的な意見も見られるのでこれからも何らかの形で続けていきたいと思います。
Q:反論があれば記入してください。
A:改善点としてあげられていた意見の多くに「すべて長尾先生の講義でもいい」「長尾先生の講義をもっと多くしてほしい」というものがあるのですが、正直、時間的にも肉体的にも限界に近いと感じています。むしろ私が来年もここにいるような事態があれば、また1歳年をとるため、もっと講義を減らしたいというのが正直なところです。
「レジュメに記載されていない画像があったが、それも載せてほしい」という意見がありましたが、これは著作権、肖像権などなど、大人の事情が絡んでいることを理解してほしいところです。
「私語をしている人をつまみだしてほしい」という意見には、私語をするだけ授業の魅力が無いということであり、さらなる課題とします。
「もっと長尾先生の本を安くしてほしい」これは出版社の価格設定であり、私にはどうすることも出来ないのですが、直接来てくれれば何とかしたいと思います。
Q:改善策があれば記入してください。
A:「もっとグループワーク、対話の時間がほしかった」という意見をはじめ、まだ時間配分はパーフェクトではないと考えます。特に授業の前半は、ある程度説明してから参加型に切り替わるので、その説明の間に意識消失となる学生が見受けられました。もう少し前半にも参加出来るコーナーを作るべきでしょう。理想は授業前に動画を見てきて、授業はグループワーク中心で行う、というものですが、もはや根本的にカリキュラムなりを作り替える時期に来ているのではないでしょうか。
Q:その他、意見があれば記入してください。
A:上にも書きましたが、もはや世の中の趨勢からしても、本学のように一方通行型の授業ばかりをこれだけ続けるのはあまりほめられたものではないと思います。現行のフォーマット内では、練りに練って改善を繰り返しても、この程度にしかならない(睡眠者をゼロに出来ない)と感じ、毎回授業終わりには、徒労感に見舞われました。
他の先生方は一体どう感じておられるのでしょうか?教員の間で話し合いを持てないものか?と、一度A先生のお声がけで「教育を勉強する会」が開催されたのですが、集まったのはほんの数名。これが本学の現状かもしれません。教員が教育にモチベーションを持つことが出来る仕組み作りが必要だと思います。また、「授業評価実施報告書」はアンケートの項目1つ取ってみても、授業の本質を問うものが少なく、点数が授業の質を表しているとは考えにくいのですが、この報告書の意義を見直す必要もあるかもしれません。
自分のスケジュール管理がずさんであった点が有り、月曜日にあやうく看護学科の授業をすっぽかすところでした… _| ̄|○ 11月も終わったー!っと気が緩んだのでしょう…。また締め直します。
いろいろありましたのでいろいろな告知ができているのかいないのか、どんどん時が過ぎていきますが…先日、『医学教育』という雑誌に拙文を掲載頂きました。論文ではなく掲示板への投稿ではありますが、査読のある雑誌に共著でなく自分が書いたものが載るのはずいぶん久しぶりです。
はじめてのアクティブ・ラーニング体験記.
医学教育 47(5): 314-315, 2016.


この寄稿は、昨年の3回生系統講義でアクティブ・ラーニングを導入した体験記です。それから1年、先日終わった3回生系統講義では、昨年頂いた学生さんの「授業評価」の結果を元にまたいろいろと修正を行いました。
で、その授業に対する今年分の「授業評価」が先週送られてきました。この評価を見たらそれに対する「自己評価」を書いて提出しなくてはなりません。正直、これまであまり真面目に書いてきませんでしたが、昨年に引き続き、自由筆記による評価にたくさんうれしい意見を頂いております。その意見に応える意味でも、また、来し方行く末を考える意味でも今年はひとつ真面目に考えてみよう、と下書きを書くことにしました。
「授業評価」に対する「自己評価」。学生さんの授業評価を受けて、教員が授業について気付いたこと、反論、改善策、その他意見を書き、それを『授業評価実施報告書』に(匿名で)掲載するのですが、こういうことってどこの大学でもやっていることなのでしょうか。何が言いたいかというと、結局、これだけのことをやっても、大学はそれをただ「報告書」にまとめて発行するだけなんですね。それでそのあと授業を良くしていく手立てがない。仏作って魂入れずというんでしょうか、ただやることやってます、ってだけで。まあ教員がそのフィードバックを受けて、自分で考えてやれってことなのかもしれませんが…。なんかもったいないナーと思います。まあともかく、下書きをご紹介してみましょう。
Q:この授業であなたが特に力を入れた点、工夫した点は何ですか。
A:滋賀医科大学に来て10年あまり、毎年授業内容を見直し、内容の取捨選択や表現の改善を続けてきました。スマホや睡眠、私語など、学生の態度が悪い、学生が休むのはけしからん、とこちらがいうのは簡単ですが、抜群に面白くてためになる授業をすれば、スマホや横を見ずに前を向くだろうし、授業に出てくるようになるのではないか、と考え、少しずつ改善、工夫を重ねてきました。
あるとき果たして学生は授業にどのようなことを求めているのか、と疑問に思い、学生全員にアンケートを取りました。すると、教員に求めていること、として挙げられていたのが、「取っつきにくい医学知識、理論をわかりやすく教えてほしい」「知識の羅列に終始する授業は不要」「医師としての心構え、ロールモデルを見せてほしい」ということでした。そこで、単に枝葉末節の知識をスライドで見せて口から発する、という時間は減らし、「授業の中で学生に理解させる」ために授業を組み立てるようにしました。
具体的には難しい呼吸生理の解説や、COPDや細菌性肺炎、間質性肺炎など複雑な病態の機序を解説することに時間を割くようにしました。また、一方通行の講義形式に限界を感じていたところに、近年普及しているアクティブ・ラーニングを勉強する機会を得ました(東大のweb講座)。昨年早速導入したところ、授業評価では、60名以上の学生が自由筆記でポジティブな評価を記入しており、授業評価実施報告書13号の「良かった点」の半数近くを占めるという、おそらく抜群の高評価を得ました。
アクティブ・ラーニングの効果を実感したことと、自分のやっている方向性は、全員ではないにしろ少なからずの学生には受け容れられているという確信を得て、今年はさらにアクティブ・ラーニングの配分を見直し、慣れていない当初はクリッカーで参加し、後にグループワークでより多くの学生に発言、思考、参加をさせる組み立てとしました。また、単なる知識の伝達のみならず、医師としての心構えを伝える、という意図をもって、数年前から最後の授業では、ある末期癌患者に関するエピソードを挿入しています。
Q:今回の授業評価から、この授業について気づいた点は何ですか。
A:昨年よりも自由記述数は減ったものの、それでも回答者67名中42名が自由記述欄に記入していました。昨年の感想は主にアクティブ・ラーニングに関するポジティブな意見が中心でしたが、今年はより授業のねらい、当方の意図をくみ取った感想が多く、「分かりやすかった」「これまで受けた授業の中で一番よかった」「内容、量が適切であった」等の意見は、まさに意図したところが好意的に受け取られているようです。
また、「学生の自主性とモチベーションを引き出す授業」「学生に対する深い信頼に感謝する」という意見があり、授業の裏テーマである「興味を持たせて自分で勉強させる」が伝わったように感じられました。もちろん睡眠中の学生、解答を記入していない学生も一定数見受けられ、全員がこのやり方でよい、ということではないのかもしれません。1対100の講義形式の限界なのか、まだまだ改善の余地があるのか、さらなる検討課題です。
それから最後の授業における末期癌患者のエピソードについては、授業の最後であり、時間が無かったためか、それに触れた意見は決して多くないのですが、「心に残った」「考えさせられた」などの言葉で、肯定的に受け止めている様子がわかりました。正直この話をするのは自分としては「しんどい」ことですが、肯定的な意見も見られるのでこれからも何らかの形で続けていきたいと思います。
Q:反論があれば記入してください。
A:改善点としてあげられていた意見の多くに「すべて長尾先生の講義でもいい」「長尾先生の講義をもっと多くしてほしい」というものがあるのですが、正直、時間的にも肉体的にも限界に近いと感じています。むしろ私が来年もここにいるような事態があれば、また1歳年をとるため、もっと講義を減らしたいというのが正直なところです。
「レジュメに記載されていない画像があったが、それも載せてほしい」という意見がありましたが、これは著作権、肖像権などなど、大人の事情が絡んでいることを理解してほしいところです。
「私語をしている人をつまみだしてほしい」という意見には、私語をするだけ授業の魅力が無いということであり、さらなる課題とします。
「もっと長尾先生の本を安くしてほしい」これは出版社の価格設定であり、私にはどうすることも出来ないのですが、直接来てくれれば何とかしたいと思います。
Q:改善策があれば記入してください。
A:「もっとグループワーク、対話の時間がほしかった」という意見をはじめ、まだ時間配分はパーフェクトではないと考えます。特に授業の前半は、ある程度説明してから参加型に切り替わるので、その説明の間に意識消失となる学生が見受けられました。もう少し前半にも参加出来るコーナーを作るべきでしょう。理想は授業前に動画を見てきて、授業はグループワーク中心で行う、というものですが、もはや根本的にカリキュラムなりを作り替える時期に来ているのではないでしょうか。
Q:その他、意見があれば記入してください。
A:上にも書きましたが、もはや世の中の趨勢からしても、本学のように一方通行型の授業ばかりをこれだけ続けるのはあまりほめられたものではないと思います。現行のフォーマット内では、練りに練って改善を繰り返しても、この程度にしかならない(睡眠者をゼロに出来ない)と感じ、毎回授業終わりには、徒労感に見舞われました。
他の先生方は一体どう感じておられるのでしょうか?教員の間で話し合いを持てないものか?と、一度A先生のお声がけで「教育を勉強する会」が開催されたのですが、集まったのはほんの数名。これが本学の現状かもしれません。教員が教育にモチベーションを持つことが出来る仕組み作りが必要だと思います。また、「授業評価実施報告書」はアンケートの項目1つ取ってみても、授業の本質を問うものが少なく、点数が授業の質を表しているとは考えにくいのですが、この報告書の意義を見直す必要もあるかもしれません。
posted by 長尾大志 at 14:31
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2016年07月31日
欅坂46のデビュー曲にサイレントマジョリティーを与えた秋元康さんは天才
昨日の続き、というか、『学生×教員 対話セッション』のまとめです。
教員から見てサイレントマジョリティーにみえる、多くの学生さん・研修医の皆さんにどう働きかけるか、って話です。
これまでに経験したところでは、なにか心に火が点いた瞬間(これはまさに「火が点く」としかいいようのない、表情の変化として見られるのですが)から、取り組みの熱量が変わる、ということはあります。でも、「火を点ける」ことはそれほど再現性のあるものではない。でも、確かにそういう瞬間はあるのです。
でも、医学教育学会で、どなたかがおっしゃっていました。「1人のスーパー教師を作ることが目的ではなく、きちんとした『システム』を作るのが目的なのだ」と。
誰かが作った、その『システム』で、本当に学生さんの燃料に「火を点ける」ことができるのでしょうか。6回生の皆さんに答えてもらったアンケートで、学生さんから「ロールモデル、お手本となるドクターを見たい」という声が多数あったことも事実。
『祝祭空間』で踊りまくるオッさんがいて、初めて「踊ってみるのも面白そうだ」となるのではないのかなあ、と思ったりもするのです。再現性が少ない、エビデンスのない世界でどこまでできるのか、やってみた結果がこちら。
ポスター用.pdf
サイレントマジョリティーのたとえを出したときに、隣の学生さんが「いや、そんなことないっすよ!多くの学生はちゃんと考えて、やってます!教員から見えないだけで。」とおっしゃっていたのが印象的でした。
でも、どこかの国の大統領が言っていたように、「声を上げないものは賛成している」(サイレントマジョリティーより引用、一部改変)ということになってしまうわけで、今のどこかの国と同じで、「声を上げたって同じだし」とあきらめているのかもしれません。それはもったいない。
それとも、「見栄やプライドの鎖に繋がれたような つまらない大人」(サイレントマジョリティーより引用)だと思われているのかもしれません。こっちの方が可能性は高いか…。
部活であれ、学祭であれ、教員と学生さんがふれあう機会はあるわけで、もっとお互いに活かしたほうがいいでしょう。そういえば「学生の時にやっておいたほうがいいこと」として「他人と協力して新しいことを作り上げる体験」を挙げましたが、学祭も今の形のままだったらもったいないなーとは思います。うーむ…とっ散らかったままですが、あえて散らかしておきましょうか。
教員から見てサイレントマジョリティーにみえる、多くの学生さん・研修医の皆さんにどう働きかけるか、って話です。
これまでに経験したところでは、なにか心に火が点いた瞬間(これはまさに「火が点く」としかいいようのない、表情の変化として見られるのですが)から、取り組みの熱量が変わる、ということはあります。でも、「火を点ける」ことはそれほど再現性のあるものではない。でも、確かにそういう瞬間はあるのです。
でも、医学教育学会で、どなたかがおっしゃっていました。「1人のスーパー教師を作ることが目的ではなく、きちんとした『システム』を作るのが目的なのだ」と。
誰かが作った、その『システム』で、本当に学生さんの燃料に「火を点ける」ことができるのでしょうか。6回生の皆さんに答えてもらったアンケートで、学生さんから「ロールモデル、お手本となるドクターを見たい」という声が多数あったことも事実。
『祝祭空間』で踊りまくるオッさんがいて、初めて「踊ってみるのも面白そうだ」となるのではないのかなあ、と思ったりもするのです。再現性が少ない、エビデンスのない世界でどこまでできるのか、やってみた結果がこちら。
ポスター用.pdf
サイレントマジョリティーのたとえを出したときに、隣の学生さんが「いや、そんなことないっすよ!多くの学生はちゃんと考えて、やってます!教員から見えないだけで。」とおっしゃっていたのが印象的でした。
でも、どこかの国の大統領が言っていたように、「声を上げないものは賛成している」(サイレントマジョリティーより引用、一部改変)ということになってしまうわけで、今のどこかの国と同じで、「声を上げたって同じだし」とあきらめているのかもしれません。それはもったいない。
それとも、「見栄やプライドの鎖に繋がれたような つまらない大人」(サイレントマジョリティーより引用)だと思われているのかもしれません。こっちの方が可能性は高いか…。
部活であれ、学祭であれ、教員と学生さんがふれあう機会はあるわけで、もっとお互いに活かしたほうがいいでしょう。そういえば「学生の時にやっておいたほうがいいこと」として「他人と協力して新しいことを作り上げる体験」を挙げましたが、学祭も今の形のままだったらもったいないなーとは思います。うーむ…とっ散らかったままですが、あえて散らかしておきましょうか。
posted by 長尾大志 at 21:38
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2016年05月08日
『学力の経済学』を読んでわかったこと。3・「いい先生」とはどんな先生か?
最初に結論を書いてしまうと、「『授業評価』は、教員を客観的かつ本質的に評価するものではない」、「教員の質をカイゼンするためには、何らかのインセンティブは寄与する可能性があるが、教員研修は役に立たない」。
何を隠そう(隠してない)私も、滋賀医科大学のベストティーチャー賞を受賞していまして、これまでにあちこちで「経歴」と称して「長尾先生はベストティーチャー賞を受賞され云々…」とご紹介頂いております。
正直、私自身は年がら年中教育のことを考えている自信がありますし、これまでやってきたこと、そしてこれからやろうとしていることもベストティーチャーに恥じないという自負はあります。
ですから私がベストティーチャーの称号を頂くことはそれでいいのですが、実際問題滋賀医大の『ベストティーチャー』の決め方を外から見ていると、本当に「その年のベスト」なティーチャーを選んでいるのかどうかは甚だ疑問に思うのです。
選考課程は実はブラックボックスですが、漏れ伝え聞くところによると…
などの決まりがあるようです。そういうわけで私も二度と受賞することはないですし、今後「滋賀医大でベスト」な教員がどんどん増えていくことになります。ベストの意味が違うような…。
それはいいとしても、選考のポイントである「授業評価」「アンケート」これがくせ者です。
なんと授業評価に関する研究で、「美人の先生ほど授業評価が高かった」という身も蓋もないエビデンスがあるとのこと。つまり、主観的な「評価」には、主観的な「好き嫌い」がかなりの割合で含まれることになるのですね。アンケートもしかり。特に本学でやっているアンケートの項目は、授業や実習の本質を知る上では役に立ちそうにもない項目ばかりです。
逆に、そういう意味で言えば、見た目にかなりのハンディキャップを抱える私の評価が高い、というのは、相当高評価である、と言えなくもないのですが…(笑)。冗談?はさておき、それゆえ教員の実質的な評価は、担当前と後とでの学生群の成績の向上度合いで見るべき、という議論があって、それは確かにもっともなのですが、医科大学でやるのは難しいかもしれません。ある程度カリキュラムをそろえた複数の大学間で比較する、ということはできそうですが、教員の反発は必至でしょうね。
教員研修が教員の質を上げることにはならない、ということも、日々実感されることです。受ける側のモチベーションにもよると思うのですが、FDで「いい話」を聞いても、グループワークをしても、自分の担当する教科、授業にフィードバックされなければ「教員の質≒教育の質」の向上にはつながらないでしょう。
そういう意味ではFDの組み立て自体、アウトカムベースで組まなくてはならない。今のように形だけ持ってきて「やりましたよ」というための、いわゆるアリバイ作りのためのFDでは時間の無駄です。まあ結局それを決めている上の方の方々の問題になるのでしょう。巷では、「役のないときにはかなり改革的なことを言っている方でも、役が付いたり上のポストに上がると何も言わなくなり、事なかれ、保守的になる」とささやかれていますが、そんなものなのかもしれません。
制度に期待できないとすると、やはりすぐできることとしては、「学生、教員のモチベーションを上げる」ということになりますね。以前にも書きましたが、学生さんのモチベーションを上げることは少し光が見えていて、
ここを意識しています。もう少し試行錯誤して、もっと精度を上げていきたいと思います。教員のモチベーションは、難しいですね…。
何を隠そう(隠してない)私も、滋賀医科大学のベストティーチャー賞を受賞していまして、これまでにあちこちで「経歴」と称して「長尾先生はベストティーチャー賞を受賞され云々…」とご紹介頂いております。
正直、私自身は年がら年中教育のことを考えている自信がありますし、これまでやってきたこと、そしてこれからやろうとしていることもベストティーチャーに恥じないという自負はあります。
ですから私がベストティーチャーの称号を頂くことはそれでいいのですが、実際問題滋賀医大の『ベストティーチャー』の決め方を外から見ていると、本当に「その年のベスト」なティーチャーを選んでいるのかどうかは甚だ疑問に思うのです。
選考課程は実はブラックボックスですが、漏れ伝え聞くところによると…
- 「授業評価」「学生アンケート」の結果を基に決定している。
- 候補者は講師以上の職にあること。
- 1回選ばれたら二度と選ばれない
などの決まりがあるようです。そういうわけで私も二度と受賞することはないですし、今後「滋賀医大でベスト」な教員がどんどん増えていくことになります。ベストの意味が違うような…。
それはいいとしても、選考のポイントである「授業評価」「アンケート」これがくせ者です。
なんと授業評価に関する研究で、「美人の先生ほど授業評価が高かった」という身も蓋もないエビデンスがあるとのこと。つまり、主観的な「評価」には、主観的な「好き嫌い」がかなりの割合で含まれることになるのですね。アンケートもしかり。特に本学でやっているアンケートの項目は、授業や実習の本質を知る上では役に立ちそうにもない項目ばかりです。
逆に、そういう意味で言えば、見た目にかなりのハンディキャップを抱える私の評価が高い、というのは、相当高評価である、と言えなくもないのですが…(笑)。冗談?はさておき、それゆえ教員の実質的な評価は、担当前と後とでの学生群の成績の向上度合いで見るべき、という議論があって、それは確かにもっともなのですが、医科大学でやるのは難しいかもしれません。ある程度カリキュラムをそろえた複数の大学間で比較する、ということはできそうですが、教員の反発は必至でしょうね。
教員研修が教員の質を上げることにはならない、ということも、日々実感されることです。受ける側のモチベーションにもよると思うのですが、FDで「いい話」を聞いても、グループワークをしても、自分の担当する教科、授業にフィードバックされなければ「教員の質≒教育の質」の向上にはつながらないでしょう。
そういう意味ではFDの組み立て自体、アウトカムベースで組まなくてはならない。今のように形だけ持ってきて「やりましたよ」というための、いわゆるアリバイ作りのためのFDでは時間の無駄です。まあ結局それを決めている上の方の方々の問題になるのでしょう。巷では、「役のないときにはかなり改革的なことを言っている方でも、役が付いたり上のポストに上がると何も言わなくなり、事なかれ、保守的になる」とささやかれていますが、そんなものなのかもしれません。
制度に期待できないとすると、やはりすぐできることとしては、「学生、教員のモチベーションを上げる」ということになりますね。以前にも書きましたが、学生さんのモチベーションを上げることは少し光が見えていて、
- とにかくスタート時点できちんと理解してもらう。
- その上で、面白さ、やりがいを伝える。
ここを意識しています。もう少し試行錯誤して、もっと精度を上げていきたいと思います。教員のモチベーションは、難しいですね…。
posted by 長尾大志 at 14:21
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2016年05月07日
『学力の経済学』を読んでわかったこと。2
大学生の話ではなく、幼児教育の話ですが、幼児教育に介入した結果、その子の学歴、年収、雇用などの面で大きな効果が上がり、しかもその成果が長期間持続したという「ペリー幼稚園プログラム」の例がこの本で挙げられていました。
そこでのキモは、IQや学力テストの点数などの「認知能力」への効果よりもむしろ「非認知能力」といわれるものへの効果が大きかったといいます。
非認知能力、つまり、成績のように簡単に測定出来ないが生きるために必要な力、例えば、「自制心」「やり抜く力」「勤勉性」などが、人生において、また、社会生活を送る上で重要であるということです。
そういう前提で医科大学生たちをみると、なるほど成績はよい(よかった)のでしょうが、非認知能力にはかなりばらつきがあることがわかります。
そういう能力を養うのは、それこそ中高生だったら生徒会活動とか部活動、大学生なら社会奉仕、課外活動などになるのでしょう。
5年生の臨床実習では、4〜6人の班が2週間ごとに回ってくるのですが、私は最初の顔合わせのときに、各人に自己紹介をしてもらっています。これはいろいろな意味合いがありまして、大きな目的としては、若い人の興味、関心がどんなものにあって、世の中の流れがどんな感じなのかを知っておきたいということ。
働いていて顔を合わせる人は限られていて、会話も同じようなものになりがちなので、いろいろな感性、志向の人と話をしていたいのですね。よく言いますね、若い人と話をすると若返るとか若々しくなるとか。効果が出ているかどうかはわかりませんが、時々「それって何だったっけ?ということを調べたりして、ボケ予防の効果も期待しています。
それ以外に今やっている活動を尋ねたりもしていたのですが、非認知能力が大切、ということを前提にして思い返してみると、この最初の自己紹介で多くの話題が出て盛り上がった班ほど、その後の実習も前向きに取り組む傾向があったことは間違いありません。これ、研究テーマになるかも。でもアウトカムの設定が難しいですね…。
特に臨床医になる、ということを考えると、暗記の能力を競うテストの成績自体は臨床医の「よさ」にはたぶん関係はないでしょう。しかし、目の前の課題に対して、キッチリとやるべき暗記をする力、これは臨床医の「よさ」に関係するでしょう。ですからこの種の研究をキッチリやろうとすると、大学をあげて、あるいはもっと大きなレベルでやらなくちゃならないだろうと思うのです。
そこでのキモは、IQや学力テストの点数などの「認知能力」への効果よりもむしろ「非認知能力」といわれるものへの効果が大きかったといいます。
非認知能力、つまり、成績のように簡単に測定出来ないが生きるために必要な力、例えば、「自制心」「やり抜く力」「勤勉性」などが、人生において、また、社会生活を送る上で重要であるということです。
そういう前提で医科大学生たちをみると、なるほど成績はよい(よかった)のでしょうが、非認知能力にはかなりばらつきがあることがわかります。
そういう能力を養うのは、それこそ中高生だったら生徒会活動とか部活動、大学生なら社会奉仕、課外活動などになるのでしょう。
5年生の臨床実習では、4〜6人の班が2週間ごとに回ってくるのですが、私は最初の顔合わせのときに、各人に自己紹介をしてもらっています。これはいろいろな意味合いがありまして、大きな目的としては、若い人の興味、関心がどんなものにあって、世の中の流れがどんな感じなのかを知っておきたいということ。
働いていて顔を合わせる人は限られていて、会話も同じようなものになりがちなので、いろいろな感性、志向の人と話をしていたいのですね。よく言いますね、若い人と話をすると若返るとか若々しくなるとか。効果が出ているかどうかはわかりませんが、時々「それって何だったっけ?ということを調べたりして、ボケ予防の効果も期待しています。
それ以外に今やっている活動を尋ねたりもしていたのですが、非認知能力が大切、ということを前提にして思い返してみると、この最初の自己紹介で多くの話題が出て盛り上がった班ほど、その後の実習も前向きに取り組む傾向があったことは間違いありません。これ、研究テーマになるかも。でもアウトカムの設定が難しいですね…。
特に臨床医になる、ということを考えると、暗記の能力を競うテストの成績自体は臨床医の「よさ」にはたぶん関係はないでしょう。しかし、目の前の課題に対して、キッチリとやるべき暗記をする力、これは臨床医の「よさ」に関係するでしょう。ですからこの種の研究をキッチリやろうとすると、大学をあげて、あるいはもっと大きなレベルでやらなくちゃならないだろうと思うのです。
posted by 長尾大志 at 15:06
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2016年05月05日
『学力の経済学』を読んでわかったこと。
この本では、これまで何となく「こうしたらいいのかなあ」と思っていたことについて、研究によるエビデンスから「こうした方が、結果がよかった」ということが書いてあります。これを読むと、教育に関する研究は公的な機関がきちんと大きな研究行わないと、信頼出来る結果が得られそうにないということがわかります。
私のような立場のものが思いつきでやっても、政策を変えるほどのエビデンスは出てこないってことですね。それでもまあ、発言することに意義があるのであれば、多少は世の中の役に立つこともあるのかもしれない、とも思い直しました。
この本の中では、主に学童あたりの年齢層に対する「教育」のあり方、というものを取り上げています(「政策」がらみなのだから当たり前ではありますが)。それでも、大学生やもっと年長者に対して出来ることもありそうです。例えば「テストでいい点を取ったらご褒美」と「本を読んだらご褒美」ではどちらの方の成績が上がったか。
その結果だけではなく、考察のところで、まず「勉強のやり方」を勉強することが重要である、そこのところは私たちがよーく心に留めておく必要がありそうです。
私のような立場のものが思いつきでやっても、政策を変えるほどのエビデンスは出てこないってことですね。それでもまあ、発言することに意義があるのであれば、多少は世の中の役に立つこともあるのかもしれない、とも思い直しました。
この本の中では、主に学童あたりの年齢層に対する「教育」のあり方、というものを取り上げています(「政策」がらみなのだから当たり前ではありますが)。それでも、大学生やもっと年長者に対して出来ることもありそうです。例えば「テストでいい点を取ったらご褒美」と「本を読んだらご褒美」ではどちらの方の成績が上がったか。
その結果だけではなく、考察のところで、まず「勉強のやり方」を勉強することが重要である、そこのところは私たちがよーく心に留めておく必要がありそうです。
posted by 長尾大志 at 19:11
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2016年05月03日
教育について、『人生を危険にさらせ!』から示唆を得る
先週の臨床実習では、担癌患者さんを通して死生観の体験にも触れることが出来ましたが、「人間はどうせ死んでしまう。それでもなお1位を目指し続ける。(中島義道大先輩風)」という言葉を書いたアイドルがいます。NMB48の須藤凜々花です。
彼女と政治社会学者の堀内進之介先生による書籍『人生を危険にさらせ!』では、これまでの哲学者たちの思考をおさらいし、よりよく生きるために、人生のいろいろなテーマ(生、愛、自由、正義、大人)に関して、大いに考える様子を追体験できます。私は恥ずかしながら、これまでそういう領域を避けて通ってきたものですが、そんな私にもわかりやすかったです。
死というものを必ず訪れるものと受け止め、その上で精一杯生きる、そういう生き方をしてきた方は、例えば癌で余命が限られている、ということを知らされたときでも、こちらが気後れするほどしっかりと事態を受け止め、終末期の準備をされたりします。まだ私自身、そこまで人間ができていませんが、「覚悟を決めて1日1日を精一杯、よく生きる」ことで、人生の困難にももう少ししっかり対処できるのではないかと思ったりします。
『人生を危険にさらせ!』の中で個人的に印象に残った点は、ジャック・ランシエールという哲学者の『無知な教師』という本が曰く、教師、教育学が人々を知者と愚者に分けてしまう、教えるものは、自らの仕事の価値と必然性を信じるがゆえに、子どもや若者たちが、自分で自分の理性を用いることができるということを信頼できない。自分自身の知性を用いうるものに対して、彼らの意思を挫き、受動的な存在に仕立て上げ、そこに知識を注ぎ込むことによって、「やっぱりそうだ、彼らは愚か者だったのであり、わたしたちが知識を注ぎ込んだからこそ、知者になったのだ」と語るのが教育と教育学なのだ、というくだりの引用から、堀内進之介先生が須藤凜々花の教師としてのあり方を自省するところ。
ランシエールは、学習者が自分自身の道の上に自分自身を留めておく強さ(意志の強さ)を持たないとき、教師が必要だといい、学習者は知に学べばいいのであって、教師と知とを同一視してそれに従属する必要はない。それで堀内先生は、「人類の遺産としての哲学を紹介するだけで、あとは須藤さんの学ぼうとする意思を挑発するのが自分の仕事だと思っていた」と言います。
私が最近、特に学生実習やカンファレンスでは、意識的に「その場で教える」ということを避けるようにしているのは、この本を読む前から、「自分の役目って、この場で教えることじゃないよな〜」と何となく思っていたからです。それで、ことがらを伝えるよりも考え方のspirit、患者さんに向き合う情熱みたいなことを伝えようと心がけてきました。
まあ学生さん、若いドクターにもいろいろで、これは教えとかないとヤバイ…ということもあるわけですが…。でも自分の立ち位置というか、一線は越えないようにしなくては、ということに思いを巡らせることができた読書体験でした。
彼女と政治社会学者の堀内進之介先生による書籍『人生を危険にさらせ!』では、これまでの哲学者たちの思考をおさらいし、よりよく生きるために、人生のいろいろなテーマ(生、愛、自由、正義、大人)に関して、大いに考える様子を追体験できます。私は恥ずかしながら、これまでそういう領域を避けて通ってきたものですが、そんな私にもわかりやすかったです。
死というものを必ず訪れるものと受け止め、その上で精一杯生きる、そういう生き方をしてきた方は、例えば癌で余命が限られている、ということを知らされたときでも、こちらが気後れするほどしっかりと事態を受け止め、終末期の準備をされたりします。まだ私自身、そこまで人間ができていませんが、「覚悟を決めて1日1日を精一杯、よく生きる」ことで、人生の困難にももう少ししっかり対処できるのではないかと思ったりします。
『人生を危険にさらせ!』の中で個人的に印象に残った点は、ジャック・ランシエールという哲学者の『無知な教師』という本が曰く、教師、教育学が人々を知者と愚者に分けてしまう、教えるものは、自らの仕事の価値と必然性を信じるがゆえに、子どもや若者たちが、自分で自分の理性を用いることができるということを信頼できない。自分自身の知性を用いうるものに対して、彼らの意思を挫き、受動的な存在に仕立て上げ、そこに知識を注ぎ込むことによって、「やっぱりそうだ、彼らは愚か者だったのであり、わたしたちが知識を注ぎ込んだからこそ、知者になったのだ」と語るのが教育と教育学なのだ、というくだりの引用から、堀内進之介先生が須藤凜々花の教師としてのあり方を自省するところ。
ランシエールは、学習者が自分自身の道の上に自分自身を留めておく強さ(意志の強さ)を持たないとき、教師が必要だといい、学習者は知に学べばいいのであって、教師と知とを同一視してそれに従属する必要はない。それで堀内先生は、「人類の遺産としての哲学を紹介するだけで、あとは須藤さんの学ぼうとする意思を挑発するのが自分の仕事だと思っていた」と言います。
私が最近、特に学生実習やカンファレンスでは、意識的に「その場で教える」ということを避けるようにしているのは、この本を読む前から、「自分の役目って、この場で教えることじゃないよな〜」と何となく思っていたからです。それで、ことがらを伝えるよりも考え方のspirit、患者さんに向き合う情熱みたいなことを伝えようと心がけてきました。
まあ学生さん、若いドクターにもいろいろで、これは教えとかないとヤバイ…ということもあるわけですが…。でも自分の立ち位置というか、一線は越えないようにしなくては、ということに思いを巡らせることができた読書体験でした。
posted by 長尾大志 at 22:21
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2016年04月06日
1年目研修医諸君へ言いたかったこと
新年度になり、新しい研修医諸君がやってこられました。先ほど皆さんとの顔合わせがあり、簡単に挨拶をしたのですが、いつも言いたいことの一部も言えないので、こちらで書こう、と思ったら、以前にたくさん書いていました。
昨年は忙しすぎて、あまりこちらでは研修医の先生方への言葉も述べていなかったようですが、その前は毎年、4月1日前後に「(医師として)働き始める皆さんへ」と題したありがたい?話を記事にしています。こういう記事を読んで素直に実践する人が伸びる、これは間違いないです。
2014年4月1日のありがたい?話
2013年3月31日のありがたい?話
2012年4月1日のありがたい?話
上の記事も以前の記事たちの寄せ集めだったりしますが、初期の記事は、今読み返してもやっぱり、エエことが書いてあります。以前の記事を読むと、自分の姿勢、考え方がブレているかどうかの目安になると思っていますが、どうやら全く芯はブレていないようでホッとしました。
逆に、説明をするような記事だと2〜3年前のものを見ると、もうちょっと上手く書けるよね、ちょっとは成長したかな、と思えることが多く、それはそれでちょっとうれしいものです。
今日は手抜き感がありますが、それはちゃんとした理由があります。それについては明日触れようか、どうしようかと思っています。
昨年は忙しすぎて、あまりこちらでは研修医の先生方への言葉も述べていなかったようですが、その前は毎年、4月1日前後に「(医師として)働き始める皆さんへ」と題したありがたい?話を記事にしています。こういう記事を読んで素直に実践する人が伸びる、これは間違いないです。
2014年4月1日のありがたい?話
2013年3月31日のありがたい?話
2012年4月1日のありがたい?話
上の記事も以前の記事たちの寄せ集めだったりしますが、初期の記事は、今読み返してもやっぱり、エエことが書いてあります。以前の記事を読むと、自分の姿勢、考え方がブレているかどうかの目安になると思っていますが、どうやら全く芯はブレていないようでホッとしました。
逆に、説明をするような記事だと2〜3年前のものを見ると、もうちょっと上手く書けるよね、ちょっとは成長したかな、と思えることが多く、それはそれでちょっとうれしいものです。
今日は手抜き感がありますが、それはちゃんとした理由があります。それについては明日触れようか、どうしようかと思っています。
posted by 長尾大志 at 19:29
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2015年01月03日
新年の抱負・成長の条件
医師になって数年経過すると、少なくとも専門分野の大体の知識が身につきます。医師になった当初は知るべき、理解すべき事柄の大海原、地平線が見えない状態で途方に暮れるのが、徐々に「ここまでわかっていればいい」限界が見えるようになってくる。
自分の経験では、3年目になると「内科は大体見えた」なんて勘違い( ゚д゚)!!?が出来るようになってくるのですね。まあそれは勘違いなのですが、そのあたりの段階で「もう勉強しなくていいや」となるのか、「まだまだ」となるのかが、医師としてのクオリティを決めるように思います。ここで停滞してしまった過去の自分に言ってあげたい。
残念ながら、前者のような様子を見る機会がしばしばあるのですね。特に「専門外」分野への冷淡さ。専門外と言っても、プライマリ・ケアの領域だったりすると、ちょっと見ていて心配になるほど。
わかりやすい例として、AKB48の例を挙げましょう(わかりにくいか…)。
AKB48のメンバーは300名ほど在籍しているようですが、その中にもいろいろな人がいるようです。貪欲に上を目指し、選抜に入ってくる人、「まあこのぐらいでいいや」と手を抜き始め、中堅(あるいは下層)でくすぶり続ける人…。
現総監督の高橋みなみが若手のホープ、高橋朱里、田野優花に関して言及した台詞を引用します。
「朱里ってめっちゃ自信ないから成長できた」「田野ちゃんは、最初は自信があったけど、どこかで折れて他人の意見に耳を澄ますから成長できたんだよ」
高橋朱里は当初目立たない感じでしたが、前向きにいろいろ取り組んでしゃべれるようになったといいます。
田野優花は当初自分のスキルに相当自信があったようですが、そのために成長の機会することなく、人気もイマイチ伸び悩む、という状況でした。あるときから、おそらく他人の意見に耳を澄ませたのでしょう、明らかに物事に取り組む態度が変わり、成長を遂げたのです。
自分は出来ている、と思ったら、そこで成長が止まる。今年も自分に言い聞かせたいと思います。
自分の経験では、3年目になると「内科は大体見えた」なんて勘違い( ゚д゚)!!?が出来るようになってくるのですね。まあそれは勘違いなのですが、そのあたりの段階で「もう勉強しなくていいや」となるのか、「まだまだ」となるのかが、医師としてのクオリティを決めるように思います。ここで停滞してしまった過去の自分に言ってあげたい。
残念ながら、前者のような様子を見る機会がしばしばあるのですね。特に「専門外」分野への冷淡さ。専門外と言っても、プライマリ・ケアの領域だったりすると、ちょっと見ていて心配になるほど。
わかりやすい例として、AKB48の例を挙げましょう(わかりにくいか…)。
AKB48のメンバーは300名ほど在籍しているようですが、その中にもいろいろな人がいるようです。貪欲に上を目指し、選抜に入ってくる人、「まあこのぐらいでいいや」と手を抜き始め、中堅(あるいは下層)でくすぶり続ける人…。
現総監督の高橋みなみが若手のホープ、高橋朱里、田野優花に関して言及した台詞を引用します。
「朱里ってめっちゃ自信ないから成長できた」「田野ちゃんは、最初は自信があったけど、どこかで折れて他人の意見に耳を澄ますから成長できたんだよ」
高橋朱里は当初目立たない感じでしたが、前向きにいろいろ取り組んでしゃべれるようになったといいます。
田野優花は当初自分のスキルに相当自信があったようですが、そのために成長の機会することなく、人気もイマイチ伸び悩む、という状況でした。あるときから、おそらく他人の意見に耳を澄ませたのでしょう、明らかに物事に取り組む態度が変わり、成長を遂げたのです。
自分は出来ている、と思ったら、そこで成長が止まる。今年も自分に言い聞かせたいと思います。
posted by 長尾大志 at 11:27
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2014年09月28日
医療・地域医療が崩壊する機序、か?2
昨今は子供さんの意識も変わってきている様子が見受けられます。特に都市部において。
「(89歳、認知症がある患者さんでも)精一杯(=現代医療の精一杯)の治療をやってもらわなくちゃ。」みたいな考え方になってきている。「(本人がどれだけ苦しんでも)1分1秒でも長生きしてもらいたい。」という希望を聞くことすらある。もちろんそのお気持ちを否定するものではありません。私も人の子ですから。で、今いる施設ではそれは可能ですから、出来るだけご希望に添うようにやらして頂いている。
もちろん医師の判断で、「これは重篤な疾患の可能性かも」と検査をするのは、それは必要なことではありますが、(これとて異論はいっぱいありますが)医師が自らの経験から、「そこまでの検査は必要ない。入院の必要はない」と考えているのに、「検査をしてほしい」「入院させてほしい」「このまま帰って悪くなったらどうしてくれる」的なことを言われると、「念のため」「仕方がない」と、(客観的に見て)不要な検査、入院をどんどん積み重ねていく…。
結果的に高齢者の「かぜ」であっても入院、CT、血液検査フルで、とやらないと納得して頂けなくなる。医療アクセスのよい都市部のみならず、医療資源の乏しい地方においても、同様のことを要求されたら…。
新しい知見が見つかるとそれが集積されていき、新しいエビデンスが出来ます。例えばあれも○○だった、これも○○だった、それも○○…非特異的な症状であっても、CTを撮ってみたら○○であった…そうなってくると、○○を診断するためには、除外するためには、CTは必要なのだ、こういう論調になってきます。
そういう論調をネットで見た、「CTやってもらえなかったのはどういうことだ」とクレーム。私自身、患者さんからのクレームは、自分が正しいという確信があっても、精神的に堪えます。
地域医療をぎりぎりのところで支えている、激務に耐えて頑張っておられる先生が、そのような、一種のクレームを受けたら、心折れてしまうのではないかと心配です。そして医療崩壊。それを防ぐためには、検査するしかないのか。
高齢者の数がますます桁違いに増えてくるこれから、医療費は雪だるま式に増え、保険制度は破綻、消費税は30%に。それでも足りない…みたいな近未来が、救急の現場から見えてくるような気がします。高齢化とは、そういうことでもあるのです。いい、悪いといった単純な問題ではありませんし、誰も批判する意図はありません。ただ未来を予想してみた、という記事です。
「(89歳、認知症がある患者さんでも)精一杯(=現代医療の精一杯)の治療をやってもらわなくちゃ。」みたいな考え方になってきている。「(本人がどれだけ苦しんでも)1分1秒でも長生きしてもらいたい。」という希望を聞くことすらある。もちろんそのお気持ちを否定するものではありません。私も人の子ですから。で、今いる施設ではそれは可能ですから、出来るだけご希望に添うようにやらして頂いている。
もちろん医師の判断で、「これは重篤な疾患の可能性かも」と検査をするのは、それは必要なことではありますが、(これとて異論はいっぱいありますが)医師が自らの経験から、「そこまでの検査は必要ない。入院の必要はない」と考えているのに、「検査をしてほしい」「入院させてほしい」「このまま帰って悪くなったらどうしてくれる」的なことを言われると、「念のため」「仕方がない」と、(客観的に見て)不要な検査、入院をどんどん積み重ねていく…。
結果的に高齢者の「かぜ」であっても入院、CT、血液検査フルで、とやらないと納得して頂けなくなる。医療アクセスのよい都市部のみならず、医療資源の乏しい地方においても、同様のことを要求されたら…。
新しい知見が見つかるとそれが集積されていき、新しいエビデンスが出来ます。例えばあれも○○だった、これも○○だった、それも○○…非特異的な症状であっても、CTを撮ってみたら○○であった…そうなってくると、○○を診断するためには、除外するためには、CTは必要なのだ、こういう論調になってきます。
そういう論調をネットで見た、「CTやってもらえなかったのはどういうことだ」とクレーム。私自身、患者さんからのクレームは、自分が正しいという確信があっても、精神的に堪えます。
地域医療をぎりぎりのところで支えている、激務に耐えて頑張っておられる先生が、そのような、一種のクレームを受けたら、心折れてしまうのではないかと心配です。そして医療崩壊。それを防ぐためには、検査するしかないのか。
高齢者の数がますます桁違いに増えてくるこれから、医療費は雪だるま式に増え、保険制度は破綻、消費税は30%に。それでも足りない…みたいな近未来が、救急の現場から見えてくるような気がします。高齢化とは、そういうことでもあるのです。いい、悪いといった単純な問題ではありませんし、誰も批判する意図はありません。ただ未来を予想してみた、という記事です。
posted by 長尾大志 at 16:40
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2014年09月27日
医療・地域医療が崩壊する機序、か?
高齢者では、症状が非特異的になりがち、重症感がなさそうに見えがちであるから、「軽症に違いない」と帰してしまうのはよろしくない、と言われます。
非特異的症状のみで来院されても、CTを撮って、血液検査をして…的な対処が必要であった、と振り返られる症例、いろいろと報告されています。
ここで問題となるのが、「撮れるところはいいけど、ウチの診療所にCTなんてない。あるのは車で一時間のところだけ。」「CTを撮るには船で本土まで行かなくてはならない。」など、医療アクセスがよろしくない施設での対応です。
そりゃ大都市の、ブランド研修病院であれば、検査なんて直ぐにアクセスできます。救急患者さんも多く、充分に採算がとれるでしょう。でもそんなところばかりではない。そういうところでも、積極的にCTを撮るべし、と言われてしまうと、その通りなのですが…。
・地域の貴重な救急車を搬送に使わなくてはならない。船をチャーターしなくてはならない。場合によってはドクターヘリを使わなければならない。この程度の症状で、それはアリなのか。認知症があるから、症状が表現されていないのか、高齢だからあまり連れ回すのはかわいそうなのか…?
…という、なかなか難しい判断を強いられることになるのです。
いやCTって、やっぱりよく見えますから、念のために撮影したCTで、偶々こんなのが見つかった、てな経験をすればするほど、「CT撮らずに大丈夫かな」「念のために撮っておこう」という考え方が出てきます。撮れるところはいいんですよ。撮れるところは。
でも、例えばブランド研修病院で研修を積まれた、「地域医療を支えるぞ!」とやる気に満ちた若手の先生が、地域の診療所でやって行かれるときに、検査アクセスの悪さをどう克服されるか、医療経済との折り合いをどうつけるか、それは結構重要な問題と思われます。
それでも、たぶんこれまではよかった。
これまでは、周辺にそんな立派な病院のない、地方に住んでいる、高齢者のご家族、というか子供さんたちは、阿吽の呼吸じゃありませんが、「もう歳も歳だし、そんな検査なんて…。」「そんなにやって頂かなくても…。」そのような呼吸が合った。それは地域における、ドクターのありがたみを理解し、「この地で精一杯やって頂いた。」という思いを持っておられたのであろうと思われます。
非特異的症状のみで来院されても、CTを撮って、血液検査をして…的な対処が必要であった、と振り返られる症例、いろいろと報告されています。
ここで問題となるのが、「撮れるところはいいけど、ウチの診療所にCTなんてない。あるのは車で一時間のところだけ。」「CTを撮るには船で本土まで行かなくてはならない。」など、医療アクセスがよろしくない施設での対応です。
そりゃ大都市の、ブランド研修病院であれば、検査なんて直ぐにアクセスできます。救急患者さんも多く、充分に採算がとれるでしょう。でもそんなところばかりではない。そういうところでも、積極的にCTを撮るべし、と言われてしまうと、その通りなのですが…。
・地域の貴重な救急車を搬送に使わなくてはならない。船をチャーターしなくてはならない。場合によってはドクターヘリを使わなければならない。この程度の症状で、それはアリなのか。認知症があるから、症状が表現されていないのか、高齢だからあまり連れ回すのはかわいそうなのか…?
…という、なかなか難しい判断を強いられることになるのです。
いやCTって、やっぱりよく見えますから、念のために撮影したCTで、偶々こんなのが見つかった、てな経験をすればするほど、「CT撮らずに大丈夫かな」「念のために撮っておこう」という考え方が出てきます。撮れるところはいいんですよ。撮れるところは。
でも、例えばブランド研修病院で研修を積まれた、「地域医療を支えるぞ!」とやる気に満ちた若手の先生が、地域の診療所でやって行かれるときに、検査アクセスの悪さをどう克服されるか、医療経済との折り合いをどうつけるか、それは結構重要な問題と思われます。
それでも、たぶんこれまではよかった。
これまでは、周辺にそんな立派な病院のない、地方に住んでいる、高齢者のご家族、というか子供さんたちは、阿吽の呼吸じゃありませんが、「もう歳も歳だし、そんな検査なんて…。」「そんなにやって頂かなくても…。」そのような呼吸が合った。それは地域における、ドクターのありがたみを理解し、「この地で精一杯やって頂いた。」という思いを持っておられたのであろうと思われます。
posted by 長尾大志 at 22:01
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2014年09月06日
今週の活動報告・今後の事業?計画
今週は、10月〜11月にやってくる怒濤の講演ラッシュに備えたコンテンツ作りをしておりました。
天理の羽白先生に、「スライド作りが劇的に変わる」Webサイトと本をご紹介頂いて、スライドを全面的に刷新しております。また、一方的な伝達にとどまらず、双方向性を意識した展開を盛り込んでいっています。夏のFACEで講師の先生方がされていたいろいろな工夫を勉強させて頂きました。
平成進化論の鮒谷さん曰く、「コンテンツそのものはすぐにコピペされて陳腐化する。コンテンツそのものを作り出すことも重要であるが、如何にそれを伝えるか、さらにはそのコンテンツによって情報の受け手が行動変容を起こすまでに至る、そのための『情報の伝達方法』『受け手に対する関わり方』こそが重要である」とのこと。
これまではフーンと読んでいたのですが、FACEで実践されているのを見て、ピーンと来たのです。回路がつながった感覚。
どんなに優れたコンテンツを持っていても、それが伝わらなければ意味がない。伝わっても、それが読んだ人がこれから実践する医療に好影響を及ぼさなければ、意味がない。
おかげさまで好評を頂いている「やさしイイ呼吸器教室」「やさしイイ胸部画像教室」ですが、その内容によって、読者の方が実践する呼吸器診療がよりカイゼンされ、全国の呼吸器疾患を持つ患者さんが恩恵を受けられるようになる、それこそが本を書いた目的なのです。
書籍の内容には絶対の自信を持っている、のですが、読者の方が本を読んでから、実践に至るまでの段階、ハードルを考えると、私にできること、今後やっていくべきことが見えて参りました。やはりキーワードは「双方向性」「合わせて導く」になりそうです。
地域医師会での講演、看護師さん向けのセミナーのように、文化的に「ライブ双方向性」がそぐわないような気がするものもありますが、若い人たちや「総合診療」系のコミュニティではハマリそうな気がします。ハマらなさそうなものも、これから工夫していきます。
天理の羽白先生に、「スライド作りが劇的に変わる」Webサイトと本をご紹介頂いて、スライドを全面的に刷新しております。また、一方的な伝達にとどまらず、双方向性を意識した展開を盛り込んでいっています。夏のFACEで講師の先生方がされていたいろいろな工夫を勉強させて頂きました。
平成進化論の鮒谷さん曰く、「コンテンツそのものはすぐにコピペされて陳腐化する。コンテンツそのものを作り出すことも重要であるが、如何にそれを伝えるか、さらにはそのコンテンツによって情報の受け手が行動変容を起こすまでに至る、そのための『情報の伝達方法』『受け手に対する関わり方』こそが重要である」とのこと。
これまではフーンと読んでいたのですが、FACEで実践されているのを見て、ピーンと来たのです。回路がつながった感覚。
どんなに優れたコンテンツを持っていても、それが伝わらなければ意味がない。伝わっても、それが読んだ人がこれから実践する医療に好影響を及ぼさなければ、意味がない。
おかげさまで好評を頂いている「やさしイイ呼吸器教室」「やさしイイ胸部画像教室」ですが、その内容によって、読者の方が実践する呼吸器診療がよりカイゼンされ、全国の呼吸器疾患を持つ患者さんが恩恵を受けられるようになる、それこそが本を書いた目的なのです。
書籍の内容には絶対の自信を持っている、のですが、読者の方が本を読んでから、実践に至るまでの段階、ハードルを考えると、私にできること、今後やっていくべきことが見えて参りました。やはりキーワードは「双方向性」「合わせて導く」になりそうです。
地域医師会での講演、看護師さん向けのセミナーのように、文化的に「ライブ双方向性」がそぐわないような気がするものもありますが、若い人たちや「総合診療」系のコミュニティではハマリそうな気がします。ハマらなさそうなものも、これから工夫していきます。
posted by 長尾大志 at 12:07
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2014年07月21日
学生さんの意識・教員の意識
学生さんもいろいろで、A「もっと勉強したい。自分を高めたい。役に立つことをしたい。」という人もいれば、B「勉強はなるべくやらずに、クラブ(バイト、趣味等々)に打ち込みたい。」という人もいますし、C「まあそんなに頑張らずに、そこそこやってお金儲けができればよい。」という人もいるように見えます。
Aの人からはもっとカリキュラム、授業をカイゼンして欲しい、という要望が寄せられることが多いのですが、B、Cの人にとってはどうなのか、カイゼンを希望されているのかどうかよくわかりません。というのもB、Cの人とお話しする機会がほとんどないからです。
しかし、もしもカイゼンによって、B、Cの人々のモチベーションが上がり、前向きに勉学に取り組んでいただけるようになり、結果、よりよい医師をより多く世の中に送り出すことができるのであれば、B、Cの人々の「希望」に合わなくても、そうすべきなのだろうな、と思うのです。また、学生さんとお話しする機会に、どのような方向性が良さそうかを話し合いたいと思います。
そうなると問題は教員の側に投げられてきます。いみじくも教員の側にあるモチベーションの差、ムラをどうするか。おそらく教員にもA、B、C、もしくはそれ以上のカテゴリーワケができるでしょう。こちらのモチベーションのムラを、カリキュラムのカイゼンでならすことができるのでしょうか。
モチベーションの高い教員の先生方がたくさんおられることはわかっていますので、そういう方々がもっと活躍できるしくみ、そういうのものがあるといいのに、とは思います。
Aの人からはもっとカリキュラム、授業をカイゼンして欲しい、という要望が寄せられることが多いのですが、B、Cの人にとってはどうなのか、カイゼンを希望されているのかどうかよくわかりません。というのもB、Cの人とお話しする機会がほとんどないからです。
しかし、もしもカイゼンによって、B、Cの人々のモチベーションが上がり、前向きに勉学に取り組んでいただけるようになり、結果、よりよい医師をより多く世の中に送り出すことができるのであれば、B、Cの人々の「希望」に合わなくても、そうすべきなのだろうな、と思うのです。また、学生さんとお話しする機会に、どのような方向性が良さそうかを話し合いたいと思います。
そうなると問題は教員の側に投げられてきます。いみじくも教員の側にあるモチベーションの差、ムラをどうするか。おそらく教員にもA、B、C、もしくはそれ以上のカテゴリーワケができるでしょう。こちらのモチベーションのムラを、カリキュラムのカイゼンでならすことができるのでしょうか。
モチベーションの高い教員の先生方がたくさんおられることはわかっていますので、そういう方々がもっと活躍できるしくみ、そういうのものがあるといいのに、とは思います。
posted by 長尾大志 at 16:58
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2014年05月03日
コピペ・改変疑惑続々
少し報道自体は沈静化してきた感のあるSTAP騒動。そのとばっちり?で、他の研究者の方々による論文にも画像改変とか何とか言われているようであります。
以前に「コピペをするな」と書きました。もちろん件の論文がどうこう言う権利は私にはありませんが、もう一度若い人たち、いや、教員の方々も言っておきたいことは、「普段から、やってはいけないことをするな」ということ。
ちょっとしたレポートだし、ここはコピペでいいか、とか、ちょっと見栄えをよくするために画像をいじって…とか、普段からやっていることは必ず癖になり、大切な時にも知らず知らずやってしまうものなのです。
これからはコピペなどのチェックも厳しくなるでしょうから、一度そういうことが指摘されると、研究者人生は終わってしまうこともあるでしょう。
これからの(これまでも?)日本の研究者の論文がコピペだらけ、となってしまうと、もう日本人が1st autherの論文は一流誌には読んでもらえなくなってしまうかもしれません。まあ、個々人が実績を作ればよいのですが。
まあ、これまでも日本発の論文はアレなところがあったわけですが…
ですから、日々の生活の些細なことから、やってはいけないことはしない、という意識で過ごす、こういう姿勢が大切。もっと言えば、かっこよく生きる。お天道様に恥じない生き方をするってことです。当たり前と言えば当たり前のことなんですが、実際なかなかできている人は少ないんじゃないでしょうか。
こういうことを書くと思い出されるのがカナダで過ごした日々。あちらの皆さんはとにかく親切かつスマート。ウチは2歳児をつれての渡航でしたからベビーカーであちこちに行っておりましたが、スーパーでは皆さんドアを開けてくださる。バスではすぐに席を譲ってくださる。ちょっとしたことで声を掛けてくれて、子供の相手もしてくださる。それがまた自然なんですねー。
ラスベガスで超人気のバフェに並んでいたら、めちゃお金持ちそうな紳士が、「子供がかわいそうだし、これで入りなさいよ」とVIP用の(すぐに入れる)優待券をくれた、これが欧米の文化なのか、「徳を積む」ということなのか、と印象に残った出来事でした。
おそらく宗教を背景にした、そんな文化で生きているから、コソコソやってはいけないことをする、ということがないのかなと。徳を積んで天国に行く。悪いことをすると神様が見ている。それに対して日本というかアジアの文化は「見つからなきゃいい」的な文化なのかなあ、と思うこの頃です。
以前に「コピペをするな」と書きました。もちろん件の論文がどうこう言う権利は私にはありませんが、もう一度若い人たち、いや、教員の方々も言っておきたいことは、「普段から、やってはいけないことをするな」ということ。
ちょっとしたレポートだし、ここはコピペでいいか、とか、ちょっと見栄えをよくするために画像をいじって…とか、普段からやっていることは必ず癖になり、大切な時にも知らず知らずやってしまうものなのです。
これからはコピペなどのチェックも厳しくなるでしょうから、一度そういうことが指摘されると、研究者人生は終わってしまうこともあるでしょう。
これからの(これまでも?)日本の研究者の論文がコピペだらけ、となってしまうと、もう日本人が1st autherの論文は一流誌には読んでもらえなくなってしまうかもしれません。まあ、個々人が実績を作ればよいのですが。
まあ、これまでも日本発の論文はアレなところがあったわけですが…
ですから、日々の生活の些細なことから、やってはいけないことはしない、という意識で過ごす、こういう姿勢が大切。もっと言えば、かっこよく生きる。お天道様に恥じない生き方をするってことです。当たり前と言えば当たり前のことなんですが、実際なかなかできている人は少ないんじゃないでしょうか。
こういうことを書くと思い出されるのがカナダで過ごした日々。あちらの皆さんはとにかく親切かつスマート。ウチは2歳児をつれての渡航でしたからベビーカーであちこちに行っておりましたが、スーパーでは皆さんドアを開けてくださる。バスではすぐに席を譲ってくださる。ちょっとしたことで声を掛けてくれて、子供の相手もしてくださる。それがまた自然なんですねー。
ラスベガスで超人気のバフェに並んでいたら、めちゃお金持ちそうな紳士が、「子供がかわいそうだし、これで入りなさいよ」とVIP用の(すぐに入れる)優待券をくれた、これが欧米の文化なのか、「徳を積む」ということなのか、と印象に残った出来事でした。
おそらく宗教を背景にした、そんな文化で生きているから、コソコソやってはいけないことをする、ということがないのかなと。徳を積んで天国に行く。悪いことをすると神様が見ている。それに対して日本というかアジアの文化は「見つからなきゃいい」的な文化なのかなあ、と思うこの頃です。
posted by 長尾大志 at 17:10
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2014年04月20日
「介入」の効用
少し前に、神戸の某病院でバリバリの臨床医として活躍しておられるN先生とお話ししていて考えに至ったこと。
その先生は「研修医の指導をしていると、大きく分けて3タイプ見受けられますね。」とおっしゃいます。
1. 教員が何もしなくても、優れた医師、研究者になる学生
2. 教員の介入によって、優れた医師、研究者になる可能性のある学生
3. 教員の介入によっては、優れた医師、研究者になることが望めない学生
言うまでもなく、1の研修医が指導をしていて楽しいし、やりがいがある、というのです。まあ、それはそうかもしれません。それは学生さんでも同じことで、1のタイプの学生さんはどんどん学習して課題を見つけ、鋭い質問を投げかけてこられる。指導していても面白いわけです。
でも、大学の教員としては、もっとも多数を占めている2の学生さんに対して、いかに介入するか、が重要課題なのです。彼らは教員の介入を待っています。そして、介入によって学問、臨床の面白さがわかり、良い臨床医、研究者になる、というのが望ましい経過になります。
そのためにできることは、何があるのか。まずは熱意と工夫なのですが、それだけでいいのか。工夫がもっとできるのではないのか。
はたまた、3のタイプが本当に存在するのか、私たちが介入を怠っているだけなのか、それはよくわかりません。少なくとも私がこれまでの実習でやってきたことでは不十分であったことは自分でもよくわかっています。実習重視にすることで、もう少し臨床の面白さとやりがいを伝えていけたら、と思っています。
その先生は「研修医の指導をしていると、大きく分けて3タイプ見受けられますね。」とおっしゃいます。
1. 教員が何もしなくても、優れた医師、研究者になる学生
2. 教員の介入によって、優れた医師、研究者になる可能性のある学生
3. 教員の介入によっては、優れた医師、研究者になることが望めない学生
言うまでもなく、1の研修医が指導をしていて楽しいし、やりがいがある、というのです。まあ、それはそうかもしれません。それは学生さんでも同じことで、1のタイプの学生さんはどんどん学習して課題を見つけ、鋭い質問を投げかけてこられる。指導していても面白いわけです。
でも、大学の教員としては、もっとも多数を占めている2の学生さんに対して、いかに介入するか、が重要課題なのです。彼らは教員の介入を待っています。そして、介入によって学問、臨床の面白さがわかり、良い臨床医、研究者になる、というのが望ましい経過になります。
そのためにできることは、何があるのか。まずは熱意と工夫なのですが、それだけでいいのか。工夫がもっとできるのではないのか。
はたまた、3のタイプが本当に存在するのか、私たちが介入を怠っているだけなのか、それはよくわかりません。少なくとも私がこれまでの実習でやってきたことでは不十分であったことは自分でもよくわかっています。実習重視にすることで、もう少し臨床の面白さとやりがいを伝えていけたら、と思っています。
posted by 長尾大志 at 20:55
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2014年03月16日
ルールは守りましょう
蟻の一穴で思い出しました。欧米の大学では(いや、大学に限らず教育の現場では)、オリジナリティこそが尊重されるべきで、人真似、コピペは恥ずべきこと、という教育がなされているといいます。自分の言葉で語ることを徹底的に訓練されるとも。アジアの文化は人真似文化。やはり小さい頃からの育てられ方、文化的背景などの違いにもよるのでしょうか。
大学でそういうことを教えても遅いのか。なかなか私たちのやっている大学教育カリキュラムでは、そういったことを体系立てて教える機会がないのもまた現実。カリキュラムの中にそういったものを入れる必要があるのかもしれません。
取り急ぎそこまで制度を変えなくても、学生のうちから、「いかなるルールもルールであり、守られるべきである」ということを教える、というか、教員が範を垂れることは、今すぐにでもできることではあります。
以前にも書いたことですが、小さなことでも学内におけるルール違反をしない、させない雰囲気作りというのも大事なのではないでしょうか。
ウチの大学もルールについては、いささかアレな出来事が複数ありました。細かいことですが、学内でしばしばルール違反を見受けます。全敷地禁煙の中喫煙する方々。駐車してはいけない場所に駐車する車。などなど、いちいち書くのもアレなことですが。
これらがしばしば教員、職員の方々によるものであったりするのですね。これも蟻の一穴といえるんじゃないか。やはり私たち教職員が襟を正して、日々の振る舞いを見直すべきではないか。こんなことも思った次第です。
大学でそういうことを教えても遅いのか。なかなか私たちのやっている大学教育カリキュラムでは、そういったことを体系立てて教える機会がないのもまた現実。カリキュラムの中にそういったものを入れる必要があるのかもしれません。
取り急ぎそこまで制度を変えなくても、学生のうちから、「いかなるルールもルールであり、守られるべきである」ということを教える、というか、教員が範を垂れることは、今すぐにでもできることではあります。
以前にも書いたことですが、小さなことでも学内におけるルール違反をしない、させない雰囲気作りというのも大事なのではないでしょうか。
ウチの大学もルールについては、いささかアレな出来事が複数ありました。細かいことですが、学内でしばしばルール違反を見受けます。全敷地禁煙の中喫煙する方々。駐車してはいけない場所に駐車する車。などなど、いちいち書くのもアレなことですが。
これらがしばしば教員、職員の方々によるものであったりするのですね。これも蟻の一穴といえるんじゃないか。やはり私たち教職員が襟を正して、日々の振る舞いを見直すべきではないか。こんなことも思った次第です。
posted by 長尾大志 at 18:09
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2014年03月15日
STAP騒動に思う
これだけ騒ぎになっているので、まあ何か言わなきゃ、と思うわけです。もちろん当事者たちの状況を知る由もないのですが、若い人へのメッセージです。
「どんなに些細なものでも、コピペをするな」。
学生さんのレポート、プレゼン、どれを見てもコピペしていないものを探すのが困難なほど、日本の学生にコピペ文化?は根付いています。もうこうなったら、記者会見で「コピペしちゃいました、みんなやってるし。てへ(  ̄▽ ̄)」ぐらい言って流行語大賞を狙うとか、そっちの方向に…いや不謹慎ですね。
指導教官に問題が…といわれても、日々膨大な数のレポート、論文を見る上で、これがコピペかどうか、自著や著名な論文でもない限り看破するのは困難だと思います。で、学生の頃から、手軽にコピペしてレポートをくぐり抜け、その延長で論文も、あちこちからちょいと拝借。
レポートだったらコピペは良くて、卒論だったらダメなのか。卒論も学内のものだったらいいのか。…その延長でドエライインパクトのある論文も、コピペで書いちゃった、何が悪いの?だったら悲劇でしかないでしょう。
どこで線を引くのか。どこまでだったら良いのか。ではなくて、「あらゆるコピペはダメ」という方針を徹底しないと、日本からの発信は今後全く信用されない、ということになりかねないのではないでしょうか。件の論文のことだけではなく、日本人のすべての研究者たちが、胸に手を当てて考えなくてはならないでしょう。
蟻の一穴、という言葉があります。最初は些細なルール違反から始まって、最終的に取り返しのつかない損失を来す、という意味です。
私もこれまで、コピペには目をつぶってきましたが、やはりそれではいけないな、と思いました。コピペをせずにすむ体制を考えなくては。
「どんなに些細なものでも、コピペをするな」。
学生さんのレポート、プレゼン、どれを見てもコピペしていないものを探すのが困難なほど、日本の学生にコピペ文化?は根付いています。もうこうなったら、記者会見で「コピペしちゃいました、みんなやってるし。てへ(  ̄▽ ̄)」ぐらい言って流行語大賞を狙うとか、そっちの方向に…いや不謹慎ですね。
指導教官に問題が…といわれても、日々膨大な数のレポート、論文を見る上で、これがコピペかどうか、自著や著名な論文でもない限り看破するのは困難だと思います。で、学生の頃から、手軽にコピペしてレポートをくぐり抜け、その延長で論文も、あちこちからちょいと拝借。
レポートだったらコピペは良くて、卒論だったらダメなのか。卒論も学内のものだったらいいのか。…その延長でドエライインパクトのある論文も、コピペで書いちゃった、何が悪いの?だったら悲劇でしかないでしょう。
どこで線を引くのか。どこまでだったら良いのか。ではなくて、「あらゆるコピペはダメ」という方針を徹底しないと、日本からの発信は今後全く信用されない、ということになりかねないのではないでしょうか。件の論文のことだけではなく、日本人のすべての研究者たちが、胸に手を当てて考えなくてはならないでしょう。
蟻の一穴、という言葉があります。最初は些細なルール違反から始まって、最終的に取り返しのつかない損失を来す、という意味です。
私もこれまで、コピペには目をつぶってきましたが、やはりそれではいけないな、と思いました。コピペをせずにすむ体制を考えなくては。
posted by 長尾大志 at 17:07
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