2017年02月19日

教育のエンタメ化

昨日音羽病院の先生方と、本当にいろいろとお話しして、ブレストのようにいろいろなアイデアが出てきました。


その中で何度も話題になったのが、「楽しく学ぶ場にできれば」ということ。


同じやるなら楽しくワイワイやりたい。なるべく初参加の方とかのハードルを下げたい。そのためには、「楽しくできる」よう、学びをエンタメ化できないか、ということでいろいろな意見を伺いました。


昨日試みたコレ↓も、試みの一つです。これはけっこういい感じであったと思います。


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特に学生さん、初期研修医の先生対象の会で試みていきたいですね。イヤそれ以外にも機会があればやってみたいですが…。

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posted by 長尾大志 at 19:58 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2017年02月12日

教育方法改善に関するFD・SD研修会「学習活動の評価のあり方とその基準作成:ルーブリック評価を中心に」

カリキュラム説明会に引き続き、大阪市立大学大学教育研究センターの平 知宏先生によります、教育方法改善に関するFD・SD研修会「学習活動の評価のあり方とその基準作成:ルーブリック評価を中心に」が行われ、引き続き参加いたしました。


以前から「大学教育」業界系のお話では、どうやら「教員が誰であっても、クオリティが変わらないような教育システムを作る」というところに重きが置かれている印象を受けていたのですが、ルーブリックもまさにそれで、細かく採点基準を設けて、それに沿っているかどうかで点数をつける、というもの。私自身は昨年受講した「アクティブ・ラーニング」のコースでルーブリックの作成はやっていたので、まあどういうものかはわかっていましたが…改めてお話を伺って、いくつか疑問・意見がでて参りました。

  • そもそも、大学における「教育」で、「人柄」「性格」が変容することが期待できるのでしょうか。おそらく患者さんを前にした「行動」を変えることはできるでしょうが、その場合、臨床実習の現場における様々な場面におけるルーブリックを設定しておく必要があります。作成、採点、いずれもかなりの労力が必要です。
    〜個人的には、学生が「気づいていない」患者さん側の視点からの意見を学生に伝えるのは、学生の行動変容を促すのに有効ではないかと考えていて、実際に臨床実習で実践しています。

  • 仮に、大学における「教育」で、「人柄」「性格」が変容することが期待できないのであれば、「このような医師を育てる」アウトカムに沿った人材を入学時点で選抜する、アドミッションポリシーの明確化が必要でしょう。
    〜私自身は選抜に関与していませんが、選抜された結果である学生さんと相対していて、いろいろと思うところはあります。また、選抜に当たっておられる先生からもいろいろな思いを伺っています。

  • 大学の課程でやる、しかも「評価」がある以上、そこには必ず「対策」が生まれるでしょう。CBTやOSCEの例を見てもわかるように、「対策」は商業化され、システム化されていきます。こちらの意図した「行動」をとるようにルーブリックを組んでも、ルーブリック対策向けの行動しか取れなくなる。そうやって醸成された行動が、大学の期待する「アウトカム」なのかどうかは、検証する必要がありますが、そんなことが検証できるのでしょうか。
    〜そこまでやらずにルーブリックという「仏」だけ作っても、「仏つくって魂入れず」になるのではないか。お得意の「アリバイ作り」のための仕事だけやりました、ということになりはしないか、ということを危惧するのです。

  • 上の内容とかぶりますが、いい年をした大学生が「〜という行動がとれるか」ということを評価して、それができるようになることが、果たして実社会に出て社会人となる、医療人となる際に、「こうなって欲しい」人物像に近づくことと同義なのかどうか、そこはきちんと評価されるべきです。
    〜これが小学生であれば、小学生のうちに「〜という行動ができる」ことは、将来の人格形成に影響がありそうな気がしますが、いい年をした大学生、評価者に「気に入られる」行動をするぐらいは可能じゃないかと思うのですけれども。逆に考えると、それだけ今の大学生は「未熟である」という前提があるのでしょうか…。

  • 学生さんの振り返り、行動指針にルーブリックが使える、という点については同意します。

  • 個人的にはいい年をした大学生に行動変容を促すには、中身に訴えかける必要があると思っていて、「こうあってほしい」人物像に近づけるために、何をさせるか、与えるか、話すか、を突き詰めて考えることが必要ではないかと思っています。ただ、そのためには、各教員が信念を持って学生さんに相対しなければなりません。
    〜「どんな教員がやっても同じような結果が出る」今の教育システムの方向性は、なんだか以前の「みんな平等」「ゆとり教育」の教員版、にも見えてきます。どこかの施設で批判されていたように、ただ作業量を増やして「仕事をしています」というポーズをとるためのものでなく、教員の側こそが、アウトカム基盤型で教育を考えなくてはならないと思います。


「大学教育にルーブリックを取り入れる」ことに関して、現役大学生の皆さん、教員の皆さんからの異論、反論、お待ちしています。できればルーブリックというものがどんなものかをご理解いただいた上で、ご意見をお寄せください。

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posted by 長尾大志 at 14:23 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年12月03日

アクティブ・ラーニング体験記と授業評価

最近ありがたいことにいろいろな活動をさせていただいておりますが、この11月は学生さんの講義8コマ(医学科)+2コマ(看護学科)に試験作成、6回生の国試対策と学内の用事に加え、外の講演も滋賀×2、京都、大阪、徳島、秋田と各地でやらせて頂きました。


自分のスケジュール管理がずさんであった点が有り、月曜日にあやうく看護学科の授業をすっぽかすところでした… _| ̄|○ 11月も終わったー!っと気が緩んだのでしょう…。また締め直します。


いろいろありましたのでいろいろな告知ができているのかいないのか、どんどん時が過ぎていきますが…先日、『医学教育』という雑誌に拙文を掲載頂きました。論文ではなく掲示板への投稿ではありますが、査読のある雑誌に共著でなく自分が書いたものが載るのはずいぶん久しぶりです。


はじめてのアクティブ・ラーニング体験記.
医学教育 47(5): 314-315, 2016.


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この寄稿は、昨年の3回生系統講義でアクティブ・ラーニングを導入した体験記です。それから1年、先日終わった3回生系統講義では、昨年頂いた学生さんの「授業評価」の結果を元にまたいろいろと修正を行いました。


で、その授業に対する今年分の「授業評価」が先週送られてきました。この評価を見たらそれに対する「自己評価」を書いて提出しなくてはなりません。正直、これまであまり真面目に書いてきませんでしたが、昨年に引き続き、自由筆記による評価にたくさんうれしい意見を頂いております。その意見に応える意味でも、また、来し方行く末を考える意味でも今年はひとつ真面目に考えてみよう、と下書きを書くことにしました。


「授業評価」に対する「自己評価」。学生さんの授業評価を受けて、教員が授業について気付いたこと、反論、改善策、その他意見を書き、それを『授業評価実施報告書』に(匿名で)掲載するのですが、こういうことってどこの大学でもやっていることなのでしょうか。何が言いたいかというと、結局、これだけのことをやっても、大学はそれをただ「報告書」にまとめて発行するだけなんですね。それでそのあと授業を良くしていく手立てがない。仏作って魂入れずというんでしょうか、ただやることやってます、ってだけで。まあ教員がそのフィードバックを受けて、自分で考えてやれってことなのかもしれませんが…。なんかもったいないナーと思います。まあともかく、下書きをご紹介してみましょう。


Q:この授業であなたが特に力を入れた点、工夫した点は何ですか。

A:滋賀医科大学に来て10年あまり、毎年授業内容を見直し、内容の取捨選択や表現の改善を続けてきました。スマホや睡眠、私語など、学生の態度が悪い、学生が休むのはけしからん、とこちらがいうのは簡単ですが、抜群に面白くてためになる授業をすれば、スマホや横を見ずに前を向くだろうし、授業に出てくるようになるのではないか、と考え、少しずつ改善、工夫を重ねてきました。

あるとき果たして学生は授業にどのようなことを求めているのか、と疑問に思い、学生全員にアンケートを取りました。すると、教員に求めていること、として挙げられていたのが、「取っつきにくい医学知識、理論をわかりやすく教えてほしい」「知識の羅列に終始する授業は不要」「医師としての心構え、ロールモデルを見せてほしい」ということでした。そこで、単に枝葉末節の知識をスライドで見せて口から発する、という時間は減らし、「授業の中で学生に理解させる」ために授業を組み立てるようにしました。

具体的には難しい呼吸生理の解説や、COPDや細菌性肺炎、間質性肺炎など複雑な病態の機序を解説することに時間を割くようにしました。また、一方通行の講義形式に限界を感じていたところに、近年普及しているアクティブ・ラーニングを勉強する機会を得ました(東大のweb講座)。昨年早速導入したところ、授業評価では、60名以上の学生が自由筆記でポジティブな評価を記入しており、授業評価実施報告書13号の「良かった点」の半数近くを占めるという、おそらく抜群の高評価を得ました。

アクティブ・ラーニングの効果を実感したことと、自分のやっている方向性は、全員ではないにしろ少なからずの学生には受け容れられているという確信を得て、今年はさらにアクティブ・ラーニングの配分を見直し、慣れていない当初はクリッカーで参加し、後にグループワークでより多くの学生に発言、思考、参加をさせる組み立てとしました。また、単なる知識の伝達のみならず、医師としての心構えを伝える、という意図をもって、数年前から最後の授業では、ある末期癌患者に関するエピソードを挿入しています。


Q:今回の授業評価から、この授業について気づいた点は何ですか。

A:昨年よりも自由記述数は減ったものの、それでも回答者67名中42名が自由記述欄に記入していました。昨年の感想は主にアクティブ・ラーニングに関するポジティブな意見が中心でしたが、今年はより授業のねらい、当方の意図をくみ取った感想が多く、「分かりやすかった」「これまで受けた授業の中で一番よかった」「内容、量が適切であった」等の意見は、まさに意図したところが好意的に受け取られているようです。

また、「学生の自主性とモチベーションを引き出す授業」「学生に対する深い信頼に感謝する」という意見があり、授業の裏テーマである「興味を持たせて自分で勉強させる」が伝わったように感じられました。もちろん睡眠中の学生、解答を記入していない学生も一定数見受けられ、全員がこのやり方でよい、ということではないのかもしれません。1対100の講義形式の限界なのか、まだまだ改善の余地があるのか、さらなる検討課題です。

それから最後の授業における末期癌患者のエピソードについては、授業の最後であり、時間が無かったためか、それに触れた意見は決して多くないのですが、「心に残った」「考えさせられた」などの言葉で、肯定的に受け止めている様子がわかりました。正直この話をするのは自分としては「しんどい」ことですが、肯定的な意見も見られるのでこれからも何らかの形で続けていきたいと思います。


Q:反論があれば記入してください。

A:改善点としてあげられていた意見の多くに「すべて長尾先生の講義でもいい」「長尾先生の講義をもっと多くしてほしい」というものがあるのですが、正直、時間的にも肉体的にも限界に近いと感じています。むしろ私が来年もここにいるような事態があれば、また1歳年をとるため、もっと講義を減らしたいというのが正直なところです。

「レジュメに記載されていない画像があったが、それも載せてほしい」という意見がありましたが、これは著作権、肖像権などなど、大人の事情が絡んでいることを理解してほしいところです。

「私語をしている人をつまみだしてほしい」という意見には、私語をするだけ授業の魅力が無いということであり、さらなる課題とします。

「もっと長尾先生の本を安くしてほしい」これは出版社の価格設定であり、私にはどうすることも出来ないのですが、直接来てくれれば何とかしたいと思います。


Q:改善策があれば記入してください。

A:「もっとグループワーク、対話の時間がほしかった」という意見をはじめ、まだ時間配分はパーフェクトではないと考えます。特に授業の前半は、ある程度説明してから参加型に切り替わるので、その説明の間に意識消失となる学生が見受けられました。もう少し前半にも参加出来るコーナーを作るべきでしょう。理想は授業前に動画を見てきて、授業はグループワーク中心で行う、というものですが、もはや根本的にカリキュラムなりを作り替える時期に来ているのではないでしょうか。


Q:その他、意見があれば記入してください。

A:上にも書きましたが、もはや世の中の趨勢からしても、本学のように一方通行型の授業ばかりをこれだけ続けるのはあまりほめられたものではないと思います。現行のフォーマット内では、練りに練って改善を繰り返しても、この程度にしかならない(睡眠者をゼロに出来ない)と感じ、毎回授業終わりには、徒労感に見舞われました。

他の先生方は一体どう感じておられるのでしょうか?教員の間で話し合いを持てないものか?と、一度A先生のお声がけで「教育を勉強する会」が開催されたのですが、集まったのはほんの数名。これが本学の現状かもしれません。教員が教育にモチベーションを持つことが出来る仕組み作りが必要だと思います。また、「授業評価実施報告書」はアンケートの項目1つ取ってみても、授業の本質を問うものが少なく、点数が授業の質を表しているとは考えにくいのですが、この報告書の意義を見直す必要もあるかもしれません。

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posted by 長尾大志 at 14:31 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年07月31日

欅坂46のデビュー曲にサイレントマジョリティーを与えた秋元康さんは天才

昨日の続き、というか、『学生×教員 対話セッション』のまとめです。


教員から見てサイレントマジョリティーにみえる、多くの学生さん・研修医の皆さんにどう働きかけるか、って話です。


これまでに経験したところでは、なにか心に火が点いた瞬間(これはまさに「火が点く」としかいいようのない、表情の変化として見られるのですが)から、取り組みの熱量が変わる、ということはあります。でも、「火を点ける」ことはそれほど再現性のあるものではない。でも、確かにそういう瞬間はあるのです。


でも、医学教育学会で、どなたかがおっしゃっていました。「1人のスーパー教師を作ることが目的ではなく、きちんとした『システム』を作るのが目的なのだ」と。


誰かが作った、その『システム』で、本当に学生さんの燃料に「火を点ける」ことができるのでしょうか。6回生の皆さんに答えてもらったアンケートで、学生さんから「ロールモデル、お手本となるドクターを見たい」という声が多数あったことも事実。


『祝祭空間』で踊りまくるオッさんがいて、初めて「踊ってみるのも面白そうだ」となるのではないのかなあ、と思ったりもするのです。再現性が少ない、エビデンスのない世界でどこまでできるのか、やってみた結果がこちら。


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サイレントマジョリティーのたとえを出したときに、隣の学生さんが「いや、そんなことないっすよ!多くの学生はちゃんと考えて、やってます!教員から見えないだけで。」とおっしゃっていたのが印象的でした。


でも、どこかの国の大統領が言っていたように、「声を上げないものは賛成している」(サイレントマジョリティーより引用、一部改変)ということになってしまうわけで、今のどこかの国と同じで、「声を上げたって同じだし」とあきらめているのかもしれません。それはもったいない。


それとも、「見栄やプライドの鎖に繋がれたような つまらない大人」(サイレントマジョリティーより引用)だと思われているのかもしれません。こっちの方が可能性は高いか…。


部活であれ、学祭であれ、教員と学生さんがふれあう機会はあるわけで、もっとお互いに活かしたほうがいいでしょう。そういえば「学生の時にやっておいたほうがいいこと」として「他人と協力して新しいことを作り上げる体験」を挙げましたが、学祭も今の形のままだったらもったいないなーとは思います。うーむ…とっ散らかったままですが、あえて散らかしておきましょうか。

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posted by 長尾大志 at 21:38 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年05月08日

『学力の経済学』を読んでわかったこと。3・「いい先生」とはどんな先生か?

最初に結論を書いてしまうと、「『授業評価』は、教員を客観的かつ本質的に評価するものではない」、「教員の質をカイゼンするためには、何らかのインセンティブは寄与する可能性があるが、教員研修は役に立たない」。



何を隠そう(隠してない)私も、滋賀医科大学のベストティーチャー賞を受賞していまして、これまでにあちこちで「経歴」と称して「長尾先生はベストティーチャー賞を受賞され云々…」とご紹介頂いております。


正直、私自身は年がら年中教育のことを考えている自信がありますし、これまでやってきたこと、そしてこれからやろうとしていることもベストティーチャーに恥じないという自負はあります。


ですから私がベストティーチャーの称号を頂くことはそれでいいのですが、実際問題滋賀医大の『ベストティーチャー』の決め方を外から見ていると、本当に「その年のベスト」なティーチャーを選んでいるのかどうかは甚だ疑問に思うのです。


選考課程は実はブラックボックスですが、漏れ伝え聞くところによると…

  • 「授業評価」「学生アンケート」の結果を基に決定している。

  • 候補者は講師以上の職にあること。

  • 1回選ばれたら二度と選ばれない



などの決まりがあるようです。そういうわけで私も二度と受賞することはないですし、今後「滋賀医大でベスト」な教員がどんどん増えていくことになります。ベストの意味が違うような…。


それはいいとしても、選考のポイントである「授業評価」「アンケート」これがくせ者です。


なんと授業評価に関する研究で、「美人の先生ほど授業評価が高かった」という身も蓋もないエビデンスがあるとのこと。つまり、主観的な「評価」には、主観的な「好き嫌い」がかなりの割合で含まれることになるのですね。アンケートもしかり。特に本学でやっているアンケートの項目は、授業や実習の本質を知る上では役に立ちそうにもない項目ばかりです。


逆に、そういう意味で言えば、見た目にかなりのハンディキャップを抱える私の評価が高い、というのは、相当高評価である、と言えなくもないのですが…(笑)。冗談?はさておき、それゆえ教員の実質的な評価は、担当前と後とでの学生群の成績の向上度合いで見るべき、という議論があって、それは確かにもっともなのですが、医科大学でやるのは難しいかもしれません。ある程度カリキュラムをそろえた複数の大学間で比較する、ということはできそうですが、教員の反発は必至でしょうね。



教員研修が教員の質を上げることにはならない、ということも、日々実感されることです。受ける側のモチベーションにもよると思うのですが、FDで「いい話」を聞いても、グループワークをしても、自分の担当する教科、授業にフィードバックされなければ「教員の質≒教育の質」の向上にはつながらないでしょう。


そういう意味ではFDの組み立て自体、アウトカムベースで組まなくてはならない。今のように形だけ持ってきて「やりましたよ」というための、いわゆるアリバイ作りのためのFDでは時間の無駄です。まあ結局それを決めている上の方の方々の問題になるのでしょう。巷では、「役のないときにはかなり改革的なことを言っている方でも、役が付いたり上のポストに上がると何も言わなくなり、事なかれ、保守的になる」とささやかれていますが、そんなものなのかもしれません。


制度に期待できないとすると、やはりすぐできることとしては、「学生、教員のモチベーションを上げる」ということになりますね。以前にも書きましたが、学生さんのモチベーションを上げることは少し光が見えていて、

  • とにかくスタート時点できちんと理解してもらう。

  • その上で、面白さ、やりがいを伝える。


ここを意識しています。もう少し試行錯誤して、もっと精度を上げていきたいと思います。教員のモチベーションは、難しいですね…。

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posted by 長尾大志 at 14:21 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年05月07日

『学力の経済学』を読んでわかったこと。2

大学生の話ではなく、幼児教育の話ですが、幼児教育に介入した結果、その子の学歴、年収、雇用などの面で大きな効果が上がり、しかもその成果が長期間持続したという「ペリー幼稚園プログラム」の例がこの本で挙げられていました。


そこでのキモは、IQや学力テストの点数などの「認知能力」への効果よりもむしろ「非認知能力」といわれるものへの効果が大きかったといいます。


非認知能力、つまり、成績のように簡単に測定出来ないが生きるために必要な力、例えば、「自制心」「やり抜く力」「勤勉性」などが、人生において、また、社会生活を送る上で重要であるということです。


そういう前提で医科大学生たちをみると、なるほど成績はよい(よかった)のでしょうが、非認知能力にはかなりばらつきがあることがわかります。


そういう能力を養うのは、それこそ中高生だったら生徒会活動とか部活動、大学生なら社会奉仕、課外活動などになるのでしょう。



5年生の臨床実習では、4〜6人の班が2週間ごとに回ってくるのですが、私は最初の顔合わせのときに、各人に自己紹介をしてもらっています。これはいろいろな意味合いがありまして、大きな目的としては、若い人の興味、関心がどんなものにあって、世の中の流れがどんな感じなのかを知っておきたいということ。


働いていて顔を合わせる人は限られていて、会話も同じようなものになりがちなので、いろいろな感性、志向の人と話をしていたいのですね。よく言いますね、若い人と話をすると若返るとか若々しくなるとか。効果が出ているかどうかはわかりませんが、時々「それって何だったっけ?ということを調べたりして、ボケ予防の効果も期待しています。


それ以外に今やっている活動を尋ねたりもしていたのですが、非認知能力が大切、ということを前提にして思い返してみると、この最初の自己紹介で多くの話題が出て盛り上がった班ほど、その後の実習も前向きに取り組む傾向があったことは間違いありません。これ、研究テーマになるかも。でもアウトカムの設定が難しいですね…。


特に臨床医になる、ということを考えると、暗記の能力を競うテストの成績自体は臨床医の「よさ」にはたぶん関係はないでしょう。しかし、目の前の課題に対して、キッチリとやるべき暗記をする力、これは臨床医の「よさ」に関係するでしょう。ですからこの種の研究をキッチリやろうとすると、大学をあげて、あるいはもっと大きなレベルでやらなくちゃならないだろうと思うのです。

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posted by 長尾大志 at 15:06 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年05月05日

『学力の経済学』を読んでわかったこと。

この本では、これまで何となく「こうしたらいいのかなあ」と思っていたことについて、研究によるエビデンスから「こうした方が、結果がよかった」ということが書いてあります。これを読むと、教育に関する研究は公的な機関がきちんと大きな研究行わないと、信頼出来る結果が得られそうにないということがわかります。


私のような立場のものが思いつきでやっても、政策を変えるほどのエビデンスは出てこないってことですね。それでもまあ、発言することに意義があるのであれば、多少は世の中の役に立つこともあるのかもしれない、とも思い直しました。



この本の中では、主に学童あたりの年齢層に対する「教育」のあり方、というものを取り上げています(「政策」がらみなのだから当たり前ではありますが)。それでも、大学生やもっと年長者に対して出来ることもありそうです。例えば「テストでいい点を取ったらご褒美」と「本を読んだらご褒美」ではどちらの方の成績が上がったか。


その結果だけではなく、考察のところで、まず「勉強のやり方」を勉強することが重要である、そこのところは私たちがよーく心に留めておく必要がありそうです。

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posted by 長尾大志 at 19:11 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年05月03日

教育について、『人生を危険にさらせ!』から示唆を得る

先週の臨床実習では、担癌患者さんを通して死生観の体験にも触れることが出来ましたが、「人間はどうせ死んでしまう。それでもなお1位を目指し続ける。(中島義道大先輩風)」という言葉を書いたアイドルがいます。NMB48の須藤凜々花です。


彼女と政治社会学者の堀内進之介先生による書籍『人生を危険にさらせ!』では、これまでの哲学者たちの思考をおさらいし、よりよく生きるために、人生のいろいろなテーマ(生、愛、自由、正義、大人)に関して、大いに考える様子を追体験できます。私は恥ずかしながら、これまでそういう領域を避けて通ってきたものですが、そんな私にもわかりやすかったです。


死というものを必ず訪れるものと受け止め、その上で精一杯生きる、そういう生き方をしてきた方は、例えば癌で余命が限られている、ということを知らされたときでも、こちらが気後れするほどしっかりと事態を受け止め、終末期の準備をされたりします。まだ私自身、そこまで人間ができていませんが、「覚悟を決めて1日1日を精一杯、よく生きる」ことで、人生の困難にももう少ししっかり対処できるのではないかと思ったりします。


『人生を危険にさらせ!』の中で個人的に印象に残った点は、ジャック・ランシエールという哲学者の『無知な教師』という本が曰く、教師、教育学が人々を知者と愚者に分けてしまう、教えるものは、自らの仕事の価値と必然性を信じるがゆえに、子どもや若者たちが、自分で自分の理性を用いることができるということを信頼できない。自分自身の知性を用いうるものに対して、彼らの意思を挫き、受動的な存在に仕立て上げ、そこに知識を注ぎ込むことによって、「やっぱりそうだ、彼らは愚か者だったのであり、わたしたちが知識を注ぎ込んだからこそ、知者になったのだ」と語るのが教育と教育学なのだ、というくだりの引用から、堀内進之介先生が須藤凜々花の教師としてのあり方を自省するところ。


ランシエールは、学習者が自分自身の道の上に自分自身を留めておく強さ(意志の強さ)を持たないとき、教師が必要だといい、学習者は知に学べばいいのであって、教師と知とを同一視してそれに従属する必要はない。それで堀内先生は、「人類の遺産としての哲学を紹介するだけで、あとは須藤さんの学ぼうとする意思を挑発するのが自分の仕事だと思っていた」と言います。


私が最近、特に学生実習やカンファレンスでは、意識的に「その場で教える」ということを避けるようにしているのは、この本を読む前から、「自分の役目って、この場で教えることじゃないよな〜」と何となく思っていたからです。それで、ことがらを伝えるよりも考え方のspirit、患者さんに向き合う情熱みたいなことを伝えようと心がけてきました。


まあ学生さん、若いドクターにもいろいろで、これは教えとかないとヤバイ…ということもあるわけですが…。でも自分の立ち位置というか、一線は越えないようにしなくては、ということに思いを巡らせることができた読書体験でした。

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posted by 長尾大志 at 22:21 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2016年04月06日

1年目研修医諸君へ言いたかったこと

新年度になり、新しい研修医諸君がやってこられました。先ほど皆さんとの顔合わせがあり、簡単に挨拶をしたのですが、いつも言いたいことの一部も言えないので、こちらで書こう、と思ったら、以前にたくさん書いていました。


昨年は忙しすぎて、あまりこちらでは研修医の先生方への言葉も述べていなかったようですが、その前は毎年、4月1日前後に「(医師として)働き始める皆さんへ」と題したありがたい?話を記事にしています。こういう記事を読んで素直に実践する人が伸びる、これは間違いないです。


2014年4月1日のありがたい?話

2013年3月31日のありがたい?話

2012年4月1日のありがたい?話


上の記事も以前の記事たちの寄せ集めだったりしますが、初期の記事は、今読み返してもやっぱり、エエことが書いてあります。以前の記事を読むと、自分の姿勢、考え方がブレているかどうかの目安になると思っていますが、どうやら全く芯はブレていないようでホッとしました。


逆に、説明をするような記事だと2〜3年前のものを見ると、もうちょっと上手く書けるよね、ちょっとは成長したかな、と思えることが多く、それはそれでちょっとうれしいものです。


今日は手抜き感がありますが、それはちゃんとした理由があります。それについては明日触れようか、どうしようかと思っています。

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posted by 長尾大志 at 19:29 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2015年01月17日

臨床教育講座の教授選考

昨日、記事が1,500になりました。それを記念して?ご報告をさせて頂きます。

先日、本学臨床教育講座の教授選考会が行われました。不肖私儀、公募に応募させて頂くこととなり、長い間その準備に時間をかけることとなっておりました。かなり意識がそちらに向いてしまい、日常業務に集中できなかったこともあったかもしれません。結果は落選ということでしたが、この間いろいろと思いを致すところがあり、少し考えるところを述べさせて頂こうと思います。選考講演会でしゃべった内容と一部重複します。

少し前からちょっと脈絡のない投稿を繰り返していた、と気づかれていた方もおられるかもしれません…。そもそも自分としては教授選に応募などと大それたことは思ってもみなかったことで、自分の将来像もずっと教育の現場で教え続ける、そのようなイメージしかありませんでした。

それがとある昼下がり、「こういうポストがあるんだが、君が適任だと思うので応募してみないか」というお話を頂きました。まさに青天の霹靂で、そういう役職に自分が相応しいのだろうか、とか、自分のやりたいことは何であろうか、とか、これまでになくいろいろなことを考えた1年余りでありました。

応募するからには自分の中でしっかりと考えを固めておく必要がある。それまでもいろいろと教育制度について問題意識を持ってはいましたが、「国際基準に対応した教育へ、今あるカリキュラムをどう改革すべきか」という意識で考え始めると、今の大学教育、手を入れるべきところが山ほど見えて参りました。

私たち大学人の思いは、「良き医師を世に送り出す」ここに尽きると思います。しかしながら、

  • 今の医学教育でそれが果たされているか。

  • そもそも、私たちは「教育」をしているのか。

  • 私たちのやっている「介入」は「教育」なのか。

  • 理想の「医学教育」とは何か。

  • 制度を変えることで理想の教育に近づけることは出来るのか。


さまざまな問いが降ってきては、それに答えられない自分がいました。
現場で教えていて一番感じていることは、なんといっても「モチベーションを上げることは、現場で出来る最も効率的な介入である」ということです。

モチベーションさえ保たれれば、勉強は自然に付いてくるといってもいい。逆にモチベーションが低い状態では、何を言っても入らない。勉強しない。当たり前です。

どんな仕事でもそうなのですが、「やらされている感」をもってやると、身が入らず、雑にやってしまう、いわゆる「雑用」になるのに対し、「やってやる感」をもって取り組めば、仕事の質が上がり、満足できるといいます。一事が万事そうで、目の前の物事にどのように考えるか、取り組むかによって人生の質まで変わってくると言われています。これはモチベーションの違いによるアウトカムの差をよく表した言葉だと思います。

授業や講義で、学生さんのモチベーションスイッチが入る瞬間があって、その後の取り組みが変わることを実感します。しかし、それは全ての人ではない。レセプターの有無があるのか、相性があるのか、自分の経験では再現性が保証されていません。現場でやる工夫をいろいろ凝らすのですが、再現性がない以上、「モチベーションを上げる方法」を制度化するまでには至っていない現状です。

…とか考えていて、ふと「教員のモチベーションはどうなんだろう」とも思いました。そもそも教える側が「やらされている感」全開でやっていては、学生さんにモチベーションが沸くはずがないですね…。

でも、学生さんの回答を見ていて、ホッとしました。ウチの教員の皆さんは教育熱心な方が多いのです。

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posted by 長尾大志 at 15:28 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2015年01月03日

新年の抱負・成長の条件

医師になって数年経過すると、少なくとも専門分野の大体の知識が身につきます。医師になった当初は知るべき、理解すべき事柄の大海原、地平線が見えない状態で途方に暮れるのが、徐々に「ここまでわかっていればいい」限界が見えるようになってくる。


自分の経験では、3年目になると「内科は大体見えた」なんて勘違い( ゚д゚)!!?が出来るようになってくるのですね。まあそれは勘違いなのですが、そのあたりの段階で「もう勉強しなくていいや」となるのか、「まだまだ」となるのかが、医師としてのクオリティを決めるように思います。ここで停滞してしまった過去の自分に言ってあげたい。


残念ながら、前者のような様子を見る機会がしばしばあるのですね。特に「専門外」分野への冷淡さ。専門外と言っても、プライマリ・ケアの領域だったりすると、ちょっと見ていて心配になるほど。



わかりやすい例として、AKB48の例を挙げましょう(わかりにくいか…)。


AKB48のメンバーは300名ほど在籍しているようですが、その中にもいろいろな人がいるようです。貪欲に上を目指し、選抜に入ってくる人、「まあこのぐらいでいいや」と手を抜き始め、中堅(あるいは下層)でくすぶり続ける人…。


現総監督の高橋みなみが若手のホープ、高橋朱里、田野優花に関して言及した台詞を引用します。


「朱里ってめっちゃ自信ないから成長できた」「田野ちゃんは、最初は自信があったけど、どこかで折れて他人の意見に耳を澄ますから成長できたんだよ」


高橋朱里は当初目立たない感じでしたが、前向きにいろいろ取り組んでしゃべれるようになったといいます。


田野優花は当初自分のスキルに相当自信があったようですが、そのために成長の機会することなく、人気もイマイチ伸び悩む、という状況でした。あるときから、おそらく他人の意見に耳を澄ませたのでしょう、明らかに物事に取り組む態度が変わり、成長を遂げたのです。



自分は出来ている、と思ったら、そこで成長が止まる。今年も自分に言い聞かせたいと思います。

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posted by 長尾大志 at 11:27 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年09月06日

今週の活動報告・今後の事業?計画

今週は、10月〜11月にやってくる怒濤の講演ラッシュに備えたコンテンツ作りをしておりました。


天理の羽白先生に、「スライド作りが劇的に変わる」Webサイトと本をご紹介頂いて、スライドを全面的に刷新しております。また、一方的な伝達にとどまらず、双方向性を意識した展開を盛り込んでいっています。夏のFACEで講師の先生方がされていたいろいろな工夫を勉強させて頂きました。


平成進化論の鮒谷さん曰く、「コンテンツそのものはすぐにコピペされて陳腐化する。コンテンツそのものを作り出すことも重要であるが、如何にそれを伝えるか、さらにはそのコンテンツによって情報の受け手が行動変容を起こすまでに至る、そのための『情報の伝達方法』『受け手に対する関わり方』こそが重要である」とのこと。


これまではフーンと読んでいたのですが、FACEで実践されているのを見て、ピーンと来たのです。回路がつながった感覚。


どんなに優れたコンテンツを持っていても、それが伝わらなければ意味がない。伝わっても、それが読んだ人がこれから実践する医療に好影響を及ぼさなければ、意味がない。


おかげさまで好評を頂いている「やさしイイ呼吸器教室」「やさしイイ胸部画像教室」ですが、その内容によって、読者の方が実践する呼吸器診療がよりカイゼンされ、全国の呼吸器疾患を持つ患者さんが恩恵を受けられるようになる、それこそが本を書いた目的なのです。


書籍の内容には絶対の自信を持っている、のですが、読者の方が本を読んでから、実践に至るまでの段階、ハードルを考えると、私にできること、今後やっていくべきことが見えて参りました。やはりキーワードは「双方向性」「合わせて導く」になりそうです。


地域医師会での講演、看護師さん向けのセミナーのように、文化的に「ライブ双方向性」がそぐわないような気がするものもありますが、若い人たちや「総合診療」系のコミュニティではハマリそうな気がします。ハマらなさそうなものも、これから工夫していきます。

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posted by 長尾大志 at 12:07 | Comment(2) | 教育理念・メッセージ

2014年07月21日

学生さんの意識・教員の意識

学生さんもいろいろで、A「もっと勉強したい。自分を高めたい。役に立つことをしたい。」という人もいれば、B「勉強はなるべくやらずに、クラブ(バイト、趣味等々)に打ち込みたい。」という人もいますし、C「まあそんなに頑張らずに、そこそこやってお金儲けができればよい。」という人もいるように見えます。


Aの人からはもっとカリキュラム、授業をカイゼンして欲しい、という要望が寄せられることが多いのですが、B、Cの人にとってはどうなのか、カイゼンを希望されているのかどうかよくわかりません。というのもB、Cの人とお話しする機会がほとんどないからです。


しかし、もしもカイゼンによって、B、Cの人々のモチベーションが上がり、前向きに勉学に取り組んでいただけるようになり、結果、よりよい医師をより多く世の中に送り出すことができるのであれば、B、Cの人々の「希望」に合わなくても、そうすべきなのだろうな、と思うのです。また、学生さんとお話しする機会に、どのような方向性が良さそうかを話し合いたいと思います。


そうなると問題は教員の側に投げられてきます。いみじくも教員の側にあるモチベーションの差、ムラをどうするか。おそらく教員にもA、B、C、もしくはそれ以上のカテゴリーワケができるでしょう。こちらのモチベーションのムラを、カリキュラムのカイゼンでならすことができるのでしょうか。


モチベーションの高い教員の先生方がたくさんおられることはわかっていますので、そういう方々がもっと活躍できるしくみ、そういうのものがあるといいのに、とは思います。

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posted by 長尾大志 at 16:58 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年05月03日

コピペ・改変疑惑続々

少し報道自体は沈静化してきた感のあるSTAP騒動。そのとばっちり?で、他の研究者の方々による論文にも画像改変とか何とか言われているようであります。


以前に「コピペをするな」と書きました。もちろん件の論文がどうこう言う権利は私にはありませんが、もう一度若い人たち、いや、教員の方々も言っておきたいことは、「普段から、やってはいけないことをするな」ということ。


ちょっとしたレポートだし、ここはコピペでいいか、とか、ちょっと見栄えをよくするために画像をいじって…とか、普段からやっていることは必ず癖になり、大切な時にも知らず知らずやってしまうものなのです。


これからはコピペなどのチェックも厳しくなるでしょうから、一度そういうことが指摘されると、研究者人生は終わってしまうこともあるでしょう。


これからの(これまでも?)日本の研究者の論文がコピペだらけ、となってしまうと、もう日本人が1st autherの論文は一流誌には読んでもらえなくなってしまうかもしれません。まあ、個々人が実績を作ればよいのですが。

まあ、これまでも日本発の論文はアレなところがあったわけですが…


ですから、日々の生活の些細なことから、やってはいけないことはしない、という意識で過ごす、こういう姿勢が大切。もっと言えば、かっこよく生きる。お天道様に恥じない生き方をするってことです。当たり前と言えば当たり前のことなんですが、実際なかなかできている人は少ないんじゃないでしょうか。


こういうことを書くと思い出されるのがカナダで過ごした日々。あちらの皆さんはとにかく親切かつスマート。ウチは2歳児をつれての渡航でしたからベビーカーであちこちに行っておりましたが、スーパーでは皆さんドアを開けてくださる。バスではすぐに席を譲ってくださる。ちょっとしたことで声を掛けてくれて、子供の相手もしてくださる。それがまた自然なんですねー。


ラスベガスで超人気のバフェに並んでいたら、めちゃお金持ちそうな紳士が、「子供がかわいそうだし、これで入りなさいよ」とVIP用の(すぐに入れる)優待券をくれた、これが欧米の文化なのか、「徳を積む」ということなのか、と印象に残った出来事でした。


おそらく宗教を背景にした、そんな文化で生きているから、コソコソやってはいけないことをする、ということがないのかなと。徳を積んで天国に行く。悪いことをすると神様が見ている。それに対して日本というかアジアの文化は「見つからなきゃいい」的な文化なのかなあ、と思うこの頃です。

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posted by 長尾大志 at 17:10 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年04月20日

「介入」の効用

少し前に、神戸の某病院でバリバリの臨床医として活躍しておられるN先生とお話ししていて考えに至ったこと。


その先生は「研修医の指導をしていると、大きく分けて3タイプ見受けられますね。」とおっしゃいます。


1. 教員が何もしなくても、優れた医師、研究者になる学生
2. 教員の介入によって、優れた医師、研究者になる可能性のある学生
3. 教員の介入によっては、優れた医師、研究者になることが望めない学生


言うまでもなく、1の研修医が指導をしていて楽しいし、やりがいがある、というのです。まあ、それはそうかもしれません。それは学生さんでも同じことで、1のタイプの学生さんはどんどん学習して課題を見つけ、鋭い質問を投げかけてこられる。指導していても面白いわけです。


でも、大学の教員としては、もっとも多数を占めている2の学生さんに対して、いかに介入するか、が重要課題なのです。彼らは教員の介入を待っています。そして、介入によって学問、臨床の面白さがわかり、良い臨床医、研究者になる、というのが望ましい経過になります。


そのためにできることは、何があるのか。まずは熱意と工夫なのですが、それだけでいいのか。工夫がもっとできるのではないのか。


はたまた、3のタイプが本当に存在するのか、私たちが介入を怠っているだけなのか、それはよくわかりません。少なくとも私がこれまでの実習でやってきたことでは不十分であったことは自分でもよくわかっています。実習重視にすることで、もう少し臨床の面白さとやりがいを伝えていけたら、と思っています。

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posted by 長尾大志 at 20:55 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年03月16日

ルールは守りましょう

蟻の一穴で思い出しました。欧米の大学では(いや、大学に限らず教育の現場では)、オリジナリティこそが尊重されるべきで、人真似、コピペは恥ずべきこと、という教育がなされているといいます。自分の言葉で語ることを徹底的に訓練されるとも。アジアの文化は人真似文化。やはり小さい頃からの育てられ方、文化的背景などの違いにもよるのでしょうか。


大学でそういうことを教えても遅いのか。なかなか私たちのやっている大学教育カリキュラムでは、そういったことを体系立てて教える機会がないのもまた現実。カリキュラムの中にそういったものを入れる必要があるのかもしれません。


取り急ぎそこまで制度を変えなくても、学生のうちから、「いかなるルールもルールであり、守られるべきである」ということを教える、というか、教員が範を垂れることは、今すぐにでもできることではあります。


以前にも書いたことですが、小さなことでも学内におけるルール違反をしない、させない雰囲気作りというのも大事なのではないでしょうか。


ウチの大学もルールについては、いささかアレな出来事が複数ありました。細かいことですが、学内でしばしばルール違反を見受けます。全敷地禁煙の中喫煙する方々。駐車してはいけない場所に駐車する車。などなど、いちいち書くのもアレなことですが。


これらがしばしば教員、職員の方々によるものであったりするのですね。これも蟻の一穴といえるんじゃないか。やはり私たち教職員が襟を正して、日々の振る舞いを見直すべきではないか。こんなことも思った次第です。

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posted by 長尾大志 at 18:09 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年03月15日

STAP騒動に思う

これだけ騒ぎになっているので、まあ何か言わなきゃ、と思うわけです。もちろん当事者たちの状況を知る由もないのですが、若い人へのメッセージです。


「どんなに些細なものでも、コピペをするな」。


学生さんのレポート、プレゼン、どれを見てもコピペしていないものを探すのが困難なほど、日本の学生にコピペ文化?は根付いています。もうこうなったら、記者会見で「コピペしちゃいました、みんなやってるし。てへ(  ̄▽ ̄)」ぐらい言って流行語大賞を狙うとか、そっちの方向に…いや不謹慎ですね。


指導教官に問題が…といわれても、日々膨大な数のレポート、論文を見る上で、これがコピペかどうか、自著や著名な論文でもない限り看破するのは困難だと思います。で、学生の頃から、手軽にコピペしてレポートをくぐり抜け、その延長で論文も、あちこちからちょいと拝借。


レポートだったらコピペは良くて、卒論だったらダメなのか。卒論も学内のものだったらいいのか。…その延長でドエライインパクトのある論文も、コピペで書いちゃった、何が悪いの?だったら悲劇でしかないでしょう。


どこで線を引くのか。どこまでだったら良いのか。ではなくて、「あらゆるコピペはダメ」という方針を徹底しないと、日本からの発信は今後全く信用されない、ということになりかねないのではないでしょうか。件の論文のことだけではなく、日本人のすべての研究者たちが、胸に手を当てて考えなくてはならないでしょう。


蟻の一穴、という言葉があります。最初は些細なルール違反から始まって、最終的に取り返しのつかない損失を来す、という意味です。


私もこれまで、コピペには目をつぶってきましたが、やはりそれではいけないな、と思いました。コピペをせずにすむ体制を考えなくては。

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posted by 長尾大志 at 17:07 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年02月11日

試験問題に込められたメッセージ

第108回医師国家試験が終わりました。皆さんご無事?でしょうか。


なんでもちらりと聞いた話では、今年は随分傾向が変わったとか。実地で見たことがないと解けない、臨床の現場を体験していないと解けないような問題が増えていたとか。


全体の問題分析は専門の方々がされるでしょうし、呼吸器の何問かはまた後日解いていくことになるでしょうから、今日のところはおおまかな感想を述べたいと思いますが、まあ言えることは「出題者は意図を持って出題している」ということでしょうか。


今後外圧?もあり、臨床実習の時間が増えていく、ということもありますが、やはり実習をちゃんとやるように、というメッセージなのでしょう。それは学生さんのみならず、大学に対しても。


私も定期試験や卒業試験では、必ず知っておいてもらいたい、理解しておいて欲しいことを繰り返し出題しています。授業でもわざわざ過去問を取り上げて解説しているのですが、なかなかメッセージは伝わらないようです…。

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posted by 長尾大志 at 21:42 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2014年02月02日

先生、教員の役割

昨日の例では、何よりもその本人が気の毒です。あえて書くまでもないと思ったのですが、誤解を招いてはいけないので念のため。


仕事は人生の大部分の時間を費やすもの。その仕事が自分に根本的に合わない、という状態は大変不幸です。全くのミスマッチではなくても、「やりがいがない」「休みが待ち遠しい」「趣味に生きる」みたいなことになってしまっている方は少なくないように見受けます。


かくいう私も仕事が面白くない、休みが待ち遠しい時期が何度もありました。ところが仕事を懸命に頑張るようになったら、途端に面白くなって、いろいろなことが善循環になったものです。頑張れば面白くなる。頑張らないと好きになれない。そんなことを実感しました。



閑話休題。


医学部学生に対する「教員」の役割はどんなものかを考えています。「授業」「講義」の重要性は今後ますます低くなり、動画等に置き換わっていくでしょう。


1.学生さんのモチベーションを上げる。

 究極的には、モチベーションを上げることさえ出来れば、あとは何も必要ないだろうと考えます。しかしそのためにはいろいろな工夫が必要。


2.先達として、大失敗をしないよう導く

「何事にも、先達はあらまほしきことなり。」とはよく言ったもので、やはり学生さんがやっていることを見ていると危なっかしいところが多々あるわけです。先達としてのアドバイスは折に触れて必要でしょう。


3.人生の先輩として、「背中を見せる」

1.にもつながるところ大と考えますが、ビシビシ診断を進めていくカッコイイ臨床医、バリバリと鋭い観点で実験、研究をする研究者、子育てと仕事を両立させるママさん、などなど、ロールモデルとなる先輩の姿は学生さんにとって何よりの刺激になるように思います。


逆にそういう方にもっともっと教育のところに絡んでいただく必要もあるのでしょう。

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posted by 長尾大志 at 23:02 | Comment(2) | 教育理念・メッセージ

2014年02月01日

受験考

受験シーズンまっただ中、いやもう後半でしょうか。
医師国家試験まではあと1週間となり、時折見かける6回生諸君も、真剣な表情です。これは是非頑張っていただきたい。


医師臨床教育センターの会議でいつも話題になるのが、研修医になってからドロップアウトしてしまう人。そこまでではなくても、誰が見ても医師に向いていない、という人がちらほら見受けられます。もちろん数は少ないですが。


でもやっぱりそういう人の存在はモッタイナイ。それはもちろん経済的にもそう。1人を医学部で教育するのに税金がどれだけ投入されているか考えてみればわかるのですが、これはかなり莫大です。お金だけではなくて人的資源も投入されています。


その人の代わりに別の、もっと医師に向いている人が成っていれば、その1人の医師が多くの患者さんを救えたのに…遺失利益というやつですね。これもモッタイナイ。どうやって計算するのかわかりませんが。


あちこちの地域医療が崩壊している、需要と供給のミスマッチが起きているところに、その地域で頑張りたい、と思ってる人にその機会が「受験」のために与えられなかったとしたら…。いやもちろん受験は大事です。医師になるには基礎学力は必要です。でも、合格した人よりもずっとずっと医師に向いている人がセンター・二次合わせて数点で涙をのんでいたら…みたいなことを想像したりするわけです。あくまで想像ですが。ので、東大が打ち出したような入試の多様化、というのは考えていくべきじゃないかと思いますし、もうちょっと大学入試までの段階で人となりを見ることは出来ないもんかなあと常々思うのです。


本当だったら医師に向いていない人は、例えば高校の先生だったらわかるんじゃないかと思うのです。「この生徒は人の目を見て話をしない」とか。そういう観点で進路「指導」をして欲しいなーと思ったり。頭がいいけどちょっと人を相手にする仕事が向いてないなと思ったら、もう少しその人の才能を活かす方向の進路を勧めたりして欲しいものです。まあ高校としたら医学部に入ってもらった方が何かといいのですよね…。

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posted by 長尾大志 at 23:07 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年09月29日

医科大学の役割(大学外で)

大学、特に医科大学の役割は、「医科学生を教育する」ことだけにとどまるべきではないと思います。


かねてよりブログの「ミッション」に挙げているとおり、地域医療崩壊の処方箋の一つは、教育だと思うのですね。


ある地域の医療が「崩壊」する理由の一つとして、「需要」と「供給」のミスマッチがあります。換気と血流のミスマッチは以前にもお話ししたように、低酸素血症を呈する、具合の悪い状況でありますが、医療の需要と供給のミスマッチも、低医療状況を呈してしまうのですね。以前医局で人事をやっていた際には、「ここは○○科が足りないから、人を送って」みたいな配慮が少なからずあったものが、今は医局人事が崩壊し、バランスをとる人が居なくなった。


病院単位で人の募集はあれども、地域のミスマッチを解消するには至らず、開業されるにしても、どこに開業されるかなどは当事者の思いが優先されるでしょう。そもそも最近では、若い人たちの進路選択に、需要に対するミスマッチがあるようです。


さらに昨今専門分化が進み、以前書いたように「専門性はあれども総合性のない医師」が多くなればなるほど、ミスマッチは顕在化すると思われます。



そこであるエピソードを紹介しましょう。とある大学には長期間とある科がなかった。その理由はよくわかりませんが、とにかくなかった。科がないということは教員も居なかった。そしてその大学では「○○科」の知識は学生、研修医に対して教育されることなく数十年が経過していた。その県の主要ないくつかの病院の○○科には、近隣の大学から医師の派遣があったが、限られたものであった…。



その場合、その地域の「○○科」の需要と供給は著しいミスマッチを来します。似たような話は実はそこここで見られていて、地域の家庭医の先生方にも○○科の知識がない為、○○領域の患者さんが来られたらすぐに基幹病院に紹介。基幹病院の○○科の外来はパンク。


○○科の医師が居ない病院では、他科の先生が、知識もないままに患者さんを診療することになる…。このようなことが積み重なって、その地域においては、○○科領域の医療レベルが低くなる、ということになります。



そこで先ほどの、地域医療崩壊の処方箋の話です。その地域に現在おられる非専門医、開業医のうち、教育を必要とする方々に「再教育」をすることで、「○○科」の欠乏をあるていど補うことが出来るのではないか、特に地域の家庭医の先生方にある程度の広域プライマリ・ケアをお願いすることで、一握りの専門病院勤務医の負担を減らすことが出来るのではないか、そのように考えています。

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posted by 長尾大志 at 19:10 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年09月28日

医科大学における教育の意味

滋賀医大に来て8年。


来た当初学生であった諸君も、もう立派に活躍をされています。時折そういう諸君の頑張っておられる様子を聞いて思うのは、「自分はいったい、何を教えたのだろう」ということ。


その当時伝えたことなど、おそらく彼らにとっては何の役にも立っていない。そこに考えが至ったときに、悪寒、いや戦慄、いやいや悪寒戦慄!を覚えました。いやはや、大学の教員という立場でありながら、何もしていないのと同じとは。


今の方がまだ、少しは後になって役立つことが伝えられているか、とも思うので、それはそれで成長が実感できるのですが、それでもまだまだ制約が多すぎ、時間も足りなさすぎ、まだまだ伝え足りない。


ブログをやっていて良かった、というのは一つはそこですね。これまでは、学生実習の時間にも、研修医諸君にもかなり知識的なことを伝達しなくてはならなかったのです。「もっと知りたい」という熱心な人ほど、知識の伝達に時間をとられていた。でも最近では、知識的なところは、もう「ここから先はブログを読んで」と言える。知りたいことがあれば、どんどん独力で、自分のペースで知識を学び取ることが出来るわけです。


…それはさておき、思うに、私たち教員の為すべきことというのは、そういう「知識の伝達」にとどまるべきではない、ということ。そもそも大学医学部、あるいは医科大学というのは、「医師を養成する」という使命を持っているわけです。医師になるには膨大な知識を自分のものにしなくてはならない。だから、大学の教員は知識を伝達するのが仕事。というのは前時代の話で、今ではもはや国家試験対策は皆、大学なんぞ当てにせず、予備校の講座で勉強するわけです。


しからば、医科大学の役割は何か。「よい医師になる為のトレーニングをする」場所でなくてはならない、そのためには、知識の伝達はこれまで以上に効率よく行わなくてはならない。そして、おそらく、根底からカリキュラムを変えなくてはならないでしょう。外圧による数あわせの変更ではなく、目標に向かうための。

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posted by 長尾大志 at 23:03 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年08月24日

人を残すは上

先日1,000記事を迎えた当ブログですが、目下のところそれほどお祝いのコメントは頂けていませんΣ(|||▽||| )。多くの方に役立てていただけているかと思いましたが、私の妄想かもしれません…。


でも、この前、大いに勇気づけられる言葉を見かけたのでシェアしたいと思います。


戦前の政治家、というか、医師だった方がいろいろと政治的に活躍をされた、後藤新平さんという方がおられました。都市計画(復興計画)とか満州鉄道の総裁とか、拓殖大学の学長とか、ボーイスカウト日本連盟の初代総長などなど、数多くのエライ肩書きをされたりしています。


その方の言葉として紹介されていたもの。


「金を残して死ぬ者は下。仕事を残して死ぬ者は中。人を残して死ぬ者は上。」


人間として人生において何を成すべきか、ということを表現された言葉です。もちろん若いうちは「何か」をするためにはお金は必要ですから、まずは懸命に目の前のことをこなしてお金を得なくてはならない。


しかし、いつまでもそれに甘んじるのではなく、ある程度キャリアを経て一人前に仕事ができるようになったら、自分がなすべきこと、目標を立て、「仕事」を残すべく邁進する。


おそらくそれと同時に、後進を育て、「仕事」を引き継ぐ、あるいは共に行う、こういうことをやっていかなくてはならない。そういうことを言っておられたのでしょう。


この言葉に大いに勇気づけられました。仕事をなすだけではなく、人を育てることの大切さ。これからも自分にできることを、目一杯頑張っていこうと思います。まだまだ1,000は通過点。てことですかね。


あ、でも、皆さんからのコメントもいただきたいな〜と思います。ホンの一言でも何でも結構ですので、お待ちしています。コメント来てるかなー|ω・)チラ

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posted by 長尾大志 at 23:36 | Comment(11) | 教育理念・メッセージ

2013年04月29日

継続は力なり

ありがたいことに、書籍を購入してくださった方からサインを求められることがありました。全く慣れないものですから、何か気の利いたことを書こうかとも思ったのですが、そんなにスゴイことは浮かんでくるものではありません。


ということで、結局いつも「継続は力なり」と書かせていただいています。


以前から何度もブログに書いているフレーズなので、ブログを愛読されている方?はよくご存じでしょう。
これは自分に対しての言葉でもあり、サインを書かせていただく方へのメッセージでもあります。


自分のことを思い返してみると、継続が力になってくれたことを実感します。


学生の時にろくに勉強もせず、研修が始まってからもほとんど本を読んでこなかった私のようなものが、人に教える必要に迫られてから勉強を始めました。ブランド研修病院、華々しい経歴とは無縁でしたが、目の前の患者さん、目の前の後輩たちにただひたすら誠実であろうと努め、その継続が何となく教え方に結実してきたように思うのです。


そしていうまでもなく、このブログを継続してきたことを評価していただき、書籍にまでなった。私のような出来損ないでも、継続がここまで力を与えてくれたことに感謝し、今後も継続し続けようとの思いを強くするものであります。


どのような場所であれ、その場でひたすら頑張り続ける。「石の上にも3年」。どうして昔の言い伝えが、このセワシナイ現代にも通じるのでしょうか。3年やらなきゃ、見えてこないものがあります(もちろん、もっともっとやらなきゃ見えてこないものもあります)。


特に若い世代の人たちは、少しずつカジって「やった気になる」「体験した気になる」傾向を見受けます。初期研修で○○に行った、○○を見た、○○の手術をやった…テーマパークに行った感覚でしょうか。


いわゆる臨床ができる先生方は、「ずっと○○にいる」「ずっと○○やってる」方ばかりのように見えます。ずっと継続できる環境に居られるということは、そこで求められているということなのですが、継続することが何よりも力になる。そういうことを若い人に伝えたいな〜、と今後も「継続は力なり」と書いていくと思います。

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posted by 長尾大志 at 22:21 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年04月21日

緒方春朔(おがたしゅんさく)

有名な緒方洪庵ではありません。あまり一般的には知られていませんが、緒方洪庵よりも先に種痘の方法を確立し、わが国における種痘の開祖と言われている偉人であります。


全く不勉強な私は「ビジネス発想源」の記事ではじめて緒方春朔のことを知りました。

福岡県朝倉市のホームページにもエピソードが詳しく載っています



種痘とは天然痘(てんねんとう)に対するワクチンです。天然痘は以前、治療法がなく死に至る病であり、世界中で大変恐れられていました。


時は江戸時代、天然痘が猛威をふるい、多くの人々が亡くなっていました。緒方春朔は鎖国の時代に大変な苦労をして独学で種痘の研究を行い、理解のある庄屋さんの子らを実験台として種痘の方法を確立したのです。


緒方春朔の偉大なところは、もちろんこの先駆的な業績もさることながら、この方法を秘匿することなく全てオープンにしたことである、と述べられています。当時から(今も似たようなところはありますが…)医術は秘伝である、が常識で、ほとんどの医者は自身の技術を他の医者に教えることはなかったといいます。


しかしながら彼は、教えを請うもの全てに分け隔てなく教えた。彼の書いた「種痘必順辨」の序文にはこうあるといいます。


「崑山の玉、取らずば何ぞ光輝あらんや」(崑山之玉不取何有光輝)


いくら崑山(中国の地名)の宝玉と言っても、手に取らなければその輝きに何の意味があるのだろう、たとえ価値あるものでも、誰もが使えなければ意味がない、ということでしょうか。


このフレーズに、大いに共感した次第であります。「医聖」とよばれたような方ですから、私なぞまったく足下にも及ばないことはわかりきっておりますが、このエピソードを知る前から、「役に立つ知識を自分だけで抱え込んでいてはダメだな」と思って情報発信をしていた私としては、姿勢が間違ってはいなかったと勇気づけられたのです。


このブログを書き始めた頃、とある先生から「僕は授業のスライドとかを絶対公開しない。手の内を見せることになるし、真似されてコピーされるから。」みたいなことを言われました。


ご高名な先生だと、スライドのコピーを絶対に頂けないこともあります。


先生が心血を注いでこられたご研究の成果を、気軽にコピペなぞされてはかなわん、ということなのだと思います。


そのお考えが理解できなくもありませんが、素晴らしいもの、価値があるものだからこそ、誰もがアクセスできるように、という考えもあっていいんじゃないか、とも思うのです。まあ、私なんぞの苦労はコピペされる程度のモノ、と言われますと、全くその通りなのですが。



緒方春朔が「天然痘にかかる患者さんを少しでも減らしたい」という思いで種痘を開発し、それを多くの人に伝えたように、私の目的は「呼吸器内科の知識をできる限りわかりやすく多くの人にお伝えすること」。その向こうには「できるだけ多くの患者さんが救われるように」という思いがあります。


人類史上もっとも「情報の共有」が容易になっている今、多くの方に呼吸器内科を身近に感じてもらい、レベルアップを果たして頂くことに価値を見出して、まだまだこのブログは続いていく予定です。


あ、もちろん、本を買わなくてもいいよ、ということではありませんよ(笑)。

全然売れないと、せっかくお声掛けいただいた出版社さんに申し訳ないですから…。購入いただける方には、しっかり(諸事情からブログに載せにくい)書き下ろし記事もサービスしています。私からの気持ちです。

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posted by 長尾大志 at 22:40 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年02月11日

自責思考と他責思考

FD研修会の中で取り上げようと思っているのが、自責思考と他責思考のお話です。自戒を込めてさせていただくつもりですが、特に今回のFD研修会で取り上げる意味があると思いました。


世の中、思い通りにならないこと、多々あります。特に社会生活を営んでいると(家庭内でもそうですが…)いろいろとあると思います。


そのときに、「他人が悪い」「状況が悪い」と考えてしまいがちなのですが、これを「他責思考」といいます。○○がうまくいかなかったのは、誰それが協力してくれなかったから、季節が悪かったから、円高だから?…と、余所にその理由を帰する考え方は、実に楽なんですね。


結局自分は何もしなくていい。「状況さえうまくいけば、うまくいくはずだ」と考えておけばいい。で、またうまくいかない。こういうこと、結構多いのではないでしょうか。



わかりやすい例でいうと、シャープ(家電メーカー)の業績が悪いと。


で、まあいろいろ理由を挙げる人はいるわけです。液晶テレビの価格が下落したから、エコポイントや地デジ化で需要の先食いをしたから、円高だから…。


まあ、理由を挙げるのはかまいませんが、ただ理由を挙げただけでは業績はビクともしませんね。何も変わらない。他責思考では、何も変わらないのです。


業績をよくしようと思えば、何かアクションを起こさねばならない。会社として何をするか。自分が何をするか。これが自責思考です。


結果を得るために、今後何ができるか。これを考えるのが自責思考。言い方を変えると、他責思考は後ろ向き、いいわけ、であるのに対し、自責思考は前向きで、カイゼンで、やる気が感じられてイイじゃないですか。



今回のFD研修会のタイトル「『今時の学生』問題〜」というのは何でしょう、他責思考のにおいがするんですが、私がするのは自責思考がイイじゃないですか、という感じのお話になります。一人でも多くの先生に自責思考のよさをお伝えできればいいのですが…。

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posted by 長尾大志 at 13:14 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年01月20日

キャリアを中断する、ということ。

SKE48のメンバーが、9人一度に卒業、ということで、一気に大量にやめた点でニュースになっていました。


彼女たちも夢を持って加入したものの、思っていたような活動ができない、とか、夢に近づけない、とか、いろいろと理由はある模様。


選抜メンバーも含まれており、ファンからは相当惜しむ声や、残念がる声があるようです。




キャリアの途中で中断する決断をとる、私たちの業界でも多くの事例が見られます。


事情は当人にしかわかりませんが、外部から見ていて「もったいないなー」と思えることが多いものです。


「やめよう」と思ったときに、すこしでも相談できる人がいれば、やめずに続けられたかもしれない。
やめてしまうよりも、もっと良い選択肢があったかもしれない。


以前にも書きましたが、キャリアの中断は、臨床能力の低下など、当人にとって好ましいものではない結果につながる場合があります。もちろん、「別の目標が見つかった」「他にやりたいことがある」場合はその限りではありません。


ただその場合も、他にやりたい分野に、どのように進んでいくかも、先達として相談に乗ることはできるはず。思い込みもありますし、自分ではわからない適性も、アドバイスが得られるでしょう。


やめるのは、いつでもできる。その前に、じっくり相談してみましょう。


SKE48のメンバーでも、相談できる人がいて、適切に導かれていたら、やめずに済んだ人もいたかもしれません…。

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posted by 長尾大志 at 19:32 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年01月03日

指導者たるもの

本を読む暇がなかなかないのですが、学会や研究会の行き帰りは貴重な読書タイムです。


この前は、「ビジネス発想源」の弘中勝さんが勧められていた「お前ならできる(小倉全由著)」を読みました。高校野球の監督さんが書かれた本で、指導者としてのあり方など、参考になるところが多かったです。


その中の一節で、小倉さんがまだ若い頃に根本陸夫さん(広島、西武、ダイエーの監督を歴任された名将)から掛けられた言葉が印象的でしたので紹介します。


(引用ここから)
■指導者は辛抱だ

一度指導して、さっさとできるようになって、目に見えて成長していく選手はいない。だから指導者は何度も同じことを、できるようになるまで繰り返し指導する必要がある。


それを、見た目でうまくならないからもうやめた、新しいことを教えよう、では選手は育たない。



■指導者は自分のできることだけ教えればいい

できないことまで教えようとすると選手が付いてこなくなる。だから、できることを自信を持って教える。そして、できないことは教えられるようになるまで身につける努力をする。
(引用ここまで)


どの世界でも同じですね。
指導者としては、とにかく辛抱が大事です。一に辛抱、二に辛抱。


わかってはいるのですが、どうしても、「これは前に教えたよね…」と言いたくなってしまったり。肝に銘じましょう。ただ、このブログを読んでくださっている若い先生が増えたせいか、ブログに書いたことは理解してくださっていることが増えてきています。大変うれしいことです。


そして、二番目。これも、全くその通りであることを痛感します。やはり、背中を見せる、じゃあないですが、自分ができることをしっかりやって見せる。そのためには、自分のスキルを磨いて磨いて、磨き上げなければなりません。


幸い、今も、新しいことを覚える、勉強するのが楽しいものですから、この楽しさを後輩たちに伝えていけたら、と思っています。

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posted by 長尾大志 at 23:00 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年01月02日

no flower without rain

日曜日の読売新聞に、秋元康さんが連載をされています。


AKB48グループの若いメンバーたち、また、若者たちに対するメッセージを書いておられます。


少し前の回では「アイドルと笑顔」というタイトルで、
このようなことを書いておられました。


(以下、大意を抜粋)
アイドルには笑顔が似合う。
いや、アイドルは常に笑顔でなくてはならない。ずっとそう言われてきた。


(でも、舞台裏を見ていた秋元さんが思うに)
アイドルの笑顔が美しいのは、そこに多くの涙が隠れているからだ。


おそらく、普通の生活をしている同世代の女の子より、遙かに多くの
「つらいこと」に遭遇しているだろう。
つまり、そこに至るまでの長い道のりが、アイドルの笑顔を磨くのだ。


もし、あなたが、アイドルのように輝いた笑顔を見せたいと思うなら、
いっぱい泣けばいい。いっぱい怒ればいい。いっぱい落ち込めばいい。

そう、毎日を一生懸命生きることだ。
(大意ここまで)


流した涙の数だけ、人に優しくなれる、とか、
流した涙が、明日の自分を作る、とか。
そのようなことは多く言われています。


おそらく、そのようなつらい体験をすることで、他人のつらさを慮る(おもんばかる)ことができるようになる、そういう意味でしょう。


医師として、患者さんのつらい場面に立ち会うことは多々あります。


そのときに、そのつらさに共感できるかどうか。相手の気持ちに立つことができるか。ちょっとした言動に表れるものです。そういうところで医師の資質というものが問われるように思います。


うちの大学はいろいろな状況から、他大学や社会人を一旦経験されてから再び医学部に入り直された方が結構多いのですが、そういう方々はそれなりにつらい経験もされているのか、20歳そこそこの、いわゆるストレートにやってきた学生さんよりも、そういう意味で一日の長があるように思います。



もちろん若い方の中にも、素晴らしい方も多い。ただ、人生経験が少ないな〜、惜しいな〜と思う方もちらほらおられます。まあ、若い方は人生これから、随分以前にも書きましたが、某大学教授が「医学生たるもの、失恋の一つや二つしないでどうするか。」ということを言われたように、「今」を一生懸命生きること、目の前のことに誠実に向き合うことで、ご自分を磨いていってほしい、そう念願せずにはおられません。

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posted by 長尾大志 at 23:40 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2013年01月01日

一年の計は元旦にあり

新年あけまして、おめでとうございます。


年末、紅白歌合戦に、SKE48とももいろクローバーZが初出場、素晴らしいパフォーマンスを見せていましたね。


これらのグループに限ったことではありませんが、「紅白歌合戦に出場」を目標にしていて、それを成し遂げる様子を見ていて、やはり「目標を掲げる」というのは大事だなーと感じ入りました。


以前に「ミッション」を再定義してみましたが、わかりやすく今年の目標を掲げるとすれば、


「滋賀医大呼吸器内科での研修を最高のものにする」


これに尽きると思います。頑張ります。

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posted by 長尾大志 at 23:37 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年11月25日

ミッションを修正

トップに書いてある「ミッション」。まあどなたもお読みではないでしょうが…。自分なりに目標を書いております。


いつも読んでいるメールマガジン、平成進化論の鮒谷周史さんが最近仰るに、

「なるべく大きな目標を公言する」べし

とのこと。


目標と現実には乖離があるもの。乖離があるのであればあるほど、公言する方が自他共に目標に向かってのドライブがかかる、具体的に何をすべきかが意識されてくる、ということのようで、なるほど、と思った(単純な)私は、早速ミッションをもっと大きなものに書き直すことにしました。


これまでのミッションも日本の(地域)医療を考える上で重要なものであることは間違いありませんが、どちらかというとこのブログのミッションなのですね。オンラインのミッションというか。


もう少し大きな、ウチの医局としての目標、といいますか、オフラインのミッション、それは、


滋賀医大で研修した臨床医を優秀に育て上げ、滋賀県下の病院に派遣することで、滋賀県の臨床レベルを上げる


ということ。
誤解を招くといけませんので、「臨床レベル」の定義をきちんとしておかなければなりません。


ここで言う「臨床レベル」とは、専門的な技量を問うものではございません。まずcommon diseaseにきっちり、病歴と身体所見から適切な鑑別診断をたて、当たり前の対処ができる、ということ。


そこで問題となるのが感染症やアレルギー、といったところになってくるようです。メタボ関係は皆さんお得意のようなのですが、このあたりは不得意分野のようで、昨日のようなことがしばしばあると…。


そこで、やはりウチが、まずは滋賀医大で研修を受ける諸君には、基本的な臨床作法を叩き込み、できれば各病院に派遣された際にその病院でのオピニオンリーダーになるぐらいの知識を持ってもらいたい、というつもりでやっていきたいと思います。

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posted by 長尾大志 at 22:28 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年11月18日

時に癒し しばしば支え 常に慰む

講義でも紹介しましたこの言葉。


元はフランスの外科医、アンブロワーズ・パレと言う方の言葉だそうです。


アメリカの結核療養所にある彫像の台座に刻まれていた言葉といいますから、昔の結核療養所ではよく使われていた言葉なのかもしれませんです。


時に癒し Guérir quelquefois  To Cure Sometimes

しばしば支え Soulager souvent  To Relieve Often

常に慰む Consoler toujours  To Comfort Always.


特にかつて、結核に対する化学療法が無い時代においては、医師が患者さんを癒すことができる機会は「時に」であり、支えることができるのも、「しばしば」であったでしょう。しかし慰めることは常に可能であった。


それは医師に対して行動指針を教えてくださっている言葉でもありましょうし、患者さんからの感謝の言葉でもあるかもしれません。


医学が発達した現在であっても。あらゆる病気を治すことはできません。治すことはできなくとも、いつも患者さんに寄り添うこと、慰めることはできる。ここに共感できるような人は、きっといい医師になれる、そんな話をさせてもらいました。

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posted by 長尾大志 at 23:14 | Comment(4) | 教育理念・メッセージ

2012年11月11日

温故知新

今朝の京都新聞から。
僧侶、川村妙慶さんの寄稿より引用させていただきます。


(以下、大意を引用)
温故知新という言葉があります。正式な意味合いは、「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」ということです。
膨大な時間の流れの中から、大切なものを「たずねて」「ならっていく」。


亡くなった人を過去の人ととらえるのか、亡き人から何を学び受け継ぐのかでは、大きな違いがあります。


「前に生まれたものは後に生きる人を導き、後の世に生きる人は先人の生きた道を問いたずねよ」。中国の僧、道綽の言葉です。人間は失われていくことに悲しみを感じます。しかし、自分は今、何もないと思うから寂しいのです。肉眼で見えないと何もないのでしょうか。そうではありません。


あの人が残してくれた言葉に訪ねる。そこからもう一度、私は何者として生きていくのか。希望を新たにすることができるでしょう。
(引用ここまで)


人は死んでしまうと終わりではなく、先祖から子孫へと脈々と受け継がれる命の系譜があるのですね。


そして自分の生き様、言葉を後の者に残していく。言葉を換えると、人は、「語り継ぐ」ために生きているのだ、そんなことを聞いたこともあります。


日本人はほとんど無宗教ですから、命が失われてしまうとそれで終わり、と思われるのですね。科学的に言うと間違いではないのかもしれませんが、それでも残された人々が何かを学び受け継いでいくことこそが、最高の供養になり、生きていた証となるのではないか、そう考えるのです。


「患者さんの病気をを治したい」医師ならば必ずそう思っています。しかし、病気や身体の状態から、叶わないことも多々あります。そのときに何ができるか、若い皆さんには常に考えていただきたいと思います。


今週の授業では、初めての試みとして、その手がかりを紹介する予定です。少し勇気がいりますが、頑張ってみます。

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posted by 長尾大志 at 23:11 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年11月04日

○○発売5周年記念講演会にて、思ったこと

表記の会に参加してきました。


まあ、色々と思うところはあったのですが、会場が狭かったとか、ご飯を食べるまでの時間が、とか、必ずあるアレがなかったとか、そういうしょうもない感想を述べるのはやめておきましょう。


それよりも、こういう会に参加して何となく漠然と思っていたことが、少しハッキリとした形になってきました。ここ最近、少し下に述べるような傾向が目立つようになってきたのか、私の感受性が高くなったからなのか、よくはわかりませんが、少し書き留めておきたいと思います。


もちろん、今日の会に限ったことではなく、○○に関して問題があるということでは断じてありません。会でインスパイアされた、ということでご了承いただきますようお願いいたします。




世の中には、ガイドラインがたくさんあります。ガイドラインが診療に役立つことは確かであり、私も大いに役立たせて頂いております。それは間違いない。現実にここ2ヶ月ほどのブログネタにも困っておりません(苦笑)。


ガイドラインの作成には多くの偉い先生方が関わり、たくさんの臨床データとエビデンスを元に、疾患の適正な診断、治療を定めて頂いております。それも間違いない。


ただ、ガイドラインの改訂、このタイミングには、往々にして、「新薬の発売」が絡んでいる、これも事実です。


当然、新薬が発売され、新しいエビデンスが構築されると、ガイドラインを書き換える必要が生じてくるわけですが、それだけではなく、ガイドライン作成、改訂にはそれなりにお金がかかる。そこでどこかがスポンサーになる必要があるわけですが…。喜んでスポンサードされる企業があるわけですね。



こういうメーカーがらみの会で話をしたことがある方は特におわかりと思いますが、やはりこういう会を開催する以上、メーカーにはそれなりの思惑があるわけです。


会場や情報交換の場やらなんやら(今日はなかったけど)に、それなりにお金がかかっているわけで、当然「発売5周年、ありがとうございます、感謝します」だけで済むはずがありません。


例えば学術講演で語られる内容、ガイドラインのことを取り上げる内容ではあっても、やはり自社製品に有利な説明になるでしょう。


そのように、明らかな「会」ではもちろんですが、学会における発表、セミナーなどにおける講演など、一見中立な?モノにもいろいろな思惑が見え隠れしたりして。


最近ではCOIを明示されることが多くなっていますが、ガイドラインに携わられるような偉い先生は、数多くの企業と関連があることが多く、見ているとへぇ〜てなもんです。


昔お世話になった教授はじめ、いろいろなの方々にいろいろな裏事情を伺っているものですから余計かもしれませんが、特に若い先生方には、一見整ったプレゼンテーションであっても、批判的に聴くスキルを身につけていただきたいものだ、と思うのです。

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posted by 長尾大志 at 23:15 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年10月28日

失敗は成功の元〜Never give up

「失敗すればするほど幸運は来る。若い間に、いっぱい失敗して、挫折してください」――先だってノーベル生理学・医学賞に決まった山中伸哉教授の言葉です。


こういう、事をなした多くの方が言われる「失敗のススメ」。
失敗して、そこから学ぶことで、成功への道筋になる、ということだと思います。


以前にも書きましたが、個人的にも、失敗は成功の元、と考えています。もちろん、医療の現場で「失敗」を奨励するものではありませんが、うまくいかなかったことを顧みることから、次にもっとうまくいく方策を考えることは若い方々にとっては必須でしょう。


失敗の回数が多くなるということは、確率論的にも「やってみた数が多い」ということで、しかも失敗から学ぶことができれば、母数が多い方が成功しやすいのは当然、必然です。


「多くの患者さんを診た臨床医が、良い臨床医である。」も一面では真理であります。あらゆるパターンの出来事を経験しておけば、「想定の範囲」が広がるわけですね。





今日は午前中が長男のサッカー大会、午後には長男と、マラソンのメダリスト、ワイナイナ選手のランニング講習会・講演会に参加してきました。


午前中にも長男の様子を見ていて、「継続は力だな〜」と思ったのですが、午後のワイナイナ選手も、「Never give up。」
「夢をあきらめないでください、夢に向かって頑張り続ければ、必ず夢は叶います。」
「あきらめてしまえば夢はそこまでです。あきらめないでください。」
と繰り返しおっしゃっていたのが印象的でした。


やはりこういう「成し遂げた人」がおっしゃる言葉は説得力があるな〜と長男を見ても、きょとんとした顔をしていましたが…。



夢をあきらめず、失敗をいとわず、頑張り続ける。失敗から学び続ける姿勢。それこそが物事を成し遂げる秘訣、というか唯一の道なのでしょう。それができる人は必ず、夢を叶えることができる。できないと叶わない。この言葉を心に刻んだ一日でした。

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posted by 長尾大志 at 23:01 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年08月26日

自分でやらないと、身につかない。

この前の夏休みには、子供と一緒に行動することが多かったわけですが、そこで思い知ったこと。


子供というのは、例えば何かの操作をするにあたって、耳から説明を聞いてもサッパリできるようになりません(うちの子だけ…ではないと信じたい)。


手取り足取り教えても…なんかちぐはぐになってしまう。


やはり、実際にやってみて、失敗を繰り返して、やってみた結果どうなるか自分の目で確認し(feedbackを受け)、またやってみて、はじめて「得心」する。得心することでようやく、「できる」ようになっていくようです。


おそらく、だからこそ、できるようになったときの喜びは大きいのでしょう。最初うまくいかなかったときの方がなおさら。


親が手を貸して、できるようになっても、なんかそれは借り物の自分であり、自分自身の力でできるようにならないとやっぱりダメみたいですね。


その後色々な操作になれ、色々なことができるようになってきた息子の、充実の表情を見ていて、結局私がやったことは、そばにいて、見守って、応援してあげた、それだけだったなあと思ったわけです。



と、ここまで考えていたら、やはり先日の10周年記念誌と同じような結論になって参りました。



若い先生たちには、できるだけ、自分の頭で「選択」「決定」「試行錯誤」させること。そして、できる限り速やかにその結果をfeedbackすること。そのためには、そばにいて、見守って、応援してあげる必要があるでしょう。


そうして、自分で方向性をつけ、外から微?調整を受ける。最初から上級医に「こうして、こうするんや」と教えられたことは、その場でしか使えませんが、自分でやっていくことで身につけた「型」は、さまざまな領域で応用が利きますので、その後の伸びが期待される、そう考えるこの頃です。

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posted by 長尾大志 at 15:49 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年07月08日

魚を与えるより、魚の釣り方を教える方が…

「魚を与えるより、魚の釣り方を教える方がその人のためになる」

というお話がありますね。


うろ覚えで出典も不明ではありますが、大意は

道を歩いていると、空腹で倒れている人がいる。
その人に魚を一匹分け与えたとしても、その人にとっては1日分。

でも、魚の釣り方、捕り方を教えてあげれば、
長期間生きる糧となる。


そのような話であったかと思います。



あたりまえじゃん、と思われる方も多いでしょう。



でも、医学生、医師の教育において、「答え」を教えるのではなく、
「答えの導き方」を教えるのは結構難しい。


「答え」を教えるのは簡単なんです。
「じゃあ、この患者さんには、こういう方針で、この薬を投与して…」
と、言えばいい。


でも、そのドクターにとって、次に全く同じ症例が当たることはあり得ない。
同じ患者さんであっても、状況が変われば、「答え」は異なるはず。
たとえば10年後には、クラビットは何にも「効かなくなっている」かも。


いかにして、「次」の症例に対して「正しい答えを導く」か。


今、この症例に対してこの抗菌薬を使う。
なぜ、その選択を行ったか。
次の症例には、どうするのか。


特にローテーター諸君は1ヶ月という短期間の研修になります。
時間と症例に限りがある中で、できる限りの「考え方」を伝えるには
(もちろん、上の先生方も同様ですが)。


いつも頭をひねっているのですが、まだまだ正解はないようです…。

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posted by 長尾大志 at 23:19 | Comment(2) | 教育理念・メッセージ

2012年06月09日

AKB48の「第4回選抜総選挙」を見ての所感

先日行われたAKB48の「第4回選抜総選挙」。
ご覧になった方もおられるかもしれません。


うちは子供とTVを見ていたのですが、
メンバーのコメントにはいろいろと思うことがありました。



■高橋みなみの
「努力しなけりゃ始まらない」


昨年、「努力は必ず報われる」とのコメントがあり、
努力してきた人の台詞には重みがあるなー、なんて思っていました。


ただ、ショービジネス界では、努力だけで成功するなんて甘いものではない、
その現実を踏まえて、今年は、それでも、努力しなけりゃ始まらない、
そういう意図があってのコメントだと思います。


とはいえ、AKB48は、「どんなに努力をしても売れなかった」時期を乗り越えて、
努力し続けて、その末に成功を手に入れられた訳ですから、
「成功するまで努力する人が、成功する」と考えると、
「努力は必ず報われる」この言葉に間違いはない、と思うのです。


そう、「成功するまで努力し続ける人は、必ず成功する」。
肝に銘じておきたいと思います。



■篠田麻里子の
「つぶすつもりで来てください。私はいつでも待ってます。
心強い後輩が出てきたら私は笑顔で卒業したい」


私の夢、というか目標は、若手の諸君が、
いつの日か私に「引導を渡してくれる」こと。
そのときには、私は笑顔で引退します。


このブログを作りはじめたのは、そもそも
「自分の持っているものを、後輩に余すところなく伝えたい」
というのが動機でした。


まだ道半ばですが…まだまだ、頑張ります!

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posted by 長尾大志 at 14:16 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年04月29日

いかに失敗から学ぶか、それが問題

以前にも引用させていただいた、大谷大の鷲田清一教授の寄稿が4月21日付の京都新聞に載っていました。
今回のテーマは、「失敗というチャンス」。


以下、大意を引用させていただきます。

科学の実験や技術開発では、何万回と果てしなく実験を繰り返す中で、ごくたまにあっと驚く結果が出て、それが新しい発明や発見の種になる。

失敗の経験こそがいろいろな意味での成長につながるのであるが、今私たち大人は若者たちに、本人が納得するまで失敗させてあげる、そんな機会をちゃんと与えているだろうか。

失敗を極端なまでに恐れる役所、失敗ということを想定せずに組み立てられてきた事業…そんななかで人々は、責任の追及と責任の回避にばかり頭を使っている。

(引用ここまで)


医学教育でも同じことがいえます。もちろん、患者さんの命を預かる現場で、「失敗の奨励」はありえません。
しかし、たとえば「想定した経過とは異なる結果」になった場合、その患者さんから学ぶべきことは多いわけです。同じ肺炎症例を診ても、型どおりに抗菌薬を投与して、よくなった、というのと、抗菌薬を投与してもよくならない、どうしてだ…となるケースでは、後者の方が圧倒的に勉強されるし、身にもつくわけですね。


その意味では、「いわゆる失敗」というチャンスから何を学ぶか、これが肝であります。失敗して凹んでいる場合ではない。
私たちも、失敗した、うまくいかなかった、という点を責めるのではなく、そこから何を学ぶか、というところを教えなくてはなりません。

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posted by 長尾大志 at 22:52 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年04月02日

学びて思わざれば、則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば、則ち殆(あやう)し

本日が新年度初日、という施設も多いかと思います。

当講座におきましても、4月から2名の先生が関連施設に赴任され、2名の大学院生と1名の後期レジデントの先生が仲間に加わってくださいました。


非常に熱心で臨床力の高い先生方ですので、ご一緒するのが楽しみです。
先生方、よろしくお願いします!



さて、以前に平成進化論で取り上げられていて、研修を始めたばかりのフレッシュマン諸君にわかりやすいたとえができるかな、と以前から思っていたネタですが、初期研修開始のこのタイミングで一度取り上げたいと思います。



「学びて思わざれば、則ち罔し、
思いて学ばざれば、則ち殆し」

 という言葉です。


原義とは少し異なるのですが、ここでは、

「手を動かすこと」

と、

「頭を使うこと」

になぞらえて考えてみましょう。


つまり、教科書や本を読んで知識を得ること、それ自体はすばらしく価値のあることではありますが、それだけで良い臨床医になれるものではない、
やはり患者さんのところに行って、お話をし、診察をさせていただいて、頭の中を「???」でいっぱいにしてから、本を読む。

これこそ、思って、かつ学ぶ、ということだと考えます。


この場合の順番は、できれば「思う」が先、が望ましい。患者さんの前で、背中に大汗をかきながら、「???」、国家試験で得た知識に当てはめるわけです。当然、当てはまることは少なくて、自分の無力さを痛感するわけです。


そこで、理想の自分と現実のギャップに唖然となるんです。それは実にしんどい経験ではありますが、そのギャップを認識することで、知識への渇望感がわき上がり、勉強への意欲がぐぐっ、と高まるわけですね。


そこで上級医に尋ねる。本を読む。


すると、あら不思議、ただ座って黙々と本を読んでいるときとは比べものにならないくらい、知識が次々と吸収されてきます。


これを利用しますと、非常に高いモチベーションのもとに勉強できることになり、効率が倍増する、という寸法です。これは、最近平成進化論で鮒谷周史(ふなたにしゅうじ)さんが盛んに言われている「学びの仕組み化」のパクリでありますが、その効果は私の実体験で保証いたします。


逆に、経験だけ、あるいは本の知識だけ、というのは非常に危なっかしい。
ご本人にその実感がない、ということであると、余計に罪深いものです。


常に経験を体系化できているか、エビデンスに照らし合わせる癖をつける。経験していない自覚があれば、もっと経験する。そういう姿勢で頑張ってください。

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posted by 長尾大志 at 13:43 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年03月31日

選択権が多いと、人生は楽しくなる。

コロンビア大学ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授が著された「選択の科学」。
読みかけなんですが、面白すぎて少し読むごとに立ち止まり、なかなか読み進められていません。


選択権を持つことは動物の基本的欲求だそうで、言われてみるとなるほど、選択権が多い、というのは、人生をより快適にしてくれるように思います。


高校の頃だったか、「社長とか、指揮者とかは、一度やったらやめられない」みたいなことを聞いたことがありました。今思うと、選択権の多い仕事はタマラン魅力がある、ということなのでしょう。



医療に携わる仕事、特に「現場」には、多くの選択権があります。まあ、選択「義務」とも言えるかもしれませんが…。しかし、実力がついて、その選択がテキパキと行えるようになってくると、だんだんその過程が快感に変わってくるのです。


一所懸命にやると、仕事ができるようになる。
        ↓
仕事が「できる」ようになると、選択の幅が広がる。
        ↓
選択の幅が広がると、仕事が楽しくなる。


「石の上にも三年」という言葉があります。


今の仕事が面白くない、早く休みになればいいのに、そういう向きは、日々の仕事に向かうお気持ちを、胸に手を当てて思い直してみましょう。

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posted by 長尾大志 at 18:47 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年03月30日

ワーク・ライフ・バランス、という耳障りのいい言葉の影に

話のついでですので、フレッシュマン向けにもう少し。


仕事が楽しくない、
休みがほしい。


働き始めてしばらくは、こんな感じだと思います。


医師になってしばらくは、休暇がほしくて仕方がない、早く帰りたい、
私も全くその通りでした。


患者さんも、重症を持つのは大変そうだし、休みもつぶれるし、失敗するのも怖いし、できるだけ担当したくないな、と思っていました。


まあ、それでしばらくはやり過ごしていたのですが。


とある機会に、恩師というべき上級医から、諭されたのでした。


「今の君の行いが、10年後の君を作る。
 10年後、君はどんな医者になっていたいんだ?」


…返す言葉がありませんでした。


いい臨床医になりたくて、人助けをしたくて医師になったはずなのに。
このままではテキトーな医者になってしまう…。


まあ、本当に頑張りはじめたのは、少しずつ力がついて、臨床が面白くなった3年目ぐらいからだったのですが、早い段階でこのようなお言葉を頂けたのは本当にありがたかったです(当時は正直、かなり凹みました。ありがたかった、と思えるようになったのは随分先の話ではありますが)。


というわけで、自分がされてうれしかったことを後輩にお伝えしよう、と思う次第であります。


とかく世間では、


オンとオフを切り替えて…、
ワークライフバランスが…
仕事はそこそこ、趣味に生きる…


とか何とか言ってますが、要するに仕事が楽しくない、これが前提なんですね。

仕事に打ち込む中で、どんどん自分が作り変わっていく、成長が実感できる、こうなってくると仕事時間が楽しくなり、「休み」がもったいなくなって来たりするのですが。


もちろん、家庭を持って子供ができたりすると、家庭のために時間を割く、これも重要なことであります。私もそれはよーくわかります。
ただ、趣味に生きる方々を見ていると、仕事や家庭に打ち込んで充実感を得る、そういう感覚ではないのですね、と思います。




研修責任者をやっておりますので、4週間しか研修期間がないのに「1週間休暇をいただきます」と言ってこられることがしばしばあるのです。
当然の権利でありますし、心情は理解できますから、言ってこられることにどうこう言うつもりはありません。


ただまあ、「あまりうちの研修、面白くないのかなー」と凹んで、改善点を見つけるのみであります。

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posted by 長尾大志 at 12:37 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年03月29日

心エコーの習得体験を思い出して、伝えておきたいこと

心エコー。

心エコーぐらいは、紳士淑女のたしなみとして、ある程度できるようになっておかれるといいですね。非侵襲的であり、繰り返し施行可能で、病室でも器械さえあれば、簡単に行えるなど、利点が多いです。


ところで、私が心エコーを覚えたのは、3年目の研修病院で、循環器の先生と技師さんに志願してやらせていただいたのがきっかけ。実はそこに行く前に、「心エコーは身につけておくといい」と言われていたんです。


そこでの研修プログラムに、(腹部エコーはあったのですが)心エコーは含まれていませんでした。でも頼み込んだ結果、教えていただくことができ、その後、大学に帰って以降も病棟にあったエコー機でどんどん症例を積み重ねました。




当時は、そんなもんだと、あまり何とも思っていませんでしたが…。

レントゲンやCTの読影経験のために、当時京大におられた(今は福井大)伊藤春海先生(いとやんごとなき先生です)に半分押しかけ弟子入りしたのも、懐かしい思い出です。


どこであっても、「これを習得したい」という気持ちがあれば、修練を積むことができるのです。研修システムは、あくまでシステム。最後は人と人とのつながりが、ものを言うもんです。




学生さんに、「研修病院、どこに行くのがいいですか」とよく聞かれるのですが。

そのときにお答えするのが、「各分野の専門の先生が居るところがよい」。
少し曖昧に聞こえるかもしれませんが、その心は…。



いわゆる「研修システムの整った研修指定病院」に行く、ということは、いかに「与えてもらう」ということを考えているか、ということにつながるような気がしています。


なんかこう、システムが整っていれば、口を開けて待っていれば、誰かがえさを与えてくれる。まあ、気分的には楽ですね。


そういうところで初期研修を終えた人、その時点では確かに、結構できるようになっています。でも気になるのが、その後の経緯。「○○病院で初期研修した」という触れ込みの人が、けっこう伸び悩む、とか、なんか違う道に進んでいる、というケースを見かけます(もちろん、ごく一部の人ですが)。



これって、「与えられる」ことに慣れてしまって、自ら求め、取りに行く姿勢がなくなることもあるのでしょうか。システム上学ぶことができなくても、上級医に直接教えを請いに行けば、ほぼ間違いなく道は開かれます。


そうやってどんどん、スキルや知識を身につけた、その経験は一生役に立ちます。どこに行っても、どんな環境でも、自らを磨くことはできる。それは揺るぎない自信となるでしょう。

もちろん、「そもそも誰もそのことを知らない」という状況では、尋ねようがありません。なので、少なくとも、「各分野の専門の先生が居るところがよい」ということになるわけですが…。




もし、上級医がいても「やる気がない」「教えてくれない」のなら、その理由はひょっとしたら、あなたにあるのかもしれません。


上級医が「教える気にならない」理由の87%が、実は「研修医にやる気がない」「これまでの研修医にやる気がなかった」から、というデータがあるのをご存じでしょうか。


逆にシステムがなくとも、やる気を持ってぶつかれば、上級医も応えてくれるというもの。むしろ、喜んで教えてくださるでしょう。


そういう「やる気のある人」が、システムそのものをいい方向に変えていく、原動力となるのではないでしょうか。



逆に、与えられることに慣れてしまうと、「ここは合わない」と、あちこち渡り歩く万年研修医になってしまう危険性もあるように思います。

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posted by 長尾大志 at 13:52 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年03月18日

四苦八苦

四苦八苦という言葉があります。
元々、生きていると経験するたくさんの苦しみを表します。


生老病死で四苦。


  • 生まれたこと

  • 老いること

  • 病気になること

  • 死ぬこと



いずれも避けることはできないもの。不可避の苦しみですね。
さらに、

  • 愛別離苦あいべつりく 愛するものと別れる苦しみ

  • 怨憎会苦おんぞうえく 嫌な人と顔を合わせる苦しみ

  • 求不得苦ぐふとくく 求めても思い通りにならない苦しみ

  • 五蘊盛苦ごうんじょうく 人としての肉体や意識があるために生じる苦しみ



この四つを加えて八苦。



この世で生きることは、このような苦しみを抱えていくことだ、ということです。生きることは思い通りにならないものだ、まずそれを受け入れる、というところから仏教は始まっています。


苦しみを受け入れ、今ある「生」を精一杯生きていく。自然への畏敬や、生のありがたさなど、様々な制約があることではっきりと実感できるのではないでしょうか。



しかし、科学技術、IT技術などの発達で、「思い通りにならないこと」が減ってくると、人生、思い通りになるものだ、それが当たり前なのだ、という感覚が勝ってくるようです。


四苦八苦も、ある程度は抗うことができるようになってきました。でも、最終的には、やはりどこかで受け入れざるを得ないときが来るのです。
そのときに、そばに居るのは、この「生に伴う」苦しみをできるだけ軽減できるのは、宗教者を除けば、この日本では医療関係者であることが多いでしょう。


医師という仕事をしていて、やはり優先されるべきは「患者さんに治ってほしい」という気持ち。しかし、進行癌や難病といわれる病を前にして、また、超高齢患者さんを前にして、どこで、「この患者さんは、もう治らない、元通りにはならない」とするのか。そこで戦いは終わるのか。


「治らない」ことは敗北なのか。

「手術が成功した」ことは勝利なのか。




特に若いドクターは、「病気は治るもんだ」「予後告知なんて残酷なことはしたくない」「病気や障害を取り除かないとダメだ」「患者さんが亡くなることは、敗北だ」「とにかく心臓を動かそう」と思いがちですが…

今後起こってくる高齢化社会では、病気は治らないことも多い、障害はあって当たり前、広い意味での予後告知も必須となるでしょう。


その場合の予後告知とは、来るべき「最期の時」に備える、前向きなお話であるべきです


花は咲き、散ることで次代の種を残し、そして生命は受け継がれてゆきます。人は自身の生きざま、そして、死にざまを次代に見せることで命を受け継ぎ、大切なことを子供、孫たちに教えていかれます。


いかにそのときを悔いなく迎えるか、残された時を慈しみ、有り難く生きる。それが正しい別れ、供養の準備となるのではないでしょうか。


以前にも書きましたが、この日本でも先の震災を始め、あまりにも理不尽に、突然の別れを迎えてしまった多くの方々がおられます。世界に目を向ければなおさらであり、そういうことを知れば知るほど、「別れの準備」は大事なことではないか、と思うのです。


そして、その後に訪れる様々な「苦しみ」を、お話をし、投薬の工夫をする、その他、様々な形で、できる限りサポートする、これもまた、大事な仕事でありますが、それはまたの機会に。

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posted by 長尾大志 at 23:47 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年03月03日

「いい臨床医」を育てる

Medical Tribune誌2月23日号より。


北海道大学循環器内科教授の、筒井裕之先生が書かれたエッセイに、同タイトルのものがあり、私が日頃考えているものの、うまく言葉にできていなかったイメージを的確に言語化されていたので、是非ご紹介させていただきたいと思います。

以下、「 」内は引用です。


筒井先生は、国民が望む『いい臨床医』を

基本的臨床能力をもち、患者さん・ご家族の立場に立って診断・治療を行い、他のスタッフとともにチーム医療を進めていくことができる、人間性にすぐれた医師

と定義づけられています。


そして、『いい臨床医』の育成には『いい指導医』の存在が不可欠であり、いい指導医は以下の5つの要件を備えている必要があると考えておられます。


  • 自らが「いい臨床医」である

  • 「いい臨床医」の育成に情熱を注ぐ

  • 自らが広い視野に立って研究に取り組む

  • 研究心を持った臨床医を育てる

  • メンターとして自らを磨く努力を怠らない



こうして書いてみますと、自分は全く及ばないということがよくわかりますね…。

指導医は研修医のロールモデルたるべし、実際の診療が教科書になるので、質の高い安全な診療が日常的に行われているべき」、というところも、まったくその通り、日々精進であります。



初期臨床研修では、診療の基本である『客観的で精緻な観察、病態の論理的な把握、診療行為の効率的な計画と実施、その結果の科学的な検証』という一連のプロセスをしっかりと身に着ける必要がある。
言い換えれば、『患者さんの訴えによく耳を傾け、注意深く身体所見をとり、患者さんの抱える問題点を的確に見出し、必要な検査で、最もいい治療を受けていただく。そして、その結果を真摯に分析し、その患者さん自身、さらには次の患者さんに生かしていく』ということである
。」

嗚呼、なんということでしょう。これがまさに、言いたかったけどうまく言葉にできなかったことなのです。もうそのまま引用ですが、こういうことなのです。



臨床研修において、手技や技術の習得ばかりにとらわれ、臨床医として必要な『総合力』を身につけていかなければ、『腕にだけは自信のある医療技術者』になってしまう危険性がある」とおっしゃいます。
ここも、激しく同意します。そういう方々、その辺に、いっぱいいますから…。


診療と研究の両方を経験する中でのみ、臨床医にとって必要な総合力が身につき、サイエンスである医学と、アートである医療を両面から実践できる真の意味で『いい臨床医』として成長していくことが可能である


今日はほとんど引用になってしまいましたが、このように言語化していただきますと、自分の目指すべき方向性が見えて参ります。
筒井裕之先生に、感謝の意を表します。ありがとうございました。


私は、いい指導医を目指します。
皆さんは、いい臨床医を目指しましょう。

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posted by 長尾大志 at 14:45 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年03月01日

待つ、ということ2

日曜日の京都新聞で大谷大の鷲田清一教授が、待つということについて書いておられました。もう少し続けます。


(以下大意を引用、一部再掲)

待てないだけでなく、社会の方も待ってくれなくなった。組織での業務や、政治、学問においても、成果が出るのをじっと待つ、という余裕がなくなっている。

農業や漁業が主たる生業であったときは、待つというのは当たり前の感覚であった。それが製造業や情報、サービス業まで、近代の産業は効率を競う。

待っても必ず報われるわけではない。時が経つのを息を殺して待つ。ときに待っていることも忘れるようになってはじめて、その時は訪れる。
そういう体験を何度も繰り返しているうち、ひとは焦らずに、待つこともなく待つという構えを身につける。こんなことを繰り返す中で、ひとは鍛えられてゆく。

深く傷ついた心にもいずれ癒えの訪れる日が来ると、思いさだめることもできるようになる。

待つことができなくなるというのは、自分が待たれているという感覚を失うことでもある。
人々からの呼びかけや訴えにこたえるという感覚、つまりまさにこの私がいま誰かから呼び出されているという「務め」の感覚も、ずいぶん薄れてきている。

そして、何もしてくれない、と文句ばかり言うようになっている。

(引用ここまで)


便利な世の中です。日常的に「ただ、待たされる」ということは少なくなりました。しょうもないたとえですが、たとえばビデオを見るのも、以前は巻き戻しが必要であったり、見たい箇所がすぐに出てこなかったりしたものが、今や一瞬で見たいところが出てくるわけです。

うちの子供でも、「見たい場面」がすぐ出てこないと「まだ?」と待てなくなってきている残念な現実です。つまり、待たされないことになれてしまうと、待つためのトレーニングができない、ということになるのでしょう。



そんなわけで、皆がすぐの結果を求めるようになってきました。世の中全体がこうなってきたことで、こころの余裕を奪い、他人に対する配慮に欠けた人々が増えてきたのかもしれません。


最近で言うところの、クレーマーやモンスター○○として、文句ばかり言うような方々、ちょっとのことが待てない。すぐにキレる、というのは、若者ではなく、今の中年以降の方々でもしばしば見かけられるものであります。
なるほど、この「務め」の感覚が薄らいでいることにもよるのかもしれません。



医療でも似たところがあります。投薬して、待つ。ただボーッと待つのではなく、結果を想定して、次の一手の構えを持ちながら、よく患者さんを観察し、待つ。うまくいかなければ、そこから学びが得られる。これも農作物を育てる手順に似ています。

こういうやり方が性に合わず、結果が全て、という考え方がどうも多くなっているように見受けられるわけです。


まずは、じっくり待つ、ということも、時には必要ではないでしょうか。こういう時代であるからこそ。

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posted by 長尾大志 at 09:20 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年02月29日

待つ、ということ

先日2歳半の次女が、トイレで排便できるようになりまして、すごいねー、やったねー、と言っていました。
でも翌日は、またオムツで。


子供の発育過程というものはどうもこういうもんみたいで、できたりできなかったり、ということを繰り返して、いつの間にかできるようになっていくみたいですね。


さすがに3人目ともなると、こちらも、こういうもんや、と思えるようになっていますから、特に「できた、できない」に一喜一憂することもなく、待っていられるようになりました

成長すればそのうちに、必ずできるようになるのですから。


と思っていたら、ちょうど日曜日の京都新聞で大谷大の鷲田清一教授が、「待つ」ということについて書いておられました。


(以下大意を引用)

携帯電話やメールを使うようになり、人を待たせることに疾しさ(やましさ)を感じることがなくなった。

すぐに連絡が取れるようになったため、ただ待つ、ということが少なくなり、その反面で待つことができなくなってきた。

子育ての過程で、子供が勝手に育つのを待てずに、ああだこうだとことあるごとに口を出すのはいかがなものか。

(引用ここまで)


私自身、いわゆるお受験とか、幼少時からの「英才教育」には興味がありません。親が子供の世界に介入することが、その子のためになるとは思えないのです。子供には持って生まれた個性があり、親にそれを歪めることはできない、すべきではないでしょう。


鷲田教授はさらに、こう続けられます。


(以下大意を引用)

人を待てないだけでなく、社会の方も待ってくれなくなった。組織での業務や、政治、学問においても、成果が出るのをじっと待つ、という余裕がなくなっている。

農業や漁業が主たる生業であったときは、待つというのは当たり前の感覚であった。それが製造業や情報、サービス業まで、近代の産業は効率を競う。

(引用ここまで)


子供に限らず、人を育てるには、待つ、ということが大事だと実感します。これはまさに、作物が実るのを待つ感覚。


人には皆、個性があります。まじめにやっておられる先生は、多少器用、不器用ということはあっても、着実に成長されていきます。私たちの役割は、適度に肥料を追加して、水を差し上げて、待つ。もちろん、風が吹けば、衝立をたてて、倒れないようにすることも必要かもしれません。個性に合わせて肥料が必要だったり、あまり必要でなかったり。いずれにしても、そうしていると、やがて、必ず実はなります。


最近の風潮として、身につける側の先生方に、自分に実力がつくのを「待つ」ということができず、即効性、すぐ身につく技術、というものが重んじられる傾向があるのを感じます。手技とか、そういう目に見えるものですね。


そうではなく、丁寧に診察をして、お話を聞いて、考えて、検査をして、また考えて…これが内科の面白みであり、やりがいのあるところであります。若いうちにこの考え方、やり方を身につけておくと、一生ものになります。それを伝えていきたいと思っています。

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posted by 長尾大志 at 09:23 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年02月04日

うれしいフィードバック(PAFシステム誕生)

この週末でローテーター諸君は異動になります。

最後にお一人ずつ挨拶をされたのですが、いろいろ質問頂くなど、熱心にやっておられたF先生が言われた言葉が印象的だったので、思わず記事にしてしまいました。


「自分でproblemをたてて、actionをおこし、その結果についてfeedbackを受ける、というやり方が、この1年いろんなところで研修してきた中で一番勉強になった。」


まあ、多分に外交辞令が含まれていたかとは思いますが、うちの教育精神をほめていただけた気がして、うれしかったです。


これまでに多くの研修医諸君を見てきて、この、自分でproblemをたてて、actionをおこし、その結果についてfeedbackをする、というやり方が、もっとも研修医諸君が「伸びる」やり方である、と考えてきました。ただ、最近、いろいろと外部からの「厳しすぎる」「ほったらかしじゃないの?」なんて声が聞こえて来てもいましたので、少し気持ちが揺らいでいたことも事実です。


そういうわけで、少し自信を持って、このやり方を進めて参ります。


自分でProblemをたてて、

Actionをおこし、

その結果についてFeedbackを受ける。


このシステムをPAFシステムと名付けましょう。
(単に名付けただけ)


最初は結構大変かもしれないですけど、医師としての実力はぐぐっとつく(はず)。

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posted by 長尾大志 at 11:50 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年01月29日

物事を学ぶ過程における「スランプ」

昨日facebookには書いたことなのですが、示唆に富む(自画自賛)のでこちらでも。


息子が先日、スイミングの2級に合格しました。
まあ、子供の2級ですから、大したことはないのですが…。

それでも、バタフライを除く3泳法は、習得したことになります。


思えばもう5年になります。始めたころは、もちろんむちゃくちゃでしたが、途中でも1年ぐらいまったく昇級がなかったり、結構苦労していて、「このままやめてしまうのかな〜?」と思うこともありました。


本人もかなりイヤイヤ通っていたのですが、ある時期を境に気持ちが前向きになり、ぐっと伸びた時期が出てきました。


今では楽しく通っているようで、よかったです。





何でも、物事を学ぶ過程では、伸びない時期があるようです。
いわゆる「スランプ」と言われるものも、ここに入るのかもしれません。


物事を学ぶ過程では、スキルはこんな風に一直線には伸びません。

学び・上達の過程スライド1.JPG


伸びない時期を経て、どーんと伸びる。

学び・上達の過程スライド2.JPG



やってもやっても、うまくいかない…。

点滴がうまくいかない…
血ガスがうまく取れない…
挿管tubeが食道に入って、周りの冷たい視線が…
CVがAに…


そこで凹んでいても、仕方がありません。


スランプに陥ったバッターは、ひたすらバットを振る。
ひたすら、練習あるのみなのです。


新人医師諸兄に贈る言葉「30の法則」でも書いたとおり、30回やれば、多くの手技は安定してできるようになります。




先日スイミングの帰り、車の中で流れていたのがAKB48の「RIVER」。

息子も意味を知ってか知らずか、口ずさんでいます。
これも、まさに今、がんばっているみなさんの応援ソング。

著作権に配慮して、うろ覚えモードで歌詞を紹介しましょう。



君の目の前に川が流れる、
深くて大きい川

離れていても、流れが速くても、
きっと向こう岸はある。

もっと自分を信じろよ
川を渡れ、
You can do it!



…秋元康さんの、若い人の応援ソングって、すごいセンスですね。
若い人に対する優しいまなざしというか、AKB48に対する愛情、そしてそのファンに対する愛情も感じます。


頑張れ、若者たち、You can do it!

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posted by 長尾大志 at 11:03 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ

2012年01月04日

学ぶ基本は「守破離」

どのような物事でも、学びの基本というものはあります。


「守」「破」「離」というのは、昔からいわれていることですが、やはり初期研修においても同じことがいえるのです。


「守」これは、まずは先達、先輩のやっている「型」を身につけること。

まずは上級医のやり方、処方の仕方、点滴オーダー、検査項目、レントゲン読影の所見…そのすべてを徹底的にまねることからはじめます。


たとえば患者さんやご家族への病状説明も、できるだけ同席して、話す内容、話し方やフレーズなどもまねをすると良いでしょう。

私が2年目の頃はそれが高じて、上級医のコピーのようになったり、物まね芸のようになったりすることもありましたが、まずはまっさらのフォーマットされたHDDに、OS(基本的考え方)をインストールしていく、と書くとわかりやすいでしょうか。



1−2年経って、ある程度基本的な型を身につけたら、次は「破」。


上級医の間でも少しずつ癖があり、たとえば抗生剤でも好き嫌いがあるものです。いろいろな上級医のやり方を見て、少しずつ最初のOSに自分流を加えていく、これが「破」の段階です。お話、病状説明のやり方も、自分の性格ややり方にあうものを少しずつ取り入れていく。


これができてくるのが3年目ぐらいからでしょうか。自分流でやったことがうまくいくとうれしいもので、どんどん臨床がおもしろくなってきます。仮にうまくいかなくても、そこから学ぶことでどんどん成長していける、そんな時期です。


そこを超え、4年目あたりになってくると、いよいよ「離」の段階です。これまでに学んださまざまな上級医流を消化し、オリジナルの「自分流」ができてくる時期。いよいよ、独り立ちの瞬間が近いわけです。


多くの研修医諸君はこういう流れで成長されていきます。ですので、私たちは、初期の1−2年、「守」の時期はなるべく多くの信頼できる上級医の元で学び、型を身につけ、「破」の時期を経て「離」の段階で独り立ちし、一人主治医、外来などを経験されるのがいいのではないかと思っています。カリキュラムもそういう具合に作っているのです。

大学病院みたいにスタッフが多いところでないと、ここまでのことはなかなかできないかもしれませんねー。

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posted by 長尾大志 at 13:09 | Comment(0) | 教育理念・メッセージ